高等学校までは義務教育に! 貧しくて学べない


義務教育

高等学校までは義務教育に! 貧しくて学べない

の影響を受ける子どもたち。先週のNHK 「 クローズアップ現代 」、水曜日と木曜日の特集は見終わった後気が滅入ってしまった。3月11日(水)放送「貧しくて学べない」、3月12日(木)放送「病院に行けない子どもたち」と続いた特集は共通していてこの経済困窮の中、家計が苦しくなった親の環境変化による影響がその子供たちに様々な形で現れている現状を取材していた。

「貧しくて学べない」深刻な経済危機の中、家計が貧しいことで学校に通えなくなる子どもが急増している。愛知県の高校では、自動車関連の仕事に就いていた親達が次々と仕事を失い、中退を余儀なくされたり、授業料を払えず高校を続けられるか不安に揺れる生徒が相次いでいる。景気の悪化で顕在化した、 ” 貧しくて学べない ” 子ども達。社会の格差が広がる中で、すでに深刻な状況となっている。

埼玉県内の高校では、入学した生徒の半分近くが卒業までに中退する。中退後の生徒を見守り続ける教師は、背景に貧しさから来る無気力や、将来に希望が持てない刹那的な思いがあるという。中退した子ども達が社会的に孤立し、生活の糧を得るため犯罪組織や風俗業など闇の世界に引き込まれるケースも多いという。親の世代の貧困が、子どもの学ぶ機会を奪い、貧困の再生産につながる社会の歪みを教育の現場から伝える。( NO.2712 )

組の中で仕方なく退学をしてしまった子どもたちのその後を突き止めてみるんだけど、ほとんどの子どもがどうしようもない状況に追い込まれていて、精神的にも投げやりになっているんだよね。自分に、自分の未来に対して希望なんか持てようかというぐらい、気が滅入ってしまっていて子どもたちの悪循環に陥ってしまった環境の息苦しさを感じてしまう。

自分だけが取り残された感情を持ってしまい、ひどく落ち込んでしまうんだろうけど、働きながら通える夜間定時制高校とかは選択肢に入らないのかなぁ? はっきりいって高校なんかどこを卒業していようがあんまり問題にならないといってもいいのではないか? 今の時代、大学を出ていてもそれほど大差を感じることなどない、と思ってもいい!

少しぐらいの劣等感などを感じるかもしれないけど大学を出てかなりの実力をつけられているとしたら一握りのエリートぐらいなもの。ほとんどの学生たちには何の劣等感を感じる必要などない。

本当に大事な時間

事なのは如何に社会に出てからその個人が自分に対して勉強の時間をどれだけ投資してきたか、ということのほうが大きい。非常に大きい! これだけは声を大にしていえるから信じてもらいたい。

仮に大学を卒業してきた奴と高校だけの奴を比べた場合、20代でのポジションなど気にする必要などまったくない。高校を卒業してから社会に出ても、中学を卒業しただけの人間がずっと頑張って地道に毎日の努力を重ねてきた奴も、しっかり自分に勉学の投資をしていれば必ず30代であせらないで済む。

本当に個人の実力の差が目に見えて現れてくるのは40代に入ってきてから。ここで本当に20代、30代と地道に自分に対しての努力をしてきた奴と、これといって何もしてこなかった奴とではかなり自分から行動を起こしてみようといったときの行動範囲に差が出ているはずだ。

中学を卒業して40代まで25年、高校を卒業した場合だと40代まで22年あまり。この長いスパンの間に英語、中国語などの語学の習得に当ててもいい。それらの学習に仮に10年費やしたとしよう。それでもまだ25歳、28歳ではないか!

日本全国にどれほどの日本人が25歳、28歳の時点で英語または中国語に堪能な人間が存在しようか? 中学だけを卒業した人間でも、高校だけを卒業してきた人間でも25歳、28歳の時点で日本語以外の語学に一つでも堪能であれば、大学を卒業してきても英語、または中国語などの日本語以外の言語を扱えない人間と比べるならば、これから先の時代、どちらがあせるかといったら間違いなく後者だろう。

そこからまた先、30代にかけてファイナンスや、マーケティングなどを勉強してもいいし、高校へ行きなおしても、大学へ行きなおしても全く何の問題もない。

生涯学習

メリカの大学では社会人が授業に参加している光景は決してめずらしことではなく、それどころか授業が高校を卒業したばかりの連中だけというのはあり得ない! 午前中や午後の授業となると社会人は働いているから授業には参加できないだろうが、夜6時以降始まる授業や早朝、出勤前に参加できるクラスならば、生徒たちの年齢層は若いやつだけということはない。

