知のオープン化、人類が進化するために知識を共有する


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知のオープン化、人類が進化するために知識を共有する

のエッセイ( オリジナルなアイデアからヒントを得てそれ以上のものを創造する  )の最後の記述では次のように書き置いて、続きを読者に想像させるように意図した終わり方をさせていただいた。

“仮にアイデアを永久に止めておくことはできない、とするならば「知のオープン化」は必然であるべきであろう。創造力といった武器、誰にでも備わっている武器を研鑽することがこれからの情報化社会をサバイバルするキーワードだとすると、その「知のオープン化」を先取りし、盤上で自らの頭脳を実験の場として活用している棋士たちの思想に興味を抱かざるを得ない。”

真理を追究する科学者集団の様相

羽生は、きっと若き日に七冠を制覇する過程で、一人で勝ち続けるだけではその先にあるのは「砂漠の世界」に過ぎず、二人で作る芸術、二人で真理を追究する将棋において、「もっとすごいもの」は一人では絶対に作れないと悟ったのだ。そして「もっとすごいもの」を作るには、現代将棋を究める同志(むろんライバルでもある)が何より重要だと確信した。「周りに誰も居なければ(進むべき)方向性を定めるのがとても難しい」からである。そして、同志を増やすという目標を達成するための「知のオープン化」思想が、そのとき羽生の中で芽生えたのだと考えられる。

そして、升田「一人だけ」の先見性にすぎなかった現代将棋の源流は、次第に将棋界全体の「大きな流れ」になっていくが、こうした羽生の心の進展が大きな契機となって、将棋における「知のオープン化」も同時に進み、現代将棋を究める羽生の同志である棋士たちは、「ゲノムかなんかの解析をやってるんじゃないか」「ある手について“よし、ここは解析終了した”とやっている」という羽生の比喩通りに、真理を追究する科学者集団の様相を呈するようになった。こんな流れを経て、現代の将棋の世界は、「社会現象を先取りした実験場」という性格を帯びた、私たちにとってのたいへん貴重な場として生まれ変わったのである。(梅田望夫氏著「シリコンバレーから将棋を観る」)

知のオープン化

者はどうして“現代将棋の世界を社会現象を先取りした実験場”と感じたのだろうか? ヒントは“知のオープン化”というところにあってきっとこれからの世界、デジタル化が社会の様々な場所で浸透していくとき、それらの変化に適応させるコストが限りなくゼロに近いから、ということと関係があるように思われる。

そうするとあらゆる情報が、この場合はInformationが誰にでも低コストで手に入るようになるからそれらの情報をどのように活かすのかはその個人の力量によるところが多くなる。ウェブリタラシーの分野で人よりも知識が備わっているのならば、ネットの世界でその個人は人よりも有利に行動することができるであろうし、ファイナンシャルリタラシーならばその個人は混沌とする世界経済の中から有利な情報を汲みだし、お金がお金を生む、というその個人にとって経済的豊かさの恩恵をもたらす起因として働くのかもしれない! InformationがIntelligenceというニュアンス、つまり異なる環境への適応能力(知性)という形でその個人に還元する。

仮りに将棋の世界のように見返りを求めないある分野での発展を求めるならば、例えば日本の教育分野、ベンチャー企業環境、医療、福祉、国際政治などの分野で日本の現在における立ち居地をもう少し改善させたい、という願いがあったとしたらどうだろうか?

