オリジナルなアイデアからヒントを得てそれ以上のものを創造する


アバター

オリジナルなアイデアからヒントを得てそれ以上のものを創造する

画「Inception」を観ただろうか? バッドマンシリーズの前作「The Dark Knight」を監督したクリストファー・ノーラン氏の映画、夜のカットシーンが印象に残ったのも覚えていてまたその余韻に浸りたいと思い監督の最新作を鑑賞してみることにした。「Insomnia」の監督でもあったんだね! 作品の特徴なんだけどストーリーの中に必ず二者択一の場面を設定しているような気がするんだけど・・・

観ての感想? まぁいろいろなところで評論を得ているので僕が大雑把に書き記すことはないにしても監督が影響を受けたであろう日本人監督の作品にどのような影響を受けたのか? といったほうに僕の興味は向けられた。

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昔からよく言われていることだがスティーブン・スピルバーグ氏やジョージ・ルーカス氏の作品にも日本映画監督や日本映画、日本のアニメなどの影響を受けたものが多く、日本人にとってはいささか皮肉を込めて「これ、あの作品のパクリじゃん!」といってもどちらのほうが興行成績を収めているのかお金が問題のすべてではないにしろ、僕の中にある考え方が生まれたのでまとめてみよう。

映画「Avatar」の中に宮崎駿作品

月久しぶりに映画「アバター」を観て再び感動させられた。映像の美しさは当たり前なんだけどその神秘さといい撮影技術に至るまでジェームズ・キャメロン氏のこれまでの映画に対する思いのすべてが込められているような感じがして構想から14年以上費やしたというだけのものに仕上がっている。

物語りも宮崎駿氏などの作品から影響を受けたものが多くの場面で確認できたとしても僕にはそれがネガティブな印象など全く浮かばず、そのストーリーに感動、最後のシーンでは涙が出てきたぐらいである。

借りる、レンタルする発想

んかねぇ、「アバター」を観て思ったんだけど、もう最終的に聴衆を、もっと大きな意味を込めるならば社会やその人々が営む生活様式、文化、人類の進歩に至るまで・・・そのすべてにいい影響を及ぼすのであれば、この場合は感動だったり、あるオリジナルなアイディアをパクっても結果がよければ良いのではないだろうか?

誤解をしないでほしいのだがすべてをコピーすることを奨励しているわけではない。オリジナルなアイディア例えば「アバター」の中のシーンで言ったら空中に浮かぶ巨大な岩というか島というような物体(天空の城ラピュタ)、鳥に乗って大空を駆け巡るシーンや森の中の神秘的な生物(風の谷のナウシカ)、女性が狼の様な獣、ヴァイパーウルフにまたがって戦闘に加わるシーン(もののけ姫)。

他にも多くの気付きがあると思うんだけど、いいところ取りというかアイディアをレンタルするというか、オリジナルなものに少し手を加えて自分のストーリーに参加させて全体として全く違った新しいものを創造する、という行為はもっと認められて良いように思う。

確かにあのシーンのオリジナルの考え方はあの人のものが原型になっているといっても多くの人がそのことによって感動をしたのだから良いのではないか? と思ってしまうんだけどいかがだろうか? それとも二次創作物として捉えられてしまうのだろうか?

良いものを創れば、人々は認める

本人の多くは宮崎駿氏の作品によって多くの感動を与えら得たではないか! だったらオリジナルなアイディアからちょっとスパイスを利かせてストーリーの構想を練り直し、全くの違ったストーリーを組み立て、それによって世界規模で人類がその作品から感動を得る。こちらのほうの価値って凄いことだと思うんだけど受け入れられないのかなぁ?

創造することって本当にエネルギーがいるから、じゃあえて例えば宮崎駿監督シリーズ作品の中からオリジナルなアイディアをヒントにしていいから自分なりの新しいストーリーを考え出せ、と言われてそれを万人が認める感動する作品に仕上げる才能を持った人ってそんなに多くは現れないと思う。

ここはもっと大きく視野を広げて全人類が喜びを得るならば、という規模で捉えれば、つまり良いものを創れば、多くの人は、たとえば作品の中に宮崎駿監督シリーズのシーンを発見しても僕なんかは感動させられればその監督の力量にうなずかざるを得ない!