日本の大学も、日本の社会も生涯教育という概念が受け入れられるようになり、20代、30代、または40代で大学の授業に参加してくる割合は増えるだろうし、その様な授業風景も違和感なく一般化していくことであろう。

だから中卒だろうが、高卒だろうが、自分にあきらめないで欲しい。どんなに仕事で疲れて帰ってこようが、そこを踏ん張って帰宅してから2時間でも3時間でもいいから毎日こつこつと自分の未来のために投資する。これを10年、20年という長いスパン、やり続ける。君が40代になったとき、自分の行動できる範囲が広がっていることに必ず気がつくはずだ。

特にこれからの社会、会社も政府も当てにできなくなるから、個人の能力、フットワークの軽さが必ず重要になってくる。

親の状況によって高校へ、大学へいけなくてもあきらめないで欲しい。何度もいうが本当に大事なのは社会に出てからどれぐらい自分が勉強してきたか? ほとんどの、ほとんどの社会人は社会に出てから勉強などしていない奴ばかりだから、差をつけるのは社会に出て、一個人として勝負できるようになってからだ。

「病院に行けない子どもたち」未曾有の経済危機の中、貧困の拡大が子どもの健康まで脅かそうとしている。国は去年10月、保険料を滞納し「無保険」状態に置かれている子どもが3万人以上にのぼると発表。救済策として、今年4月から、そうした中学生以下の子どもに対し、一律に保険証を発行する方針を打ち出した。しかし、それでも3割の医療費自己負担分が重く、病院に行けないままの子どもが相当数に上っていると見られる。

そうした中、群馬県などの自治体は、中学生以下の医療費を完全無料化する方針を発表。先進的な取り組みと評価される一方で、県や市町村は新たな財政負担の確保に課題が残る。先の見えない不況の中で、子どもの健康をどう守るのか、その処方箋を探る。( NO.2713 )

義務教育のあり方

れも頭の痛い問題。この際、高校まで日本の教育は 義務教育 にしてはどうだろう? 義務教育の間は子どもたちの健康、授業に対する財政的な援助なども国が支援する。誰も使うことのない道路を作るよりも、医療や教育にお金を回したほうがよっぽど日本の将来のためになる。

子どもたちも不安を抱えることなく勉学に励むことができると思う。受験勉強なんて必要ない! 読み書き、計算と英語、コンピューター、お金の勉強を徹底させるだけでいいんじゃないかなぁ。シンプルにしてあげれば、ストレスも抱えないだろし、集中できると思うんだけどどうであろうか?

高等学校を卒業してからの選択肢

はその人の土台をちゃんと築いてあげることをヘルプする。日本の大学へは高校卒業してから2年後に入学可能にすればいい。その間、専門学校へいってもいいし、 ボランティア へ2年間費やしてもいい。

またはインターンをしてもいいだろうし、海外旅行へ出かけることもオプションになるであろ。お金がなくて、体力があるとなれば、若いうちに行くことができる中南米やアフリカなんかを2年間かけて回ることは大きな意味があるとおもう。

ワーキング・ホリデー を利用して海外へでてもいいし、 フリーター も結局は自分に責任が返ってくる選択肢なのでいいであろう。いろんな働き口を経験してみることも何かの発見になるはずだ。大学へ早く進みたい場合はアメリカの大学へ行ってしまう、ということもできるはず。

ポイントは子供たちのパンパンになった脳みそをここで(高校までの義務教育を終了した時点)一度クリアーしてあげる。メモリーをクリアーするというか脳内のハードディスクを一回クリアーにしてあげることは絶対に必要で、それをしないと新しい事柄が入ってくる(吸収する)メモリー(スペース)がないでしょ!

音楽を聴くとか行ったことのない場所に行くとか、または新しい人と出会うとか、とにかく刺激を得ることが大事で外の空気に触れるというか、一回クッションを与えてあげることが子供たちのプレッシャー、ストレスからの解放に繋がると思うんだけど。

小学校、中学校、高校、大学、そして就職、というどこにも気が抜けない環境はものすごーいプレッシャーだよ。子供たちはものすごく苦しんでいると思うから社会が一回、子供たちが社会へ出る前にクッションを与えてあげないと。

いいんだよ、20代前半の数年を無駄にしたって、後々考えたら絶対に無駄にしたなんてことないから。高校を卒業した時点で就職しようが、また自分が勉強したいと思えば大学へ戻るなり、専門学校へ進むなりの選択肢を子供たちに与えてあげないと。

そうやって外へ出たり、外の社会と接触することで、自分がまだまだ無知だということを知るから、実はそこが一番重要で、辺に今の日本にあるレールをクリアーしてしまうと、もう自分は勉強する必要がないと錯覚してしまうおそれがあるんだよね。

他に弊害として考えられるのが、順調に敷かれたレールから外れてしまう不安というプレッシャー。誰もが高校を卒業した時点で自由に選択させる、というクッションを与えてあげれば子どもたちの不安も少しは和らぐと思うんだけど、いかがであろうか?

