二極化する日本人、その1 – M字型社会


Class Hierarchy

二極化する日本人、その1 – M字型社会

先のエッセイで逞しい韓国人移民社会の様子を書いたけれども、日本人はどうなのだろうか? いろいろな視点から日本人は二極化へと向かうだろうな、というのが僕の感想かなぁ。大前研一氏、邱永漢氏、梅田望夫氏などの文面からヒントとなりそうな考察をまとめてみよう。

M字型社会

前研一氏著「ロウアー・ミドルの衝撃」というのがあるけど、この本でM字型社会というキーワードが紹介されている。このM字型社会とはどういったものなのだろうか? 日本に存在していた中流社会にそれらに属する人々が持っていた中流意識というものが崩れ始め、多くの人はロウアー・ミドルというクラスに属し始めるということらしい。

ロウアークラス

ず一番最下層に属する年収 300万円以下のロウアークラスの人々。フリーター、ニートという言葉の出現とともにいつの間にか社会の雇用形態も非正規社員、正規社員というように経済を理由にした雇う側の理論を就業者が受け入れる形となってしまった感じにみえる。

お金を使う特徴として、安かろう悪かろうという感覚で行動するらしく、センスよりも安さ優先という心理状態の彼らにとって 100円ショップなどはありがたい存在なのかもしれない。

ロウアーミドル

の次に来るのが年収 300万円~ 600 万円に属するロウアーミドルの人たち。彼らの特徴としてはキーワードが「なんちゃって自由が丘」。つまり価格は安いが、センスは自由が丘ということらしい。代表的なお店としては「ナチュラル・キッチン」の存在があげられよう。

子育て、 住宅ローン世帯がこの層で目立つらしいが、ちょっとリッチなフリーターもこの層に存在するであろうし、この一つ上に属するといわれるスキルのない負け犬世代、つまり30代以上で未婚、職持ち、子供なしの男女やスキルのないパラサイトといわれる人種も、つまり未婚、職持ち、子供なしで親と同居している、自分の収入を自分優先に使えるという贅沢な人たちである。

アッパーミドルクラス

収 600万円から 1000 万円となると、アッパーミドルクラス。負け犬(30代以上で未婚、職持ち、子供なし)もパラサイト(未婚、職持ち、子供なしで親と同居している)もこの層に属している人たちは比較的スキルもあり、人材価値も維持し続けているので経済的にもいくらか余裕があるのだろう。DOM、ダーティー・オールド・マン(スケベ爺)といわれる人種もこの層に多く、比較的高収入で女性に対して見栄を張る中高年男性の消費者群という定義らしい。

ニューラグジュアリー」というキーワードが特徴のように一点豪華主義的な購買動機で頑張れば手が届く、というものに魅力を感じる。高額でも良質の商品とサービスという需要だが、階層自体のボリュームは小さくなっているのが特徴で中流層からこちら側へ移ってこれた人たちは比較的少ないのだろう。ほとんどの中流層はロウアーミドルへと配置されたのだ。

アッパークラス

そして年収 1000万円以上のアッパークラス。徹底したラグジュアリー好みで、マスメディアや金融で活躍する人たちの年収はここに収まるケースが多いらしい。

フジテレビやNHKも高収入であり、村上龍氏はNHKが「ワーキングプア」の特集などを組んでいて皮肉、なんて語っていましたけどほんと彼らには下層で苦しんでいる人たちの心の痛みって理解できるのかなぁって疑問に思ってしまうのは確か。拡大する収入格差や業界格差がこういった階層を社会に作り出しているんだけど、日本はこれからどのようになっていくのか?

生活者主体の国家作り

前研一氏の指摘としてなるほど、と思ったのがアメリカは日本よりかなり以前にM字型社会に入っていて、ロウアーミドルの人々でも十分に豊かな暮らしができるように社会が適応していったことをあげている。世界中からいいものを安い値段で生活者が取り入れることができる社会。社会的にパブリックなものを利用できる感覚が安いとかね。これはお金が使える感覚としていえるかもしれない。

1万円と100ドル

ういうことかというと、日本円で 5千円とか 1 万円なんてすぐに消えちゃうけど、例えば交通費や食費代なんかですぐに消えちゃうけど、こっちのお金、例えば100ドルとか50ドルはかなりの重みがあるんだよね。単純計算で 1 ドル=100円とこの場合は仮定するけど、なんていうのかな、使える範囲が広いんだよね。簡単になくならないというか、極端な話20ドルが 5 千円ぐらいの感覚かなぁ(極端すぎるか?)。

生活コストが安いアメリカ

ソリンが上がったとはいえ、まだまだ日本に較べれば安いし、大都市ニューヨークでも地下鉄は相変わらず 2 ドルでどこへでも行けて、タクシーもまだまだ安いし、遊びにかかるお金も日本に較べたら絶対に安いと思う。

