勝負師、羽生善治氏の考え方、その2 – 創造力


羽生善治

勝負師、羽生善治氏の考え方、その2 – 創造力

通何かの番組を見て、ニュースや出来事などを見たり感じたりしてエッセイを書くアイディアが浮かんでくるんだけど、書き起こす過程では大雑把な概略をつかむ程度で、ある程度の流れ、自分なりの書き表したいという段落がバーと浮かんでくる勢いをつかんでタイプしていくんだけど、今回の羽生善治氏のインタビューはほとんど省くことができなかった。

なんというか質の高い情報が満載しているせいもあるのだろう、羽生氏の語る言葉が本当のリアルな情報という感じがして省略するというか、すべてが大事という感じがしてこれほど立ち上げるのに時間を要したエッセイはない。

村上龍氏が芥川賞受賞候補者の中から選考するときの基準として、その書き手が与えている情報がリアルであるか、ということを結構考えているというようなことをどこかで話していたとおもう。

リアルな情報、これは本当にリアルな現場でしか得ることのできない情報というか、F-1で言えばF-1パイロットだけが得ることのできる情報、スペースシャトルに搭乗する宇宙飛行士だけが得ることのできるリアルな情報、セリエAのトップクラスのチームでスタメンとして出場している選手だけが得るリアルな情報、プロの棋士同士の真剣勝負の場でしか得ることのできないリアルな情報。

リアルな情報、きっと大昔の狩猟社会時代の時からリアルな情報だけを持った男たち、集団たちだけがサバイバルしてきたのだろう。

冒険的な手を指す

インタビュー:やっぱり定石を積み上げていって、その通りになるべく打っていくっていう、まぁ一種の対局にあるような考えになりつつあるというか、羽生さんはそうしているということですか?

羽生:冒険的なこともしないとやっぱり進歩がないってことはあるんですよね。で、勝負って言う面に関して言えばやっぱりセオリーどおりで手堅く行ったほうが多分勝率は高いだろう、っていうこともあるんです。冒険的なことはやっぱり冒険なんで、失敗に終わるというか上手くいかないことも多いんですよね。特にプロ同士の場合ですと何か挑戦的なことをやってもやっぱり的確に返ってきますから中々それで上手くいくってことは少ないです、半分もないです。

インタビュー:そうだとすると、ひょっとしたらこっちのほうが勝つ確立は高いんだけれどあえて今日はこれをやってみる、そういう時はあるわけですか?

羽生:やっぱりあります。今日勝つ確立が一番高いっていうやり方は多分10年後では一番リスクが高くなるんですよ。つまり10年後が一番時代に取り残されるとか、進歩が遅れているというやり方なんです、今日勝つ一番勝率が高いやり方は。

つまりそこはどこまでリスクをとって、どこまでは取らないかっていう、リスクのマネージメントのことだと思っているんですね。どこまでアクセルを踏むか、どこまでブレーキをかけるか? どの場面でどれだけ踏み込んでやっていくか? 本当にすごくそれは大事なこと、でも一番手堅くやるっていうことを手堅くやり続けるっていうのは長い目でみたら一番ダメなやり方だと思っています。

インタビュー:勝率の高いやり方をずっと続けていると、まっいわばもたない?

羽生:やっぱりそのどんどん変わっていきますから、未来を見ているんじゃなくて過去ってことですね。勝率っていうのは過去を見ているって事ですから、それをこう比較すればどうなるかっていうのはあきらかなことなんで。

インタビュー:目の前の勝利、もちろん大事なんだけどそういったことをやって、だけどふと考えてみるとやっぱり勝ちたいじゃないですか。その中でね、冒険的な手を打ってみようという発想になれる、羽生さんというのは一体何をみてそうしているのか?

羽生:思い切ってやってみるほうが楽しいってこともあるし、まっ後で得ることもあるってこともあるでしょうし、例えばそれで結果が出なかったとか、上手くいかなかったとか失敗したとしても、それでまた後悔するかどうかといったらまたちょっと別ですよね。

もっと自由に指したいしもっといろんな挑戦的なこともやってみたいという気持ちもあるわけなんで、だからそれをやることが本当に後悔するかどうかってことも何か一つの基準としては、まっ、自分の中では一様ありますが。

インタビュー:得ていくものっていうのもあり、つまり冒険的なことをやっていかないと今は勝てるかもしれないけれど、この先勝てなくなるかもしれないと、長い目で見ると、そういうのもやってみなければいけないと?

