二極化する日本人、その2 – 情報格差

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Knowledge is Power

二極化する日本人、その2 – 情報格差

報の鎖国化とでもいったらいいのか? 日本からは情報が出て行かない。人々の意識がそこまで内向き、下向き、後ろ向きなんだろうか? 海外からは情報が入ってこない、というよりも情報を広く取り入れようとする意志や意欲さえもないのかもしれないし、その必要性すら感じることのない人がたくさんいるんだろうなぁ。

意識して鎖国していた時代とは違って、選択の余地がない鎖国状態、情報鎖国。通信技術が高まっているから情報も入ってくるんだろうけど、そのなんていうのかな、物事の本質的な部分というか、事実だけが日本のメディアなんかを通して入ってくるだけで思考を停止してしまう人が一般になっていくんじゃないかなぁ。

事が起こった原因、要因

っぱり大事なのはその事実が起こった原因であり要因などさまざまん視点を眺めていかないと、それ以後じゃぁどの方向へ社会は向かっていくのかとか、それによってどのような影響を個人は受けるのだろうか、という思考へつながっていかないんだよね。コソボ独立宣言、 東芝HD DVD から事実上撤退、マイクロソフトによる Yahoo! 買収提案。

これらのニュースを、ふーん、そうなんだ、で思考停止して終わらせてしまう個人と、事実と真実を見分けられる個人、つまりどうして コソボが独立宣言をしたのだろうかというそこまでのセルビアから旧ユーゴスラビア連邦までの経緯から、今後のバルカン半島の行くへからヨーロッパ、ロシアなどの動きがどうなるだろうという予測。

業界内ではすでに1年前から Blu-ray Disc に賛同したものが多かったのになぜここまで東芝は消費者を欺くような行動をし続けていたのか? 争いに勝った Blu-ray Disc は今後も存在する意味があるだろうか? ネット上に今後も増え続けるであろう無料、もしくは低料金で提供され始めているオンラインストレージに対する消費者の受け止め方など。

マイクロソフトが Yahoo! と提携してまで倒そうとしている Google の存在とはどれぐらいすごいものなのか?  マイクロソフトと Yahoo! が生き残っていくためには何が必要か?  Google のこれからの展開とはどういうものが予想されるだろうか?

未来に対してのオプション

ういうことって考えなくても毎日の日常をこなしていく上では関係ないかもしれないけれど、じゃぁ考え続けていく個人にはどういうメリットがあるのだろうか? それは未来に対してオプションを広くもてることだと思う。

自分が選択していくオプションが増えるというか、それに対しての準備ができるというか、要はこうなった場合にはこうしようとか、こうなる可能性もあるからそのときにはこっちの方向でやればいいというような知恵がつくんじゃないかなぁ。

広く知識、インフォーメーションを取り入れることによってそれが知性、インテリジェンスとなってその個人を知的に武装させるというか、ニュアンスが伝わるかなぁ?

Knowledge is Power.

Knowledge is Power. というのは本当であって、このパワーの意味するところは何であろうか? それは思うに異なる環境へ適用する能力だと思う。例を挙げるなら、簡単な海外への小旅行から不確定未来の様々な社会への適応能力などそれ相応の知識を持っているのといないのとでは、その人の人生の過程において得るであろう結果はまったく違ったものになる。

小旅行の場合。英語で言う Please, Excuse Me, Thank You はなるべくその行く国々の言葉で話したほうが無難であると言われる。その他に簡単な挨拶から10ぐらいまでの数字の言い方。その国のお金の単位やその渡航時期の気候など、常識と思われるある程度の情報はその旅行自体を楽しんだりその個人を守る上で必須であろう。

新しく違う環境での生活を始めるとなった場合はどうであろうか? 例えば住み慣れた日本の環境から経験のない海外での生活となると情報収集の意味がその行く国々についての知識の習得と言うニュアンスに変わってくる。その国の言葉から文化や生活スタイルに至るまで、勉強するべき範囲は広がる。

そして最後にこれから益々社会の変化のスピードが早まる中どのような社会になっても自分を有利に導くことができるかどうかは、その人の知性に関わってくる。基礎となる知識がなくては、知性というもう一つの意味に近づくことができない。

まず何かを知ることからはじめたらどうだろうか? 無知は無恥につながるが、何も知らない自分を知ることのほうが、何かを学ぼうとするためのきっかけになると思う。そのほうが知らないでずっと行ってしまうよりはましだ。自分に何が必要かを知った個人にとって、勉強という言葉は無意味になる。サバイバル、と いったニュアンスのほうが近いのではなかろうか?

米国は中学生のレベルも高かった?

そうですね。誰がこのプログラムを書いたんだろう、と感心すると自分より年下だったりすることもありました。中学生や高校生で会社を立ち上げる人も普通にいました。日本にもそういう人材はいますが、米国では技術的に大企業と太刀打ちできるレベルだったりします。

米国と比べたとき、やはり日本が一番ネックになっているのは英語です。私も(天才プログラマーに選ばれたのは) ほかの人に比べて才能があったというわけではなく、ただ単に小さいころから英語が読めたというだけだったとも思います。日本では、例えば大きな書店に行っても、書棚にある一番難しい本ですらその分野の入門レベルでしかありません。

最近はインターネットなどで「知識の高速道路」が整備され、どんな分野であれ一気に高いレベルに行けるといわれ ていますが、この分野では英語の壁は高いんです。大人であれば英語が読めるからよいのですが、低年齢で IT の分野を学ぼうと思っても、英語ができないと途中までしか行けないのです。(  「真のゆとり教育」が生んだ 18 歳天才プログラマー )