僕が住んでいた頃のロサンゼルスなんてもっと安かったからね。映画でも大体 3 ドルか 4 ドルぐらいで、ゴルフ場もちょっといいところで20ドルもあれば回れたかなぁ。そこらにゴルフの打ちっぱなしもあるし、パブリックなバスケットコートにテニスコートもいたるところにあって、夜間照明なんて25セントを入れれば大体夜10 時ごろまでプレーできていたんだよね。

海岸沿いもよく整備されていて、ランニングコースや自転車専用路なんて当たり前のように無料で、行動するのにあまりお金がかからなかった印象があるんだよ。コンサートもスポーツ観戦も欲を出さなければほんと安い値段で経験できる。美術館に遊園地とかの娯楽施設もね。このようにロウアーミドルの人でも十分に楽しめる社会がアメリカであり、これらの社会機能をこれからも維持しようとして必死である。

アメリカ人の政治的意識

康保険問題やアウトソーシングなどで雇用が失われてしまった地域活性化問題、教育問題などを解決して、これからも多くの人が満足できるようなアメリカ社会に生まれ変わろうとしているのが今のアメリカ合衆国大統領選挙を見ていてもわかるし、この辺は彼らの税金意識の現れであるといってもよいであろう。

税金をこれだけ払っているんだから自分が住んでいるこの街のコミュニティーはもっと充実するべきだし、そのように変わって欲しいと努力しているのがアメリカ人で、このような裏づけがあるから、政治にも積極的であり政治家にも期待する。

日本でも政治が社会問題を解決してくれれば問題ないであろうが、政治家にばかり任せていると、後 20年はかかってしまうだろうな、というのが日本の特徴でいつまでたってもみんな、「誰かがやってくれるだろう」という他人任せの国民的性格はなんとかならないだろうか?

日本人は二極化へ?

永漢氏が主張している視点に焦点をあててみようか!(  もしもしQさんQさんよ – 中国株・起業・おしゃれ  )邱永漢氏いわく、これからは海外に出て行く日本人と日本に居残る日本人とに分かれるだろうとのこと。

中国とか東南アジアへ出稼ぎに出て行く日本人。地方に住んでいて職のない人、製造業の人、都会に住んでいるスキルのない人などは海外へ行かざるを得ないのか、自発的に自分から出て行くのか、そこのところが重要であろうが、どっちにしろ日本を出て行くと決めたのならば、若いうち、とにかく早ければ早いほうがいいと僕は思う。

歳を重ねてからの生活環境が大きく変わることは結構大変なイベントだし、お金も知識もあまりない若者がどうせ日本で苦しむのだったら、早くから中国などへ行って厳しい現実にもまれるほうがよっぽど成長するであろうし、混沌とする中国経済の成長を肌で感じることのできる経験はこれからきっと役に立つことだろうと思う。

頑張って語学習得に励めば、日本語以外に中国語ができるということ、それだけで飯を食うチャンスが増えるということでもあり、ITが苦手というのならば、これから益々工業化が進む中国で体が資本という一昔前の日本のように、働き蜂になってもいいのではないだろうか?

高負担社会

本のこれからは高齢化社会であり、高負担社会である。いくつかの大都市で生活することは、それなりに経済活動が行われているのでなんとなく過ごすことができてしまう社会でもあり、アメリカのようにドラスティックに社会が変わればいいが、高齢者がマジョリティーになっていく日本。

政策を進めていく上で誰が得をするだろうかということを考えれば、これらのマジョリティーに焦点を定めた方向性に行かざるを得ないであろう。一つの会社、一つの場所にずっと住んできました、という農耕文化そのままの性格、日本人だけど、大きな変化をどのようにして受け入れていくのであろうか? これからの日本人が選ぶ選択肢の行くへ、それがどのような変化として社会に現れるのであろうか、興味ある視点である。

第2外国語は一生懸命に

が切に願うのはロウアーミドル以下の人も海外へ出稼ぎに行く人も、語学習得(この場合は英語や中国語)だけは一生懸命やったほうがいい、ということだ。

知への充実度の個人が得ることのできる満足感というものの価値がこれからは高まっていくように思われるからなんだけど、食べ物が胃袋、体への栄養素、エネルギーの元ならば、活字は脳みそ、精神的な栄養素、気力の元となるエネルギーの源泉なのだと思う。

食文化はご存知のように多様化している。スローライフ、菜食主義、玄米などの穀物類への回帰など。知への文化的価値観の分散化も可能ではないだろうか? それには広い知識の収穫フィールドから自分が望む知へ、自分がアクセス可能な状態に持っていくことが大事であると考える。やはり英語や中国語の習得は個人の精神的充実度へと貢献してくれるのだ、と考えたい。

粗にして野だが卑ではない

活スタイルは質素だが、教養のある大人の暮らし。新しいロウアーミドルの品格ある大人とは、このような精神状態であるのが望ましいのではないだろうか? 自分自身、知的に満足している人は他人に嫉妬しないというのは僕の錯覚であろうか?

寛容的な心で、子供たち、若者、後輩たちを育成していくことができる大人が増える社会になって欲しいというのは理想だが、二極化していく社会の中で、あちらの芝生はなんか青く見えるなぁ、という感覚にこれからはどのように対応していったらいいのであろう?


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