「こちら側」と「あちら側」
インターネットの「こちら側」と「あちら側」の定義はとても興味のある内容である。これは今後の日本経済の行く末を読み取るヒントになりはしないか?
「こちら側」を主体において物事、製品開発などを進めていく日本産業、いわゆるものづくり社会とインターネットのバーチャルな世界でことが進む「あちら側」の世界。
アメリカや中国、そしてインドが中心となってそこで立ち上がる産業がついには「こちら側」の世界にも多大な影響も与える存在へと成長してゆくであろう。
ネットワーク・コンピューター
ネットワーク・コンピューターという構想が提唱されたのは1995年ごろ。ビル・ゲイツの独り占めに対抗するべく打ち出された500ドル前後の価格のコンピューターだが、あの頃はマイクロソフトがその産業的タイミングにばっちり乗り出していたために、誰もが憧れた構想だが、結局はマイクロソフトの前にいつの間にか消えてしまった。
しかし、 Web 2.0 などの技術革新が進む世の中。
マイクロソフトのオフィスシリーズのソフトウェアと同じようなソフトウェア(ajaxWrite、ajaxXLS、ajaxSketch、ajaxTunes)をネットの「あちら側」で利用できる時代。もうすこしでネットの「あちら側」に Windows のようなオペレーティングシステムが登場する。
そうするとあのネットワーク・コンピューターが実現することになるのだ。この事実、このインパクトは物凄いものになるであろう。そしてこの事実が与えるであろう真実を研究することによって、その後に控えているとてつもない社会の大変化に対して個人はじめその社会から国までもが有利に展開できる可能性を秘めている。
ページランク・アルゴリズム
権威ある学者の言説を重視すべきだとか、一流の新聞紙や出版社のお墨付きがついた解説の価値が高いとか、そういったこれまでの常識をグーグルはすべて消し去り、「世界中に散在し日に日に増殖するウェブサイトが、ある知についてどう評価するか」というたった一つの基準で、グーグルはすべての知を再編成しようとする。ウェブサイト相互に張り巡らされるリンクの関係を分析する仕組みが、グーグルの生命線たるページランク・アルゴリズムなのである。
これを民主主義的と解釈するならば、その対に存在するエスタブリッシュメント側からの反発もあるであろう。権威は伝統につながり、そうやすやすと人々はその利権を手放さない。Google の快挙はもしかしたらいままで権威に対して抵抗する手段を持たなかった大多数のマジョリティーに力を与えたことなのかもしれない。
ネットの「こちら側」
ネットの「こちら側」とは、インターネットの利用者、つまり私たち一人一人に密着したフィジカルな世界である。
携帯電話、カーナビ、コンビニの POS 端末、高機能 ATM 、デジタル3種の神話(薄型テレビ、 DVD レコーダー、デジカメ)、無線 IC タグ。皆、インタネットと私たち一人一人を結びつけるインターフェイス部分にイノベーションを求めるものだ。
ハードウェアで生き残る、という手もあるだろうが、そこには常に技術革新を求められる。高い技術をマーケットに提供できる会社ならば、素晴らしいソストウェアが出てきた時に必要と思われるハードウェアとのマッチアップとして指示され続けるであろう。
コピー製品はその後でたくさん出てくるであろうが、あの会社の技術力はすごい、と他の会社よりも注目され続けるようであればモノづくり産業の日本の会社のどれかは生き残れるかもしれない。
「あちら側」に置かれた情報
そして今や、「こちら側」に置いた情報を「こちら側」で処理するコンピューティング・スタイルよりも、「あちら側」に置かれた情報を「あちら側」に作った情報発電所で処理するほうが高性能かつ合理的だというコンセンサスがうまれつつある。
・・・・・(中略)
もしこれから多くのユーザーが、自分の情報を「こちら側」に置かずに「あちら側」に置くほうがいろいろな意味でよいと確信すれば、産業全体における情報の重心は移行していく。
YouTube というサイトはご存知だろうか? これはそのサイトのサブタイトルからもわかるように、 Broardcast Yourself 、つまり「自分自身をブロードキャストしてしまえ!!」というようなサイト。自分で取ったさまざまな映像などをこのサイトにアップロードして世界中の人に見てもらおう、という仕組み。これの使われ方がすごい。若い世代と僕らの世代(10代の頃、インターネットやパソコンが身近になかった)では使い方が違うらしい。
僕らの感覚だとテレビなどから提供される様々な自分にとって価値ある情報は記憶媒体などに収める。ビデオ、 DVD レコーダー、 CD-R 、その他を使って。
