ウェブで学ぶ – ウェブ進化が人生を増幅する


ウェブで学ぶ – ウェブ進化が人生を増幅する

「何も拠り所にできなくても希望を抱くべきだし、その希望は自分が信じている限りは偽りではない」と信じて生きている人たちが大勢いる、ということです。そして彼ら彼女らの中には、自分がどんな境遇に置かれていても、教育を受けることで、自分の希望を灯し続けようとしている人が少なくありません。

成人してから移民となり、厳しい生活に耐えながら学び続け、立身しようとしている人たち。安定した職業に就いていながら、そこに安住せずに、新たな知識や技能を身に付け、より自分にとってやり甲斐のある仕事に挑み続ける人たち。そういう人たちと出会って話すと、皆希望を持っている。夢を持っている。「自分も頑張ろう。何か新しいことに挑もう」という気持ちが湧いてきます。 (梅田望夫/飯吉透著「ウェブで学ぶ」参照)

サンジェルスにいた頃通っていたコミュニティーカリッジで見かけた光景。まだ20代前半の若造だった僕は大概日中のクラスを取り、授業に出席してはその後そのまま図書館へ直行という生活をおくっていた。夕方5時過ぎを過ぎる頃になるとぞくぞくと世代が自分よりも一回りも二回りも年配の人たちが大学構内へ押し寄せてくる。

皆昼間それぞれ仕事を抱えながら夜間の大学授業に通い、少しずつではあるが単位を習得して4年制大学編入を目指すもの、専門知識を新たに得て既存のキャリア、将来のキャリアアップへ向けてコツコツと自己投資しているもの。そのようなアカデミックな場所へ出かけてみないとそのように自ら啓蒙し続ける人の存在など知る由もないであろうが、僕は彼ら彼女らの存在を実際に知ることができた事実を有難く思う。

多くの人が社会へ出てから自ら勉学に励むことなく周りの居心地の良いレベルの人間と付き合うことに満足してしまっている。日本人は村社会だから仲間内で話し合うトピック、共通意識をお互いが認知しているというだけで寂しさを紛らわしている。孤高に自分を高めようという人間の少ない日本人。

努力していない人間は自分たちの村社会から努力して新しい世界へ飛び出していこうとする輩に嫉妬心を持つ。アメリカでは成功しようという志を持っている奴は同じく成功しようという気概を持って努力している人間をお互い上へ上へと引っ張ってゆこうとする心の余裕が社会に存在している。

日本社会では飛び出してゆこうとする輩の足を引き下げ、自分と同じレベルにいろと苛立つ。ネガティブ思考(人の悪口、陰口を言う)の人間とはなるべく付き合わないようにしている。彼ら彼女らは狭い集団とでしか行動できない寂しい奴ら。海外へ行ってもそのような日本人は存在している。

職を得る、生計を立てる道筋へ

「学ぶこと」と「師や同志に出会うこと」は、学びに拍車をかけるための両輪ですが、さらにその先に、学んだこと、身に付けたことを拠り所に「職を得る、生計を立てる」道筋へとつながることが重要です。ウェブが「人生を切り開いていくための強力な道具」となるための第三の柱とは、そういう可能性でしょう。

「職を得る、生計を立てる」道筋において重要なのは、良質な「人のつながり」です。世界中に様々な性格を持ったSNSがありますが、世界最大のSNS、フェイスブック(Facebook)は、「人生を切り開いていくための強力な道具」として世界中で機能しているSNSです。サービスのツールがハーバード大学での教授や学生の間での情報交換用途だったこともあり、顔写真、実名、自らの詳細なプロフィールを公開するのは当たり前という文化が根付いています。全米アイビーリーグから学歴の高い利用者へとフェイスブックの普及が始まり、今では利用者が世界全体で5億人を超えました。

質の高い教育を受ける欧米の若者たちは、「お前は何者なのだ。お前の価値は何だ。これからお前は何をしたいのだ」と常に問われながら育ちます。個を磨き、自分の個性を発信しながら社会を生き抜いていくようにと、子供のころから教えられます。そんな「実名で自己を表現しながら顔を上げて生きる」という欧米の「強い文化」をウェブ世界に持ち込んで標準化してしまったのがフェイスブックだと言えるかもしれません。

さらに、ビジネス志向のプロフェッショナルな人たちに特化したSNSとしてはリンクトイン(LinkedIn)があり、こちらもグローバルに普及し、200カ国以上で6千万人もの人々が利用しています。フェイスブックとリンクトインは「職を得る、生計を立てる」ための良質な「人のつながり」を求める時の世界標準となったと言ってよいでしょう。最近ではツイッター(Twitter)とも組み合わせ、「人とのつながり」をリアルタイムにメンテナンスしていくことも当たり前になりました。(梅田望夫/飯吉透著「ウェブで学ぶ」参照)

