フューチャリスト宣言 – 梅田望夫 / 茂木健一郎


フューチャリスト宣言 – 梅田望夫 / 茂木健一郎

回も楽しく読ませて頂きました。梅田望夫氏がおっしゃっているように「ウェブ人間論」での 平野啓一郎氏と梅田望夫氏の関係が「フューチャリスト宣言」では梅田望夫氏と茂木健一郎氏のポジショニングになっていて面白かったです。

ネットの世界にデープ( deep )にはまっていない人にはちょっと内容がちんぷんかんぷんなところがあるかもしれませんが、もし自分がそのように感じているのならば貴方の位置は、これから社会が動き出そうとしているポイントよりもビハインド( behind )です。

それでも生きていくことはできるでしょうが、サバイバル、適者生存という視点から捉えるならば総合的にみて生き方に損をしている部分を多く感じることになるでしょう、やがて。超近代的狩猟社会が早く訪れて欲しい。個人的にはそう思いました。

私たち人間自身を信頼する

茂木:未来は予想するものではなく、作り出すものである。そして、未来に明るさを託すということは、すなわち、私たち人間自身を信頼するということである。

の考えは日本の共同体を頼りに生きている人、生きてきた人には受け入れるのは無理でしょう。もはや昔存在した共同体なんてないのに、一生懸命にその共同体みたいなものを作ろうとしている人たちもたくさんいるのが今の日本社会です。自民党なんか特に、いや、日本の政治家はほとんど全部がそうかなぁ?

そういう共同体から勇気を持って出て、自分の能力と信念を武器に生きていくことでしか、私たち人間自身を信頼する、という概念は理解できないのではないか、という気がします。

壊して新しいものを創造

梅田:ところがインターネットが出てきた瞬間に、インターネットの性質というのは極めて破壊的、アナーキーなので、そこに踏み込めなくなった。「なぜ日本の家電メーカーがインターネットに踏み込めなかったか」という原因は、すべてそこにあるんですよ。

何かをやろうとすると、必ずいまの社会を支えている仕組みに触るから、そこで最後まで行ってやろうという狂気が生まれない。アマゾンや e ベイだったら、小売・流通の仕組みが壊れるとか。ユーチューブだったらメディアが壊れるとか。壊して何かをやろう、あるいは壊して新しいものを創造しようということとインターネットの性質はイコールなんです。

るほど、このような仕組みがあるから日本発の世界仕様が生まれない。逆に言えばその枠内だったら安心して日本人は全力を出すことができる。会社が守ってくれるし、もっと大きく言えば日本政府が守ってくれる。でもその裏で必ず得をしている人たちがいるわけで、それが既得権益集団というものの存在を許す土壌を作り上げた結果になったのだと思う。

ネット側とリアル側

梅田:だけどネット側でものすごく効率のいい生き方をすると、そっちを早く切り上げて、リアル側で過ごす時間が長くなるというのも事実なんですよ。

ういう感覚が理解できる人。まだまだ少数だろうなぁ。こういう感覚を理解できる人、実際に行動している人がマジョリティーにならないと日本は変わらない。人の目を気にする日本人だから、ちょっとした少数がこのような感覚で生きていて、そちらのほうのアドバンテージをマジョリティーが理解し始めた時、日本社会特有のブームという形で広まるかもしれない。

そのブームがたとえ一過性の短期間のものであっても構わない。必ずその集団の中にそのような生き方のメリットに気づいて、ちゃんと続けていく個人が生まれているから。その数は最初は少数だが必ずマジョリティーになるというか日本人の新しい生き方として支持されるであろうから。

どういう志向性を持てるか

茂木:「連想記憶」、つまり、あるものを思い出すときにそこから連想して別のものまで思い出すということがありますよね。クエスチョン&アンサー方式に空白部分の穴埋めをして正解を出すというタイプの記憶力でななくて、チェーン・リアクション的に、ネットワーク的に記憶を展開していく能力がこれから大事になっていくと思うんです。連想力です。

茂木:結局、サーチ・アンド・チョイスのチョイスの場面で、どういう志向性を持てるか、ということが大事だという気がするんですね。そこにおける選択肢が「可能無限」になるのだから。梅田さんが休みの日に何をネット上で調べるかには、無限の自由がありますよね。何を志向できるか、自分の人生をこれからどういう方向に向けていくかというビジョン。それを誤ると大変なことになる。

梅田:無限からのチョイスということですね。

茂木:そこにその人らしさが一番表れる。だって、ネットでどこのドメインを見ているかというのは、人によって全然違うじゃないですか。テレビを見るのとは全く違った自由度がある。その体験は自分を作り上げていく上でも重大なことだと思います。志向性というのは自分の経験の蓄積から決まってくるので、どういう志向性を自分の中で立ち上げられるのかは、そこにどう記憶を生かすことができるかということが一つのポイントになると思います。

れは実はすごーーーい指摘なんだよね。知的に怠惰な人はこれからは生きていけない、と大前研一氏も言っているとおり、自分から能動的に自分に有利な情報を選別してとり入れ、それを生かしていかないと後できっとあぁ、こんな選択肢もあったのか、こういうサービスもあったのか、というように後悔するから。

国、政府、会社、学校、親が準備してくれるもの、与えてくれるものを、他の選択肢を探すことなく楽して受け入れてきた人は、きっと狭い範囲の世間しかしらない視野の狭い人間に育ってしまうのではないか?