先月の 2006 FIFA ワールドカップ ではビデオを20本ちかく使って録画していた。僕はまだ DVD レコーダーを持っていないのだ。しかし、若い世代の感覚というのは仮にテレビでその番組内容を見逃してもネットから探してみればいいや、という感覚らしい。どういうことかというと YouTube などから発信されるダイジェストを見てもいいし、どこかに存在するであろう、という感覚なのだ。
実際、最近に起こった日本のコメデェアン「極楽とんぼ」の解雇事件。これを僕は YouTube を使って日本のニュースを見た。その他にも今流行らしい? 日本の人気グループ「 KAT-TUN 」もこの前 YouTube 内をサーフしていて偶然見つけた。自分で「こちら側」に録画して自分の元にとっておかなくても、ネットの「あちら側」に誰かが取っておいてくれるので見たくなったらいつでも探しにいってみればいい、という感覚の違い。
もし、この若い世代がマジョリティーになった場合、日本のほとんどの「こちら側」を意識してものを作っているメディア媒体企業はどうなるのであろう? この真実の意味するところは大きい。
コモディティー(日用品)化
付加価値が順次「あちら側」にシフトしていき、「こちら側」のものはコモディティー(日用品)になる。
誰でもいいから中国で作って世界に安く供給してくれればいい、というのが、米国が描く IT 産業の将来像だ。 IBM パソコン事業の中国企業への売却はそれを象徴している。
もし、中国企業の中で日本のものづくりの精神を身につけた企業が育ち、ものすごい技術を引き連れながら安い価格でマーケットに進出した場合、日本企業のエスタブリッシュメントはどうするのだろう? そこまでの危機感を持っているのだろうか?
東芝とソニーは DVD の規格を争っている場合だろうか? 液晶テレビと携帯電話はハードウェアの技術だけを競うだけでいいのだろうか? ポッドキャストやビデオポッドキャストを簡単に自分のブログやウェブページにアップロードできるハードウェアは潜在的需要を持っていないだろうか?
Gmailへ移行しよう
私たち一人一人がネットの「こちら側」(つまり PC のハードディスクの中)で保存している電子メールをすべて「あちら側」に移してしまおう、というのがグーグルの意図するところである。マイクロソフトは、情報が「こちら側」に存在する限り、その情報(例、電子メール)を処理する為のソフト(例、アウトルック)で覇権を維持できる。
迷惑メールで辟易している人々は、ネットの「あちら側」でスパムやウィルスの処理をしてくれるグーグルの電子メールサービス、 Gmail へ移行していくであろう。
Google AdSenseで生活の糧を得る
グーグルはそんなインターネットの本質を具現化することで、リアル世界における「富の分配」メカニズムの限界を超えようとしている。上から下へとどっと金を流し大雑把に端末を潤す仕組みに代えて、端末の一人一人に向けて、貢献に応じてきめ細かくカネを流す仕組みを作ろうとしている。
Google AdSense を利用している経済的環境は、現在のところ英語圏が際立っている。
[quote1]
しかし、今後中国はじめスペイン語圏の人たちが、現在の英語圏の人々と同じようなインターネット環境を手にいれ、人々の情報発信能力が高まった時に、 Google AdSense の需要はとてつもなく高まるであろう。
そして、英語をはじめ中国語やスペイン語で情報を発信できる人たちにとって Google AdSense は、とてつもない武器になろう。とくに経済の発展していない多くのスペイン語圏で仮に Google AdSense で毎月数百ドルの収入を得ることは毎日の生活の安定に繋がるおそるべし経済的なインセンティブになる。
集団の知的パワー
しかしモチベーションの高いメンバーだけで構成される小さな組織で、すべての情報が共有されると、ものすごいスピードで物事が進み、それが大きなパワーを生む。
仕事の生産性が著しく向上する。誰かが提示した問題点が別の誰かによって解決されるまでの時間や、面白いアイデアが現実に執行されるまでの時間は、ときに数分という場合さえある。情報共有を前提として組織原理によって、従来型組織の時間についての常識を破壊するスピード感がでる。
情報を共有する環境の中では、自分が1の情報、知恵しか身につけていなくても、同じモチベーションをもった集団があつまれば、たとえ一人一人が1の情報、1の知恵しか提供できなくても、それが10になり100になり、1000になり、というように集団の知的パワーが格段とスーパーの領域に達するのだと思う。
集団のモチーフ