名主義云々という議論をネット上でよくみかける。様々なバックグラウンドを抱えた人たちと共存していくためには自分がどのような人間でどのような価値観を持っていて、ということが相手を知っていく上でのコミュニケーションプロセスとなる。How are you? という挨拶の始まりはお互いをこれから公開していくための合図であり、そこで自分とはどのような人物なのかをきっちりと表現する。このことが欧米社会でのソーシャルでのスタンダードである故にネット社会へ移行しても、基となるアイデアがあくまでも個人であるから実名使用になるのだと思う。

日本社会というのはその点、江戸時代から続いた藩制度がそのまま明治維新というフィルターを通して会社という存在に置き換わったようなものだから、個人よりもまずは藩ありき、会社ありきとなってしまい、何々藩の人物、どこどこの会社の人物、というように藩やその会社の評判がまず社会の中であるステータスを確立してしまっているので人々の判断基準はそこから始まってしまう。

匿名で存在しているネット社会の名士たちは日本社会内で行動するが故に個という存在を前面に出せないための副作用的結果としてネット上で表現されてきたものだと思う。まともに個という存在をアピールして信用を築いていかなければいけない社会で際立っていれば匿名で勝負するなどという不合理は表面化されなかったのではないだろうか?

「経済ゲーム」と「知と情報のゲーム」

ウェブ進化には「経済ゲーム」という側面と「知と情報のゲーム」という側面があります。私たちがインターネットの用途としてまず思い浮かべる娯楽(エンターテインメント)、メディア、ビジネス、コミュニケーション、生活の利便性向上(ショッピングなど)といった分野は、大きなお金が動く世界でもあり、「経済のゲーム」として見つめることができます。

しかし本書のテーマであるオープンエデュケーションは、その周囲で大きなお金が動くわけではない「知と情報のゲーム」の世界です。「知と情報のゲーム」は、お金によってではなく、ビジョンと信念によって索引されています。

「世界中の教育者はインターネット上の膨大な教育リソースを、オープンで自由に(無料で)すべての人が使えるように開発を進めている。これら教育者は、地球上のすべての人々が人類の知識の全体にアクセスし、貢献できるような世界を創ろうとしている」

これは、2007年9月に南アフリカのケープタウンで開催されたオープンエデュケーション関係者を集めた会議で採択された宣言文の中の言葉です。ウェブ上を「知の宝庫」にしよう、そして誰もが自由に無償でその「知の宝庫」にアクセスできるようにしよう、人々に「情報を得る力」を与えよう、それが人類のためなのだという考え方は、「経済のゲーム」の発想だけからは出てきません。そう強く考える人たちのビジョンと信念によって索引されているものです。

そして、ウェブ上を「知の宝庫」にしようという「知と情報のゲーム」のビジョンと信念のルーツには、ルネッサンス以後のヨーロッパで生まれた「人類の築いた叡智は、パブリックなものとして皆に開いていこう」という考え方があります。

欧米の大学、図書館・博物館、学者コミュニティーなど、知の最高峰に位置する人々や組織が「人類の共有財産たる知を広く誰にも利用可能にすることは善なのだ」という「パブリックな意識」を色濃く持って、ウェブ進化の真の意義はそこにあるのだという信念に基づいて真剣に行動しています。そしてそれが「知と情報のゲーム」の策引力となっているのです。(梅田望夫/飯吉透著「ウェブで学ぶ」参照)

iPadの存在がこれからの教育分野で物凄い勢いと共に大きくなってゆくに違いないと確信している。「経済ゲーム」のほうはWinner takes allという状況になるだろうから、2位以下の位置に存在し続ける優位性は財政面や知的面でスタミナを補充し続けることができないならば早い時期に撤退するべきであろう。

Winner takes allという位置を獲得した存在物に人も金も情報も集まる。だからといって2位以下の存在をないがしろにしていいわけでもない。「知と情報のゲーム」の土台を広く分厚くしてあげれば、その「知の宝庫」でもがいている個や集団の知的レベルを高めるであろう。そういった存在が潜在的に「知の宝庫」に存在していることがWinner takes allとなった存在物に危機感を与え続けるし、2位以下の存在物にもモチベーションを与え続ける。健康的で経済的な競争社会だと思う。

繰り返し述べてしまうが英語圏での「知と情報のゲーム」、iPadの存在が一層加速させ、一層充実させていくであろう。Post Computerの時代が始まった!

