世界に誇る日本のおもてなし、不思議なマナー


不思議なマナー

世界に誇る日本のおもてなし、不思議なマナー

界の常識は日本の非常識、なんてこと、言われていましたけど何気ない日本の日常生活習慣、日常生活スタイルが案外諸外国から羨ましがられたりしているんです。日本って極東にある島国ですから独自文化が育って行きやすい環境なのかもしれません。ガラパゴス化ということからもわかるように世界の主流に良い意味でも悪い意味でもそれほど影響されること無く当たり前のように日本人社会に浸透していってしまう。

インターネットの普及や日本に住む外国人が増えたこともあり、日本の生活習慣を自国と比べて良いなぁと感じたり、これは自分たちの文化のほうがまだマシである、と感じてみたり。日本人ってこういうところ、凄く気にするんです。他人の目が気になる、社会に世間が存在する日本社会ですから、自分は他人からどう思われているんだろう、社会からどのように捉えられているんだろうって気にするんです。で、聞いてみて受け入れられているとわかったら安心してみたり・・・精神年齢子供のままかかもと言われてしまう所以です。

NHK番組「Cool Japan」、いつも楽しく拝見しています。番組の主意は様々なトピックに関連した日本式生活スタイルを取材などを通じて掘り下げていき、これならば海外に発信しても受け入れられるであろう、というものを最終的に決めていく内容になっています。日本に住んでいる諸外国からの人たちに何人か集まってもらいディスカッションスタイルで番組は進んでいくんですけど、私も渡米生活長いですから、その外国人たちと同じ感覚を持っているんです。

日本人の感覚と諸外国からの感じ方、両方を併せ持っていると自分で勝手に自負している私の意見を綴ってみたいと思います。いくつかの日本式生活スタイルは海外に進出、その地に根付こうとしている今の時代。2050年以降の世界経済、大中華経済圏では、イスラム社会では、アフリカ大陸では、欧米社会ではどのようにそれら日本式生活スタイルが日常生活の景色として浸透しているか、などの考察も試みてみます。

日本式生活スタイル – 不思議なマナー

本に住んでいると気がつかない、海外から観ると驚くべき生活習慣。今回は不思議なマナー、という日本式生活スタイルです。日本人への大疑問ということで日本独特のマナーを大調査、外国人が不思議に思う日本ならではのマナーを街角で調査してみることに。なぜ日本人は相手が見えなくなるまで見送るの? なぜ足を組んで座っちゃいけないの? なぜ乾杯の前に飲み始めてはいけないの? なぜ電車やバスでは携帯電話で話しちゃいけないの?

マナーというものはその国の習慣とか国民性とかに拠るところも大きいということで、良し悪しというよりも違い、新しい違い、新しい発見を試みる。このことによって自分の国にはないその国独自の文化を好きになったり、自分の国に取り入れたいと思うようになったり。反対にこのマナーだけは自分の国には取り入れたくない、と改めて感じたり・・・

なぜ日本人は相手が見えなくなるまで見送るの?

テルやレストランなどで見送られる、友達同士でも相手が自分の視界から消えて見えなくなるまで見送る文化の日本社会。お見送り、名残惜しいのでは? お得意先には頭が上がらない、という意見が日本人の間から上がっていました。

逆質問で振り向いた時に誰も居なかったら日本人はどのように感じるのでしょう。 がっかりする、私自身に対する思いが少ないのかな? 軽くみられているのかな? 雑に扱われた? 早く返って欲しかったのかな? 何かあった? 気を悪くするような何かがあったかな? と日本人は相手に対しての自分の行為を振り返っているようです。

なぜ日本人は相手が見えなくなるまで見送るの、日本人の主張!自分も見送ってほしいから? 気分が良いから、相手に伝わらなくても礼を尽くす、おもてなしの心、一期一会を大切にする、別れを惜しむ文化などが上がっていました。おもてなしをしている自分の心を確かめているなど納得です。日本人らしいというか何処で誰が観ているかわからない、という雰囲気も感じられるのかもしれません。世間の存在というか・・・

私は日本のせかせかしない、ゆっくりした文化というものの存在をもっと日本人は気づくべきだと思いました。ニューヨークなんて場所柄せっかちだし、外国人はせっかちな人、多いですから。ゆっくりとした相手への対応、心に和が宿っているというか平静を保っているというか、静かな心遣いにもお見送りの文化を感じることが出来ます。

なぜ足を組んで座っちゃいけないの?

行儀悪い、狭いところで足を組んだら周りに迷惑をかける、横柄な感じがする、偉そうな感じがする、骨盤が曲がるから、という意見が日本人から上がっていました。それに対して諸外国人はどうでしょう。

足を組んでいる方がリラックスしているように見える、何かに注意を向けているような印象を与える、話を真剣に聞いているように見える、失礼にはならないというもの。リラックスじゃなく居心地がいい、居心地の良さと自信溢れる感じのニュアンスを相手側に伝える方を重視しているようです。

子供の頃から正しい姿勢で座ることを教えられる日本、着物を着て足を組んだら美しくないからということも在るかもしれません。日本人の主張は、靴を人様に向けて座ることは不謹慎、相手に対してちゃんと話を聴いていますよという謙虚な姿勢のため、威圧感とか威張っているという感じを与えるから、横柄、態度が大きいような感じを伝えてしまう、畳の上で正座をするのが正しい、というものでした。足を組んでいる人の靴裏が自分に向いていたら不愉快という人は多いと思います。

正座が正しい座り方になったのは江戸時代から、畳文化の普及、大事な人やものに自分の足を向けるのは失礼、寝ることが出来ない文化が日本人のDNAに刻まれているのです。不快感を与える印象の日本と、リラックスした雰囲気を与える印象の諸外国。足を組むだけでも正反対のニュアンスをその場に醸しだしてしまうんです。

なぜ乾杯の前に飲み始めてはいけないの?