「抜群に優秀な連中を集め、創造的で自由な環境を用意する。ただし情報を徹底的に全員で共有した上で、小さな組織ユニットをたくさん作り、個々がスピード最重視で動き、結果として組織内で激しい競争を引き起こす」
これからのさまざまな組織と呼ばれる集団のモチーフとなるであろう思想は、 Google が先頭を切っているといっても過言ではない、というか羨ましい。
差別と区別
「凄く頭のいい優秀な連中というのは皆、自分を管理できるのだ」
アメリカの企業文化の中にある常識として、「太っている人」と「タバコを吸う人」は出世できない。これは差別ではない。区別である。英語で言うところの Discrimination ではない。Distinguish なのだ。当然ながら、差別と区別は意図するところが違う。
情報リタラシー
社員全員が書き込む厖大な情報が、そのように自律的に淘汰・選別され、粛々と処理されていくのだ。この仕組みを当たり前に思えるかどうかは、ネット空間での情報リタラシーを持つか否かに大きく依存する。
若い世代にはかなり自然に受け入れられる考え方だが、インターネット未経験者には絶対に想像がつかない世界だろう。
情報そのものが自然淘汰され選別、そして進化していく。これはすごいことではないだろうか。このことによって一気に集団の知のレベルが上がるのだ。この環境を受け入れられるかどうかも重要だが、世界と繋がっているかどうかも、国レベルで言ったら、その国の将来を考えた場合、とても重要だと思われる。
なぜインターネットには飛びつけなかったのか
「なぜ日本からグーグルが出ないのか」という問いは、思考実験として意味がなくもない。
しかしその問いは、楽天やライブドアに向けて発するべきものではなく、むしろ人材の厚みや技術の蓄積から考えれば、日立、東芝、富士通、 NEC 、ソニー、松下といった日本の IT 産業、コンシューマー・エレクトロニクス産業を牽引してきた大企業に向けて、「半導体に飛びついて電子立国・日本を達成し、 PC にも飛びつき巨大な PC 関連産業を日本にもたらしたのに、なぜインターネットには飛びつけなかったのか?」と問うべきで、そのほうが、より本質的な議論ができるはずである。
これはソフトウェアを開発する環境とモチベーションを人々が見える範囲で与えてやれば発展すると思う。日本人はそこまで世界と比べて劣っているわけではない。
ただすべての思考がいままではハードウェアのほうにさまざまな要求から向いていたわけで、ひとたび人々、そして産業のエスタブリッシュメントはじめ新規の企業まで、社会を含めた共通の理解が生まれれば、日本人にも可能性はあると思う。
「恐竜の首」派とは
「恐竜の首」派とは、「ヒット商品、つまりベストセラー本やよく売れる本の売れ行きが鈍る」ことを嫌がる人たちのことである。これまでの出版社は「恐竜の首」部分で収益を稼いできたのだから、大半の出版関係者はこちらである。彼らにとっては「本の中身の検索」など絶対悪である。
これは経済的安定の確保も大事だが、それよりもそのエスタブリッシュメント側が抱える権威というものの価値を失う恐れのほうが大きいと思われる。
「ロングテール」派とは
しかしロングテール派は違う。ロングテール部分の本など、どうせ忘れ去られていて全然売れていない。何がきっかけでもいいから、その本の存在が誰かに知られることに価値を見出す。だから「本の中身の検索」は大歓迎なのである。
検索した100人のうち99人が立ち読みで満足して買わなくたって、一人が買ってくれたらいい。「全く売れなかった」本が「一冊売れた」になり、そこから何かが始まるかもしれないからである。ロングテール派はネット書店の新しい可能性に気づいた少数派だ。また出版社よりも著者のほうがロングテール派になりやすい。
そうなのだ。これからは本を出すことなど普通になる時代。何も特別ではなくなるのだ。そこで重要になってくるのが、提供する本の中身の質も大事だが、もっと大事なのはどのようにして人々に知ってもらうか、ということ。つまり営業はじめセールス、マーケティング能力が重要になってくる。
ロングテール部分には誰でも並ぶことができる
アマゾンのロングテールには「負け犬」商品がずらりと並んでいる。それらは、皆、一度は新商品として世に出たことがあるものばかり。
想定顧客層に行き届いてしまったとか、いい商品なのに誰にも知られなかったとか、まぁ色々と理由はあるだろうが、何かの理由で売れなくなったから、いまロングテール部分に並んでいるものばかりなのである。
・・・・・(中略)
では、グーグルのアドセンスは何が違うのか。アドセンスのロングテール部分には「負け犬」が並んでいるのではなく、未知の可能性を持った存在が並んでいる。
しかもロングテール部分に並びたければ誰でも並ぶことができる。そんな底抜けのオープンさを持つゆえに、ロングテールはさらにずっと長い。
