決勝トーナメントからの本気度
金曜日からいよいよ 2006 FIFA ワールドカップ 準々決勝が行われるが、きっと日本以外の試合も多く見てきて、なんで日本代表にはこのようなプレーヤーがいないんだろうとか、日本代表もこのように試合できないかなぁとか、いろいろ見えてきていると思う。
例えば 2006 FIFA ワールドカップ 決勝トーナメントの最初の試合、 アルゼンチン対メキシコ、ポルトガル対オランダのゲームはすごかった。本当に戦い、というサッカーをしていた。
アルゼンチンの鋭い攻撃、フアン・ロマン・リケルメからのボール捌き、交代の2人の FWカルロス・テベスとリオネル・メッシは前への突進をあきらめない。何度もドリブルでしかけるあのたくましさ。
それに対してメキシコも決して走り負けしないチーム。延長の末決まった2-1というスコアからは死闘を繰り広げたイレブンたちのものすごーい戦いを見ることになった。
ポルトガルとオランダのゲームもすごかった。
まさに削りあいというようなフィジカルの試合だったが、もし日本が決勝トーナメントに残っていてもこのような荒いフィジカルの戦いには互角に戦えなかっただろう、という妙な安堵感、あぁ、決勝トーナメントに進んで恥をかかずにすんだ、というような。
見ただろうか? 最後のホイッスルの瞬間、ピッチに倒れこんでいたオランダ人選手の数を。日本は中田英寿だけだったこの事実。点を取られようがレッドカードで10人に減らされようが絶対に負けないぞ、という戦う姿勢。あのようなプレーに国民は感動し、勇気をもらうのだ。
元オリンピック日本代表監督と努めた山本昌邦監督が言っていた言葉が甦る。「世界との差はペナルティーエリアに入ってからだ」と。その他にも今後の日本代表に必要な要素は、他の国のチームにたくさんあるはずだ。是非、それを目の肥やしにして日本サッカー代表サポーターへの知識の蓄積として全体の底上げをしていかなければいけないと思う。
悔しさの歴史
特にあまりたくさん欲しくはないが悔しさの歴史、というのは必要だろう。戦って負けた、戦わずして負けた。このような感情を国民が共有することができれば、というより長 ― いサッカーの歴史、文化を日本で育てるためには絶対に必要だ。
大韓民国はトーゴとの戦いで見事逆転勝ちしたが、 2002 FIFA ワールドカップのホーム以外で行われた FIFA ワールドカップで勝ったはじめての試合である。それまでは日本よりも FIFA ワールドカップ出場回数は多いが、一度も勝ったことがなかった。これなどは屈辱の歴史であろう。
フランスも 1998 年フランス大会には自国開催の FIFA ワールドカップで見事優勝したが、その前の 1994 年アメリカ大会では出場していない。ヨーロッパ予選で負けたからである。
殊に 1994 年アメリカ大会での予選ではエリック・カントナ、ジャン・ピエール・パパンらを擁しなかなかに強力なチームだったが、残りホーム 2 試合で勝ち点 1 を取ればいいという状況から連敗して敗退してしまう。殊に最終のブルガリア戦は「パリの悲劇」と呼ばれ、深い傷とその悔しさから来る力の源となった。(ウィキペディア参照)
日韓ワールドカップではあのオランダが出場を逃している。いや仮に出場していてもフランス、ポルトガル、アルゼンチンのようにグループリーグで敗退という悔しさを経験している国もある。日本にもこの悔しさの歴史の蓄積が必要なのかもしれない。
ブラジルだって今は強いが、 1982 年スペイン大会はイタリアに、 1986 年メキシコ大会はフランスに、そして 1990 年イタリア大会はアルゼンチンのディエゴ・マラドーナに決勝トーナメントの最初の試合で負けている。
だからサポーターには世界のサッカーを肌で感じ、世界のすごさを経験し、日本代表にとってプラスになるような要素を蓄積する必要があると思うのだ。
FIFA ワールドカップ観戦史
FIFA ワールドカップというものをかなり昔から観てきた、という人はどれぐらいいるだろうか? 僕が始めてみた FIFA ワールドカップは 1978 年アルゼンチン大会。決勝でアルゼンチンのマリオ・ケンペスの紙吹雪の中のドリブルからのシュートが今でも目に焼きついている。
1982 年スペイン大会ではイタリアの FWパオロ・ロッシという物凄い選手がいて、シュートと一緒に自分までゴールに入ってしまうような勢いのある FW だった。
1986 年メキシコ大会では明け方の中継を見ていた。あのブラジルとフランスの試合はすごかった。FIFA ワールドカップで優勝したことのないフランスの将軍ミシェル・プラティニの執念が PK 戦を制した。まさかのジーコ、ソクラテス、 PK 外すシーン。
大会全体ではディエゴ・マラドーナの FIFA ワールドカップとなってしまったが、フランスの将軍ミシェル・プラティニにすっかり魅せられた自分はフランスのユニホームを買ってしまったぐらいだ。
ユヴェントスとフランス代表に於ける活躍で 1983 年から 1985 年まで 3 年連続で欧州最優秀選手(バロンドール)を受賞するなど、まさに絶頂期にあった。 これらの成功で誰もがメキシコ W 杯での優勝を期待したが、プラティニ自身は脚の状態がおもわしくなかった、また予選では格下の東ドイツやチェコスロバキアに敗れるなどピンチの連続であった。
1986 年の本大会では準々決勝でブラジルと名勝負を演じ 1-1 から PK 戦でプラティニは PK を外したものの 4-3 で勝利、しかしこの試合で総ての気力を使い果たし準決勝では良い所無く西ドイツに 0-2 で敗れた。(ウィキペディア参照 - ミシェル・プラティニ)
1990 年イタリア大会でイタリアのファンになり、ロベルト・バッジョの時代が始まる。あの時は自分もイタリア人に生まれたかったなぁ、と思うほどイタリアに魅せられた。
1994 年アメリカ大会で生まれてはじめての生での観戦を達成し、サッカー文化ができていなかったアメリカのお陰で3位決定戦のスウェーデンとカメルーンの試合(確か?)を20ドルで見ることができた。
そして 1998 年フランス大会。この辺からほとんどのサポーターは FIFA ワールドカップ というものに関わってきたと想像するが、今の2006年ではインターネットの環境もずいぶんとあの頃とは比べ物にならないぐらいに進歩して、いくらでもサッカーの共通知識を積み重ねることが可能な環境になったとおもう。
金曜日からの準々決勝は1試合、1試合がものすごい戦いになる。是非、それらを目に焼き付けて欲しい。サッカーはそれほどすばらしいスポーツだ。
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