ゆとり教育の見直し(その2)、自己肯定感


水谷修

ゆとり教育の見直し(その2)、自己肯定感

回り先生、水谷修氏をご存知だろうか? 前に NHK スペシャルでこの先生のある学校での講演を見た。内容はとてもすごいもので、僕を含めてほとんどの人が知らない夜の世界のお話だった。夜、街中でたむろする子供達のお話。昼の世界でおもいっきり生きていくことができない子供達が夜の街で、自分の居場所を求める。

男の子はドラッグにはまる。そしてパシリにされたり売人になる。女の子は売春される。その子達によれば、夜の大人たちはみんな優しいという。夜回り先生曰く、「当たり前だ、みんなカモになるから」。お金で自由にできるカモだからです。窃盗、小犯罪から異常犯罪まで未成年者が犯罪へと手を染めていく。

自己肯定感のなさ

の世界で否定され続け、夜の世界に逃げ込んでくる子供達。さらにそれらの子供達のほかに夜眠れない子供達の莫大なる数。この子達はリストカットや自殺願望などの心の叫びを抱え、誰にも相談できることなく辛い夜を過ごしている。

夜回り先生は言います。自己肯定感、つまり自信は、認められること、褒められること、大切にされることで自然にできていくもの。家庭で、学校で、どれだけ多くの親や教員が子供たちをきちんと抱きしめ認め評価しともに生きているのでしょうか?、と。夜回り先生がすすめる、僕達一人一人の大人がすぐにできること?

子供達に笑顔を見せること

せな人しか人を幸せにできません。まずは大人が幸せになること。それを子供達に見せること。これが子供達を救う最良の手段。また夜回り先生はこのように考えます。窃盗の天文学的増加と関わってリストカット、自殺願望、 ODが増えている背景に実はモノを考えられないということがあると。モノを考えられない考える能力がない、コミュニケーションがとれない。

だから人の真似をして生きる。人の真似をしていれば安心する。自分と同じ位置にいる他人を確認して、あー、あいつも一緒だ、だからいいやー。だからそのポジションから例えば抜け出そうとしている個人、努力して上に這い上がろうとしているやつとか当然気に食わない。そうすると日本という社会は、仲間はずれにします。

村八分。自分と同じでない人間は受け入れない。あいつは自分達とは違うんだ、と理解しようともしない。このような社会では集団から抜け出して自分を弧高の状況に置き、自分に投資して上を目指していくのに物凄い勇気とエネルギーがいる。だから優秀な人ほど日本の外へ飛び出していくのだと思う。

褒める

メリカで生活していて気が付いたことがある。人を指導、教育する場面でよく見かけるのが、よく褒めるということ。本当に人、他人をよく褒めます。特に親が子供に対してよく聞くセリフ、 I am very proud of you. があります。

本当にお前のことを誇りに思うよ、と語る。すると子供には自然、笑顔が生まれる。いいなぁと思ったものです。アメリカは競争化社会と言われます。その中身はどうなっているのでしょう? まず頑張っている人同士よく励ましあいます。日本のように足を引っ張るとか、足をすくうような行動に出る人はほとんどいません。成功したかったら他人を助けるのです。

このニュアンス分かりますかね? ライバルとして蹴落とすのではなく、お互いを持ち上げるというか、相手のいいところを認めているんです。最低限のリスペクトを感じるわけです。周囲に頑張っている人がたくさんいるため、努力している人同士、上へ引っ張るというか、頑張っている様子を聞く余裕があるんです。

嫉妬と自己嫌悪

分が努力していない人はそういう時、嫉妬する。きっと頑張っている人の話を聞くと、自分が努力していないため、自己嫌悪になるからだと思います。自分が努力して何かを目指していれば、他人が頑張っている話を聞いても、寛大になれるんです。

競争社会で負けてしまっている人、底辺にいる人はどうでしょう? 完璧ではないですけど、ちゃんと手を差し伸べるシステムがある程度確立されていると思います。力のあるものは資金などを提供したり、システムを構築するのに援助したりします。

政府機関や企業はじめ、個人レベルでもそうです。ボランティアを通して社会的に弱い人と接点を持ったり企業などのフィランソロピーも活発です。何が日本人には足りないのでしょう? 心の懐の大きさでしょうか? 他人を受け入れる環境でしょうか? それとも個人の問題? 力の強い人、力のある人ばかりがヘルプしているわけではありません。普通の市民レベルで社会問題に取り組んでいる空気が、そこらじゅうで流れているのを感じます。

アメリカ社会の底辺にあるもの

は人間は本来弱いものであるというのを認めているからだと思います。だからどんな人間であろうと見捨てない。こういうのがアメリカ社会に流れているわけです。日本はどうでしょう? 見て見ぬふり社会。こういう状況って、日本にたくさんあります。

身体にハンディーを持った障害者。日本では他人の目、社会の目を気にしませんか? こっち、アメリカでは本当に身体にハンディーを持った人が社会に出ています。社会に受け入れる体制がよくできているというのもありますが、その前に接する人間の違いじゃないでしょうか。皆さんはどう思います?

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