先生たち一方通行、昔の教え方通じず(教育改革)


教育現場

先生たち一方通行、昔の教え方通じず(教育改革)

子供の顔を見ることができなかったり、一方的に授業を進めてしまったりする先生たち。文部科学省が22日に公表した「指導力不足」の教員の集計結果では、子供たちとうまくコミュニケーションをとることができない先生の実態が明らかになった。

指導力不足と認定された教員が今年も500人を超えた。それでも、「氷山の一角にすぎない」と指摘する声は少なくない。現在、全都道府県と政令市の教育委員会が第三者による判定委員会を設け、指導力不足とされた教員への研修を実施して、現場復帰を促している。

素晴らしい先生に出会えるか?

生たちの淘汰が今教育現場で静かに進んでいる。 昔と違い、今は知りたいことがあれば先生に聞くよりも、インターネットを使って答えを探したほうがより深い知識を得られる機会を子供たちが得てしまった。

実際に教育現場では、先生たちよりも子供たちの方がインターネットを上手く活用しているということを聞く。 これでは先生方もたまったものではないだろう。 じゃぁ、何を子供たちに教えていけばいいのか?

そのようにシンプルな質問を自分自身の教育法に問いかけている現役教師はどれぐらいいるのだろうか?  それがこのニュースのような結果に現れている。 氷山の一角というのもあながち間違ってはいないだろう。

教育を受ける側の子供たちの姿勢も変わらないと、長い期間で見た場合、とんでもない差となって現れてくる。現在の医療関係と一緒のように良い医者は自分で探して選んでいかないと自分の生命に大きく関わってくるが、教育現場の先生も同じ。 自分で探して選んでいかないと同じ義務教育でもとんでもない差となって現れてくるであろう。

でも先生をそう簡単にこちらから選べることができるわけでもないし、子供たちやその親たちはどうしたらいいのだろう? トーマス・フリードマン著の「フラット化する世界」にこんな記事が載っていた。

オンライン家庭教師ビジネス

このインド南部の都市の郊外にある会社にコヤンプラス・ナミサが出勤した時、夜明け前の紺碧の空にはまだ星がいくつか残っていた。午前4時半前にナミサはコーヒーを持って20人ほどの同僚とともに、コンピュータとヘッドホンが用意してある仕切りに入った。1万キロメートル以上離れたシカゴ郊外のグレンビューでは、前の日の夜に当たる。

そこでは14歳のプリンストン・ジョンが素足でコンピュータに向かい、1時間にわたる幾何学の指導を受けようとしていた。ハイスクール1年生のプリンストンはマイクつきのヘッドセットをつけて、時差が何時間もあるインドにいる教師のナミサとインターネット経由で接続するためのソフトウェアを立ち上げた。

も英語でしょう、といっていると大変なことになる。 きっと近い将来日本語でもこのようなサービスを受けられるようになるに違いない。インド人の語学習得力はほんとうにすごい。 どうしてそんなに短い期間しか日本に住んでいないのに日本語ペラペラなんだ? このようなインド人に会ったことはないだろうか?

やはり積極的にインターネットを自ら活用していける子供は強い。 以前、梅田望夫氏の「ウェブ進化論 – 本当の大変化はこれから始まる」を読んだ時に、羽生義治さんの「高速道路論」というものに、あーぁ、なるほどなぁと感銘を受けたことがある。( ウェブ進化論 – 本当の大変化はこれから始まる、その4 – 学習の高速道路論

僕がひらめいた直感はこれからはできる子供にとっては飛び級が当たり前になる、ということだった。 不幸にしてあまり良い指導法ではない先生に当たってしまった子供はそこであきらめているようだと、その先生と同じような運命を辿ってしまうことになりかねない。

「学ぶ方法を学ぶ」という能力

[新司法試験]「法科大学院の理念が問われた」100人超の合格者を出した法科大学院がある一方合格者ゼロの大学院も4校あった。合格率で見ても100%から0%と極端な差がある。今後、法科大学院の「序列化」が進むことは避けられない。来年以降の試験でも、合格者がゼロか極少数で推移していく大学院の中には、廃校を余儀なくされるところも出て来るだろう。

こでもはっきりと結果が出ている。 学校の教育方針とか教育カリキュラムの差も大いにあるであろう。 しかし、合格したものは絶対にインターネットを利用して自分でエクストラの勉強をしていたはず。インターネットを使いこなせるかどうかが、子供の教育ではキーとなる。 先生の、親の、政府の責任にしてはいけない。

フラットな世界で伸ばすことができる最初の、そして最も重要な能力は「学ぶ方法を学ぶ」という能力だ。 古い物事をやる新しい方法や、新しい物事をやる新しい方法をたえず吸収し独習する。たくさんの仕事の一部もしくは全部が、つねにデジタル化とオートメーション化とアウトソーシングされる可能性のある時代ではどんな労働者もこの能力を身につけるべきだ。

新しい仕事やまったく新しい産業は、そこでどんどん生まれている。そういう世界では、自分の知識だけではなく物事を学ぶやり方で、人と差をつけることができる。なぜならいま知っていることは、思ったよりも早く時代遅れになってしまうおそれがあるからだ。 フラットな新世界では、教育の機会は限りがない。 教育機関、政府、教会、企業の手助けなどいらない。

自分をネット化する

は、教師のほうはどうすればいいのだろうか?  答えは簡単。 子供たちと一緒で、自分も常に学び続けることだと思う。 常に好奇心をもって自分の専門分野含め、他の分野にも広く自分の知識の範囲を開拓していく。

その上で子供にはまだ備わっていない自分なりのフィルターを通しての世の中の見方、感じ方を子供にフィードしていき、子供の好奇心をかきたてる。客観的にものごとを捉える見方やいろいろな角度からものごとを眺める習慣など、その先生が得てきた情報や知識を自分なりのフィルターを通して子供に与えていく。 こういう姿勢だと思う。

自分も真剣に学び続けていればものごとを新鮮な目で見ることができるし、年がら年中同じような教育方法を子供たちの授業で行うなどはできなくなるはず。自分もネット化すれば、ネットを通じて同じ教育関係の人とも知り合えるし、いろいろとお互いに教え助け合うこともできるようになるであろう。

究極の先生は全国の子供たちをインターネットを通じて教えてしまうフリーランス的な先生の出現だろう。 一人のすごい教えるのが上手い先生に皆が教わることができるシステムとアクセスが確保された時にはその他多くの先生はどうするのであろうか?

そんなことは起こりようがない、と思考停止してしまうは簡単である。 だが、一歩進んでそのときになったら慌てなくてすむよう今から自分の選択肢を考えてみるべきではないだろうか?

子供が心底好きな先生

教師は子供を好きで好きだというのが伝われば、教えている科目の知識がそれほど深くなくても、子供たちはいい刺激を受けて、自分たちで学ぼうとします。校長として教師に大方針を説明することはできますが、教師が子供を好きになるように仕向けることはできません。 教室に入ったとたんにその教師が子供を好きかどうかがわかるんですよ。

小学生はだいたい先生がすきですが、相手が子供が好きな先生となると、また違うんです。そういう先生だと、子供たちはやる気を出して、精一杯応えようとするんです。子供が心底好きな先生で、教えるのに熱心で、子供をけっしてはねつけないとわかると、子供たちはほんとうはひとりでに勉強するようになります。それが学ぶということでしょうね。

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