二極化する日本人、その4 – セカンドライフ的生き方


Life Management

二極化する日本人、その4 – セカンドライフ的生き方

People need to take their destinies into their own hands by thinking in terms not of safety nets but of active risk management.

業が用意してくれるセイフティー・ネットには頼らず、個人が積極的に将来考えられるリスクを上手く見極めながら対処して、自分たちの人生を生きることが必要になってくるであろう、というもの。

本当は企業だけでなく、政府が用意するセイフティー・ネットもこの主旨には含まれていて年金、健康保険といったお金と健康という生きていくうえで大切なものを自分で確保していこう、という覚悟ができている個人がどれぐらいいようか? 多くの人はこれからも年金や健康保険、という政府が用意してくれるものは半永久的に存在すると勝手に思い込んでいる。

Many people need to start thinking about alternatives that suit their abilities and personalities when they still have two or three productive decades ahead of them. In this way, they can discover the possibilities that will allow them to work much longer and thus ensure their financial well-being.

れからの働き方とは、まだこの先20年、30年も自分が精力的に働けるうちに自分の能力や性格にあった働き方、仕事の仕方、お金を稼げる能力を考え始めて行動するべきだと言っている。そういう可能性を探ることが、自分自身長い間現役でいられるようなライフワークを発見することにつながり、それが財政的にも有利に展開できる結果となるとも語っている。

様々な可能性

2ステージ、第3ステージの人生という可能性をこれからは積極的に生きていかなくてはいけなくなる。ロウアーミドルに属していた人がアッパーミドルへと移る可能性もあるし、またその逆もありえる。海外に住むようになったり、または帰国して日本に住んだり、といった例も出てくるであろう。

独身から結婚という選択から、または結婚生活から離婚という選択まで人々が生きていくうえで自分の生きる価値観をこれほどまでに見つめることを余儀なくされる世の中になったといってもいい。情報量の増幅は、人々に選択肢を多く与えたのかもしれない。

子供のいる家庭環境から子供が成長して独立、また夫婦二人だけの生活というサイクルを経験する人も出てくるであろう。他には若いときには仕事で忙しすぎてできなかった英語などの語学の習得を、現役引退後の自分の時間が十分に持てる生活の中、再びそれらの勉学へと励んだり、といった具合。

100歳のお婆さんが後悔したことはと聞かれ、60歳のときにバイオリンを習い始めなかったことだと答えたように、これだけ長寿の世の中になってくるとこのようなことも可能になってくる。75歳という年齢は聖路加国際病院の理事長、日野原重明氏によると老人初期ということらしい。

ライフワークと呼べるもの、心から自分が打ち込めるものを必死になって探すことはこれから多くの人にとって第2の人生、第3の人生を豊かにするために必要になってくると思われる。その時に大事なのは、嫌な時間をすごさない努力がキーポイントになるに違いない。

嫌な時間を過ごさない努力

もうひとつよく出る話が「これだけ長い時間働くようになると、嫌いなことをやらされているのでは、もう身体を壊すだろうね」というものだ。

・・・中略

こんな生活を一週間も過ごすと、幸いなことに「好き」なことを仕事にできている私だって、身体に変調をきたしてくるものだ。ましてや嫌々やらされている仕事だったらどうなるのだろうか……。ギリギリまで働く私たちの会話は、どうしてもそこに行き着いてしまうのだ。

「肉体の限界」を大きく拡張した鉄道、飛行機、自動車の勃興期は、これらの新しい道具の意味がわからず、轢《ひ》かれたりして命を落とす犠牲者が出た時代でもあった。同じ意味で「頭脳の限界」を拡張するインターネットの勃興期を生きる私たちは、「情報量が仕事量を規定する」中で身を守る仕事術を工夫していかなければならないのだろう。

・・・中略

私の自衛策が一般的とは思えないが、情報量が爆発する新しい時代に何か働き方を工夫しなければ倒れるぞ、ベストな策ではなくとも倒れるよりはましだろう、という苦渋の判断の末の自衛策なのである。そんな「生活の試行錯誤」がじつはいまも続いているのだが、そろそろまた「時間の使い方の優先順位」を思い切って変える時期にきていることを痛感した日本出張だった。( 情報量が仕事量を規定、そんな時代の生存術とは )

人生の時間配分

うすると自然限られた自分の人生の時間配分、毎日の生活時間配分というのが非常に大事になってくる。どんな人と付き合い、どんなことに時間を費やすのか? どんな場所で生きていくのか? 誰と? どんな仕事をしていくのか? どんな社会で生きていくのか? どんな家庭環境を築いていくのか? 自分自身に、家族に、親に、友達に、どれだけの時間をコミットさせていくのか?

しないことリスト

それに比べると川本裕子は激しく働く二児の母として、「時間のやりくり」に悩み抜いて生きてきたからであろう、彼女の「しないことリスト」は切実だ。この特集の読者はこちらを見習ったほうがいい。何が違うか。それは自動的に「しないこと」が判断できるということだ。その都度、この人ならいいやとか、そういう曖昧な判断がいっさい入らないことが大切なのだ。(1)    夜の宴席には出席しない、 (4) テレビは見ない、にそれが顕著だ。

妥協の余地がまったくない。相手が誰であろうと「夜の宴席」には行かない、番組によらずテレビは見ない、のだから、悩まず自動的に判断できる。だから必ず効果が出る。松本の「 (2) 苦手な人とは食事しない」とは本質的にまったく違うというのが、おわかりいただけるだろうか。(  「しないことリスト」で考えてほしいこと  )

山あり谷あり人生

極化する日本人と題してこのシリーズを書いてきたが、あるカテゴリーにそのまま属して人生を全うすることなどこれからはありえないと思う。それぞれが自分にあったやり方で自分自身の選択を見極め、そのステージでその時に自分を一生懸命生きればいいだけで、その時点で社会から世間から負け組みと呼ばれるような側に自分が属していようが関係ない。

もしかしたら長い人生で見た場合、浮き沈みの多かった人生の中の沈んでいた時期だったのかもしれないし、きっとそのように振り返れる時期が必ず来ることをあきらめないでほしい。漫才師の島田洋七さんのお婆ちゃんが漫才ブームで行け行けだった当時、こう孫に語ったらしい。

「山あり谷ありって言葉の意味を知っとるか? 頂上で記念写真を撮ったら降りてきんしゃい。山はずっとおる所じゃなか。家も川もみんな谷にあると。冷たか水を飲んで,もう一度山に挑戦しんしゃい。

, , , , ,

Powered by WordPress. Designed by WooThemes