日本のマスメディアへ、大久保嘉人の才能を殺すな


大久保嘉人

日本のマスメディアへ、大久保嘉人の才能を殺すな

回の東アジア大会、日本対韓国の決勝戦で大久保嘉人はまさかの退場をしてしまった。前半わずか18分しかプレーすることなく、チームに迷惑をかけた大久保選手は非難の的になっている。当然である。日本代表のユニホームを着るということの意味が、まだ大久保選手には分かっていないらしい。

前半18分の時点から10人で戦わなくてはならなくなった日本代表。このサッカーという国民のプライドを刺激するスポーツで、日本の代表ということで出場しチームの勝利に貢献することなく、試練を残してグランドを去った大久保選手はアホと通り越して馬鹿の範疇に入ろうとしている。周りからもイエローカードを多く貰う大久保選手に注意をいれ、本人も文句は言うまいと自覚してこの大会に臨んだはずなのにだ。

僕が嫌いなスポーツ馬鹿になろうとしているか、大久保選手は? 若くして才能があるのはわかるが、責任という能力が大久保選手には備わっているのか疑問。まわりから才能のある選手として持ち上げられるのはいいが、それがその選手の人間としての人格を形成するのに正しい方向で彼を導くことができるかどうかは、大久保選手を取り巻く周りの大人たちにかかっている。

ここで注意してほしいのは、大久保選手に対するマスメディアの扱い方。スターや才能ある選手として紹介するのもいいが、問題はその選手が自分を見失わないようにしてあげることも、メディアの責任ではないだろうか。一番危険なのはこれから先、大久保選手が変に自分の才能に頼る人間が回りにいることを勘違いしないことではなかろうか。

どうせ俺が必要なくせに。俺が点を取ったから試合に勝ったのだ。オリンピック、2006 FIFAワールドカップでも、俺を必要とするくせに、などと大久保選手が思い始めたら危険である。たしかに大久保選手が点を取って試合に勝つ状況もこれから先、生まれてくるだろう。

だが彼一人がいたからではなく、周りの10人他がいたからとか、選手はじめサポートしてくれるさまざまな人がいたから、というように考えることができないと、大久保選手はかつてのブラジルのロマーリオのようになってしまう。

ロマーリオ

ラジルのロマーリオと言えば知っている方も多いはず。1994 FIFAワールドカップ、ベベットとのツートップは強烈でその大会での優勝の立役者の一人。その後、天狗になったロマーリオはシーズンが始まる前のチーム、確かスペインのバルセロナ合同合宿に遅れて参加。個人的なわがままの始まりである。

その後、バルセロナを去り、さーいよいよ1998 FIFAワールドカップだ、というときロマーリオはブラジルのメンバーから外された。時の監督マリオ・ザガロはチームの団結力を乱すものは必要ないとして、断固としてロマーリオの代表入りを拒否してきた。ロマーリオは泣きながら記者会見で自らの今までの反省と代表復帰をアピールしていたが、受け入れられなかった。

このような例はきっと他にもあるはず。イギリスのプレミアリーグでプレーするアラン・スミス。この選手もプレー中に自らの感情をコントロールすることができずチームに迷惑をかけ、自身もこれといった結果を残せないでいる。代表には選ばれるものの集中力を欠く場面も偶にあるため、このままぱっとしないで彼のサッカー人生は終わりそうな気がする。

スポーツ選手の場合、年をとって分別が付くようになってからでは遅い。年老いた彼にはもう輝く活躍の場面はめぐってこない。だからこそ若くて才能のある時点で人間的に内面も鍛えておく必要があると思う。大久保選手が今後、プレーをしている最中に自分の感情をコントロールできるようになっていれば、彼は活躍し続けることができるだろう。

それはプレーに集中できるからだ。しかし今後も感情をコントロールすることなく、自分が周りに対して自分に合わせろとプレー以外でも要求し続けるならば、彼はたとえ海外でプレーすることになっても活躍できないだろう。言葉の通じない海外では自分を助けてくれる人は多いほうがいい。

サッカーの才能を目当てに大久保選手に集まる人間は、彼がサッカー選手としての価値を示し続けることができている間だけだ。今回の退場処分。本人ともども、周りの人間の対応も十分考えていただきたい。

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