MADムービー作品は質が決めて、角川の規制緩和

角川グループはユーザーがアップロードした自社コンテンツの動画を自社の基準により、掲載許諾(公認バッジ付与)の是非、広告掲載、収益の配分などを決定する。角川グループが許諾をするコンテンツには、 PV 以外の短い本編や MAD と呼ばれる二次創作が含まれていることなどが発表当時大きな話題を呼んだ。また、広告を付加することでビジネスでの収益化も目指した。

今回月間 1000 万円を超えたことが明らかになった広告収入は、 YouTube 内の自社コンテンツに付加されたこれらの広告から構成される。コンテンツの大半は、ユーザーが投稿した『涼宮ハルヒの憂鬱』、『らき☆すた』、『ストライクウィッチーズ』などのアニメ作品関連動画が占めると見られる。

角川グループ自身がアップロードしたコンテンツと公認コンテンツの再生回数は、 2008 年 6 月に公認バッジの付与開始から急増している。 2008 年 9 月から 11 月の間の 3 ヶ月間の合計再生回数は 5000 万回を超えている。しかし、収入が増えたのは動画内に広告を埋め込んだ 2008 年 10 月の inVideoAd 導入後である。 inVideoAd の採用が短期間での収入急増につながり、一気に大台を超えたことになる。(角川グループ YouTube からの月間広告収入 1000 万円超を達成)

うも世の中の方向性がそちらの方へ行きそうな予感がするんだけど気のせいかなぁ・・・例えば去年話題になったYouTubeにおける角川グループの対応はコピーというかMADムービーを奨励するものとなった。

この場合の角川グループの姿勢というのは作品を利用してYouTubeに投稿してもいいよと。角川グループはそこでの広告収入を得ることのほうに解を見出したらしくこのことは最近流れたニュースとなって大きな影響を与えた証拠となった。

僕が注目したのがこの部分、「合法的に入手した映画DVDのプロテクトを解除して、映像の一部を教育目的やドキュメンタリー、非営利の動画などに利用する」。これにより例えば映像のあるカットが新しく創造するもののなかで必要となる場合、その作品によって多くに人が恩恵を蒙るならば奨励されるというもの。

例えば僕の例で言うと、新海誠氏の作品。日本では2007年ぐらいに流行したらしいがアメリカに住んでいて情報をそこまで拾えなかった僕は彼の作品をある映像に出会うまで知らなかった。

きっかけは新海誠氏の作品を観たのが始まりなんだけど、僕が観たのは映画ではなくて彼の作品「秒速5センチメートル」の中のシーンを切り抜いて作られたいわばMADムービーというしろもの。しかしこれが中々良い仕上がりになっていてそれが彼の作品ということに気がつくまでオリジナルなものと思っていたほど。

じゃ、どうして気がついたかというと新海誠氏の作品シーンを使って創造されたMADムービーがそのほか多数YouTubeに上がっていたので気がついた。あれ、とかおもってどうして同じようなシーンがたくさんある、だけど使われ方が自然と違和感なく、本物のようだし・・・

そうしているうちに今度は本当にオリジナルで作られた「ケツメイシ」のバージョンを発見。そこでやっとこの作品、この絵の作者の存在、映画というものにたどり着いた。現在は残念だけどそれらの映像は削除されている。他にも「いきものがかり」の曲をMADムービーしたものなど品質の高いものが多数あったんだけど、ほとんどが削除されてしまったらしい。

秒速5センチメートル One More Time, One More Chance 5cm per second

著作権問題はどうなる?

に池田信夫氏の所有という概念になるほどと思ったんだけどコピーライトはその内なくなると思う。アイデアはレンタルする、映像はヒントにする、メロディーはインスピレーションとして活用する、ストーリーはオリジナルからさらに個性を導き出す、という感じでどんどん人はオリジナルなものからその人なりの個性を生かしたものを想像するようになるであろう。

Extinction Timeline 1950 – 2050

今後 100 年を考えると、おそらく近代社会の基本的な枠組である所有権の意味が薄れ、情報資源は必要なときだけレンタルするしくみに変わっていくのではないか。このとき問題なのは、物と所有者が 1 対 1 に対応しなくなり、価格形成がむずかしくなることだが、それは資源や情報を共有する最善のシステムを実現することに比べれば大した問題ではない。価格メカニズムは、所有権という非効率な権利を効率的に配分するしくみにすぎないからだ。

だから今は、所有権=価格メカニズムという 300 年ぐらい続いたシステムから、次のシステムへの過渡期だろう。次にくるのがどんなシステムなのかまだよくわからないが、その移行を実験しているのが(彼らが自覚しているかどうかは別として)グーグルだと思う。彼らが電波の「コモンズ」に強い関心を示しているのは、たぶん偶然ではない。( 所有という幻想 )

近読んだ本「フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略 」の中に記述してあったんだけどデジタルに置き換えられるものはすべてデジタルに置き換えられてフリーになると。その過程でのコストは限りなくゼロになる。アイディアはどんどんパクられる。そうなると思い出すのが棋士、羽生善治氏の考え!

