東アジア共同体ではどの言語が話されるのだろうか?

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東アジア共同体

東アジア共同体ではどの言語が話されるのだろうか?

年恒例となりつつある元旦に行われるNHKでの討論番組、今年のタイトルは「生激論2010 にっぽん大転換!?」であり、今年もアメリカでTVJapanを通してみることができたので見てしまった。ゲストの顔ぶれが去年とは変わって少なくなっていたのは予算の関係だろうか?

菅直人(副総理・国家戦略担当)、金子勝(慶応義塾大学教授)、東国原英夫(宮崎県知事)、安藤忠雄(建築家)、塩川正十郎(元財務大臣)、永守重信(日本電産社長)、川本裕子(早稲田大学大学院教授)、マエキタミヤコ(コピーライター)。

アジア重視か、アメリカ重視か

々のトピックをテレビ枠内という制限時間内で収めていくため、議論も中途半端で終わったりしてたんだけど、僕が気になったのが日本はこれからアジア重視にしていくべきか、それともアメリカ重視にしていくべきか、という討論のところ。大方の見方として軍事的にはアメリカのプレゼンスに今のところ日本は頼らなくてはいけないというもの。

これには納得! 普天間基地移設問題などもあるけれど、仮に日本から在日米軍のすべていなくなったとしても日本の自衛隊が使う軍備などの大まかな装備を米軍から提供されたものにしておけば、という最終的なボトムラインはアメリカの中でも構想として入っているのではないだろうか?

マスターコントロール部分はいつでも米軍がオーバーテイクできるような仕組みさえ残せることができれば、たとえプレゼンス的には日本国内に米軍を配置できなくなったとしても、充分日本の自衛隊が使用するアメリカからの軍事関係装備を通して監視することができる。ちょっと想像すると恐いけれど、非現実的かな?!

東アジア共同体

してアジア重視に比重を置く、というポイントとしてあげたのが経済と文化の融合関係を築いていくというもの。そこで話題に上がってきたのが東アジア共同体という民主党がバックアップしている構想。EUの例を出してきたり、技術移転にしろ日本の今後を考えるにしろ、アジアに重点を置くことは重要、という認識ができているのは理解できたんだけど、もっと具体的なことに注意を向けなくていいのかなぁ、という疑問が湧いてきた。

例えば、民主党が掲げるマニフェスト通りに東アジア共同体へ経済と文化の融合目指して日本はシフトしていく、としましょう。問題はそこで話される言語は何になるのか? といったもっと現実的な問題。東アジア共同体にコミットしていくとして日本は限りなく話される確立の低い日本語だけを頼りに準備を進めてもいいのか?

華僑の存在

番の可能性は中国語だろう。経済も文化の東アジア共同体の地図を見るとほとんどの国が大中華経済圏の中に入っている。大中華経済圏の支配は中国国内だけの話しではない。華僑という存在を知れば、シンガポールも、マレーシアも、インドネシアも、タイも皆華僑がそれぞれの国で経済を動かしている。

シンガポールは国を挙げて中国に直接投資しているし、マレーシアやインドネシアに至っては商業関係、マーチャントはほとんど中国系である。中国系マレーシア人、中国系インドネシア人、と広東系だが中国がオフィシャル言語としてマンダリン(Mandarin)を指定して以来、広東系人々も積極的に北京語を習得するようになり、タイ通貨バーツは別名華僑マネーといわれるぐらい中華経済の影響を受けている。

このことからもわかるように幾ら東アジア共同体構想といってもそれぞれの国で支配している経済支配図を眺めてみれば大きな大中華経済圏が否が応でも目に付くことになる。ここがアメリカなんかが危惧しているところで、日本としては多くの国が存在している東アジア共同体だと主張しても実際には中国のプレゼンスが東南アジア諸国まで存在している。

ここにインドやオーストラリア、ニュージーランドが加わればそれらの国々のプレゼンスの影響も手伝って英語というもう一つの言語も選択肢として加わりそうだが、東アジア共同体で日本語が共通言語になることは非現実的だといわざるを得ない。

東アジア共同体反対意見多数

国境を取り除くことでどのようなことが起こるか。ごく一部の例を言えば、日本の医師免許を持っている人が、中国や東アジアの国で開業できる。逆に中国の医師免許を持っている人が日本でも開業できる。また中国で国語を教えている人が、日本に来て中国語を教える。

そのように国境を越えてプロフェッショナルな仕事を行えることを、加盟国がすべて認知していかなくてはいけない。この認知が日本でできるだろうか。日本人にそういうことに対する受容性があるかどうかを検証し、一つひとつ確認していく必要がある。

民衆党マニフェスト「東アジア共同体」とは

その時の意識のままアメリカやEUに対抗すべく、東アジアにも地域経済ブロックが必要であると主張しています。一見正しいように思いますが、「東アジア共同体」は野蛮国中国の大中華戦略にまんまとはまってしまうことになります。共同体で主導権を握りたい中国はインド・オーストラリア・ニュージランドの参加を排除して日本・韓国のみで発足させるつもりです。中国が熱心に進める「東アジア共同体」とは、日本を中国などと単一の国家連合にする事が最終目的なのです。

