サッカー日本代表はサッカー発展途上国だったことを確認した2014 FIFAワールドカップ


2014 FIFAワールドカップ,

サッカー日本代表はサッカー発展途上国だったことを確認した2014 FIFAワールドカップ

年に一度のFIFA ワールドカップが終わった。日本では早くもJリーグ再開ということで選手のモチベーションも新たなものになっていることと思う。サッカー日本代表があっけなく終わったことが遥か昔のように感じられる。印象がほとんど残っていないのは、消化試合のような90分を過ごした3試合のせいかもしれない。

優勝したのはドイツだった。したたかというか、全く危なげない試合をこなし、勝つためのサッカー、勝ち続けるためのサッカーをしていた。FIFA ワールドカップのような大会で、本気モード100%の中で、世界中の強豪国と闘える舞台を長く味わうには当たり前だが勝ち続けて、勝ち進む必要がある。その事実というか真実というか、サッカー選手にとっての快楽を想像できていたのは決勝トーナメントに進んだチームだけだったかもしれない。

日本はどうだったのだろうか? 今回ほど日本代表に期待したFIFA ワールドカップは初めてだった。きっと多くの日本人にとってそうだったに違いない。そういう期待と、あまりにも早くから形成してしまったベスト8狙いという根拠の無い理想像故、その期待に応えたい、応えなくてはいけない、という周囲からの目線というか期待感に敏感しすぎた、と思う。

強豪国とはどういうチームのことを言うのか? 多くの日本人がそれらの答えを共有できたことがせめてもの救い。日本のサッカー文化は少子高齢化社会の中でどのような役割を担っていくのか? 地域密着型スポーツ育成は少子高齢化社会の中で自立、成長していけるだろうか?

サッカー日本代表が象徴しているものは日本社会の多くに影響を与えている。2050年までにFIFA ワールドカップで優勝という目標を掲げているようだが、そこへ辿り着くまでにまだまだ土台となる基礎が足りない。悔しさの歴史であり、屈辱の歴史というのも日本国民のDNAの中に刻まれて、それが受け継がれ日本サッカー文化の厚みとなって将来に伝わるのだと思う。

自分たちのサッカー、サッカー日本代表の立ち位置、スタメンで活躍している選手が少ないから監督も起用法に迷う、FIFA ワールドカップでインテンシティ(プレー強度)を高めるための覚悟、選手として欧州チャンピオンズリーグに出場するチームへ移籍してスタメンとしてプレーすること、できれば移籍先の語学含め、文化や日常生活スタイルに順応していくこと。

日本サッカー協会はアウェイで戦う舞台を整えること、コパ・アメリカなどの国際トーナメントに出場すること。一ファンとして、日本人としてサッカー文化を育てていく覚悟、サッカー日本代表が強いとはどういうことかを理解すること、レベルの高いサッカーにたくさん触れること、サッカー文化を育てていく覚悟。以上を下記にまとめてみた・・・

自分たちのサッカー

「これが実力だ。結果は驚きでもなんでもない。今大会の他の試合を見れば一目瞭然だ。日本はどの国よりも未熟で、どの国よりも走っていないし、迫力がない。にも関わらず、一番期待されている国だ。海外組ブランドが喧伝され、選手たちは大スターのように扱われてきた。ヌルい親善試合と、本当のことを言おうとしないメディア。強化よりも興行に気を取られてきた結果、自分たちの実力が実態以上に大きく見えるようになってしまった。しかし、現実は隠せないということだ」

「『自分たちのサッカー』がどうこうというフレーズが騒がれているけど、一つ答えを出すとすれば、今日のこの試合で見せたプレーが、まさに『自分たちのサッカー』だよ。本来の力を出せていないのではなくて、これが世界における我々の本来の力なんだ。そこを見誤っては成長がない。他の試合をよく見てほしい」( セルジオ越後氏「“自分たちのサッカー”とはこの程度。日本はどの国よりも未熟」

ルジオ越後氏らしい痛烈な内容であるが流石であると納得してしまう。いつもの批判記事、この人は全然褒めない、という印象が付いてしまっている感もあるけど逆にメディアの中でセルジオ越後氏以外にこのような真実をついた批評を出来る人物がいるかといったらどうであろう? ほとんど存在しないのではなかろうか。