かが乾杯の音頭を取るまで飲んじゃいけない、なぜ皆待つのか? 皆を待たすのは失礼? 日本人の主張は、日本が村社会であって皆が横並びの同じような立場じゃないといけないから、縦社会で年功序列の世の中だから、けじめを大切にするから、皆で心を一つにするため、というものでした。

出る杭は打たれる社会背景と結びつく感じがします。皆我慢しているから自分も我慢できる、自分だけ良い思いをすると嫉妬社会、村八分社会ですから・・・皆と同じ位置にいて安心、という気心もあるかもしれません。抜け駆けは許され得ない、集団志向意識なんです。まっ、こうすることで日本の会社文化も、日本社会も、不満があっても誰も文句を言わず、皆も我慢しているからということで社会的不満を処理してきたのが日本社会です。

なぜ電車やバスでは携帯電話で話しちゃいけないの?

急の場合はどうするのか? 疲れている時に他人の話を聞かされるのは苦痛、声が大きくなる携帯電話は迷惑、混んでいる時近いところで話されるのは苦痛、相手の話が何を話しているのかわからないから気味悪いというのが日本人の感覚です。

なぜ電車やバスでは携帯電話で話しちゃいけないの、日本人の主張!公共の場ではそれぞれのプライベイトを持ち込まない、自分がしてもらったら困ること、迷惑なことをするのは辞めましょう、優しさや配慮ということらしいです。ここでも皆我慢しているんです。

緊急時は臨機応変に対応してもよい、ということですけど、電車の中は社会と一緒、世間になる日本。日本人は世間を気にして生きているから気になって仕方がないという意見もありました。おもいやりやおもてなし、の意味が公共の場でも持ち込まれるんです。

東日本大震災の時も、公共の場で日本人は列に並びましたから・・・これは外国人からしたら驚きだったようです。社会に不満があってもそれなりに秩序を守る日本。大人しく飼いならされてしまったのか? 怒りのぶつけ場所がないから他人に迷惑をかける人、社会に八つ当たりをする人、このような人は世界基準で嫌われます。日本人は良い意味でも悪い意味でも我慢強い国民だと思います。

確かにアメリカの地下鉄、ニューヨークの地下鉄はうるさいです。電車内で音楽に合わせてパフォーマンスを見せる黒人の子供達。ギター片手に民族音楽を歌うラテン系のパフォーマー。自分の信じる宗教を広める広報活動を地下鉄内でスピーチのように喋る人たち。小銭を乞うホームレスや身体障害者。ニューヨークらしいといえばニューヨークらしいですけど、携帯電話が地下鉄内でも使えるようになった時には大声で喋る人、沢山出そうで私は嫌です。

日本式生活スタイル –  in the future(未来)

思議なマナー、どうなるんでしょう。昔に比べ随分諸外国人が日本に住む割合が高まりました。少子高齢化社会ということで労働力を補うために移民を受け入れたら日本人が行っている不思議なマナーのコンセンサスも微妙に変化してくるかもしれません。

なぜ日本人は相手が見えなくなるまで見送るの? 言葉の、文化の伝わらない移民たちに向かってもこれらの見送り行為を日本人は続けるのでしょうか。なぜ足を組んで座っちゃいけないの? 畳が日本の家から消えていく中、日本人も欧米人に習った生活習慣を取り入れるのでしょうか。なぜ乾杯の前に飲み始めてはいけないの? どこまで日本人の和を大切にする心が諸外国人、移民などに受け入れられるのか。なぜ電車やバスでは携帯電話で話しちゃいけないの? 日本人も他人のことはどうでもいい、という人が増えるのでしょうか?

人間という概念を軸に考えてみるのが良いと思いました。相手に対してきちんとしたリスペクトを伝える意味を表現するお見送り文化、日本人特有でしょうか。同じ人間としてこのような態度で接しられることは嬉しいはず、人間という概念を基礎に置くならば諸外国人にも伝わっていくでしょう。

足を組む、というのは臨機応変に対応するしかなさそうです。日本人が自分の周りにすべて、というのならば足を組むことはご法度ですが、一人でも外国人が居るならば、足を組む文化の背景を理解する余裕を日本人は持ちたいものです。乾杯前に飲む、これも臨機応変でいかがでしょいう。その場が日本人だけなのかどうかに関係有るようですし、外国の方でも乾杯まで待つ習慣を持つ人がいますから、場所次第でしょうか。

自分がしてもらったら困ること、迷惑なことをするのは辞める。逆に自分がしてほしいことは相手に対しても自分からしてあげる。この行為は世界基準だと思いますけどいかがでしょう。おもいやり文化、おもてなし文化、は世界にアピールできる日本の素晴らしい心遣い文化です。

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