・・・中略

日本が中国や韓国と同じ一つの共同体になるということは、各国の国民が他国に自由に出入りできるということです、あの中国人や韓国人が自由に日本にはいってきます。人間もどき異質のマナーの悪い13億の中国人民が日本列島に自由に入国できる状態を想像しただけで、身の毛もよだつ恐怖以外の何ものでもありません。

・・・中略

あなた達が組もうとしている中国は長年にわたり幼い頃から家や学校など、あらゆる生活の中で「日本は中国を侵略した」「日本は大虐殺を行った」「日本は歴史の改ざんを行っている」などといった知識を叩きこまれて育っています。同時に「中華民族および中国文化の素晴らしさ」「「中華民族の精神」「毛沢東の功績」なども叩きこまれて教育されています。

長年の反日教育を受けてきた中国人達が日本人を忌み嫌い、復讐の念に固まっている人たちと(韓国も同じ)日本が中国や韓国と単一の統合国家になる共同体構想など悪い冗談以上のなにものでもありません。

その上中国はわが国に多くのミサイルの標準をあわせ、原子力潜水艦が日本近辺を徘徊し、東シナ海ガス田を吸い上げ、尖閣列島、沖縄の侵略を虎視眈々と狙っている国なのです。中国の本性は侵略的国家であり、目的は「日本侵略」なのです。中国が熱心な「東アジア共同体構想」は戦わずして日本や韓国を日本省、韓国省にすることなのです。

うもこれらの議論、日本が鎖国政策から開国へと向かうときに恐れた黒船と似たような状況のように感じられるのは僕だけだろうか? 黒船がアメリカ、ヨーロッパ列強国を象徴するものではなく、中国からの威嚇だったとしたら?

中国に支配されると恐れている人たちは、現在日本という国がアメリカに文化的にも経済的にも支配されてしまっていることに気付いているのだろうか? アメリカの属国とまでは言わないけれど、プエルトリコに近い存在になりつつある日本をどのように思うのだろうか?

村上龍氏の「五分後の世界」からの引用

沖縄を犠牲にして無条件降伏した場合は、最終的にアメリカの価値観の奴隷状態になるという予測がでました、経済的な発展のレベルは何段階かありますが、結果は基本的に同じことで、つまりアメリカ人が持つある理想的な生活の様式を取り入れて、そのこと自体を異常だと気づかないということ、文化的な危機感は限りなくゼロに近づいていくので、例えば日本人だけが持つ精神性の良い部分を、アメリカが理解せざるを得ないような形にして発信するという可能性はなくなります。

そうですね、アメリカでとてももてはやされている生活のスタイルがそのまま日本でももてはやされる、それに近い状況になるということでしたね。

政治的にはアメリカの顔色を伺ってアメリカの望むような政策をとるしかなくなる、外交面では特にその傾向が強くて、日本の政治力、政治的影響力は国際的にゼロかもしくはマイナスになります。マイナスという意味は、日本の外交能力のなさ、外交政策決定力のなさが国際的なトラブルの原因になることもありえるということです。

具体的に言うと、アメリカ人が着ている服を着たがる、アメリカ人の好きな音楽を聞きたがる、アメリカ人が見たがる映画を見たがる、アメリカ人が好きなスポーツをしたがる、ものすごく極端に言えば、ラジオからは英語が流れて、街の看板もアルファベットばかりになり、人々は金色や赤に髪を染めて、意味もわからないのにアメリカの歌に合わせて踊る、というところでしょうか。

そしてそれが異常なことだと気づくことができないくらいの奴隷状態に陥る、それにしてもあなたを見ていると、やはりシミュレーションに過ぎないということがよくわかります、あなたは髪を金色に染めたりしていません。

国からの支配を恐れる前にもっとすることが他にもあるだろうと! 日本が主体国家になるというか、成長した大人の国家になるということではないだろうか? これができないようだと今度は中国がアメリカに変わって日本のお兄さんになる、いやアメリカのお兄さんもその位置を譲らないだろうから、日本は二人のお兄さんに従いながら生きていくことになってしまう。

中国語か英語は必須

うなると日本はもたもたしている暇なんかないし、民主党は宣言してしまえばいい、日本は東アジア共同体へと経済も文化も融合していくしかこの厳しい世界情勢の中、サバイバルする方法はありません、ここで若い世代に期待、活躍してもらうために協力が必要です、と!

これからの若い世代には中国語か英語はできて当たり前ということを目標として国が方向性を認めてしまう。日本語以外に中国語か英語ができないとこれから先は厳しいでしょう、と!

内向き、下向き、後ろ向きの学生は一気にやることが増えるので少しは元気が出るんじゃないだろうか? くだらないテレビを見る暇なし! 果たして今現在就職難だと嘆いている学生諸君の中でどれぐらいの若者が英語、または中国語でビジネスレベルで戦える戦力を備えているのか?