教育分野では一人が優れた教育方法を見出し、それをその個人の手元に置いておく事は経済的有利性を考える場合、その個人にとっては必須かもしれないが、もし日本全体の教育機関レベルの底上げを願うという必要性をその個人が感じたとしたらどうだろうか? きっとその個人が持っている知識、知恵などが“知のオープン化”という形をとってマジョリティーからのアクセスが容易にできるような環境へと寄与していくことであろう。

“もっとすごいもの”を創造するには他人、周りの環境を触発するように仕向け、何かの偶発性を期待しつつ、その環境に属する個々人の知的部分を刺激してあげる。こうすることによって、その分野での、あるフィールドでの全体の底上げが行われ、この競争が激化している世界で優位性を保てる唯一の方向性なのかもしれない。

日本社会の特徴である縦割りの文化が、風通しのよい横のつながりを意識したフラットな環境へと適応していくとき、社会の至るところで様々な日本人気質固有の改革(Innovation)が行われたとき、日本社会はダイナミック性を含んだ競争力のある個人を生み出す仕組みへと変化しているであろう・・・

すべてをさらけ出す勇気、そしてすべてをさらけ出しても自分には考え抜く力が備わっているから、その意志さえ持続させることができれば、自分は沈まないという希望を一人一人が持てればいいんだけど、今の日本社会を覆う閉塞感に希望のなさではリスクを取ろうと行動しないだろうな、というのも理解できる。うーん、・・・

将棋界は社会現象を先取りした実験場

そんな営みを続けていたからこそ羽生は、「情報革命」についての最先端の思想を、自らの頭脳の中からオリジナルに創出できたのだろう。そのエッセンスの一つが「高速道路論」だったわけである。そのほかのテーマでも、例えば世の中の進歩と知的財産権の在り方の関係について、羽生はこんなことを語っている。

“みんなで強くなってる感じはありますね。そのときに、「知識の共有が最適の戦略だ」と皆が認識するかどうかが、すごく重大な問題だと思うんです。「俺の秘策は教えない」とかいう人が出てきたら、オープンにすることで一緒に成長するという前提が崩れてしまうので。(中略)権利関係がないお陰で、ここまで急速に進化している面もある。あまり厳格に決めないほうがいいとも思うんです。だから、「知的財産権をなくした世界はどうなるのか?」というモデルケースとしてみてください。「自分が隠し持っている意味は余りない」という世界で、いったい何が生まれてくるのか。”(二宮清純との共著「歩を「と金」に変える人材活用術」

将棋の世界は、いくら新手を創造しても、それを特許や著作権で守ることなどできない。しかも誰かがどこかで一度指した手は、瞬時に伝達されて研究される。しかし、そんな「情報革命」が進行するこの厳しくて大変な時代も、皆で一緒に進化・成長できる良い時代と考えることができる、こういう時代を生きているからこそ将棋の真理の解明も早く進むのだ、そう羽生は認識しているのである。

先に述べた「高速道路論」においても、将棋の世界の「学習の高速道路」が、社会全体のほかの領域における「学習の高速道路」よりもどんどん整備されているという意味で、将棋界が「社会全体でいずれ起きることを先取りした実験」をしている、と見ることができる。そういう時代こそ創造性が何にも増して重要であると、羽生はこんなふうに語る。

“創造って、手間も時間も労力もものすごくかかるから、簡単に真似されると報われません。私も対局で新しい試みをやるんですが、ほとんど上手くいかない。仮に上手くいっても、周囲の対応力が上がってるので厳しいものがある。効率だけで考えたら、創造なんてやってられない。(中略)でも、逆に考えると、創造性以外のものは簡単に手に入る時代とも言えるでしょう。だから、何かを創り出すのは無駄な作業に見えるけど、一番大事なことなんじゃないかと。それ以外のことでは差をつけようがないので、最後は創造力の勝負になるんじゃないかと考えています。”

厳しいながら、権利のない世界のほうが進歩が加速する。だから、進歩を最優先事項とするなら、情報の共有は避けられない。そういう新しい世界では、「効率だけで考えてたら、創造なんてやってられない」から、一見モノマネをして安直に生きるほうが正しいかのようにも見える。「状況への対応力」で生き抜くのが理にかなっているようにも見える。しかし、無駄なようでも創造性を生もうとする営みを続ける以外、長期的には生き残るすべはない。突き詰めていけば「最後は創造力の勝負になる」のだと、羽生は考えるのである。(梅田望夫氏著「シリコンバレーから将棋を観る」)

