日本人としてサッカー文化を育てていく覚悟


サッカー文化

日本人としてサッカー文化を育てていく覚悟

2014 FIFAワールドカップも日本国内で盛り上がったのだろうか? たかがサッカーだが日本国民が、日本人というアイデンティティーに誇りを持てる機会というはめったに無いことなので私はこのようなお祭りに盛り上がる日本人を観ることに違和感を覚えない。サッカー日本代表がFIFAワールドカップに出場して闘うことを経験してきた歴史はまだまだ始まったばかり。

しかし日本人のDNAには確実に刻まれつつ在る事実であることは喜ばしい気もする。少子高齢化社会到来ということを考えると、将来的に日本国内に好む好まぬに関わらず外国からの移民が増えることであるし、また多くの日本人も日本国外に仕事を求めて、新たな生活環境を求めて移住していく世の中になっていく。

日本国内で、移住した異国の地で、日本人というアイデンティティーを刺激する出来事を意識していく毎日を経験することになるかもしれない。そういった意味を考えると一ファンとしてサッカー日本代表に期待することも大きくなるし、勇気などといった精神面で励まされる場面も増えてくる。理解することは今の時点では難しいかもしれないが、FIFA ワールドカップ優勝のメリットは計り知れない。

一ファンとして、サッカー日本代表が強いとはどういうことかを理解すること

「自分たちがいかに井の中の蛙であったのか、みんなが気が付いたのではないかな。この4年間の歩みを改めて考えれば、1分け2敗という結果はなるべくしてなった、という印象だ。井の中の蛙状態になってしまったのは、選手だけの責任ではない。いまや日本代表は純然たるサッカーの代表チームではなく、興行的、ビジネス的な役割を大きく担わされている。選手は必要以上に持ち上げられ、弱い相手に対する親善試合で虚構の代表チーム像が作られていく。コンサート会場のような代表戦の雰囲気は、本当にサッカーを後押しするものだったかね」

「協会、メディア、スポンサー、ファン。それぞれが、日本代表というものを、もう一度見直すべき時がきているということじゃないかな。この敗戦は、変わるチャンスなんだ。本当に優勝を目標にするのなら、そこまでにどれだけの距離があるのか、真摯に見つめ、分析しなければならない。コパ・アメリカに招待されたら、参加しなければならない。興行よりも強化を第一に考えなければならない。負けたからこそ得られるものがある。ここで変革することが、このブラジルW杯に出場した意味だ」( セルジオ越後氏「この敗戦はチャンス。日本代表とは何かを今一度考えよ」

レベルの高いサッカーにたくさん触れること

日本選手が持ち前のテクニックを発揮できなかった最大の理由は、W杯のインテンシティ(プレー強度)の高さにある。W杯では、選手たちがボールを自分のものにするため、すさまじい勢いでぶつかり合う。また、ジャッジの基準はヨーロッパにあり、少々の身体接触ではファウルを取らない。アジア勢のなかでは大柄でフィジカル・コンタクトに強みを発揮する韓国でさえ、ベルギーには完全に当たり負けしていた。

また、メキシコやチリの選手は小柄だが頑丈な体格をしており、体の使い方がうまく、自分たちより大柄な選手にもほぼ互角に渡り合っていた。W杯の試合とJリーグの試合とでは、インテンシティにおいて大きな差がある。

攻撃の選手の場合は、アイディアの乏しさも痛感させられた。もちろん技術的、身体的な裏づけがあってのことだが、強豪国の選手は相手の意表を突くプレーを大胆にやってくる。そのような場合、日本選手は対応できないことが多かった。それは、Jリーグでは意外性あふれるプレーをする選手が少ないからである。( レヴィー・クルピが語る日本がW杯で実力を発揮できなかった最大の要因とJリーグへの提言

国際大会で勝つことの重要性

FIFAワールドカップ、AFC アジアカップとかで優勝することの意味は、日本人選手が欧州などの海外でプレーする上で非常に自分にとって良い環境が生まれることに繋がる。ブラジルやアルゼンチンが強いとその国の選手が移籍しても、欧州各国でサッカー選手として生きていくうえで住みやすくなる。

起用される上での差別なし、ブラジル人、アルゼンチン人優遇というか十分に戦力として適用してくれる、機能してくれると期待しているしまた選手も期待にこたえてくれる。日本のサッカー選手は、Jリーグで食べていけるから外へ出なくてもすむ、というのも変えていかないと。

民族のプライドを満たすスポーツや文化は大事!

