ジャパンブランド、洋菓子界全体の底上げを支える技術促進を生み出す環境、エーデルワイス


アンテノール

ジャパンブランド、洋菓子界全体の底上げを支える技術促進を生み出す環境、エーデルワイス

われた10年、20年とネガティブな表現を日本経済、日本社会に当てはめることがある。確かにそのような部分もあるかもしれないが、皆が皆、全員が全員、ただ黙ってそのセリフを受け入れてきたわけではないと思う。私は「カンブリア宮殿」に登場する様々な会社経営者の生き様を観察してきて、ただではやっぱり日本人、転ばないなぁという思いを抱いている。

多くの個人はそのネガティブな潮流に流されゆくまま自分の身を任せ、他人も一緒だからいいや、とそのまま思考停止状態に陥る。私は危険だと思う。少数だが新しい社会の変化に対応しようと、または飽和状態の産業フィールドに新しい改革を起こそうとしている人間たちがいるという事実は勇気を与えてくれないだろうか?

日本社会はこれからも少しずつだか変わっていく。テクノロジーの進歩が社会に小さな変化を受け入れさせ、それが知らず知らずの内に標準化され、気がついたらあるテクノロジーなしの昔の社会の有り様を想像できないばかりか、受け入れることさえできないほど、社会が大きな舵転換をしたことに驚きを感じるであろう。

海外生活25年、日本人の感覚を持った視点で海外から日本の現象を観るととても新鮮で、これは新しい潮流へと成長する、というのが直感的に確信する機会が多くなる。私の今与えられた役目はこれらの真実を日本に住んでいる日本人の皆様に伝えることではないかと思っている。

余計なお世話! まぁまぁ、浦島太郎は何と言っているのか少しだけでも耳を傾けてみてはいかがであろうか? 日本人はもっと自信を持つべき!その理由を知りたいだろうか? 今回は「スイーツ一筋60年!“洋菓子界の巨匠”波乱万丈の人生、エーデルワイス」のお話である。

  • 2050年以降の世界経済
  • 技術的特異点を迎えるにあたって

絶品スイーツ続々、笑顔を生む職人集団

阪市、阪神梅田本店、デパ地下のスイーツ売り場、有名店が軒を連ねる菓子の激戦区。およそ30種類のケーキを展示販売しているアンテノール。たっぷりのイチゴをしっとりとしたスポンジでサンドしたショートケーキ、525円。栗の風味が優しいモンブラン、483円。

この激戦区で30年以上も勝ち抜いてきた理由とは? 美味しさ以外にもお客を惹きつける仕組み、業界で初めて店内厨房を導入、お客の目の前でケーキを作ります。台を回しながらパティシエが生クリームを絞っていく様子などを観覧できる仕組み。パティシエの見事な仕事を見ていると買いたくなってしまうようです!

エーデルワイス本部、アンテノールを展開する会社

庫・尼崎市。創業1966年、従業員1900人。アンテノール以外にもベルギー王室御用達のチョコレート、ヴィタメール(100年以上歴史のあるベルギーの老舗洋菓子店と技術提携)を展開しています。他にもフランスで100年の歴史を持つパンの老舗、ルビアンなど8つのブランドを展開する洋菓子実力派メーカー、エーデルワイスです。

本部隣にあるエーデルワイス本社工場、ここでは時間のかかるケーキの仕込み作業を行っています。工場と言ってもほとんどが職人による手作り。パイ室、アップルパイの網状の生地の作り方。ローダーでパイ生地に切れ目を入れてそれを優しく伸ばしながら棒に巻いていきます。甘く煮込んだリンゴをたっぷりのせて、生地で包んでいく職人技。

このアップルパイ、手がかかるため各店1日20本限定商品だとか。機械で作ると生地のダメージが大きいので、大量生産はできないけど付加価値にこだわって美味しいものを作る、ということらしいです。お見事!