人生の増幅器

ウェブには様々な側面がありますが何にも増して素晴らしいのは「私たちが人生を切り開いていくための強力な道具」になり得るつまりウェブが「人生の増幅器」たり得る可能性に満ちているところです。

私はウェブ進化論を眺めながら「あぁ、こんな凄い道具が、自分が高校生の時にあったらどんなによかったろう」といつも思います。高校生といえば、義務教育を終えて、そろそろ自分の志向性(好きなこと、得意なこと、やりたいこと)がくっきりと現れてくる時期であり、しかも、自分の志向性に近い領域における学問の基礎や、日本語以外の言語を本格的に学び始める時期でもあるからです。

そんな時期に、自分が興味を持つ世界がその先にどんな広がりを見せ、それらをどのようにして学べばよいかの全体像が見渡せるならば、こんなに素晴らしいことはありません。(梅田望夫/飯吉透著「ウェブで学ぶ」参照)

起業家タイプの人

そこで私が知ったのは、起業家タイプの人は、人生のある時期に、大変な集中力と気迫で、新しい知識を独学で習得するものなのだということでした。研究者が専門を極めていく中で創造性を発揮するのと違って、起業家はその時代の要請を敏感に感じ取って事業機会を掴み取ります。変化こそが機会を生むわけですから、起業に必要な知識を、起業家が起業段階ですべて持ち合わせている場合のほうが稀です。

過去に自分が歩んできた道のりの中でたまたま学ぶチャンスのなかった知識の欠如によって未来の可能性が縛られるのはたまらない」と思う気持ちが起業家には強く、独学によって自ら道を切り開きます。起業家精神と独学とは不可分なものなのだと学びました。(梅田望夫/飯吉透著「ウェブで学ぶ」参照)

み書き計算ができればよかった時代は産業時代まで・・・情報化社会では更に起業家精神、イノベーション、創造力を身につける必要性が一人一人に課せられている。事業機会というところは即人生機会という具合にも当てはめることができる。自ら何が必要かを認識して自ら学んでいける力・・・独学というニュアンスよりもサバイバル力という感じ。

学び続ける

いくつかの事例を挙げながらウェブと「学び」の関係について述べてきましたが、ウェブが「人生を切り開いていくための強力な道具」となるための第一の柱とは、間違いなく「ウェブで学ぶ」可能性です。物心ついた頃に義務教育が始まるように、「学ぶ」ことこそが、人生を切り開いていく第一歩です。しかも、変化が激しく複雑化するばかりの現代を生き抜くには、学校時代で学んで終わりではなく「学び続ける」ことが必須になります。(梅田望夫/飯吉透著「ウェブで学ぶ」参照)

び続けなくても、そんなにガムシャラに生きなくても、頑張る必要など・・・もっと緩~く生きようということも大事かもしれませんが、どうなんでしょう? 世界の舞台で競争を強いられる、好む好まざるに関わらず、そのようなフィールドで生きていかなければ、サバイバルしていかなければいけなくなるかもしれない? といったことは単なる妄想なのでしょうか?

それともまだ産業社会、工業化時代の名乗りでその頃には想像もできなかったような、世界中の人々がフィールドになだれ込んでくるフラット化した競争化社会で逞しく生きるための姿勢、というものが想像できないのでしょうか? BricsやVISTA市場の人々と共存していかなくてはいけない社会的変化が訪れた日本では「学び続ける」必要性を人々は認識しているでしょうか? それとも緩~く行き続けることが可能な日本社会でしょうか?

志向性の共同体

そして「ウェブで学ぶ」延長線上で重要なことが、「師」や「同志」との出会いだと、私は考えています。ウェブは、志向性を同じくする人々が物理的な場所という制約を超えて出会うことができる、という特徴を持っています。

近所や学校といった狭い空間では出会えなくても、数千万人、数億人とつながりを持ち得る広大なウェブ空間においては、自分と志向性を同じくする人々とかなりの確率で出会えるのです。こうした出会いの結果生まれたウェブ上のコミュニティーを、私は「志向性の共同体」と呼んでいます。

ウェブが「人生を切り開いていくための強力な道具」となるための第二の柱とは、「師」や「同志」と出会えるような「志向性の共同体」の可能性です。前節でその一端をご紹介した、ウェブを「知の宝庫」たらしめようとする様々な活動や、第2章で詳しくご紹介する「オープンエデュケーション」プロジェクトが作り出すコミュニティーに参加して学んだりすれば、そんな「志向性の共同体」に一歩、足を踏み出すことになるでしょう。(梅田望夫/飯吉透著「ウェブで学ぶ」参照)

つの小さな集団にだけ属さない、一つの小さなコミュニティーだけに属さない。狭い学校教育環境、狭い職場環境、狭い社会環境といった小さな価値観、小さな集団だけが共感するような小さな価値観だけの社会に属しているのは非健康的だと思います。特に日本社会ではその小さな集団に積極的に関わろうとしない個人を村八分にするような雰囲気を含んでいますから、個人で闘っている人たちには苦痛かもしれません。

でもウェブが進化したお陰でデジタル化世界では物理的な制約が取り払われたわけですからいくらでも可能性を信じて能動的に自分にとって素敵な場所、健康的な場所、知的好奇心を満たしてくれる場所などを検索していけることができるのです。

良い人生とは良い検索だ! By 石田衣良


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