日本人がリーダーシップを発揮して少子高齢化社会でも幸せになる仕組みづくり(3)


リーダーシップ

日本人がリーダーシップを発揮して少子高齢化社会でも幸せになる仕組みづくり(3)

回も伊賀泰代女史著「採用基準」の中からリーダーシップについて感銘を受けた記述にそっての思考を記述していきます。「自助、共助、公助」についての考察はなるほど、こういうことなのか、と納得しましたし、リーダーシップ総量不足という概念も広く日本人社会の中で共有されるべきだな、と感じました。

  • リーダーシップの総量不足
  • リーダーシップを身につけると
  • リーダーシップを発揮すると

リーダーシップの総量不足

「自助、共助、公助」という言葉があります。自助とは個々人が頑張って自分や自分の家族に必要なものを確保すること、共助はご近所などコミュニティーで助け合うこと、公助は国の制度によって、助けが必要な人を支援することです。

貧しい時代には自助と伝統的な共助(町内会や農業共同体などでの助け合い)が基本でしたが、経済が発展すると、自助や共助のベースとなる関係性が解体する一方、様々な福祉制度が整備され公助が充実します。しかし最近はどこの先進国も、高齢化と財政難によりこれ以上の公助の拡大は困難です。そこで期待されているのが、新しいタイプの共助です。ボランティアやNPO、ネット上で価値感を共有して形成せれるコミュニティも在るでしょう。

この「自助と公助」と「共助」には大きな違いがあります。それは、他の二つと異なり、共助が機能するためにはリーダーシップの存在が不可欠だということです。自助とは血縁と婚姻に基づく相互扶助関係であり、公助は公的な資金を分配する制度です。そして共助とは、リーダーシップによって運営される助け合いのシステムなのです。

昔は村の世話役から名物町内会長まで、要となるリーダーが存在していました。そういった人がいなくなると同時に、伝統的な共助のコミュニティは崩壊したのです。新たなコミュニティが立ち上がるには、誰かが共助の仕組みをゼロから設計し、人を集め、運営が始まってからも様々に生じる問題の解決に、リーダーシップを発揮する必要があります。そして多くの人がリーダーシップを発揮して共助のシステムが増えていけば、私達は財政負担なしに、より住み良い社会を築くことができます。

核家族の両親が、赤ちゃんが熱を出す度に救急車を呼んでいたら、公助は財政破錠するでしょう。しかし、近所の子育て経験の豊富なおばさんがアドバイスをくれたり、ネット上のコミュニティで誰かがアドバイスをしてくれれば、暖かくして寝ているだけですむことも多いのです。

共助システムが増えれば増えるほど、公助への負担は少なくなります。反対に、リーダーシップの総量が不足する国では、何もかもお金と公的な制度で解決せざるを得なくなり、とめどなく予算が必要となります。

同じ構造が、地方の再生や経営運営でも見られます。リーダーシップが足りない(もしくは、ほとんどない)ため、公共事業のための補助金を求めたり、大企業の工場を誘致するしか、地方には雇用と資金を確保する方法がありません。

もしも、新たな特産品作りや都会からの移住促進、海外からの観光客の呼び込み、教育改革などにおる村おこし、町おこしを自力で試してみようというリーダーが、それぞれの分野に何人も現れれば、「頼れるのは補助金だけ」という状況から逃げられるのはずです。

今後、公助に投入できる資金は益々乏しくなります。そうなれば、リーダーシップ総量の高低が、浮かぶ自治体と沈む自治体を分ける要素となっていくことでしょう。

このように、現在の日本で起こっている様々な問題の根底には、リーダーシップ・キャパシティの不足という共通の課題が存在しています。日本に足りないのは、専門知識でも技術力でもありません。次頭がいい人が足りないわけでも、日本人が勤勉さを失ったわけでもないのです。そうではなく、知識や思考力や勤勉さを総動員し、目の前の問題を解決していくためのリーダーシップを発揮できる人の数が、あらゆる場所において不足しているのです。

そして何よりも問題なのは、英語力不足問題と異なり、リーダーシップの総量が足りないという問題が、広く認知されていないことです。このため大学や企業において、リーダーを体系的に養成しようという動きが出てきません。

日本では何かというとモノづくりを重視しますが、日本の大学には、モノづくりを直接に担当する技術者を育成しようという気はあっても、それらのモノづくり企業をマネジメント側から支えるリーダーを養成しようという意欲が感じられえません。

リーダーというと、大半の人が卓越したカリスマリーダーを思い浮かべます。しかし日本にはスティーブ・ジョブズ氏こそいませんが、どの業界にも、どの世代にもカリスマリーダーは一定数、現れています。カリスママタイプのリーダーというのは育てるものではなく、出現するものなので、何もしなくても一定数は出てくるのです。しかし、重要なのはごく少数のカリスマリーダーではありません。社会のあらゆる場面で、自分の業務領域や身近なコミュニティ範囲において、大多数の普通の人が日常的に発揮する、「リーダーシップの総量」が足りていないのです。

頭よりも、論理的思考能力よりも大切なもの、それがリーダーシップという本質はこの「リーダーシップ総量不足」という日本社会が抱える一番の問題が存在しているからなのです。この「リーダーシップ総量不足」というのが全て、というより全てではないでしょうか。自分には関係ない、自分は関わりたくない、という人間のなんと多いことか!

( 日本人一人一人がリーダーシップを発揮して少子高齢化社会でも幸せになる仕組みづくり(1) )で私はまず何でもいいから「褒める」ことから始めましょう、との考えを示しました。( 日本人一人一人がリーダーシップを発揮して少子高齢化社会でも幸せになる仕組みづくり(2) )では危機的状況の行く末のイメージを日本人一人一人が共有するべきである、との考察を行いました。

この投稿では「リーダーシップ総量不足」を解決するため、我々日本人がリーダーシップを発揮する必要があることを強調したいと思います。上の記述に在る「公助」は将来的には無くなるという意識を持っていたほうがいいのではないでしょうか。「共助」の精神は確実に日本人一人一人のDNAに宿っています。しかし、それが発揮されるには大きな代償を支払う必要が在るかもしれません。

「共助」が発揮されることによって「自助」も発揮され、最終的には個々人も救われる、という気がします。伊賀泰代女史が挙げる「リーダーシップの総量が足りないという問題が、広く認知されていないことです。」という危機的意識は相当深い投げかけをしていると、私は感じました。日本人が、日本社会が変われるか、という大本の必要意識変化がここに在る気がするのです。

リーダーシップを身につけると

リーダーシップを身につけると、自分の仕事やライフスタイル、生き方のポリシーを、既存の組織や団体の器に合わせるのではなく、自分自身が実現したいと考える世界をそのままストレートに追求できるようになります。これはリーダーシップを身につけることの最大のメリットです。

リーダーシップを発揮すると

グローバルにリーダーシップを発揮すると、一緒に働く人も多様になります。自分とは異なる価値感を持つ人から学べることは多く、今までは知らなかった世界が目の前に出現します。リーダーシップをとることで、世界が広がっていくのです。

たいていの人は自分と似た人が多く属しているコミュニティで生活しています。しかし、リーダーシップをとって自分の活動領域が広がれば、自然と、異なる価値感をもつコミュニティに繋がりができます。大学や会社では出会えなかったタイプの人たちと、ボランティア活動を通して出会ったという経験のある人も多いでしょう。自分でハンドルを握り、あちこちに出かけるようになれば、今までには知り得なかった多くの世界を、体験することが出来るのです。

想像して創造すれば君は何処へでも行ける!

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