効率ではなく美味しさを追求するのがエーデルワイス流です。商品開発室、エーデルワイスの職人はツワモノ揃い!橋口将輝氏、全国洋菓子技術コンテスト2012年、優勝! 野田朋宏氏、世界パティスリー2009年、優勝! エーデルワイスの職人は内外のコンテストを総なめしていて受賞数、700以上というから凄いです。

比屋根毅氏、エーデルワイス会長、76歳

社して白衣に着替える理由とは? 経営者であり、一人の菓子職人としての気持ちを忘れないように、と。現役の菓子職人でもあります。毎朝必ず工場に出向き、出来具合をチェック。チョコレートは非常にデリケート、女性の化粧の匂いもチョコレートは吸うと比屋根氏は仰っていました。若い職人の卵を集め、あるケーキ作りの技を披露、伝授していきます。

吊りサイドという技法は比屋根氏が生み出したものです。砂糖に卵白を混ぜたものを絞り出し、吊り橋のように垂らしていく職人技。糸は点と点で支えられ、ケーキ本体から浮いた状態に、鼻息一つで落ちてしまう繊細な技です。味の世界に「これでいい」はない、満足した時は後退するとき、と比屋根氏のお言葉!

洋菓子一筋60年、波乱万丈の人生を過ごしてきた強者、比屋根氏。1937年、沖縄・石垣島で生まれました。1941年、比屋根氏4歳のとき太平洋戦争勃発。15歳の高校受験のとき、親に黙って島を出ます。で、那覇の菓子店で働き、そこで運命的な出会いを体験。カステラ! 世の中にこんなに美味しいものがあるのか、と思ったそうです。

1955年、17歳の比屋根氏、沖縄から本土へ、もっと広い世界を観たいとのことでした。しかし待ち受けていた差別的扱い、大阪の職業安定所での待遇、屈辱的だったそうです。1955年、菓子メーカー、ナイス食品入社し猛勉強の末、近畿洋菓子コンテスト10連勝を達成。比屋根氏、全国の名だたる有名店へ修行に出向き、レシピーを必死で書き込み続けました。

根底には「内地の人には負けない」という発奮材料、そういうのは今でもある、とのこと。大賀製菓に入社し、毎年一年の内夏の3ヶ月は働かないで修行に行っていました。入社するときの条件、給料入らないから行かせてくれということで、東京の一番修行の厳しいところ、技術のあるところに出向いていきます。

修業先でも給料はもらわない、そこまでして洋菓子技術を手に入れたかった比屋根氏の意地。6年間続け、しっかりと技術を身につけないといけないと自分に言い聞かせていました。1965年、全国大会へ初挑戦、大阪城を洋菓子で作ります。実物の50分の1の大きさ、全国菓子大博覧会、工芸文化大賞受賞。菓子職人としての頂点に遂に立つことが出来たのです。

忍耐と信用

え忍んでいたら信用がつく、厳しさを耐え抜いて、そこに本物がある、とは比屋根氏のお言葉。アルプスの厳しい環境でも咲くエーデルワイス、エーデルワイスの花言葉は忍耐です。兵庫・尼崎市、立花商店街が創業地。1966年、エーデルワイス開店。しかし創業当初、全く売れない日々が続きました。

経営に行き詰まり店を閉める覚悟で最後の賭けに出ます。ありったけの材料を全部使ってケーキを作る試みです。そして出来上がったケーキを近所の人たちにタダで配りました。翌日、開店のためシャッターを開けてみると、タダで配っていた人たちが集まっていました。比屋根氏、食べてもらえれば絶対に買いに来る、味は間違いないという自信はあったそうです。

これを機に店は軌道に乗り大盛況、1970年代、洋菓子大手はフランチャイズ方式で店舗を増やしています。比屋根氏もエーデルワイスをフランチャイズ展開開始。当時目指したのは大衆路線です。工場で量産した菓子を手頃な値段で販売、業績を上げていきました。

エーデルワイス尼崎店には、創業当時開発したケーキが今でも置いてあり販売しています。エーデルワイスという名のケーキです。かなり苦心して開発したとのこと。幾度となく乗り越えた壁のように、何層も重なり合い、トッピングはエーデルワイスの白い花を表しています。