もう一度言おう。Google AdSense の可能性は、自分が扱う言語がマジョリティーであればあるほどその可能性は高い。英語と中国語、そしてスペイン語で情報を発信できる人は、ものすごい可能性を持っている。
ロングテールの裾野を広げる
既に「商品」になっている音楽を「配信」するのでは、ロングテールの効果も限定的になる。でも、まだ何ものでもない不特定多数に参加機会を与え対象を広げ、「新しい音楽を生み出そうという試み」こそが、ロングテールの裾野を広げ、より大きな可能性を拓く。ネットは今、そういう方向に進化している。
この発想はすごい。将来的には誰でもミュージシャンになれる可能性があるのだから。大衆に指示される音楽を提供できるならば、たとえ自分の人生の中で1曲しかプロデュースできなくてもいいのではないだろうか? 普通の人が音楽や映像をプロデュースできる環境は「チープ革命」のお陰で、もうすでに手の届く範囲にまできているといってもいいかもしれない。
アマゾンのテクノロジー・インフラ
ペゾスはネット上のたくさんの小売業者(リアルの小売業者が持つネット販売事業も含む)が、アマゾンのテクノロジー・インフラに寄生しなければ生きていけないような世界を作ることを思い描いた。
・・・・・(中略)
具体的には、アマゾンは自らの生命線とも言うべき「アマゾンが取り扱っている厖大な商品データーのすべて」を、誰もが自由に使って小さなビジネスを起こせるよう、無償で公開することにしたのである。
これらの意味するところとは、次のような便利なサイトのことを言う。(amzlsh、amazlet、lilbox)
島を開放的空間とするための仕掛け
サービス提供者の立場でいけば、アマゾン・ウェブサービスのように、自社が持つデーターやサービスを開放し、不特定多数の人々がその周辺で自由に新しいサービスを構築できる構造を用意することが、 Web 2.0 の本質だ。孤島を作って閉鎖的空間を作るのではなく、島を開放的空間とするための仕掛けを用意するのである。
・・・・・(中略)
しかし、世の中がそういうサービスで溢れれば、データーがネットを介してありとあらゆる場所へ広がり、広がったデーターがさらに新しい価値を生み出すという連鎖が起こる。
・・・・・(中略)
開放によって全体が大きく発展してパイが大きくなるほうが、閉鎖してジリ貧に陥っていくよりもずっといい。
もし、価値あるデーターを手放すのに抵抗のある企業には勇気のいる決断であろうが、その可能性を充分に理解している企業にとってはある意味、大衆に自社ブランドを知ってもらうための価値ある機会だといってもいい。
そしてこの価値あるデーターは何も企業だけに期待することはない。国が保管している価値あるデーターで国民の役に立つものはないだろうか?
気象、財務、健康などのさまざまなデーターを使い、それを便利な形で「あちら側」に構築し、人々のサービスへのアクセスが容易になった時に、そのコストは限りなくゼロに近いものになるであろう。なぜならば国の提供する価値あるデーターは無料(多分?)であり、それを使って構築する「あちら側」のサービスを作るための人件費だげがコストだからだ。
不特定多数無限大の自由な参加
ロングテールと Web 2.0 は表裏一体の関係にある。キーワードは不特定多数無限大の自由な参加である。それがネット上でのみ、ほぼゼロコストで実現される。
ロングテール現象の核心は「参加自由のオープンさと自然淘汰の仕組みをロングテール部分に組み込むと、未知の可能性が大きく顕在化し、しかもそこが成長していく」ことである。そしてそのことを技術的に可能にする仕掛けとサービス開発の思想が Web 2.0 である。
今後、ネット上から何かを売っている企業は、最初のパッケージはすべて無料で提供されるべきだ。そこからアップグレード版やスペシャル版はそれぞれ課金していけばいい。大衆へ自社ブランド、自社ブランドのウェブ上のサービスを知らせること、それも無料で。
新しい経済圏の誕生
「厖大な数の、それぞれにはとても小さいマーケットが急成長しており、その市場がグーグルのターゲットだ。グーグルは、厖大な数のスモールビジネスと個人がカネを稼げるインフラを用意して、そのロングテール市場を追及する」
Google はまだまだ成長する。世界中のスモールビジネス、個人が小額でもいいから広告を自分が提供するマーケットに正確に出せるシステムに参加する。スモールビジネス、個人のウェブサイトがそれらのおこぼれにあずかる。それが地球規模で起こった場合、それは新しい経済圏の誕生ということになる。
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