羽生善治氏の考え方

もちろん、そういう考え方もありうると思うんです。でも時代の流れというか、共有しないと生き残れない時代になってますから、多勢に無勢という印象はあります。気持ちはわかるんですよ。

創造って、手間も時間も労力もものすごくかかるから、簡単に真似されると報われません。私も対局で新しい試みをやるんですが、ほとんどはうまくいかない。仮にうまくいっても、周囲の対応力が上がっているので厳しいものがある。効率だけで考えたら、創造なんてやってられない。

でも逆に考えると、創造性以外のものは簡単に手に入る時代だとも言えるでしょう。だから、何かを創り出すのは無駄な作業に見えるけど、一番大事なことなんじゃないかと。それ以外のことでは差をつけようがないので、最後は創造力の勝負になるんじゃないかと考えています。( 現代将棋が表現する思想  )

有することによって将棋界全体が恩恵を蒙る、つまり将棋が発展、進化する。大事だと思う事柄、マジョリティーが恩恵を蒙るだろう貴重情報は共有されるべきと思うのは僕だけであろうか? ウィキペディアの進歩が英語圏での知的好奇心に知的向上心を育んだが日本版ウィキペディアは相変わらず削除の対象、記述の曖昧なものが多すぎる!

ビル・ゲイツ曰く「5年以内に最上の教育はウェブからもたらされるようになる」

NHKなどが抱える膨大なアーカイブは国民に解放されるべきだし、そのほかの貴重な日本国民にとって大事だと思われる情報は共有されるべき。犯罪や健康、年金、教育などいろいろと共有されるというか広く社会に解放されれば、日本人マジョリティーの知的IQ度は上昇するのではないだろうか? 集団的IQ度の低い日本人も情報が広く手に入るようになれば選択肢が増え、様々な社会での大事な決定、決断の際、深みのある議論を展開できるようになると思うのは僕だけだろうか? 以下、フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略 – クリス・アンダーソンからの引用

アイデアを永久に止めておくことはできない

つまりアイデアは事実上、コストを要せず無制限に伝わっていくのだ。もちろん、これは今に始まったことではない。かのトマス・ジェファーソンは特許制度の生みの親でもあり、誰よりも上手くそのことを表現した。

“私からアイデアを聞いた者は、私のアイデアを減らすことなく、それを利用することができる。まるで私のロウソクから火を貰った者が、私のロウソクを暗くすることなく明かりを受け継ぐように。”

要するに、アイデアとは究極の潤沢な商品で、伝達のための限界費用はゼロなのだ。アイデアが生まれると、自ら広く遠くへと伝わることを望み、触れたものすべてを潤沢にする(社会でそのように広まる考えを「ミーム」と呼ぶ)。

だが、ビジネスにおいては企業は知的財産権法を利用して、人為的にアイデア不足を生み出すことでお金を儲ける。それが特許や著作権や企業秘密だ。つまり、アイデアは多くの人に伝わるのが自然だが、その流れをしばらくの間せき止めて利益を上げようとしているのだ。

こうした権利は、発明家の創造に経済的インセンティブを与えるもので、一定期間はそのアイデアについて独占レント(ある人や企業がアイデアや市場を独占することによって得られる利潤)を請求できるライセンスであり、創案者はそのアイデアを活かしたビジネスを立ち上げて利益を得ることができる。だが、最後には特許が切れて、秘密は外に出る。アイデアを永久に止めておくことはできない。

物質からではなく、アイデアから作られるものが多くなれば、それだけ速くものは安くなっていく。これがデジタル世界のフリーにつながる潤沢さのルーツだが、今日この現象は簡潔に「ムーアの法則」と呼ばれている。

しかし、この法則はデジタル製品に限ったものではない。情報が主要な構成要素となる産業ならなんでも、後述する複合学習曲線を辿るようになり、価格を下げながら性能を上げていきやすい。たとえば医薬品がそうだ。かつての「理由は分からないけれど、これは効く」という状態から(だから薬の発見と言った)、今では分子生物学の原理から薬の作用するプロセスを辿れるようになり、薬が効く理由が分かるようになった。基礎にある科学とはつまり情報であり、観察された効き目は逸話に過ぎなくなった。根本を理解できれば、よりよい薬をより速く大量に作ることができるのだ。

DNA配列検査の価格も1・9年ごとに半分になっているし、ほどなく個人の遺伝子構造検査も情報産業のひとつになるだろう。医師のコストが高くなる一方で、ソフトウェアは安くなり続け、ゼロへと向かっていくので、医療と診断サービスがソフトウェアによって提供される機会がますます増えるだろう。

ナノテクノロジーも同様で、カスタムデザインされた分子の自己組織化といった技術により、製造業を情報産業に変えるはずだ。エネルギー産業ももはや化石燃料を燃やすことだけでなく、光電池を使って太陽光を実用規模の電気に変えたり、草をエタノールに変える酵素を設計したりするなど、情報産業になる。それまでコンピューターと縁のなかった産業も、腕力中心から頭脳中心に変わることで、ムーアの法則に似た幾何級数的成長と価格下落を見せるようになるのだ。