  • 1967年、ヨーロッパへ菓子修行開始
  • 1971年、エーデルワイスブランドをFC展開
  • 1978年、高級洋菓子ブランド「アンテノール」創設
  • 1983年、銀座三越に「アンテノール」出店
  • 1989年、ベルギーのヴィタメールと提携
  • 1996年、エーデルワイス全店閉鎖を決断
  • 2010年、百貨店との共同ブランド展開開始

1978年、アンテノール創設

級路線を目指しました。全て直営店で職人が店内で作ります。より良いものを作りたい、自分の夢である技術を発揮する店を作りたいという思いがこもっています。アンテノールのケーキ1個の価格、エーデルワイスの約2倍。売り上げ、アンテノール1店=エーデルワイス20店ということからも高級路線であることが伺い知れます。

1983年、アンテノール銀座三越店という快挙を成し遂げます。しかし翌年、1億4千万円の赤字に転落。無理な投資が重なった結果でした。第2工場を売却するなどして急場をしのぎますが時代は急速に変化していきます。1990年代になるとコンビニ全盛に! いつでも手軽にスイーツが手に入るライバルが台頭してきました。それに加え、もう一つの心配事、エーデルワイスブランド。フランチャイズ店の質の低下も懸念材料だったのです。

フランチャイズ店に行ったら、お客が来てから電気をつける店もあったそうです。こんなことをしていたら負ける、ダメになる。比屋根氏、究極の決断を断行します。エーデルワイズブランド全店閉鎖です。エーデルワイスブランド、全社の売り上げの半分を占めていましたが、フランチャイズ店を含め約150店を10年で閉鎖。1店舗1店舗、全部回り補償もし、2003年、エーデルワイス店全店閉鎖完了!

職人魂を継ぐ者たち、若手の育成

立った弟子、全国に50人以上もいるそうです。そして、エーデルワイスを卒業して日本各地で活躍しています。比屋根氏が弟子たちに常々言い続けたこと、「何千、あるいは何万と作る場合もある、デコレーションケーキにしても。しかしお客が食べるのは1個、テーブルを一家団欒で囲んで食べるシーンを思い浮かべながら作りなさい」と。

今現在では海外研修制度も設け、兵庫県洋菓子協会から提携先に派遣しています。他社の職人も派遣しているそうで、狙いは洋菓子業界全体の底上げを図っているとのこと。洋菓子業界が全体的に技術レベルが上がることが洋菓子業界全体の発展につながると信じているからです。

番組を見終わって、あとがき・・・日本のスイーツは本当に美味しい

外生活長い人なら共感して頂けると思いますけど、日本のスイーツは本当に美味しいんです。味も繊細だし、甘さにただ甘いだけ、という単純な発想が浮かんでこないんです。見た目も食感も素晴らしいです。米国で食べるケーキは色使いはただ単純に派手でカラフル、味も単調で美味しくないんです。番組を観ている間、私の口の中はよだれで満たされていきました。

洋菓子業界全体の底上げ発展を目指す比屋根氏を観ていて、私の尊敬する羽生善治氏の将棋業界に関する指摘を思い出さずには要られませんでした。知のオープン化です。将棋界は社会現象を先取りした実験場という考え方は、社会の広いフィールドで通用するのではないでしょうか。以下、

そんな営みを続けていたからこそ羽生は、「情報革命」についての最先端の思想を、自らの頭脳の中からオリジナルに創出できたのだろう。そのエッセンスの一つが「高速道路論」だったわけである。そのほかのテーマでも、例えば世の中の進歩と知的財産権の在り方の関係について、羽生はこんなことを語っている。

“みんなで強くなってる感じはありますね。そのときに、「知識の共有が最適の戦略だ」と皆が認識するかどうかが、すごく重大な問題だと思うんです。「俺の秘策は教えない」とかいう人が出てきたら、オープンにすることで一緒に成長するという前提が崩れてしまうので。(中略)権利関係がないお陰で、ここまで急速に進化している面もある。あまり厳格に決めないほうがいいとも思うんです。だから、「知的財産権をなくした世界はどうなるのか?」というモデルケースとしてみてください。「自分が隠し持っている意味は余りない」という世界で、いったい何が生まれてくるのか。”(二宮清純との共著「歩を「と金」に変える人材活用術」

