将棋国際化への道、羽生善治氏が感じる未来


将棋

将棋国際化への道、羽生善治氏が感じる未来

んまり将棋界のことに詳しくないので言い切ることはできないのだが、羽生善治氏がこれまで将棋界に存在していた伝統とかしきたりというものに対して、ときに勝負にこだわる挑戦者として、時に将棋を心の底から愛しているという精神論者として、さまざまな投げかけを行ってきた、と言われている。

例えば羽生氏著書「決断力」本文の“はじめに”に描かれているA級順位戦8、9回戦プレーオフで起こった上座に座るか下座に座るかという自分の信念を貫いた状況を説明しているあたりや、「変わり行く現代将棋」の中で書き綴られた“矢倉戦”に対する思い入れなど。

もしかしたら現代将棋の今の時期に羽生氏が登場して、将棋界にさまざまな投げかけをしているのは後から歴史を振り返ったときに、偶然に起こりえた奇跡の道筋としてある方向性に移り変わっていく将棋の未来を捉える上でのポイントとなりえているかもしれない。その方向性とはずばり羽生氏も「決断力」本分の中で指摘している将棋界の国際化である。

古今スポーツや芸術、文化などの分野で、日本のみならず世界を舞台としてさまざまな人材が日本のマーケットから飛び出していっている様を例に出し、しかし、将棋の場合は、それとは逆に海外の注目度のほうが日本へと押し寄せてくるであろうと、予想しているの。それ故に羽生氏は日本で将棋を指していたい、とも語っている。

伝統芸術の世界ではそのようなことが実際起こっていることからみてもわかるように、きっと将棋界の世界でも世界中の誰かしらを虜にするに違いない。( 日本にすんでいる外国人で日本の伝統文化、伝統的な物作り、芸術に日本人以上またはかなりのレベルで習得している人  )

梅田望夫氏著「シリコンバレーから将棋を観る」では著者自身、将棋を世界に広めたいということからネット上でこの本に関する翻訳を認めてしまい、英語にフランス語といった言葉に翻訳されていくプロジェクトがすぐさま始まってしまった。

国際化の波に対して羽生氏はどのように感じているのであろうか?

将棋国際化の波

将棋の場合は、逆に向こうからやってくるだろう。10年、20年たったら外国人がプロ棋士になっているかもしれない。将棋はエキサイティングなゲームだ。きっかけさえあれば外国でも広がっていくはずだ。

日本の中だけでは、文化土壌的にも、遺伝子的にも限界がある。さまざまな文化圏で指されるようになれば将棋はさらに多様化するだろう。そうなると、日本人とはまったく違う発想によって、新しい形の将棋が生まれるのではないか。みたこともないような将棋を指す相手が出現したら、それを倒そうと私の研究も深まり、将棋界全体も豊かになるだろう。

将棋の世界にも、徐々にではなるが、国際化の波は確実に押し寄せている。

中略・・・

ただ、そうなると日本人がタイトルを守り続けることは出来なくなるかもしれない。大相撲の世界では、外国人力士が非常に強くなり、日本人の横綱がいないという現象が起きている。将棋が海外でも普及するようになると、日本人以外のタイトル保持者が出てくる可能性もある。そうなることはおかしくないし、遅いか早いかの問題だろう。それがグローバル化の本質と思っている。

私は、将棋が国際交流の助けに少しでも寄与できればいいとも思っている。

将棋には、日本の伝統や文化が色濃く反映されている。海外の人が日本を知りたいと思ったとき、将棋のルールを知っていて、しかもやったことがあるとなると、日本を理解しやすくなるだろう。逆に、日本人が将棋を通して日本人の知恵を知ることも、大きな誇りに結びつくはずだ。(決断力参照)

ウィンブルドン現象

ィンブルドン現象という言葉をご存知か? テニスのウィンブルドンでは伝統的なイギリススポーツにも関わらず、最近ではほとんどイギリス人以外の人がタイトルを獲得している。このような現象をウィンブルドン現象というのだが、日本の大相撲などもこの現象を象徴するように日本人の横綱誕生は期待薄になってしまった感がある。