仮に日本代表の3試合、全てに勝っていたら「自分たちのサッカー」という表現の受け止め方もまた違ったものになっていたであろうことは間違いない。勝てば官軍、であれば良かった。しかし結果が伴わなければ批判されても仕方がない。勝って自分たちのサッカー、というものを世界に向けて表現できていた時の日本というものも見てみたい気がする。

日本代表が目指した、目指すべき自分たちのサッカーを貫いてもいいと私は思う。守って守って僅差の末勝利、という形で勝ち進むことに私達は感動するだろうか? サッカーの醍醐味はその得点の瞬間である。守るべきものを必死になって守る相手と、得点を決めるという必死の思いが交錯し、そこに奇跡、サッカーにおける芸術的瞬間、ゴールが生まれる。

得点を決めているチームは清々しい。前に進むという意志を感じるからだろう。ディフェンスが脆すぎるのは困るが、自分たちのサッカー、というものが攻撃的である、という日本代表の姿勢を私は支持する。取られたら取り返す。やられたら、やり返す。サッカー日本代表は諦めない、点を取られても下を向かない、というような印象を世界中のサッカーファンにうえつけたい。

サッカー日本代表の立ち位置

ショックだったのは、日本が敗れたこと以上に日本の世界での立ち位置を分かっていなかったことだ。98年にW杯に初出場した時は世界と戦える力はなかった。02年は「ホームの利」もあって決勝トーナメントに進んだが実力とは思えなかった。前回は守備重視の戦術でベスト16に進んだが逆に世界との差を痛感させられた。

この4年間で日本は成長した。そう思っていた。マンチェスターUやインテルやACミランなど、かつては「日本人には手も届かない」と思っていたチームの選手がいた。親善試合とはいえ、欧州のトップレベルと互角の勝負もできた。過去4大会とは違った。本田らの「優勝を狙う」はさすがに言い過ぎだと思ったが決勝トーナメント進出、さらにベスト8ぐらいにも届く可能性はあると思っていた。策を弄(ろう)することなく「本当に世界と勝負できる」と期待していた。

サッカーは世界の中での位置を把握するのが難しい競技だ。タイムなど記録がある競技なら、客観的に判断できる。毎年のように世界選手権があれば、実力をはかる機会も多い。しかしサッカーの「本番」は4年に1度。W杯でしか本当の力が分からない。1つの目安としてFIFAランクがある。あまり実力を反映しているとは思えないが、C組の結果だけを見ればランク通り。日本はやはり最下位だった。

決定力不足-。絶対的エースの不在-。今大会を振り返ればこんな言葉が出てくるはず。確かに日本にロドリゲスがいれば、結果は違ったかもしれない。ただ敗因をそこに求めるのなら、スーパーなストライカーが出てくるのを待つしかない。それ以外に日本が世界で戦えるようになる方法はないのか…。( 残酷な現実 日本はやはり最下位だった

本代表はまだまだだったかぁ、という結果に感謝しても良いくらいだと私は感じている。たらればの話だが、仮に日本代表が運も味方してベスト8に入っていたとしよう。私はその後の驕りの方を危惧してしまう。ビッククラブに移籍する選手も出てきたけど結果を出している選手はどれぐらい居るであろうか? 欧州中堅クラブに移籍する選手も増えたけど、本当に必要とされている選手はどれぐらい存在するのか?

ベスト8に入っていれば周囲からもチヤホヤされるであろうし、自分の立ち位置も勘違いしてしまうかもしれない。世界を相手に闘えるレベルの結果を普段の所属クラブで出している選手といえば内田と長友だけであったと私は思っている。ビッグクラブに移籍する選手も出てきた。次に目指すべき方向性は、そのビッククラブへ移籍して、スタメンとして出場し、すべての試合で活躍することである。このようなメンツを日本代表の中に増やしていく必要がある。

FIFA ワールドカップ優勝、道のりはまだまだ・・・日本代表の立ち位置、世界と比べてもまだまだだったと痛い現実を突きつけられたことは絶対にサッカー日本代表と日本サッカー文化のためになるはずである。悔しさの歴史、屈辱の歴史を日本人が味わった、経験したことの意味は大きい。