HKのアーカイブ、そのほか国民の生活基盤、個人の知的武装能力を高めるであろう情報を開放すれば日本人が恩恵を蒙ることになる。日本語での貢献は貧弱だが英語版のウィキペディアを見てみるといい。記事の数も凄い事ながら内容に関しては正しい方向へ正しい方向へと何度となく書き換えられる。つまりアイディア、この場合はある概念が皆の一致した事柄であるから後はそれを一般へ分かりやすい文章へと最大限の読みやすさ、理解しやすさをもってその内容が改良、進化していく。

個性を出す

羽生:一つは運とかツキとかあるような気がする。手が震えるっていう話をしましたけど、指運ってあるんですよ、つまり手がいいところにいくかどうか、例えば最後時間がなくなって手がいいところにいくかどうか。わからない場面のときにいいかどうかわからないわけですけど、指さないといけないわけです、時間がないですから、その時にいいところに行くかわるいところに行くか、まぁ運ということもある。その人の持っているその考え方とか発想とか、そういうものがでる。

あともう一つはですね、知識は皆共通してあるんですけど、そこから何を切り取って何を選ぶかっていうところはやっぱり個人差があるわけですよ。例えばこの形は自分のスタイルにあっているからやってみようとか、これは面白そうだからやってみようとか、主査選択という部分っていうのはかなり個人差がでてくるような気がする。( 勝負師、羽生善治氏の考え方、その1 – 真剣勝負 )

棋の盤上では個性がでる。それと同じ、すべてがフリーでアイデアが手に入る時代になってもそこから特出するには個性が必要ということ。自分の感性を磨く。多くの偽者の中に含まれている本当の一流作品に出会うことができるかどうか? 自分の観る目、感じるフィルター、すべては自分が美しいと感じるかどうか、気持ちが良いと感じるかどうかにかかっていると思う。

羽生:答えがない場面、わからない場面っていうのはよくあるんですよ。これが妙手だとか悪手だとかわからない場面ってあるので、そこはかなり個性が出ると思います。必ずそういう局面って一局の中に何回も現れるんでそこで何をするかっていうのは答えはないわけですから答えがない中で何をやるかっていうのはその人の個性というのが色濃く反映されるんじゃないかなぁとは思っていますけど。

インタビュー:先が見えない局面で感覚とか個性が生かされる、具体的にどういうことなんですか?

羽生:すごく単純にいうと例えばはっきり良い悪いがわかる場面だったらどんな人もいい方を選ぶじゃないですか、でもそれがもしわからないとか、すごい混沌としているとか答えがないってことになったら、結構その人の好き嫌いとか、好みとかそういうのが出ますよね、ということはその人の個性じゃないですか。

その人が持っている考え方とか感じ方とか培われてきたものとか、そういうものがすごく、性格とか習慣とかそういうものがその時にパッと出てくるっていうことがあるような気が、わからない場面だからこそ、そういうものが出せるということはありますね。答えがわからない場面ってほうが逆にその人の持っているその性格とか資質とか習慣みたいなものが、色濃く反映されるのかなっていう気はしていますね。( 勝負師、羽生善治氏の考え方、その1 – 真剣勝負 )

は自分の感性を高めていくにはどうしたらいいのだろうか? 本物、一流というものに数多く触れることだと思うが、自分にとって本当にそれが一流であるのか、また影響を受けるべく大きな存在のものなのだろうかの判断は経験を積んでいくしかない。このとき自分の取るべき姿勢なんだけど、僕は大前研一氏の言葉を強く意識している。

自分に投資する!! 自分に投資して付加価値を高め、どんな状況になっても生きていけるだけのスキルを身につける。その時の必要条件は知的に怠惰でないということ。知りたいと思ったことは調べ、経験したいと思ったことは経験し、行ってみたいと思った所には行かなければならない。

にアイデアを永久に止めておくことはできない、とするならば「知のオープン化」は必然であるべきであろう。創造力といった武器、誰にでも備わっている武器を研鑽することがこれからの情報化社会をサバイバルするキーワードだとすると、その「知のオープン化」を先取りし、盤上で自らの頭脳を実験の場として活用している棋士たちの思想に興味を抱かざるを得ない。

次のエッセイでは、将棋界は社会現象を先取りした実験場とはどういうものなのか、「量が質に転化する」というグーグルと羽生善治氏の思想の意味するところとは、「知の高速道路」の先にある大渋滞を抜けるには何が必要なのか、といったことを交えながら整理し、その先にある思想「非貨幣経済、金銭が支配しない場所では何が支配するのか」ということに繋げていこうと考えている。

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