日本人がリーダーシップを発揮して少子高齢化社会でも幸せになる仕組みづくり(1)


リーダーシップ

日本人がリーダーシップを発揮して少子高齢化社会でも幸せになる仕組みづくり(1)

賀泰代女史著「採用基準」を読みました。マッキンゼーのことばかり書いているのかなぁ、と初めのうちは思いましたが中盤からはリーダーシップのことについて書かれた本だということに気が付きました。地頭よりも、論理的思考能力よりも大切なもの、それがリーダーシップというのは納得です、というより一読して納得しました。

日本は他人任せの国ですから、思うように社会は変化しないし、誰も責任を取りたくないので無難な選択、現状維持を決め込みます。どうせこのまま少子高齢化社会を迎え、いつ貰えるか分からない年金やこれから生活費を圧迫するであろう増税を心配してもしょうが無い。誰も本当のことを教えてくれないし、自分でもどうすることも出来なから・・・

だから皆と一緒になぁなぁで過ごしていけばいいさ、どうせ沈むときはアイツも一緒だろうからさっ。全てとは言いませんが殆どの人がこのような思考停止状態じゃないでしょうか。リーダーシップが一人一人に求められていることは理解出来ました。一人一人がリーダーシップを発揮した日本の社会は怖いものなしに進化し続け、満足度の高い人生に多くの日本人が満たされている可能性、充分に有り得ます、リーダーシップを国民一人一人が発揮できれば・・・

ロードマップというかマニュアルみたいなものは無いんですか、リーダーシップを発揮する上での、ということで伊賀泰代女史著「採用基準」を私なりにまとめてみました。近い将来、多くの日本人が、「誰かやるだろう、私には関係ない」という精神構造から「私がやります、私にやらせてください!」という状態になるでしょうか?

危機感を共有できれば主体的に何とかしなくては、と行動を起こすかなぁ・・・国債暴落とか、ハイパーインフレーションとか、超円安とか、このままでは現在の生活を維持できないとなったら・・・でもそのときには既に時遅しという感じもしますが・・・誰かがやってくれるだろう・・・自民党ですか?民主党ですか?

  • 構築型能力とは
  • 成果目標
  • 変化に対して主体的であれ
  • 最初の一人になる
  • 自分が声を上げる

構築型能力とは

現状分析能力があっても処方箋を書く能力がないと現状というコインを裏返しただけの解決策しか出てきません。例えば、「海外製品に比べて価格が高いから売れていません」(現状分析)→「では更にコストを削減し、原価を下げましょう」といった具合です。

そうではなく、コストの高い日本で利益を出せるほど、高い付加価値が得られるビジネスとは、どのようなビジネスなのかということを考え、これまでには存在しなかった、儲ける仕組みを新たに設計して提示することなどが、処方箋として必要になります。

そのためには、深く掘り下げるという現状分析作業とは反対方向の思考である、「今は存在しない世界」をゼロからイメージして組み上げていく思考が求められます。構築型の能力とは、「独自性があり、実現した時のインパクトが極めて大きな仮設を立てる能力」(仮設構築力)であり、「ゼロから、新しい提案の全体像を描く構想力や設計力」です。

政治や経済の現状について、「ここがよくない、あそこが悪い」と指摘したり、「なぜうまく回らないのか」と分析することは難しくありません。しかし、「ではどうすればよいのか」、「全体としてどのような仕組みを作り上げれば解決できるのか」、包括的に提示することは容易なことではありません。

アカデミックな世界だけではなくビジネスの世界でも、問題の指摘や問題が起こるメカニズムの現状把握に加え、「あるべき姿の提示」や「新しい仕組みの設計」を行う能力が求められているのです。

方創世のここがいけない、あそこがいけない、ではどのような解決策をあなたは持っているのですか? 労働人口減少、出産率低下、移民も受け入れない、どのような社会システムが必要なのでしょうか? 日本人は多いんです、駄目出しだけする人。これはどうでしょう、否きっとダメだよ。このアイデアはいかがでしょう、全然ダメ、問題外だよ。このような計画を立てました、ダメダメ話にならない、上手くいくわけないんだから、分かってないなぁ。