日勝つ確立が高いやりかたは一番リスクが高い、なんという言葉だろうか! これほど勝負の世界の厳しさの本質を突いた言葉はないのではないだろうか?

本当の真剣勝負の中で如何に勝てるか、ということを常に考えてきた人間だけができるというかたどり着く発想法だと思う。こういう発想は普通しないというか思いつかないのでは?

やっぱり守りに入るというか目先、勝率が確立されていて安定しているならば、あえてそれを変えてまで冒険的なことを試みる必要がどこにあろう? というのがほとんどの人の場合であろう。今日安定していても明日はない、なんという厳しい勝負の世界だろう。

戦うというとフィジカルなイメージを持ちがちだけど、将棋の世界というのは知力のぶつかり合い、己の知性を盤という場所で表現、戦う場所なのだ。そこにはものすごい大きなエネルギーが充満、ぶつかり合っているに違いないと感じるようになった。

さらに羽生氏の話を聞いているうちにいつしか昔の武士の世界を思い描いていた。つまり武士としての道を選んだ子供はそれこそ各地、各藩内に存在していた有名どころの道場に通うわけだけど、そこでの練習はもちろん竹刀というか木刀のようなもの、剣道というものであろう。

しかし、昔の日本、明治維新前の日本にはそれこそ外の世界に出れば、いつ真剣白刃の勝負の場面に出くわすのかわからない世界があったではないか、つまり世間に緊張感というものがそれなりに漂っていたと思うのである。

もしかしたら、今日道端で殺されるかもしれないという、それこそ実戦である。白刃の剣が飛び交い、やる前にやらないと自分は殺される。こういった真剣勝負の場という雰囲気を羽生氏が語る将棋の世界での真剣勝負の場としての雰囲気が自分の中で連結したのである。

コンピューターと人間との対戦

インタビュー:コンピューターとの対決についてなんですけども、去年、現在の渡辺明竜王とコンピューターソフトのボナンザの対決が話題になりましたよね。

でこれ何が話題になったって言うと、予想通り渡辺竜王が勝ったんだけれども、ことの他コンピューターソフト、ボナンザ、善戦したと。この勝負は、羽生さんはどうご覧になりました?

羽生:いや、本当に進歩しているというかですね、まぁ強くなっているっていうのは、見ていて実感しましたね、もちろん最終的には渡辺さんが貫禄を示したわけなんですけども。コンピューター将棋ってですね、変な話なんですけど実はここ数年、ずっと伸び悩んでいたんですね。

アマチュアの3、4段ぐらいまで来ていたんです、でそこから次、どう強くしていくかっていう、その方法論がですね、中々見つからなかったんです、でただここへ来てですね、なんかその壁を突破してさらに実力が上がったなぁ、とそういう風な印象がありますね。

インタビュー:今そのコンピューターソフトが目指す、というかコンピューターソフトを作っている方が目指しているわけだけど、棋士がそのより上を目指して、の目指すとどうも考え方違うわけですよね?

羽生:そうですね、コンピューターの基本的な考え方というのはつまり手をたくさん読んでいく、つまり計算をたくさんしていくことによって、より正確さをあげていく。人間の場合はその将棋の実力が上がっていけば上がっていくほどですね、その考える手って段々少なくなってくるんですよね。

さっきの大山先生(大山康晴)の話と同じで、つまりたくさんの手を読むんじゃなくてなんとなくここが急所かなとかつぼかなっていうのがなんとなく見えてくる。段々、考える手を狭めていくってことですよね、だから考えている方向性として基本的にこう反対方向に行くってことはあるんです。つまりたくさんの手を考えるコンピューターと極力手を考えない人間という、そういう違いはやっぱり鮮明にしてあるような気がしてますね。

インタビュー:そうするとその二つでこう対決するっていうことについては、まぁ羽生さんはどういう点に関心を置いてみているんですか?

羽生:あの一つはですね、まだ明らかに違和感があるわけですね。つまり誰が対局しているかわからないっていう状態で棋譜を見せられればこれは人間が指したのか、コンピューターが指したのか、まだ一目瞭然でわかるんです。

インタビュー:具体的にいうと?

羽生:こういう手は人間の感覚では指さないっていう手をコンピューターは指すわけですよ、つまり具体的な手を教えることはできても感覚を教えることはできないじゃないですか、だからこの手をみて、あっこれは人間が指した手ではないってわかるんです、今は。でも将来はそれが同じになるのか、永遠にずっと違和感を持ったままになるのか、ということは大きなテーマとしてあると思っているんです。

インタビュー:それは要するに全然違う方向を向いているんだけど最後に一緒になるというか、到達点が?