インドのどこどこの都市へ行って新しいオフィスを開設して来い! これこれの人材は現地で調達、ある程度ビジネスを気道に乗せるまで日本へは戻ってくるな、といわれて即実行できる人材が存在するのだろうか? 中国語でも同じである。

こういう人材が育ってくれば東アジア共同体内を動き回ることも当たり前になり、エネルギーが有り余っている若者にはもってこいの与えられた仕事になりえると思う。大中華経済圏を駆け回り、インドやオーストラリア、ニュージーランドなどの英語圏を駆け巡り、日本の経済や文化を東アジア共同体へと融合させるために疾走する。

サービス産業へシフト

本語だけしかできない日本人も数多く存在するようになるから、東アジア共同体からフィードバックされる情報だったり、経済、文化の面で中国語、英語ができる人材はそのクッション役になってあげる。雇用もこれで随分と解決されるのではないだろうか? 今の日本経済の製造業中心としたGDPを次の産業、サービス産業に変えていくためには人と人の繋がりのところで雇用を創造していくしか方法がないのでは、と思ってしまうのだ。

東アジア共同体の国々へと走っていける中国語や英語のできる人材と、東アジア共同体からのフィードバックを一旦日本へ導入する前に日本仕様にカスタマイズしてあげる人材、そして日本から東アジア共同体へフィードしていくのをサポートする人材。日本の何を守り、何を東アジア共同体仕様にカスタマイズさせていくのか? 何を日本の文化、経済、仕組みの中へと取り入れていくのか?

スイス人は多言語話者 (multilingual, polyglot)

イス人は3ヶ国語、4ヶ国語話せて当たり前の国民性。フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語とこれに英語が加わる。スイスを囲む周りの経済圏、文化圏と融合していかないとサバイバルできなかったのだろう、いやそれらの特質をアドバンテージと捉えて積極的に適応していったと思われる。

日本語が通じる範囲

アジア共同体で話される言語はなんだろうか? 中国語に英語、これは当たり前の現実であり、日本人は積極的にその言語習得のために励まなければいけない。これを実現できれば今後どんなに大中華経済圏が拡大しようとも、日本経済圏、日本文化、そして日本語さえもサバイバルしていくことができるであろう。

逆説的だが日本語を母国語とする言語体系ができてしまった人物が日本語以外の言語を新しく習得しようとする場合、扱える日本語言語能力以上、他の言語を習得することは無理だと思う。

陳腐な日本語しか扱えない人は陳腐な中国語、英語のレベルまでしか上達しない。日本語で扱える言語能力が高ければ高いほど、習得する中国語、英語のレベルもそれ同等のレベルにまで発達することができる。

だからこそ日本語が大事なのであり、陳腐な日本語しか扱えなくなっている若者たちにもっと危機感を持つべきである。子供の頃から中国語、英語が母国語となった日本人が増えてしまうとき、日本語は初めてその存亡の危機に立たされることになるであろう。

日本語は日本でしか通じないという当たり前の事実。このことのディスアドバンテージに気付いているだろうか? 違ったバックグラウンドで育った人が共通の言語でコミュニケートできることの凄さ。意思の疎通であったり、といった共同作業で何かを創造していく場合、共通の言語を扱い蜜にコミュニケートしていくことは本当に大変な作業であり、重要な事柄なのだと思う。

スペイン語ができることの意味、大きいアドバンテージの事実を理解できるだろうか? 中南米の人たちとコミュニケートできるのメリット。英語ができればイギリス、アメリカといった違った文化で過ごしてきてもお互いに発する言葉の中から逆に違いを発見して新鮮さを味わうことの凄さ。

こういったことを考えるとどうも日本で行われる議論がどうしても日本側からだけの視点、つまり一方的で片思い的な視点に陥ってしまわないか? という疑問がどうしても浮かんでくる。東アジア共同体に属する国々からの視点は考慮されているのだろうか? 何を日本に期待しているのか? とか、どういうことを日本にしてほしいのか? ということだったり。

それを探り合う、確認しあう、理解しあう、手段として共通語が必要なわけで、そこで話される言語は何か、ということの想像力が働けば、単に東アジア共同体における議論を積んでも日本側からの希望的観測だけで終わってしまうと思うんだけどいかがだろか?

新しい言語を習得することの意味は広くその言語が話される文化や習慣を理解することなどに繋がる。日本語に加え、中国語や英語を使って違うバックグラウンドで育ってきた人たちと何かを一から創造することは凄いことなんだけどなぁ。大変だけどこれからのトレンドになると思う!

だからエネルギーと時間のある若者にこそ、こういった自分への投資に励んでほしい。こういったスキルを持った日本の若者がそれこそマジョリティーになれば社会的雰囲気にエネルギーが満ちるのを感じることになるのではないだろうか?

そいういったポジティブなエネルギーはきっと社会をダイナミックに変えてしまうエネルギーになり得る。若者が動くことで日本に停滞している古い価値観をがらりと変えることができる!

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