知識の共有という概念

利関係がないお陰で急速に進歩する、知識の共有が最適な戦略。上にあげた将棋の世界もそうだがかつてなかった社会現象として一番社会に貢献しているものといったらオープンソースの世界がまず浮かんでくる。インターネット、デジタル革命が発展したお陰で情報の飛躍がものすごいスピードで人々を刺激し、社会に還元されていく。

ネットの世界で言えば、僕がこのブログで使っているWordPressもそうだし、ブラウザーのFirefoxもオープンソースだったが故にマイクロソフトのエクスプロラーを追い越すまでの力を付けることができた。世界中のウェブサーバーで利用されているApacheやLinuxがなければここまでネットで繋がった世界は構築されなかったかもしれない。

このように将棋界における「学習の高速道路」が社会の至るところで整備され、誰にでもアクセス可能な状態になったとき、一番恩恵を受けやすいのがこれから知的な世界で成長してくる子供たちではないだろうか? 英語、数学、理科、社会、国語、といった分野で学校の先生よりも、親よりも、自分の知的好奇心を満たしてくれる存在がネットの世界に広く分布していることを発見した子供は自発的に自分の有意義な時間を、ネットの向こう側にある知の世界へと没頭させてゆくに違いない。

英語の世界ではこの革命が顕著に進歩、飛躍しているのを手にとるように感じることができるので、日本語のそれと比べたとき、「シリコンバレーから将棋を観る -羽生善治と現代 」の著者梅田望夫氏は悲観的になってしまうのだろう。

ネットにアクセスするデバイスのチープ革命により、これから世界の至るところで人々の革新が行われるかもしれない。アフリカはヨーロッパの植民地時代を引きづったままでこれからも一部の既得権益層が金持ちになるだけの大陸だ、と思考停止状態に自分を陥らせることは危険だ! 社会の広範囲に富の分配が行われるまで時間がかかるかもしれないが、アフリカ大陸での人々の知的レベルは、先進国の若者のそれと変わらないレベルにまで達するに違いない。

南米も同様、貧乏人がマジョリティーなこれらの国の人々を知的に武装させることなんて不可能、と思っていると将来のビジョンが見えてこない。ネットにアクセスできる環境が整ったとき、知的な世界へのアクセスを人々が簡単に日常生活に取り入れることができるようになったとき、スペイン語ではなく、ネット世界での共通言語、リンガフランカ(Lingua franca)となりつつある英語の環境から人々は恩恵を受けることになるであろう。( $100ドルPCが新世界を創造する )

世界は当たり前のようにフラット化していくのだ! そのフラット化の世界で手に入る様々な叡智を自分たちの国、社会、国民が発展するために何とか活かしたい、という若者はこれらの国々で必然的に現れ、社会の景色を変えていく。

視野を広げる

造力、これほど曖昧でつかみ所のない概念がキーワードとなっている時代がかつて存在していたであろうか? ちょっと前になるがトーマス・フリードマン氏のブログに載っていた創造性に関する記述は参考になると思われる。

“To be creative requires divergent thinking (generating many unique ideas) and then convergent thinking (combining those ideas into the best result).”And where does divergent thinking come from? It comes from being exposed to divergent ideas and cultures and people and intellectual disciplines.

野を広げる、自分のフィルターを磨く、様々なものに触れる機会を自分に設け、感性を磨いていく。こうすることによってある事柄がその個人の持っているフィルター内の情報を触発し、右脳が繰り出す直感的なアウトプットも手伝って、想像を超えた創造力となっていろいろなものにInnovationが加えられていく。

創造するには自由な雰囲気が伴わなくてはいけない。権利を主張する世界には様々な制約が存在し、人々の創造性を抑制している。本当に社会発展、そこに住む人々の生活様式などの発展を望むのであれば、アルゴリズム的な環境よりもヒューリスティックな環境を構築し、そこで発生するであろういろいろな可能性を試行錯誤して新たな解決策を考案するよう仕向けていく必要がある。