ネット利用の小学生、 7 割が「宿題ネットで調べる」 )という記事があったが、別にいいではないか? その調べる範囲にも個人差がでてくるから。日本語圏内でしか調べられない人、英語圏内でもリサーチできる人とでは情報を選択する範囲が比べ物にならないぐらい違ってくる。

人から聞いてもいいであろう。そのときにネット上でも狭い範囲でしか聞く人がいない人と、それこそ世界中の人から自分の獲たい情報を得るためのネットワークを持っている人とではフィードバックの質が違ってくるのは当然である。

きっと小学生でもすごい奴が当たり前のように存在する時代がもうすぐ来る。先生よりも知っている、という生徒の数がクラスの過半数を超えたとき、その先生は何を子供たちに教えればよいのだろう? そしてそれらのネットで生きていく術を身に付けている(知識武装している)子供たちの次のステップはどういうものが理想なのだろうか?

個人の信用はネットで保証すれば良い

茂木:昔であれば、たとえば梅田さんがコンサルティング会社にいるなら、その組織をバックにものを書いていた。どこどこ会社の誰々です、と説明して初めて個人として信用してもらえる。ところがいまはURL、ブログがあればいい。

ネット上のプレゼンスがその個人を支えるインフラ。それを見てもらえればどういう人かわかるから。僕はいろいろな人に「これからは、個人の信用はネットで保証すれば良い。誰が最初にそれに気づくか。それに気づいた人がこれからは輝くよ」と言っています。つまり、ある組織に所属するということで完結している人は、これからは輝かない。

梅田:同感、100%同感(笑)。

茂木:個人が組織に所属しているという考えはもう古い。勤務規定とかがあるとして、人事の人たちの顔をつぶしてはいけないから、積極的に反逆することはしないほうがいい。でもそんなことで自分の行為をがんじがらめに縛ったら、これからネット時代に輝けない。

組織と個人の関係を皆がうまくやらなければ日本は活性化しない。組織が大事だというならば、シリコンバレーとは違う、日本的な表現があっても良いのです。七割は会社なんだけど三割は個人、そんな考え方もリアルだと僕は思っている。

梅田:リアルとウェブの二つの別世界を創造的に行ったり来たりする生き方にも通じる考え方ですね。

れは大部分の人が苦手だろうな? アウトプットするにはインプットをしていないとできないわけで、テレビばかり見ている人とか読書を全くしない人、活字を消化していない人、ビジュアルでもいいから自分の5感に刺激を与えている行動を自分の生活に取り入れていない人はブログとかを利用して自分から能動的に情報を発信することは苦痛だろう。

というかそもそもブログとかの必要性も考えないだろうし。このようなスタイルは自分の意志で積極的に成し遂げていかないとダメな選択肢であるから、新しい社会に適応するぞー、という意志のないひとにはそのメリットさえ理解されないであろう。

怒りの原因を解消

梅田:テクノロジーはどんどん怒りの原因を解消させてくれる方向に進化する。もしそう進まないなら、誰かがそれを阻んでいるからです。阻むのは、既得権を持った人たちが人為的にやっている場合が多い。

わざと新しいインフラを敷かないとか、昔できた著作権法の問題とか、そういうところに今度は怒りが向いていく。そんな大きな流れに沿ってビジョンをドーンと出していくのが、たとえばジョブズのような人なんですね。

とえば日本の政治に対して怒りをもっているのならば、その怒りは日本の政府を変えることができるだろうか? つまりこの議論でいうところのテクノロジーが日本の政治を変える力になりうるのか? 年金問題とか、またかよぉー、ということで曖昧に終わることなく、それらの欠点が直ちに解消されるような政治システムが構築されるのであろうか?

今回の参議院選挙の争点は年金問題らしいが、こんなことをぐずぐずやっているようでは日本の政治はまだ19世紀のままだ、と思われても仕方がないか。一番危険なのは多くの人があきらめの感情をもったまま(どうせ何もかわらないだろう、というような)、現状をいつの間にか受け入れてしまう社会の流れではないだろうか?

声を大にして社会にアピールしても今の日本、様々な方向から攻撃を受け、いつの間にかつぶされてしまう。その攻撃で一番力を持っているのは日本のマスメディアなんだけど、この集団の中から肯定的にアクションを起こしてくれる流れが起きないかぎり、だれもつぶされるとわかっている戦場へわざわざこちらから傷つけられに出向くことはないであろう。

偶有性をどう受け入れるか

茂木:人間の成長を分ける大きな文水嶺は、偶有性をどう受け入れるかということだと思うんです。成長する能力のある人というのは、自分にとって痛いこと、つらいこともきちんと受け入れて、それを乗り越えていける人だと思うんですよ。ネットってまったく無制約にいろいろなものが入ってくる場だから、、偶有性に身をさらす上で、これ以上の場はない。ふつうのマスメディアだと何重にも守られていますから。

梅田:ブログを書くのは、修行みたいな感じですよね。

本人はネガティブな人が多いから。そんな環境で我慢しているよりも思い切って外に出てしまう、外の環境と自分が繋がるように仕向ける、ということができれば狭い範囲でのバッシングも耐えることができるのではないだろうか?

広い世界に繋がっていれば、狭い日本でのバッシングなどスルーできるんじゃないかなぁ? ホリエモン(死語かなぁ?)ももっと外の世界と繋がっていたらよかったのに。Google でもアップル社でもいいし、インドや中国のテクノロジーに強い集団と仲良しとか、東欧、ロシア、ブラジルのテクノロジーの集団とも仲良しだとか。

EBay でも PayPal でもセールスフォース・ドットコムでも Skype でもいいからまだ小さかった時に提携を組んでいればよかった。そうやって外と繋がっていれば回りからヨイショされて政治家になるなんてアホな行動に走らなかっただろうし、冷静に客観的に自分のポジションを見極めることができたのでは? ホリエモンの話はやめよう・・・知的に興奮できる本です。

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