羽生:そういう、考える方向性はまったく違うんだけども、その中で最終的に選ぶ一手とか選ぶ決断は、実は同じになるんじゃないかとは思っています。

インタビュー:羽生さんはコンピューターとの対決、いつすることになりましょうか?

羽生:これは実は今は将棋連盟が許可をしないと基本的にコンピューターと対決はないということなんで。

インタビュー:渡辺明さんは特別だったんですか?

羽生:そうです、それはこれからどうなるか今の段階ではわからないっていう感じですね。

インタビュー:やってみたいという気持ちはありますか?

羽生:どういう将棋を指すのかっていうのはやっぱり興味がありますよね。

グーグルの検索技術

ーグルで何かを検索すると、その検索結果ってものすごい数になるけど、それを最後まで見ていく人ってほとんどいないと思う。検索嗜好で言われるように段々検索をするようになってくると人は上位に上がった3位までしか観覧することに徹し、検索結果が気に入らなければ検索する文字列を変えてみたりして、新しく検索情報を探す。

これって羽生氏のコンピューターソフト”ボナンザ”の状況と似ていないですかね? つまりコンピューターの戦い方というのはたくさんの手を読んでいくというもの。検索技術の極めもたくさんの検索キーワードに沿った情報を提供しようというもの。

しかし、将棋の上達者はだんだんと手を読まなくなっていくという。人間がコンピューターを使って検索する姿勢と似ているではないか? 2手、3手しか読まないプロの棋士たちと、検索結果の上位3位ぐらいまでしかクリックを試みないインターネットに慣れた人たち。

もしかしたら検索技術の向上がいつしかコンピューターがプロの棋士を打ち負かすきっかけになるのではないか、と思ったのが、グーグルの検索結果に自分の好みを加えられるようになった状況からそんな気がしてきた。

日本語版グーグルではまだみたいだけど、英語版グーグルでは検索結果に対して、気に入らなかったら検索結果1位のものを削除できたり、2位3位に上がっている検索結果を上位に持ってくることができるようになった。

これって自分の好みに合わせて検索結果ができるようにカスタマイズされる。コンピューターが何万という検索結果を用意しても人間が見るのはその上位3位ぐらいまで。だったらそこの検索結果を一人一人の好みに合わせてしまえ、というのは羽生氏のわからない場面でどのような手を指すのか、というときにその人の個性が出る、ということと繋がっているように感じる。

言っているニュアンスが伝わるだろうか? たくさん手を読んでいくコンピューターも人間の好みという要素が加われば、プロの棋士たちが2手3手という究極の選択をする思考過程に近づけるのではないだろうか?

検索技術も、将棋のコンピューターソフトも解を探すという点では同じことだし、検索技術に人間の好みが加えられるようになった今、つまり人間が情報を探す手段として直感で検索結果上位3位ぐらいまでを選ぶように、コンピューターソフトもそれと似たような感覚、人間の思考という感覚を取り入れることができれば、プロの棋士との勝負でまた一歩、勝利することに近づけるのではないだろうか、と思ったのだ。

棋士同士の会話が実に雰囲気いい

回のお話は非常に感銘を受け実に興味深いものとなった。何百、何千という先を読むことを仕掛けるプロの棋士たちに対する驚きというか尊敬を含む感情が自分の中で湧いてきたのも確かである。

NHK特集「100年インタビュー」はアメリカでは2009年元旦に行われ、プロの棋士に対してすごいなぁ、という感情がわきあがった後に見た正月の将棋スペシャル番組。この中で登場した女流棋士たちに魅力を感じたのも新しい発見であった。

お互い棋士同士、名前の後にその各個人が持っているタイトル名をつけて呼ぶあたり、本当にそれが嫌味ではないのだ。どこかの会社の役員のように年功序列によって得た肩書きとはまったく違うのもであり、実力もない、裏付けるものもないのに、その人が何年そこで働いていたというだけで与えられる肩書きなどにどうして尊敬の思いが込められようか?

それよりも実戦という厳しい現実の勝負の世界で戦い、勝ち抜いてきたものだけが得ることのできる本当の肩書き。それらを呼び合う環境というものが実に新鮮で、素直にそのものに対しての尊敬の念をこちらも受け取ることができたのである。

そして女流棋士たちの色っぽいこと。うかつにも晴れ着を着て将棋を打つ姿勢に色っぽさを感じた。そこには男女が将棋という高貴な遊びを楽しんでいる光景が演出されていて、実にいい感じの、古風というかそのような風情を感じることができたのは新しい発見であった。

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