絶望と希望、その3 – 新しい経済システムへの適応


うつ病

絶望と希望、その3 – 新しい経済システムへの適応

結果 196 人の自殺企図者のうち,自殺死亡者は 52 人(男性 32 人,女性 20 人),自殺未遂者は 144 人(男性 32 人,女性 112 人)で あり, 2 回以上にわたって自殺企図を繰り返した実人数は 29 人(男性 3 人,女性 26 人)であった。

男性の自殺死亡者は 40 歳代から 70 歳代の中高年に多く,女性の自殺死亡者は 40 歳代に多かった。男性の自殺未遂者には 30 歳代になだらかなピークがあり,女性の自殺未遂者は 20 歳代から 40 歳代の比較的若年者に急峻なピークがあった。

自殺死亡者の主たる手段は男性では縊頸,ガス,女性では縊頸,飛び降り・飛び込みであった。自殺未遂者の主たる手段は男女ともに服薬,四肢切創であった。

の統計は現在の日本社会の仕組みとリンクしているように感じられる。男性の40歳から70歳というのは仕事と関係している。リストラに退職後がキーワードかなぁ。女性の40歳代は残りの自分の人生をどのようにして生きようかという迷いの時期なのかもしれない。

子育てが一段落してしまった、夫とのこれからの関係、子育てに費やした時間からの開放、夫婦との温度差、自分自身の可能性。未婚女性ならばこれからの将来的な不安感とか、経済面、健康面での心配事など。

自殺者数ばかりに注目していると自殺未遂者数のほうが遥かに数が多くその多くを女性が占めているという問題が見逃される。そして彼女らの多くがうつ病なのだ。男性の自殺者でもうつ病の人が多い。

ここで僕が、言いたいのはこういうこと。「うつ病は本当の病気です。うつ病っぽい人がいたら、ちゃんと病院に連れて行って上げて下さい。自殺や自殺未遂に発展しかねません。それで年間何千、何万の人が自殺したり自殺未遂したりしてるんです!!」

れは本当である。うつ病は辛い。精神的なストレスがパンパンになると身体に異変が現れる。人間は病気に逃げることで安心するするのだ。この場合は、外的要因が表れてラッキーと考えるべし! さらに進んだ形で現れるのが次の段階、つまりうつ病ということになる。それを超えると人は自殺を考えはじめる。

僕もうつ病経験者

ューヨークへ来たばかりの頃、失恋に新しい環境への適応、新しい仕事でのプレッシャーと3重のストレスを背負い込んだ。いままで病気とか怪我とかという場合は外から受けた要因の結果、現れた症状だったからどこが原因かわかっていたから安心できたというかそんなに恐怖心はなかったけど、心の病気というのはフィジカルなものから受けるダメージではないので怖かった。

普段大食の僕がまったく飯を食えなくなったし、地下鉄のホームや乗車している最中に襲ってくる眩暈に吐き気。体育会系のスポーツ万能?の俺が・・・どうしたんだ?

幸いそこから先のステージ、自殺を考えるようにはならなかったけど、というよりまだまだやりたいこと、経験してみたいこと、行ってみたい場所、などがたくさんありすぎて、うつ病じゃないか? と自分を疑ったとき即精神科の医師の元を訪れ診察にあたり、セラピーなるものを約半年ばかり行った。

好奇心って大事だよね。普段から自分の視野を広げることは、行動力を呼び起こし、それによって刺激を受け、何かしらの希望に繋がると思うんだけどいかがだろうか?

日本における自殺者が平成 10 年で突然急増しその後下がらない理由

絶対的な絶望感

ら自分の命を絶つというところまで追い詰められた人たちの絶望感を僕には想像できない。ホームに入ってくる電車に飛び込むなんて怖くてできないけど、そんな勇気を通り越した感情が支配しているのだから、想像はやっぱりできない!

自分が大好きないろいろなことを体験できなかったり、味わうことができなくなることを引き換えにして、それよりも今という絶望の状況から逃れる手段として自殺を選択肢として選ぶ人。

「中国で鹿を撃ったことがある、その時のガイドからあるばあさんの話を聞いた、虎を退治したばあさんの話だ、知っているか?」二人は首を振る。魔術にかかったように、俺を見ている。

「そのばあさんは、よく晴れた日に、二人の孫を連れて、山菜を取りに行ったんだ。そして虎に襲われた、ばあさんは棘のついた木の枝で虎の注意をそらしながら、飛びかかって、虎の耳を食いちぎったんだそうだ、

そのばあさんのコメントは中国でも有名になった、圧倒的に強い敵にギリギリまで追いつめられた時、残された唯一つの手段、それは戦うことだ、ばあさんは、そう言ったんだとさ」そう言って、俺は笑った。( 愛と幻想のファシズム by 村上龍 )

安心したい人々

教が日本人全体に広まりそうにはないけれど若者の携帯電話への依存はある種の宗教だと思う。安心を得ているのだ。失敗を許容できる社会と個々人の自立心確立がキーポイントだと思うんだけど一人一人が孤高に自分を磨いていく精神的強さを持ち合わせているだろうか?