ビジョナリー・羽生善治

そして羽生は「高速道路論」のその先についても思索を深める。羽生の仮説は「量が質に転化する」ときに生まれる価値こそが、新時代の創造性やイノベーションの鍵を握るのではないかというものだ。

“今は知識の雪だるまを作ってるような段階です。どんどん蓄積して、どんどん分析することで、雪だるまが急激に大きくなっている。転がり続けますから。でも、その雪だるまって、どこまで育つかまだ分からないんですよ。そのデーターベースがかなりの量を網羅していったときに、ひょっとすると相乗的な効果が生まれてくるかもしれませんよね。誰も予想してなかったイノベーションが起こったり。”

この文章は、グーグルの創業者たちが語った英語をやさしい日本語に翻訳したものだ、と言っても誰も疑うまい。グーグルの「情報についての最先端の思想」と同じものが、羽生の頭脳からオリジナルに導き出されているのである。

シリコンバレーのグーグルは「世界中の情報を整理し尽くす」ことで、量を質に転化させ、破壊的イノベーションを起こそうとする会社だ。羽生は将棋の世界の情報について、グーグルは世界中のすべての情報について、「量が質に転化する瞬間があるはず」という同じ仮説を持ち、羽生はその仮説を、コンピューターによってではなく、自らの頭脳の中で検証しようとしている。

羽生は、高速道路の先の大渋滞を抜けることと「量が質に転化する」ことは深く関わってくるはずだと考えている。そしてこの仮説をめぐる何らかの新しい事象も、社会が変化するよりも先に、限定的空間である将棋の世界でピュアな形で発現するに違いない。将棋界でこれから起ころうとすることは、私たちの社会の未来を考えるヒントに満ち、膨大な情報に向き合う人間と社会に何が起こるのかを知るためのモデルの一つなのだ。

普通は、技術が進歩する速度に合わせて人間がどう変わるべきかを必死で考えて追いつこうとするものなのに、将棋の世界では、棋士という人間そのものが技術を体現した存在であり、人間が進歩する力、推進力にこそすべてがある。そう考えると改めて、棋士たちの頭脳のすさまじさ、他の世界との異質さを感じざるを得ない。

ある時代に登場するリーダーの特質は、その時代の性格を映すものである。天才的研究者の資質と、未来の洞察に優れたビジョナリー能力を兼ね備えた、羽生善治という稀有な日本人が、他の世界ではなく将棋界に現れたことは、情報化社会たる現代を象徴しているとも言えるのだ。(梅田望夫氏著「シリコンバレーから将棋を観る」)

ーグルの思想と羽生善治氏の思想について考えるとき、お互いの姿勢が似ているなぁと思う分野に気付いた。解を求める姿勢である。グーグルは人々の何かについて知りたいという解を検索エンジンというものを発展させることによって進化しようとし、羽生氏は将棋の世界で真剣勝負の混沌とする状態の中から勝利に繋がる解を自らの頭脳と相手の差し手から偶発する知的触発を受けて探求しようとしている。

去年書いたエッセイ( 勝負師、羽生善治氏の考え方、その2 – 創造力 )の中でコンピューターがプロ棋士に勝つにはコンピューター側の検索技術の向上が不可欠、というような内容を書いたんだけどここでもう一度おさらいしておこうと思って、羽生氏が「100年インタビュー」で語ったボナンザに関する考察などを交えて改めて載せておこうと思う。以下、「グーグルの検索技術」まで・・・

コンピューターと人間との対戦

インタビュー:コンピューターとの対決についてなんですけども、去年、現在の渡辺明竜王とコンピューターソフトのボナンザの対決が話題になりましたよね。

でこれ何が話題になったって言うと、予想通り渡辺竜王が勝ったんだけれども、ことの他コンピューターソフト、ボナンザ、善戦したと。この勝負は、羽生さんはどうご覧になりました?