と国が国境線をシェアしている場合、緊張感が発生するけどこれって軍事的には衝突がないにせよ、文化的、経済的にはプライドを傷つけられたりする。サッカーでもナショナルチームが強いとそれだけで胸を張れるというか大きくなくても国民に民族のプライドを満たしてくれるサッカーチームなり強い文化的象徴物があるため、非常に優雅に振舞うことができる。

このような感覚、日本に住んでいる多くの日本人には理解できないだろう。サッカー日本代表が本当に強くなるのは、そしてヨーロッパのトップクラブで多くの日本人が活躍するようになるのは、多くの日本人がこれからの経済激動期の世の中、海外で生活することを必要に迫られて選択した人が多く増えた場合だと思うんだけど、いかがであろうか?

FIFAワールドカップ、AFC アジアカップで負けようが、民族として馬鹿にされる機会、日本に住んでいれば感じる必要もないし、そういう事態にも自分は遭遇しない。まっ、しょうがないか、で終わってしまう。そこからの思考展開がない! 悔しさも、憎しみも民族レベルで経験したことが少ないから、わからないのは仕方がないとしてもこの先のことを考えると・・・

FIFAワールドカップも AFC アジアカップでも駄目とか、それも何大会も出場できないとか、予選負けとか。そうやって悔しいという気持ちが本当に日本国民が共有するようになって、自分たちのプライドを満たしてくれる強いスポーツや文化は大事なんだ、ということがわかるようになった頃に海外への移住組みも国民の3分の1になっているという状況になっている可能性もある。

教育を重視?

本代表の試合を観ているといつも感じるのが日本社会を象徴しているなぁ、というもの。ゴール前では譲り合い、シュートを打てるのにパスを出す。相手に嫌われたくないピア・プレッシャー社会、日本。試合中、選手同士で試合の方向性を変える思考力がない。監督に指示を仰ぐ、社長、支持をください受身社会、日本。自己表現が苦手、相手がその内わかってくれるだろう、コミュニケーション苦手社会、日本。

ホームは居心地がいいなぁ、海外遠征は時差ぼけとかあるから。フィジカルに日本は弱いからボールを廻そう。個人である状況を展開していく力不足。ドリブルで自ら仕掛けていく力、自らの運命を切り開いていける個人は日本社会には少ない。社会が悪いのか、政府が悪いのか?

個が強い集団の必要性、日本社会にも動きが出るはず

村俊輔がメキシコのようなサッカーが日本にはあっているかも、といっていたがそれだって個人の力抜きにしては組織プレーは生きてこない。個があまりにもカタにはまりすぎてしまっている日本人選手には、世界で戦うには無理がある。逆に個があまりにも強すぎると中田英寿のように浮いてしまうのだろう。自分が正しいと思うことならば、上へ自分の意見として正当性をもってぶつけるべき。

それともう少し個々が強引にいってもいいと思う。どうしても他の人に譲ってしまうプレーが多いように感じるんだけど、気のせいかなぁ。日本社会の延長をそのまま代表での試合にまで引きずっているような。皆に嫌われたくないプレッシャー。これが日本の社会はめちゃくちゃ強い。これじゃ個は育たない! 逞しい個が育つには型破りに自分の考えで進んでいかなくてはいけないし、そうする過程で精神的も強くなっていく。

それらの個人がマジョリティーになっていかないと、日本社会、日本サッカーは強くならないだろう。逆に言えば、そういう個の集団ができて初めて日本の特徴である組織プレーが生きてくるであろうし、本当の意味で強くなっていると思う。

個が強い集団ばかりだとまとまりがなくなるんじゃないか、といわれそうだが、だからこそそこで個人の教養が必要になるわけで、それは最終的には人間的な中身の問題で相手への思いやり、自分をどこまで律することができるか、勝負強さ、スポーツとしての文化的交流、日本人のプライドを保つこと、など人間的に相手への思いやりに繋がるのだと思う。

相手、他人に嫌われないように生きることは、個を殺していることであり、それは相手への思いやりではなく、単にこびているだけだと思う。一つの世界しか自分の居場所がないから、一つの価値観しか自分は体験したことがないから、視野が狭くなり、行動意識も卑屈になっていく。外と繋がる勇気を持てばもっと気が楽になるのに・・・

一つの生き方、一つの価値観というものを自分にも相手にも期待する日本人からもうそろそろ脱却しないと。海外から外国人が沢山日本国内にやってくる。海外へ移住していく日本人も増えていく。スポーツなどで日本国民的アイデンティティーを刺激されることの本当の意味を理解できるのはこのような社会の到来と共に、ということになるのかもしれない。

, , ,

Powered by WordPress. Designed by WooThemes