裁判員制度を導入するキャパシティーが今の日本人にはあると思えない


裁判員制度

裁判員制度を導入するキャパシティーが今の日本人にはあると思えない

契約や法律へのリスペクトがない人たちが裁判員になると、どういうことが起きるか

の中で村上龍氏が指摘しているように感情に流されて判決を情緒的に判断してしまう危険よりももっと大事な部分、自分の脳みそを使って考え抜くことができるか、という日本人のキャパシティー的な本質部分を検討したほうがいいように思われる。

というのも日本人特有のみんなと同じ、他人からはどのように思われるだろうか? という文化というか価値観というか、日本人性格から脱却して、一人一人が個人として自分の意見を言えるかどうか? のほうが大事だと思う。

情緒的になるにせよ、それがはたして本当に自分が考えに考え抜いた際に出てきた答えなのか? 事件の本質、加害者、被害者の立場にたって事件の本当の真実を客観的に洞察したときに日本の法律を持って裁くときに一番適していると思われる判断が導き出されるのか?

はっきり言おう! 今の日本人の大部分には無理だと思う。もっと根本的なところから改善していかないとだめなんじゃないかなぁ? 日本語力が低下してきているというし、そのように活字というかある文面からその背景的状況を想像できるような読解力から、歴史的、心理学的な方向から物事を見れる力など国語力を鍛える必要があると思うんだけど、いかがであろうか?

漫画や携帯文化が悪いとは言わないが、活字離れが問題になっている今の日本社会に住んでいる日本人が裁判員制度を適応する前に、もっと日本人の言語能力の底上げを行うべきだと思う。

法律の概念さえない人

にもこんなニュースを目にした。(弁護士、過疎地へ次々Iターン「無法地帯」開拓)無法地帯というか法律の概念さえない人がほとんどということ。利用しようにもそのような自分を守ってくれる法律をもっとたくさんの人が身近に感じることができないと、法律をもって裁かれる側はたまったものじゃないよね。

アメリカ社会のように何かといえば訴訟、という社会も困るけどもっと根本的なところ、一人一人が自分で考え自分の意見を言う。トータルで捉えたところの人間的豊かさというか、法律前の段階から日本人のキャパシティーを改めていかないと、ある意味へんな方向へ行きかねないともいえない。

ニューオーリンズ・トライアル

画「 ニューオーリンズ・トライアル 」というのをご存知だろうか? ダスティン・ホフマンとジーン・ハックマンが法廷で銃に関する事件を裁く背景を描いた作品なんだけど、ここでジーン・ハックマン側には銃支援団体からの強烈なバックアップを抱えて挑んでくるんだよね。

その手口がすごい。裁判員候補を調べ出して、その人がリベラルか保守か、自分のほうに有利な判決を下してくれそうな裁判員かどうかを調べて、適した人が選ばれるように工作するんだよね。いろいろな手口を利用して。まぁ、始まる前の段階で日本の社会がここまで来るとは思えないけど、観る価値ある映画だから是非、どうぞ!

自分の頭で考えて、自分の意見をきちんと言える。おかしいと思ったことには声をあげ、自分の意見を論理的に主張できるかどうか? 裁判員制度を安易に導入していいのだろうか?

殺すつもりはなかった

年少者に対してこれまでの歴史上はじめて死刑判決が適応されることになったわけだけど時代の流れ、日本の社会の流れを含めて僕はこの判決を支持する。殺すつもりはなかった、盗むつもりはなかった、何々するつもりはなかった。よく聞く被告側の言い分だけどこれほどいい加減な動機で被害にあった者、その関係者や家族の気持ちは重要視されないのか?

人権、人権というが日本はそこまで加害者の犯罪を犯すまでにいたった精神的苦痛を考慮する必要があるのか? 仮にそのような精神的苦痛を社会が与えていたというのならば、その少年に責任を一切押し付けるのはおかしい? という論理もわからなくはないが、やはりそれで殺されたほうは納得できるものではないであろう。

犯罪が低年齢する現在、ある程度の社会的結果を青少年に示すことはいいことだと思う。このようなことを犯した場合、これ相応のコストを支払うことになるんですよ、というようなアナウンスが必要なんじゃないかなぁ。

その場合のコストとは、懲役何年という場合ならば、その期間、自分の人生から自由を奪われるコストだったり、長い目で考えた場合、その後にもついてくるであろう犯罪暦によるマイナスな部分をきちんと示してあげることなど。

如何に他人に迷惑をかけないで生きることが、自分の貴重な時間とエネルギーを無駄にすることなく、一つずつ積み重ねていく人生の中でとても重要なんだよ、ということとかね。無期懲役ならばその過程で体験するであろうさまざまな苦痛を示してあげたり。

死刑ならば、これから訪れたであろうさまざまな可能性や喜び、悲しみを経験することなく、自分が犯した罪のために、自分の人生を閉じなくてはいけない無力感とかを青少年の犯罪予備軍に社会が示していくべきだと思う。難しい問題だけど、一人一人が裁判員制度を前にして、自分の頭で考えるきっかけになってくれればいいんだけどね。

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