羽生:いや、本当に進歩しているというかですね、まぁ強くなっているっていうのは、見ていて実感しましたね、もちろん最終的には渡辺さんが貫禄を示したわけなんですけども。コンピューター将棋ってですね、変な話なんですけど実はここ数年、ずっと伸び悩んでいたんですね。

アマチュアの3、4段ぐらいまで来ていたんです、でそこから次、どう強くしていくかっていう、その方法論がですね、中々見つからなかったんです、でただここへ来てですね、なんかその壁を突破してさらに実力が上がったなぁ、とそういう風な印象がありますね。

インタビュー:今そのコンピューターソフトが目指す、というかコンピューターソフトを作っている方が目指しているわけだけど、棋士がそのより上を目指して、の目指すとどうも考え方違うわけですよね?

羽生:そうですね、コンピューターの基本的な考え方というのはつまり手をたくさん読んでいく、つまり計算をたくさんしていくことによって、より正確さをあげていく。人間の場合はその将棋の実力が上がっていけば上がっていくほどですね、その考える手って段々少なくなってくるんですよね。

さっきの大山先生(大山康晴)の話と同じで、つまりたくさんの手を読むんじゃなくてなんとなくここが急所かなとかつぼかなっていうのがなんとなく見えてくる。段々、考える手を狭めていくってことですよね、だから考えている方向性として基本的にこう反対方向に行くってことはあるんです。つまりたくさんの手を考えるコンピューターと極力手を考えない人間という、そういう違いはやっぱり鮮明にしてあるような気がしてますね。

インタビュー:そうするとその二つでこう対決するっていうことについては、まぁ羽生さんはどういう点に関心を置いてみているんですか?

羽生:あの一つはですね、まだ明らかに違和感があるわけですね。つまり誰が対局しているかわからないっていう状態で棋譜を見せられればこれは人間が指したのか、コンピューターが指したのか、まだ一目瞭然でわかるんです。

インタビュー:具体的にいうと?

羽生:こういう手は人間の感覚では指さないっていう手をコンピューターは指すわけですよ、つまり具体的な手を教えることはできても感覚を教えることはできないじゃないですか、だからこの手をみて、あっこれは人間が指した手ではないってわかるんです、今は。でも将来はそれが同じになるのか、永遠にずっと違和感を持ったままになるのか、ということは大きなテーマとしてあると思っているんです。

インタビュー:それは要するに全然違う方向を向いているんだけど最後に一緒になるというか、到達点が?

羽生:そういう、考える方向性はまったく違うんだけども、その中で最終的に選ぶ一手とか選ぶ決断は、実は同じになるんじゃないかとは思っています。

インタビュー:羽生さんはコンピューターとの対決、いつすることになりましょうか?

羽生:これは実は今は将棋連盟が許可をしないと基本的にコンピューターと対決はないということなんで。

インタビュー:渡辺明さんは特別だったんですか?

羽生:そうです、それはこれからどうなるか今の段階ではわからないっていう感じですね。

インタビュー:やってみたいという気持ちはありますか?

羽生:どういう将棋を指すのかっていうのはやっぱり興味がありますよね。

グーグルの検索技術

ーグルで何かを検索すると、その検索結果ってものすごい数になるけど、それを最後まで見ていく人ってほとんどいないと思う。検索嗜好で言われるように段々検索をするようになってくると人は上位に上がった3位までしか観覧することに徹し、検索結果が気に入らなければ検索する文字列を変えてみたりして、新しく検索情報を探す。

これって羽生氏のコンピューターソフト”ボナンザ”の状況と似ていないですかね? つまりコンピューターの戦い方というのはたくさんの手を読んでいくというもの。検索技術の極めもたくさんの検索キーワードに沿った情報を提供しようというもの。

しかし、将棋の上達者はだんだんと手を読まなくなっていくという。人間がコンピューターを使って検索する姿勢と似ているではないか? 2手、3手しか読まないプロの棋士たちと、検索結果の上位3位ぐらいまでしかクリックを試みないインターネットに慣れた人たち。