こういう人材が出てきたかと驚きもしたが、これからは本当にネット上の知識を利用できる人とできない人とでは凄い差がついてしまうだろうな、という危惧を抱いたのも確かである。梅田望夫氏著「ウェブ時代をゆく」の中で Google が行っている図書館プロジェクトが紹介されている。

グーグル・ブックサーチ

「グーグル・ブックサーチ」とは、グーグルがオックスフォード大学、ハーバード大学など大学図書館を中心とする世界中の主要図書館と契約し、「人類の過去の叡智」たる蔵書数千万冊をすべてスキャナーで読み取りその字句を理解し牽引を作成しすべて検索可能にするプロジェクトである。

2004 年から、主旨に賛同したハーバード大学、スタンフォード大学、ミシガン大学、オックスフォード大学、の図書館、ニューヨーク公共図書館と組んで、このビジョンを実現するためのプロジェクトを起こした。

その後カリフォルニア大学、テキサス大学、プリンストン大学、マドリード・コンプルテンセ大学(スペイン語、フランス語、ドイツ語、ラテン語、イタリア語の蔵書を対象)の図書館なども参加し、プロジェクトは米出版社協会から著作権侵害訴訟を受けたりしながらも着々と進行中で、すでに百万冊をスキャンし終えたとの情報もある。

2007 年に慶應義塾大学の図書館が日本では初めてこのプロジェクトへの参加を表明した。ちなみにグーグルは書籍検索エンジンはあくまでも「書籍の発見を手助けする道具」でありその実現のためにコピーしているにすぎず著作権法でいう「公正使用」の範囲内だという立場を貫いている。

仕組みさえうまく作れば、スキャンされた数千万冊の本を巡ってネット上の「群衆の叡智」が自由に関与し、それらの本の間の関係付け、文脈付け、解説、再構成といった付加価値が積みあがっていく可能性も開ける。少なくとも英語圏では、そんな未来が 10 年後から 20 年後、つまり今の小学生や中学生が社会に出る頃にはおそらく現実のものとなっていることだろう。

こまでくると日本の義務教育を本当に見直していかないととんでもないことになりそうだと思わないか? ジェネレーション Y 世代(1980年以降から2000年までに生まれた世代)がだんだんと社会に進出してきて、彼らの特徴を見てみると、まず物心ついた頃にはインターネットという環境が自分たちの日常の周りにあったことがあげられよう。

Facebook とかやっているわかるんだけど、もう平気で世界中の人間と英語でコミュニケートして簡単につながってしまうんだよ。そういう安心感がこの世代にはあるんだろうし、今までの国とか経済が用意してきた枠組みの中に縛られたくないというか、そういうものからフリーな身でいたいというか、たまには利用したりというような、そういう身軽さを感じるんだよね。

第2外国語なんて大きくなってからで十分である

子どものときはそれよりも浴びるように本を読んで、音楽を聴いて、身体を動かして、お絵かきをして、自然の中を走り回り、家のかたづけやら皿洗いやら廊下の雑巾がけなどをすることの方がはるかにはるかにたいせつである。

外国語は「私がそのような考え方や感じ方があることを想像だにできなかった人」に出会うための特権的な回路である。それは「私が今住んでいるこの社会の価値観や美意識やイデオロギーや信教」から逃れ出る数少ない道筋の一つである。その意味で外国語をひとつ知っているということは「タイムマシン」や「宇宙船」を所有するのに匹敵する豊かさを意味する。

けれども、それはあくまで「外部」とつながるための回路であって、「内部」における威信や年収や情報や文化資本にカウントされるために学習するものではない。外国語は「檻から出る」ための装置であって、「檻の中にとどまる」ための装置ではない。役人たちは国民を「檻の中に閉じ込める」ことを本務としている。(小学生に英語を必修させる必要があるのか?

語と日本語が中途半端になっても困るし、かといって小学生、中学生の頃から英語圏の膨大な叡智へのアクセスをさせないことがもしかしたらその子供たちが思春期以降になって世界のほかの学生よりも大きく遅れを取る可能性があることも危惧する。

一般には9歳ぐらいまでのうちに一つの言語を主体にして自分のアイデンティティーをつけさせるべきだ、というものがあるけど、どうなのかなぁ? 英語の環境で育った日本人の親が子供に日本語を教えるのに苦労しているお話を伺ったことがある。その子は「転げ落ちる」というものがどうしても「転げ」が「落ちる」ものだというように理解してしまうらしい、という笑い話にならないような本当の話である。

英語圏ネット空間の知的充実

英語圏ネット空間の知は、「次の 10 年」で圧倒的に充実していくだろう。このまま 10 年が経過すると、英語圏の「学習の高速道路」が著しく充実し、英語圏に生まれ育つことの優位性がこれまで以上に増幅されてしまうのではないかという危惧すら抱く。ひとりの個人として「英語圏ネット空間の知的充実」という現象から眺めれば、「英語力を徹底的に磨くことこそがこれからの知的生活の充実に必要不可欠だ」という結論にたどり着く。

自分学習ができる人

るほど、これはこれからの子供たちだけの問題ではなさそうだ。広い大人たちの世代にも言えることではないであろうか? そうすると今後益々自分で自分学習ができる人というのがこれからのキーポイントになっていくであろう。

自分は何を勉強したいのか? どんな事柄についてもっと詳しく知りたいのか? どんなスキルを身につけるほうが得策だと考え、実際身につけようと行動するのか? どんな知的満足を経済活動を意識することなく、そのフィールドを極めようとするのか?

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