スタメンで活躍している選手が少ないから監督も起用法に迷う

ワールドカップ本大会に入ってからの2試合、ザッケローニ監督は2試合とも大迫勇也をワントップで先発させた。そして、コートジボワール戦では後半の途中で大久保嘉人を入れてワントップで使ったと思ったら、ものの数分で大久保をサイドに回し、本田圭佑のワントップを試み、さらに終盤には本田をトップ下に戻して柿谷曜一朗を投入した。

ギリシャ戦も大迫を先発にさせたが、途中で香川真司と交代。大久保が「俺がワントップ」と思ってポジションを変えかけたのだが、実際にトップに入ったのは岡崎慎司の方だった。つまり、この2試合トップでプレーした選手は大迫、大久保、本田、柿谷、岡崎と5人に達したのだ。終盤、パワープレーを試みるためにトップに上がった吉田麻也を含めれば、なんと6人ということになる。

要するに、4-2-3-1で戦うことは決まっていたものの、「1」として誰を起用するか。最後までその方針が決まらないまま本大会に突入し、迷走を続けているのである。例えば岡崎は、ブンデスリーガで結果を出し続けた選手だ。だがザッケローニ監督は、岡崎をサイドで使い続けてきた。日本代表では、「点で合わせるタイプ」の岡崎ではなく、「前線でボールを収める」タイプの選手が必要なためだったはずである。

Jリーグで活躍した佐藤寿人が招集されなかったのも同じ理由だった。だがザッケローニ監督は、本番で岡崎をトップで起用した。豊田陽平が招集されなかったのは「パワープレーはしない」、日本らしい「足元でパスを繋ぐサッカー」を、徹底するためのはずだった。だが最終的にザッケローニ監督は吉田をトップに上げてパワープレーを試みた。それなら豊田なり、ハーフナー・マイクなり、闘莉王なりを入れなかったのは何故なのか……。

ザッケローニ監督の采配は、まさに迷走状態。これほど監督が、選手起用に迷いを露わにしてしまったら、ピッチ上で戦っている選手は戸惑うばかりだ。もちろん日本にスアレス、あるいはファンペルシーやイブラヒモヴィッチがいれば、あるいは釜本邦茂がいれば、何の問題もない。しかし、日本にストライカーがいないということは、もう何年も前から分かっていることだ。ザッケローニ監督自身も就任以来、身に染みて分かっていたはずだ。

そうであれば、理想のストライカーはいないことを前提に、軸となるFWを決めてチーム作りをすべきだったろう。アジア予選の段階ではそれが前田遼一だった。「前田は力不足」と感じていたかもしれないが、ザッケローニ監督はチームにフィットさせられる最善の選択として前田中心のチームを作り、予選突破という結果を出した。

迷走が始まったのは、本大会を目指すこの1年間だった。大迫と柿谷が台頭。2人の若手を使って、本大会向けのワントップの座を競わせたのだ。だがどちらもポジションを確保できないまま1年が過ぎてしまった。そこで最終段階で大久保を招集した。もちろん、理想的な答えはない。だがそれでも、監督としては何らかの決断をしなければならなかったはず。「大迫の先発」という選択はしたようだが、結局、二の矢、三の矢の決断はまったくなされないまま本大会で迷走状態を露呈してしまったことになる。( ザッケローニ監督のワントップをめぐる迷走ぶり 最後に勝負度胸を見せてほしい

ッケローニ監督の采配が批判されていたが、私はむしろ決定的となる判断材料を提供できなかった選手側に問題が在ると思っている。すべては実力不足。大迫、大久保、本田、柿谷、岡崎と海外で、Jリーグではなく海外で結果を出している選手がこの中にいれば、ザッケローニ監督は迷うこと無くその選手をFWとして起用していたであろう。

大迫と柿谷が次の4年間でどこまで成長できるか? 欧州中堅クラブでのFWなのか、欧州チャンピオンリーグに出場して、上位を狙ってくる強者だらけのビッククラブでのFWなのか? 昔に比べれば贅沢な悩みである。20代早い内から海外へ移籍するFWなど昔の日本代表に存在したであろうか? 今は大事な通過点、一人一人の選手が成長していく過程をファンも見守る必要がある。

サッカー日本代表選手として、どこを目指すべきなのか? 日本サッカー協会は本当に日本代表を強くするための覚悟ができているのか? 日本代表を強くするための戦略を持っているのか? FIFA ワールドカップ優勝ということの意味とは何であろうか? この辺りのトピックについての考察は次のエッセイにまとめてみた。

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