もしかしたら検索技術の向上がいつしかコンピューターがプロの棋士を打ち負かすきっかけになるのではないか、と思ったのが、グーグルの検索結果に自分の好みを加えられるようになった状況からそんな気がしてきた。

日本語版グーグルではまだみたいだけど、英語版グーグルでは検索結果に対して、気に入らなかったら検索結果1位のものを削除できたり、2位3位に上がっている検索結果を上位に持ってくることができるようになった。

これって自分の好みに合わせて検索結果ができるようにカスタマイズされる。コンピューターが何万という検索結果を用意しても人間が見るのはその上位3位ぐらいまで。だったらそこの検索結果を一人一人の好みに合わせてしまえ、というのは羽生氏のわからない場面でどのような手を指すのか、というときにその人の個性が出る、ということと繋がっているように感じる。

言っているニュアンスが伝わるだろうか? たくさん手を読んでいくコンピューターも人間の好みという要素が加われば、プロの棋士たちが2手3手という究極の選択をする思考過程に近づけるのではないだろうか?

検索技術も、将棋のコンピューターソフトも解を探すという点では同じことだし、検索技術に人間の好みが加えられるようになった今、つまり人間が情報を探す手段として直感で検索結果上位3位ぐらいまでを選ぶように、コンピューターソフトもそれと似たような感覚、人間の思考という感覚を取り入れることができれば、プロの棋士との勝負でまた一歩、勝利することに近づけるのではないだろうか、と思ったのだ。

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超一流とは?

この1年余、将棋界の4人の最高知性、羽生善治名人、佐藤康光棋王、深浦康市王位、渡辺明竜王と過ごした時間があまりにも豊穣だったため、私は期せずして「超一流とは何か」を考え続けることになった。

現代将棋においては、才能に恵まれるだけでは十分ではなく、そのうえで、尋常ではない努力を長期にわたって持続できる人しか、トップには到達できなくなった。これも現代社会の在りようを象徴しているように思う。

私は、異なった個性を持つ4人から、「対象(将棋)への愛情の深さゆえの没頭」という共通の基盤の上に、それぞれ独特の「際立った個性」が加味されてこそ、「超一流」への壁が越えられるのだと学んだ。このエッセンスを一言でまとめれば、「超一流」 = 「才能」 x 「対象への深い愛情ゆえの没頭」 x 「際立った個性」という方程式になる。

方程式右辺の三つ目の要素である「際立った個性」についてだけは4人それぞれ異なり、羽生の場合は科学者のような「真理を求める心」。佐藤は少年のような「純粋さ」。深浦は内に秘めたすぐれた「社会性」。そして渡辺は同時代の世界中の優秀な若者たちにも共通する「戦略性」。そこが際立って個性的だと思った。そしてこの個性の違いにこそ、人間の面白さがしっかりとうつしだされていた。

「知の高速道路」が敷設され、癖のない均質な強さは、昔に比べ身につけやすくなった。しかし「高速道路を走りきったあとの大渋滞」を抜けるには、加えてこれらの3要素が不可欠なのだ。特に「際立った個性」の強さが、最後の最後の紙一重の差を作り出す源となるのである。そしてそれは、どんな分野にもあてはまる普遍性を有する。私は、これからの時代の「超一流」を目指すとは、突き詰めればこういうことなのではないかと思うに至ったのである。(梅田望夫氏著「シリコンバレーから将棋を観る」)

次のエッセイでは「知の高速道路」先の大渋滞で起こっている新たな経済現象について考察してみようと思う。知恵を自分が所属するコミュニティーへ還元する「注目経済」と「評判経済」とはどういうものなのか? 仲間から受ける”お前凄いなぁ“という賛辞、誰もやってくれとはお願いしない環境でのドライブ(やる気)などとどのように結びついているのか?

今読んでいるダニエル・ピンク氏の著書「モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか」はいろいろなヒントを与えてくれる!

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