日本社会とアメリカ社会が個人に与える影響について


Social Dynamics

日本社会とアメリカ社会が個人に与える影響について

ウェブ人間論の最後の「おわりに」の部分の梅田望夫氏の言葉に自分の思考が反応した。

平野さんは「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人である。私はむしろ「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える。社会をどうこうとか考える前に、個がしたたかに生きのびられなければ何も始まらないではないか、そう考えがちだ。

だから「個の変容」を考えるときも、個がサバイバルするための思考の枠組みを得たいから「社会変化の本質をマクロに俯瞰的に理解したい」と強く希求する。「社会の変容」への対応という視点から「個の変容」をとらえようとする傾向が強い。しかし平野さんは「人間一人ひとりのディテールをミクロに見つめること」によって「個の変容」を考え、その集積として「社会の変容」を考えようとする。

社会のダイナミズム

メリカ社会と日本社会との違いで大きく差異を感じるのはその社会のダイナミズムである。アメリカは比較的社会全体がダイナミズムに動くため、その対応には個々が積極的にアジャストしてゆくか、または大きな流れのため気がついたらその流れに乗っていて自分の位置が変わってしまった、という感じなのか、いずれにしろ社会の変化が日本に比べて激しい。

例えば4年に一度のアメリカ合衆国大統領選挙で政権が変わろうものなら、その政党の政策をある程度実行に移していくため、社会もそれとなく変化しその社会に住んでいる個人はその対応に迫られる。あくまでも個人、 individualism 。最近の例ではイラクへの派遣であり、来年のアメリカ合衆国大統領選挙でのトピックで上げられるものとしては他に移民、妊娠中絶、同性愛、社会保障、国民健康保険、銃、教育などが人々の関心を集めるであろう。

社会が動いて個人が対応を迫られる、と書いたがアメリカでは逆の場合も数多く存在する。古くはベトナム戦争反戦運動やもうすこし古くなると人種差別問題などもあり、個人がアクションを起こし、それがマスとなって社会全体にアピールし、結果社会のほうが対応を迫られる場面である。いずれにしろ、アメリカ社会はやはりダイナミックに動くのを感じる。

これから社会を動かすであろう移民、妊娠中絶、同性愛などでは誰が得をして誰が損をするのかを観察していくと、そこに人の流れが見えてきて、アメリカ社会が動こうとする方角が見えてくる。お金の流れを見極めることも大事で、社会保障、国民健康保険、教育のほか税金に関する法律が変わる場合なども社会がよく動く。このようにアメリカでは個人が積極的に自分の暮らし、自分が守るべきものの質の向上を図ろうと個人が積極的に社会と関わっていく。

日本社会は変わらない

「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」 by 平野啓一郎

れはアメリカ社会でも同じ対応なんだけど、ちょっと日本のそれとニュアンスが違うように感じる。どういうことかというとアメリカは元々社会が動いているし、個がマスをもって訴えれば社会が動くという前提にたって対応しているようで、日本のそれは社会全体が中々変わろうとしないために仕方なくまず個人が変わっていくことから始めようではないか、というニュアンスに感じられる。

多くの個人が変われば社会もそれに気付き、変化していくんじゃないか、というような具体性がないというか希望観測的に感じてしまう。これにはきっと多くの個人がきっと何も変わらないよ、というあきらめの雰囲気がマジョリティーを占めていることにも原因があるのかもしれない。中々変わらない焦りというか、もしそのような焦りがあるとしたら、それは絶望からの焦りではないだろうか?

アメリカにも焦りはある。しかし多くの場合、その焦りは希望からくるように感じる。きっと今の状況より未来はよくなるはずだ、というようなオプティミズムを感じる。日本の社会はそんなに簡単には変化しない。だから一人ひとりが意志をもって変化を起こし、それを社会に反映させて日本の社会を変えていくんだろうけど、これだと今の20代から上の人間には期待できないだろうなぁ。

期待できるとしたら今の10代以下の人たちかも。物心つく前から世界に繋がるネットワークが存在していることは大きなアドバンテージになると思う。これらの世代が社会に関わるようになる年代になれば、日本の社会はもっとスムーズにいい方向へと変化するかもしれない。

日本にもアメリカにも既得権益の社会は存在し、エスタブリッシュメントが形成する社会も存在する。しかしそこが受けるであろう大きな変化に対しての動き出しはアメリカのほうが今のところ顕著なのかもしれない。

悲観的な日本人

、政府、会社、企業をあてにしてはいけない。それでは社会は変わらない。一人一人が変わらなければ。多分こういう考えの人はマジョリティーではないにしろ、日本にも存在すると思う。でも外の世界はめまぐるしく変化しているのに、中々変わろうとしない日本の社会に対する焦りなのかなぁ。やっぱりペシミスティックな印象を受ける。

ネガティブなんです。この場合のこの展開はこうなる可能性があるから、よって動かない。この場合にもこのような可能性がある。こんな感じで現状維持が選択されていく。

パイオニア精神のアメリカ

っきも書いたけどアメリカの場合は、白と出ようが黒と出ようがわからないが結果は必ずいい方向へと自分たちは進んでいるんだ、というパイオニア精神が社会のベースに流れている。その変化に対応できるやつは自分で対応していくし、さらにその対応していく個人が良いと思われる社会の流れに対して積極的にフィードバックをおこなうために後から遅れて対応してくるマジョリティーにも広い意味で受け皿が構築されている。

社会全体が活き活きとしているというか。もちろんそんなアメリカだって人間が営む社会だから凹むよ! 911アメリカ同時多発テロ事件の後だったり、人種差別、犯罪、ドラッグ、銃社会にイラク問題といろいろ抱えているのも事実。この大変化に適応できない人も多数存在するし、これからのアメリカは本当に大丈夫か?と不安に思っている人もたくさんいる。

しかしそれらの問題を現実的に捉え、どうすればいいのだろう? というようなみんなで解決していこうというようなエネルギーも同時に感じる。これはやっぱりオプティミスティック?

希望か、絶望か

本でもこのような動きを最近では観れるんじゃないかなぁ? 何が違うんだろう? それらの問題に対して大人たちが真剣に向き合っているかいないかの違いであり、その大人達がマイノリティーで社会からは見えない存在なのか、それともマジョリティー的な形成を構築しつつあり、社会に対してある程度のインパクトを与えられる存在なのかの違いだと思う。

自分の住んでいるコミュニティーに参加する。アフターファイブの時間の使い方。パブリックへと自分を積極的にコミットする努力があるかないか? 希望からの焦りに対する個人対応と、絶望からの焦りに対する個人対応。アメリカ社会に住んでいる個人と、日本社会に住んでいる個人とではこれから起こるであろう社会の大変化に対する各個人の適応はこんなにも違う。

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