駄目出しする人、お願いだから代替案を出しませんか? 私ならこうする、私のアイデアはこうです、こうしてはどうですか、ここの部分は認めますが、ここをこのように変えてみるっていうのはいかがでしょう。このような代替案を駄目出しする人は必ず用意してください、あなたのアイデアを。じゃないと進まないんです、良い方向に少しでも持って行こうとする勢いやモチベーションが。

成果目標

成果目標とリーダーシップの関係は、営利企業が目指す成果に限定されるものではありません。例えば日本でもチームスポーツにおいては常にリーダーの力量や言動が注目されます。これは競技スポーツにおいては、「勝利する」という成果目標が明確であり、ごく自然に全員に共有されるからです。

また災害が起こった時に、「一人でも多くの人命を助ける」ことも成果目標ですし平和的ではありませんが、「戦争に勝利する」も成果目標です。外交において、「自国の主張を国際社会に認めさせる」も会計基準の統一において「日本の事情を国際ルールに反映させる」も重要な成果目標です。こういった明確な目標があり、その達成の難易度が高ければ高いほど強いリーダーシップが求められます。

日本では、本来、成果目標を問うべき状況であるにもかかわらず、その目標が明確にされないために、皆が“和”を優先し、誰もリーダーシップを発揮しないことがよく起こります。

果目標、わかりやすいと思いませんか? 最終的にどのような状態で居たいのか、どのような結果がほしいのか、どの程度まで問題解決が行われていればいいのでしょうか? 危険ドラッグは日本社会から徹底的に追放させることは成果目標になるでしょうか? オレオレ詐欺を日本社会から無くすことはどうでしょう、成果目標になりますか? この場合は誰のための成果目標でしょうか? 高齢者だけの問題でしょうか?

日本社会、問題山積みです。一つ一つの社会問題に対して、最終的にどのような状況にまで持って行きたいのか、日本人としての、日本社会としての成果目標を国民全体で設定、共有できれば、案外問題解決は早いような気がするんですけどいかがでしょう。方向性さえ示してあげれば日本人は器用に皆で協力できると私なんかは楽観してしまうんです。

まだまだお互いの顔色を伺う余裕があるんですかねぇ、日本人の間に。誰一人として辛い、と本音を漏らさない。だから我慢の限界に達するまで逆に耐えそうで怖いです。どうです、ここは一つお互い本音で語り合って協力、この危機的状況を一刻でも早く脱して、皆で幸せな生活がおくれるように行動しませんか、と音頭を取る人、出てくるまで待っていてはダメです。

あなたがなるんです!そうするとあなたのような人が一人、また一人と集まって大きな勢いになりますから。アメリカ社会は考える前に行動するんです、というか行動しながら考える。日本社会は行動する前に考え過ぎなんです。だから動くきっかけを待つ状態に陥り、最終的になにもしないで終わってしまう。とりあえず行動してみましょう、何かが見えてきますから!

変化に対して主体的であれ

「変化に対応する力のある人」を求めるという言い方がありますが、リーダーシップ・ポテンシャルの高い人を求めるという趣旨から言えば、変化への対応力が高い人ではなく、むしろ、「変化を起こす力のある人」が求められます。変わっていく社会に対応する力を持つ人ではなく、社会なり、組織なりを自ら変えられる人という意味です。

対応という言葉には、変化は外部からやってくるもの、という前提があります。しかしリーダーにとって変化は自分が起こすものであって、外からやってきて対処すべき対象ではありません。その人の立つ場所が主体側で在るか否かは、決定的に重要です。同様に、目標を誰かから与えられ、それを達成するために働くだけの人はリーダーではありません。リーダーにとって、目標は自分で揚げるものなのです。

化を起こすきっかけは外的要因で、というのはもう卒業しましょう。明治維新は列強各国が開国を迫ったからですか? 財閥解体は第2次世界対戦が起こったからですか? 次の外圧的きっかけ、外的要因は何にするんですか? 国債暴落ですか、ハイパーインフレーションですか、超円安ですか? TPPですか? 中国経済の威嚇ですか?