将棋界でも実際にこれと似た現象が起こるだろうか、というのが羽生氏の問いかけだが、この将棋というものの起源をたどっていくお話を聞かされると、あぁ、なるほど、元々は紀元前2千年ごろにインドで発明された「チャトランガ」が西洋に伝わりチェスになり、平安時代に日本に輸入されて独自の発達を遂げたのが将棋ということらしい。

私は「チャトランガ」を基とする中国や朝鮮、タイなどの将棋も一通りできるがやってみてわかるのはこれらはみな兄弟だということだ。なかでも日本の将棋は末っ子で一番の変わり者だ。

最初は似ている形で輸入されたのだが、ルールが変化していく過程で、独自の、似て非なるものになった。例えば、昔は、どの国の将棋も盤が広く、駒数が多かった。取った駒も使えなかった。駒数が多いと対局に時間がかかって娯楽として適さない。

そこで、ヨーロッパでは、チェスの盤を狭くする代わりに新しくクイーンをつくり、飛車や角行の働きをするルークとビショップを2枚ずつにするなど、駒の力を強めたのである。しかし、日本の将棋だけは、取った駒をもう一回使えるようにした。実は、他の国は、駒の色が、例えば、白と黒、青と黄色というように敵味方で違う。

そのために、取った駒を使うという発想はできなかった。日本人は、駒の色を消して何回でも使える形を発明したのだ。俳句や短歌にも共通するように、将棋にも省略の文化がある。日本人は、物事を省略し、新しく創造し直す才能に恵まれているのではないだろうか。(決断力参照)

省略の文化

略の文化、とはなるほど、英語などの日本語以外の言語を習得されている方ならば理解できるのではないだろうか? 例えば、こういうことを英語に訳すのは難しいとか、そもそもこの日本語表現に当たる英語は存在しないとか、すべては日本の省略文化によるところが大きいのかもしれない。

例えば日本語のある言葉や表現を英語で説明するのに、前後のコンテクストを織り交ぜるというか説明するのに、こういうことがあって、こうだから、こうなのだよ、だからこういうことにもつながっていて・・・、などと説明しなくてはいけない。

省略文化は“良いとこ取り文化”ともいえるのではないだろうか? 海外から入ってくる思想や技術、さまざまなアイデアからスタイル、方向性なども一旦日本へ入り、日本人によって改良され、日本人が馴染みやすい、使われやすいように“良いとこ”を残してオリジナルなものから必要ないものはどんどん省略されていく。

今は、日本人が全体的に自信を失ってしまっていて、内向き、後ろ向き、下向きになっているけど、何かのきっかけ、例えば世界から注目され始めたりして日本人が自信を取り戻せば、日本独自の省略化された文化やスタイル、技術などが逆に世界に飛び出していく可能性があると思うのだがいかがだろうか?

また、将棋のルールには、歩を打って王様を詰めたり、縦の筋に歩が2枚並ぶ二歩は禁止という規則がある。

将棋を指していて感じるのだが、これらの規則は将棋を面白くし、奥行きを非常に深くしている。このようなルールは一人の人間が決めたのではなく、いろいろな人たちが、「こうしたら面白くなるのじゃないか」とアイデアや意見を出し合って今の形にしたのである。日本人の中には無名だが、そういう知恵を持った人たちがいるのだ。その長い歴史として、非常に洗練され、奥深い今の将棋がある。

私は、そういう昔の日本人の発想に感心するとともに、世界に誇れる知恵だと思っている。それは、遺伝子として今の日本人にも脈打っているはずだ。その知恵に誇りを持っていい。(決断力参照)

棋に限らず日本独自のスタイル、文化、技術などは世界に誇れる知恵かもしれない。きっとそれらは世界中の人々が感嘆、賞賛してくれると僕は信じているんだけれど、それらを世界に広めていくためには日本語以外の世界中の人々が理解しやすい言語で翻訳していかなくてはいけない。

インターネットというメディアを利用できる現代の日本人にとっては、それらを行うことはタイミング的に今が始まり時であろうし、それらを行うことができる才能ある人材の人にとっては使命かもしれない。政府や企業、投資家などは積極的にサポートするべきである! スポーツ省と一緒に日本の文化省も設けてはどうだろうか?

Yoshiharu Habu and Modern Shogi / FrontPage

, , , ,

Powered by WordPress. Designed by WooThemes