20代前半で出遅れても30までに専門性をつけることなんて、実現可能なオプションだと思うよ。大学でも一般教養をそこで学んでもいいんだよ。歴史、文学、心理学、社会学などの文系教科なんて考え抜く力やロジカルに考える力を養うには必要な科目だと思うだけど、どうかなぁ?

それでまだまだ勉強したければその先へ進み、大学院でビジネススクールをというのが教養のある経営者を作るポイントになると思う。大学の一般教養でビジネスなんて専攻してもまだ、ビジネス経験ないんだから。

芸術を学んだり、歴史、哲学を学ぶ過程で、ヒューミントな部分を理解して、 経営学修士 (英: Master of Business Administration )や 公認会計士 ( 日本 ) はその後でも絶対に大丈夫だよ。理数系も大学院からでも遅くはないと思う。いや、早くから大学で理数系はもまれたほうがいいというならば、アメリカの大学へ来ちゃうんだよ。

もう一度いうけど、詰め込み教育でも、一回クッションを与えるというか、深呼吸をさせて息抜きというか、脳内をクリアーにさせてあげる環境を社会が与えることができれば、子供たちはストレスや不安は感じなくなると思うんだけどどうであろうか?

義務教育の中身

の義務教育だけどどうしようか? ひたすら本を読ませる。読書習慣をここで付けさせる。言語能力を鍛える。活字が与える喜びを、読書から得られる知的興奮や精神的安らぎを感覚として自ら養わせる。

数字に強い子どもを育てる。九九は二桁の九九を覚えさせる。9x9まででおしまいではなくインドの子どもたちのように、99x99まで丸暗記。書き言葉としての英語ではなく、話し言葉としての英語を身に付けさせる。耳を英語サウンドに慣れさせ、英語でコミュニケーションすることに違和感を感じさせないこと。

それにはネイティブの英語を子どものころから直接彼らの耳に触れさせる。その場合の教師だけど、英語が母国語でない人が教えても構わない。世界中にはフランス語訛りの英語を話す人、アフリカ人の英語、中東の国の人が喋る英語、南米のスペイン系の人が喋る英語とたくさんの英語があって、彼らの中にはブロークンな英語を喋る人もいるであろう。

しかし、ポイントはそれでもお互いの意思の疎通には困らない、ということであり、多種多様な英語に触れることで自ら完璧にこなさなくては、という日本人独特のパーフェクト主義から開放させることにもなる。英語は使えてなんぼ、という感覚を実感として覚えさせる。(  英語勉強法、1文法、2読み書き、3聞く話す  )

コンピューター、インターネットの世界に触れさせる。ある程度の親や大人、社会からの保護は必要だと思うが、それが行き過ぎて子どもたちの環境を過保護にしてもいけない。

子どもに自主的にインターネットの世界に存在するいい部分と悪い部分を見分けさせるスキルを養わせ、自主的に成長できるような、情報を自ら探してきてそれを活用できるような主体性を鍛錬できるように仕向けていく。(  自分で何が必要かを学んでいける姿勢、超近代的狩猟社会 )

お金(ファイナンス)、恋愛(セックス)、喧嘩(正当防衛)、などは今までの学校では教えてくれなかった部分で、このような科目を教えることも子どもたちに自信を持たせるきっかけになると思うんだけど、いかがであろうか?

後学校選びだけど、住んでいる地域に縛られるのはある程度しょうがないとしても、インターネットがここまで社会に浸透している現在、フィジカルな限界を超えて、世界中にいるすばらしい人材と触れさせる機会を子どもたちに与えてはどうだろうか?

日本以外の価値観に触れることにもなるしいじめなんかのピアプレッシャーからも開放されると思うだけど難しいのかなぁ? 世界中の人とコミュニケートできることって案外すごいことなんだけど。

とにかく要は自分に投資し続けるということ。これをできる奴とできない奴とでは歳を取るに従って、自分ができる範囲で得られるものの大きさに、段々差が付くようになる。God helps those who help themselves 、天は自ら助くるものを助く、というのは信じたい。

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