将棋の世界は、いくら新手を創造しても、それを特許や著作権で守ることなどできない。しかも誰かがどこかで一度指した手は、瞬時に伝達されて研究される。しかし、そんな「情報革命」が進行するこの厳しくて大変な時代も、皆で一緒に進化・成長できる良い時代と考えることができる、こういう時代を生きているからこそ将棋の真理の解明も早く進むのだ、そう羽生は認識しているのである。

先に述べた「高速道路論」においても、将棋の世界の「学習の高速道路」が、社会全体のほかの領域における「学習の高速道路」よりもどんどん整備されているという意味で、将棋界が「社会全体でいずれ起きることを先取りした実験」をしている、と見ることができる。そういう時代こそ創造性が何にも増して重要であると、羽生はこんなふうに語る。

“創造って、手間も時間も労力もものすごくかかるから、簡単に真似されると報われません。私も対局で新しい試みをやるんですが、ほとんど上手くいかない。仮に上手くいっても、周囲の対応力が上がってるので厳しいものがある。効率だけで考えたら、創造なんてやってられない。(中略)でも、逆に考えると、創造性以外のものは簡単に手に入る時代とも言えるでしょう。だから、何かを創り出すのは無駄な作業に見えるけど、一番大事なことなんじゃないかと。それ以外のことでは差をつけようがないので、最後は創造力の勝負になるんじゃないかと考えています。

厳しいながら、権利のない世界のほうが進歩が加速する。だから、進歩を最優先事項とするなら、情報の共有は避けられない。そういう新しい世界では、「効率だけで考えてたら、創造なんてやってられない」から、一見モノマネをして安直に生きるほうが正しいかのようにも見える。「状況への対応力」で生き抜くのが理にかなっているようにも見える。しかし、無駄なようでも創造性を生もうとする営みを続ける以外、長期的には生き残るすべはない。突き詰めていけば「最後は創造力の勝負になる」のだと、羽生は考えるのである。(梅田望夫氏著「シリコンバレーから将棋を観る」)

2050年以降の世界経済

経済史のアンガス・マディソン教授によると、中国のGDPのピーク時は1820年で、そのときの規模は世界の33%を占めるほどの世界規模であった。現在はまだ世界の10%に過ぎない経済規模であるので、まだまだ途中経過であることを理解しておいた方が良い。折角これだけ勢いのある経済が隣国にあるのだから、いかに協調して双方が発展する経済協力を果たすかを、百年計画で考えた方が良い。

世界史を紐解けば中国が世界最大の経済規模だった期間は長い。つい最近でいえば、1880年代の光緒帝(ラストエンペラーの1代前)の清王朝までは、2千年以上世界最大の経済規模だった。この中国の定位置だった世界一の経済大国の称号が、1世紀ばかりのインターバルを置いて元に戻ることになる。日本にとっては悔しいことだろうが、世界の中から見ればこれは通過点に過ぎない。

中華経済圏の中で適者生存していくにはどうしたらいいのだろうか?50年後、100年後の経済界ではあの会社もこの会社も、気がついたら中国系資本というマーケットが誕生しているかもしれない。否確実に存在しているであろう。私の興味はこの「スイーツ一筋60年!“洋菓子界の巨匠”波乱万丈の人生、エーデルワイス」にあるユニークなジャパンブランド的市場有利性が大中華経済圏の中で通用しているのか、という点である。

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大中華経済圏でも、親日国家インド社会でも、イスラム社会でも、アフリカ大陸でも、欧米社会でも、比屋根氏の元から旅立っていった弟子たちが活躍している場所が存在しているかもしれません。邱永漢氏著「ここが違う。ここも違う!」の中にグローバルダイニング、長谷川耕造社長、人材管理術についての記述がありました。

“従業員に、「ここで活躍したら自分の人生にとってもプラスになる」と思え在るような舞台を提供することを心がけています。言い換えれば、会社がシステムとして、個人の意思や能力に忠誠心を持つならば、従業員もシステムとしての会社を大事にするだろうという考え方”。参考になるのではないでしょうか。