きっかけを待っている間に、消費税は確実に引き上げられ、日本の労働人口は縮小し続け、出生率も維持できないまま人口が減少し、かといって移民を受け入れることを拒絶する。今のままの最低限の暮らしができれば高望みはしないぜ、といつまで強がっていられるでしょうか?

ではどのような変化を起こせばいいのでしょう? 成果目標を設定すればいいのです、そうすれば自ずとではこれを達成するためにはこれを成し遂げる必要がある、これを成し遂げるにはこれから始めないと、成果目標までの道順なりプロセスが明確化してくるはずです。だからまずは行動なんです。行動しなければ、何がいけないのか、どこが問題なのかわかりませんから。

最初の一人になる

何にせよ、最初に一人となるのは負担が大きく、その立場に自らを置くと決めることは勇気のいることです。二人目なら一人目の結果を観て、「あそこに気をつければいいだな」とか、「ここが肝心のプロセスだ」と理解することが出来ます。様々なトラブルに巻き込まれるのも最初の人です。クライミングにおいて予定していたルートの岩場がもろくて崩れてしまうとか、プレゼンテーションにおいて機器の設定が間違っていて動かなかったなどの失敗は、常に最初に起こり、その後はすぐさま改善されます。一人目になることは、必ずしも得な選択ではないのです。

それでも「最初の一人になる」、「先頭に立つ」ことを厭わないのがリーダーです。集団の前で何か新しいアイデアが披露され、「誰かこれにトライしてみたい人は居ますか?」と問われた時に、周りの様子を伺うのではなく、すっと自分の手を挙げて、「私がやりましょう」と声を上げるのがリーダーです。

それは公衆の前に自らをさらし、結果がうまくいかない場合も含めて、そのリスクや責任を引き受ける覚悟があり、結果として恥をかいたり損をする可能性も受け入れる、受容度の高い人です。議論をする時に最初に発言する人、大勢が同じ意見を述べている時に異なる意見を発する人も同じです。

集団として何かに向かい合う際も、副委員長など二番手以下のポジションにいれば、メンバーからの反発や結果責任も、直接には自分のところにやって来ません。どんなトラブルもまずは代表者に向けられます。

リーダーというポジションを「目立ちたがり屋がやりたがるポジション」と考えている人は、リーダーとして先頭に立ち、苦労した経験がないのでしょう。リーダーは多くの場合、他のメンバーより圧倒的に大きな負担を背負い込んでいます。それでも成果を上げるために、最初の一人になろうとする人がリーダーなのです。

本社会がリーダーシップを発揮している個人をリスペクトしている空気を蓄えていく必要があります。あっリーダーシップを取ることって尊敬されることなんだという空気が日本社会に充満している必要があるのです。そのような雰囲気で育つ子供はきっと、「僕にも何かできることがあれば、私にも何かできることがあれば」と積極的かつ主体的になるでしょう。

ではどのようにしてリーダーシップを発揮することが奨励される社会になるのでしょうか? 私はまず褒めることから始めてみてはいかがでしょうと提案します。簡単です、まず何でもいいから褒める、ちっちゃなこと、ほんの些細な事でもいいんです、褒めましょう。日本人ってほんと褒めないですから・・・一日一回、何でもいいからまず褒めることからスタートです。

自分が声を上げる

こういった場面を眼にした時の言動によって、人は二つのタイプに分かれます。最初のタイプは、何らかの問題に気がついた時、「それを解決するのは、誰の役割(責任)か」と考えます。もう一方の人たちは、それを解くのが誰の役割であれ、「こうやったら解決できるのでは?」と、自分の案を口にしてみます。この後者の人を、リーダーシップがあると言うのです。

さぁ、ここまで読んでくれたあなた、褒めるなんて自分の柄ではない、と誰かに匙を投げますか。それともあなたがまず最初の一歩を踏み出しますか。まず誰でもいいから褒める、何でもいいです。褒めると自分の気持ちもハッピーになるんです、体温が上がるというか、そんな気、しません?!えっ、すでに行動に移したあなた!素晴らしいです、さすがです、と笑顔で私はあなたに語りかけています。そして有難う、とも・・・

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