ある程度周囲と共感して生きていくことは必要だと思うが、無理して仲良くなるプレッシャーに妥協することはないと思う。自分の生活範囲の外にコミュニケーションを持つことだったり、本物を知ること(絵画や音楽やスポーツなど)、未来の新しい自分に出会うために毎日努力することなどが勇気や希望を与えてはくれないだろうか?

社会からのプレッシャーの押されて、毎日を必死で生きるのは構わないが、時には立ち止まり、今の自分の位置や将来の方向性など自分の人生や自分という存在をじっくりと振り返る時間を持つことも必要だと思われる。

フラットな世界の無敵の民

しい経済システムへ自分を適応させる。大前研一論の実体経済、サーバー経済、モルティプル経済、ボーダーレス経済の違いを知ることからはじめても良し! フラット化する世界を読んで、新しいミドルクラスの仕事を研究するも良し!

フラットな世界の無敵の民は、三つに大別される、と私は考える。第1は、「かけがえのない、もしくは特化した」人々だ。マイケル・ジョーダン、マドンナ、エルトン・ジョン、 J ・ K ・ローリング、かかりつけの脳外科医、国立衛生研究所の一流の癌研究者。

こうした人々の果たしている機能は、きわめて特化しているか、誰にも真似ができないことなので、アウトソーシングされたり、オートメーション化されたり、電子的な輸送手段でやりとりされることがない。これが無敵の民だ。自分たちの商品やサービスのグローバル市場を持ち、グローバルな報酬を自分たちで支配できる。

第2は、「地元に密着」して「錨を下ろしている」人々だ。無数の人間がこれに当てはまる。この人々が無敵の民なのは、特定の場所で仕事をしていたり、特殊な地場の知識が関係していたり、顧客、クライアント、患者、同僚、聴衆と直接の個人的な結びつきや相互交流があったりするからだ。無敵なのは、しっかりと錨を下ろしているからでもある。

私の行きつけの理髪店、レストランのウェイトレス、調理場のシェフ、配管工、看護師、歯医者、ホテルのラウンジの歌手、マッサージ師、商店の店員、修理工、ベビーシッター、庭師、清掃員、離婚専門弁護士が、これに当てはまる。

高度な仕事にたずさわっている人々(弁護士や歯医者)、専門職(配管工、大工)、簡単な仕事(ゴミ収集人、メイド)など、職種がさまざまなことに注目してほしい。労働の知識や技術の程度に関係なく、こうした人々の賃金は、地物との需要と供給によって定まる。

さて、そこへ第3の人々が登場する。このカテゴリーには、かつて組み立てラインの労働、データー入力、セキュリティ分析、経理関係、放射線技術関係などさまざまなミドルクラスの仕事をしていた人々が当てはまる。

以前は、代替不可能、外国とのやりとりが不可能と見なされていたが、いまでは10のフラット化の要因によって、代替可能で、外国とのやりとりも可能になった。これを「旧ミドルクラス」の仕事と呼ぼう。こうした人々は、世界のフラット化の圧力を受けている。( フラット化する世界 by トーマス・フリードマン )

コップの中の水

京オリンピックで頑張っている日本人選手たちをみることは希望や勇気を得ることになっているのだろうか? 自分が闘っている姿を見せることで少しでも勇気を与えることができれば、というような選手は昔と比べたらずいぶん少なくなったことだろうが、それでも自分自身のため、ということで全力で自分自身の力を出し切っている姿からは素直に感動をもらうことができると思う。

そっちのほうが健康的だし、頑張っている選手の姿勢は身近に感じることができるんじゃないかと思った。ただそれが生き抜いていく、どんなに苦しくても自分をあきらめない、という姿勢の支えになるかどうかは結局のところ個人がどのように感じるかだ。コップの中ほどまで入っている水をみて、半分しかとおもうか、半分も、と思うかだけの違いだがこの差は大きい!

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