マルコ・パンターニの死


マルコ・パンターニの死

月14日、イタリア北部リミニのホテルで自転車プロロードレース「ツール・ド・フランス」優勝者のマルコ・パンターニが遺体となって発見された。死因の特定はまだはっきりしていないが、脳や肺に出血があり浮腫を起していたことが分かった。暴行を受けた可能性は除外できるとして、死体検案が終わるまでは自殺の可能性もあるとのこと。

警察によると遺体が発見された部屋からは、大量の精神安定剤も見つかっているらしい。その他に、マルコ・パンターニが残したと思われる手書きのメモも見つかり、そこには「誰も私のことを理解しようとしてくれない。自転車の世界でも、家族でさえも」「この世界を終わらせたい。(自転車の)サドルにまた乗りたい」などと書かれていた。

このニュースを聞いた時、去年ジロ・デ・イタリアでのマルコ・パンターニの表情を思い出してしまった。その表情には悲壮感が漂っていた。かつて達成したジロ・デ・イタリアでの優勝とツール・ド・フランスでの優勝の時に見せていた笑顔を見せることは一度もなかった。

彼の身体から溢れ出るすさまじいまでのエネルギーなども感じられず、どこかすべてのものに対して怒りを感じる走りだった。まるで何かに向かって自分の復帰をアピールすることで復習するような。

彼の活躍は1998年がピークだった。イタリア最高峰レースのジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスで総合優勝を果たし、同シーズン2冠を達成。頭にカラフルなバンダナを巻いて走る姿からイタリア語で「 il Pirata 」海賊として親しまれていた。彼の走りは今でも覚えている。山岳地帯になるととても強い。

道路の路肩で声援を送るファンの声を自分のエネルギーに変えるかのように、黙々とただひたすら頂上を目指してサドルを踏んでいく姿に感動した。走る姿が情熱的・・・

だがそんなマルコ・パンターニの身に次々と不幸が訪れる。99年にドーピング(禁止薬物使用)疑惑が発覚して同年ジロ・デ・イタリアで出場停止処分を受けたほか、01年の同レース開催中に滞在していたホテルからインスリン入りの注射器が見つかり、翌年の同レースも出場停止となった。この時期はいろいろとあって自転車レースに集中できなくなっていた。

5回のツアー優勝者エディ・メルクスはイタリア司法制度がマルコ・パンターニをターゲットにして殺したとしている。その他には同じツアー・ライダーたちもメディアを非難している。メディアが意気消沈している男を攻撃したのだと。

アイルトン・セナ

ルコ・パンターニの表情をみていると、あのアイルトン・セナを思い出す。内側はセンシティブでナイーブな面を持っているかと思いきや、レースにかける情熱は半端じゃないものを持っている。周囲から誤解を受けやすく、自分の才能に対して理解してくれるものがこの世に自分しかいないような孤独感を漂わせ、どこかあきらめの表情を残したまま二人ともこの世を去ってしまった。

そういえば、アイルトン・セナもメディアや F-1 委員から攻撃を受けていた。ヨーロッパに渡り自分の力で勝利をつかんできたが、他の F-1 レーサーからも攻撃されたりと、アイルトン・セナは自分を理解してくれる家族やファン、ブラジル国民を大切にしていたのを思い出す。マルコ・パンターニの場合はどうだったのだろう?

彼はさびしく一人、ホテルの一室で死んでいった。レースで勝つこと意外に自転車に乗ることの楽しみを見出していれば、マルコ・パンターニは復帰できていたかもしれない。外野がなんといおうと、レースの結果がどうであろうと、自分が納得しさえすれば、そしてファンのみんなに自分の元気な姿を見せて喜んでもらえていることを知っていたならば、彼はそこまで孤独に落ち込むことはなかったかもしれない。

去年03年にはジロ・デ・イタリアに復帰したが14位とふるわず、その後は薬物治療専門の医院で治療を受けていた。あの時の走りが最後になってしまった。ジルベルト・シモーニと山岳地帯で争っている時、ファンはマルコ・パンターニの復活を喜んでいた。僕もその一人。だが自分の体力が往年の時のように相手をふるい落とすことができず、自分が少しずつ遅れているときにあきらめてしまったのかもしれない。

レース後にインタビューなどで、敵わなかった悔しさや相手を褒めるコメントを出していれば、その結果をマルコ・パンターニ自身が受け入れることできたのではないか。何かを思いつめるような表情が目に浮かぶ。彼はあの時もすでに相当苦しんでいた。今年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスにはあのバンダナを頭に巻いたマルコ・パンターニを見ることができない。

,

Powered by WordPress. Designed by WooThemes