技術的特異点を迎えるにあたって

術的特異点とかって聞いたことありますか? 英語でTechnological Singularityっていうんですけど、要は今から30年後ぐらいの2045年頃にはコンピューターが人類叡智を超えるというものです。AI、人工知能です。その前の2018年頃(後4、5年後です)にコンピューターチップ容量が人間の脳細胞容量を超えます。で、その30年後、大体2050年前後に、コンピューターチップ容量は人間の脳細胞の100万倍に達しているそうです。

ムーアの法則とか有名ですけど、チェス盤の法則というのもありまして、その話に凄い刺激を受けたんです。簡単に説明すると、ある家来が王様のお役に立つような仕事(チェス盤を発明)をします。ご褒美は何がほしいかと尋ねられた家来は毎日ある量の米粒だけほしいといいます。チェス盤を王様の前に持ってきて最初のマスに米粒一粒、次の日には最初の一粒の倍、つまり2粒。3日目は前の日の2粒の2倍、4粒。このようにしてチェス盤が最後まで埋まるまで倍々で米粒をほしいと王様に交渉します。

もちろん王様は最初の小さい数字にしか気に止めなかったので、たやすいことだとおもい、引き受けるのですが、チェス盤の半分ぐらいに達すると米粒の量が凄いことになるんです。半分以降になると用意しきれなくなることに気づいた王様はその家来を殺してしまうんですが、この仕組みが1958年頃から始まったコンピューターのトランジスターの数と関係してくるという話です。

ムーアの法則では18ヶ月でトランジスターの数は2倍になり集積密度の向上が進むというもの。1958年頃から始まったデジタル革命創世記はチェス盤でいうところの最初のマスあたりです。で、今どのぐらいの位置にいるかというと、2006年頃、丁度iPhoneやYouTube、twitter、Facebookなどが社会に浸透し始めた頃です。ここがチェス盤でいうところの丁度半分ぐらい。で、これから先、倍々ゲームで凄いことになっていくわけです。

これからの30年から50年って多分人類が2度と経験することがないような期間になると思うんです。アナログからデジタルへ、それらテクノロジーが社会の至るところに恩恵を施していく。100年先では当たり前になっている世の中の仕組みをこの30年から50年の間に作っていくことになるであろうと予測するんです。

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美味しさ追求する上で、美味しさを表現する上で、テクノロジーが何処までその分野で利用出来る仕組みが整っているかです。職人(人間)の手作業で行うほうが美味しい、それをロボットなどで代替可能な社会が誕生してくるのか。それを私達人間は良しとして受け入れることが出来るのか。味覚とテクノロジー、どういう可能性があるのでしょう。

想像して創造すれば、君は何処へでも行ける

ーアの法則が終焉を迎え、思考で物を動かし始める。ロボットと人間が融合し始め、アバターが日常生活に入り込む。遺伝子治療によって医療は個々にカスタマイズされ、老化の停止、遅延が当たり前になる。ナノテクノロジーの進化にともなって量子コンピューターを人類が扱うようになり、核融合発電によって世界のエネルギー需要供給に大変化が起きる。

コンピューター、インターネットのインフラ化が世界中に行き渡り、WiFiの範囲が空気と同じような扱いになる。インターネットに繋がることは呼吸をすることのように無意識になり、情報、テクノロジー革命が全てをデジタルに置き換え、社会がデジタル秩序によって収まる形に整い、人類が営むシステムがデジタル化に移行した後、2千年、3千年、5千年と同じようなシステムが継続していくであろう。

2050年、2100年の はどうなっていると想像しますか? 技術的特異点の恩恵を受けるでしょか? 大中華経済圏の影響を受けているでしょうか? どのような形で人類社会に融合していることが私達(日本人、アジア人、世界中の人々)に幸福をもたらすのでしょうか? 選択肢は私達の思考にあります。想像して創造すれば、私達は何処へでも行けるでしょう。

思考に気をつけましょう、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけましょう、それはいつか行動になるから。行動に気をつけましょう、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけましょう、それはいつか性格になるから。性格に気をつけましょう、それはいつか運命になるから・・・

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