思想家に見えたサッダーム・フセインの死際

サッダーム・フセインの死刑執行

サッダーム・フセイン絞首刑にされた。

2006 年 12 月 30 日 、サッダームは、バグダードにて絞首刑による死刑が執行され、刑死。 69 歳没。(サッダーム・フセインの死刑執行) フセインは、イラクが核兵器を開発済であり、核兵器を完成させて密かに国内のどこかに隠し持っているかのように振舞い続けた。死の直前にあたり、裁判関係 者から「なぜ、かかる愚かな行為をしたのか」と問われた際、フセインは「核兵器を持っていないことが明らかになると、核を持っているイランに攻め込まれ、 国家がなくなってしまうのではないかとの恐怖があったから」と答えている。

ビックリである。裁判で判決が下されてからまだ56日しか立っていない。あの判決が出た後、実際に刑が執行されるのにはまだまだ時間がかかるだろう、というのが大方の見方であったからだ。

それがこの2006年も終わろうとしているときにいきなり実行されてしまった。審議を問いたださなくてはいけない質疑もまだ他にもあるのに。

比較的小規模な1982年のイスラム教シーア派虐殺事件「ドゥジェイル事件」のみ。処刑に より、審理中だった80年代末のクルド人虐殺事件での訴追は打ち切られる。また、90年のクウェート侵攻や、91年の湾岸戦争後のシーア派弾圧といった大 きな事件は起訴すらされずに終わった。

さらに、裁判は当初から、スンニ派勢力などから「米国の利益のための裁判」「フセイン政権に弾圧されたシーア派とクルド人による報復裁判」と批判されたが、そうした批判を封じるのは、公明正大な裁判で元大統領らをきちんと裁くことによってのみ可能だった。

しかし実際には、唯一結審した「ドゥジェイル事件」の裁判の公平性について国連や人権団体から批判が続出。死刑を執行しないよう求める声 が国際社会で広がっていた。それに挑戦するかのように、拙速とも言える処刑に踏み切ったことで、真相解明より「報復」を優先したとみられかねない。

偉大な作家や思想家、哲学者のような顔つき

ニューヨーク・タイムズにサッダーム・フセイン絞首刑直前のビデオが載っている。そのサッダーム・フセインの表情をみて思考をめぐらさずにはいられなくなった。サッダーム・フセインの表情が偉大な作家や思想家、哲学者のような顔つきになっていたのだ。

昔の独裁者の頃のような頬がふっくらとした面影などなく、裁判での判決を講義するサッダーム・フセインにはまだ生命感みなぎるエネルギーを感じたものだが、あの絞首刑を受け入れるサッダーム・フセインは何か自分の考えが世界に受け入れられない悲しみを受け入れる思想家に感じたのだ。

もしサッダーム・フセインに少しばかりに時間が与えられて、後世に自分の自伝書を残すことが許されていたならば、僕はそれを読んでみたいと思った。もしかしたらサッダーム・フセインは自分がパペットだったことを認めてもらいたかったのか?

あの絞首刑を受け入れたサッダーム・フセインの表情の奥深くに隠された独裁者の思想を感じたのだ。

絞首刑はほぼ即死

ここまではサッダーム・フセインが処刑された直後のニュースを見て書いたものだったが、お正月ということもありブログの更新には反映させず今日の4日まで待った。その間12月30日と31日の YouTube ではほとんどサッダーム・フセイン処刑シーンで埋め尽くされ、多分出るだろうなぁと思っていた絞首刑実行後までの映像がやっぱり出だしたのが新年明けての1月1日ごろ。

年初め早々暗いニュースを題材にエッセイを書くことは躊躇した。それにしても実際の絞首刑というのはほぼ即死、ということは知らなかった。床が外れたかと思うと自分の体重が首にかかり、そのまま首の骨が折れて死んでしまうのだろう。

あの暗闇の中、焦点が定まらない目で口をポカーンと開けたままぶら下がり続けるサッダーム・フセインの映像は衝撃的だった。周りではアッラーフ( اللّه Allāh )に祈りをささげるかのような雄叫びが響き渡る。

この映像は瞬く間に全世界に(多分アンダーグランドサイトを通して、 YouTube とか Google Video )流れ、インターネットがなかったころでは想像もつかなかったインパクトを人類に与えた。ルーマニアのチャウセスク独裁者の最後のシーンの扱われ方とはえらい違いだ。

12 月 23 日 にはチャウシェスク夫妻はトゥルゴビシュティにおいて救国戦線により逮捕される。 12 月 25 日、救国戦線はチャウシェスク夫妻を、 60,000 人の大量虐殺と 10 億ドルの不正蓄財などの罪で起訴、形だけの軍事裁判で即刻銃殺刑の判決を下しその場で殺害した。この様子はビデオで撮影され、フランスを含む西側諸国でただちに放送された。

数日後ルーマニア国内でも処刑の様子が公表された。この放送は、チャウシェスクが対外的には清貧な大統領を装う一方で、残忍な独裁者であったという印象を強くした。即刻銃殺刑に処したこと、西側諸国に公開したことを見ても如何に大統領が国民を抑えつけ恐れられていたかが分かる。

なお、死刑執行が直ちに行われた理由の一つとして、死刑執行直前までつけていた時計に現在位置情報を秘密警察に知らせる機能がついていたため、直ちに死刑を執行しないと秘密警察に身柄を奪還される恐れがあったためと報じられた

そして昨日、あるブログの記事を発見。どこまで本当かはだれにもわからないがなんとなく信じたい内容であった。

Ellis 氏は 1 日、 CNN の取材に応じて、フセイン元大統領は「礼儀正しく物静かな人物だった」と語った。「いつも奥さんや子どもたちのことを話していました。熱心な読書家で、書き物をするのが大好きでした。自分で書いたという小説をたくさん持っていましたし、あの当時も何かの論文を毎日書いていましたよ。私が監房を訪れるたびに、いろいろなものを読み聞かせてくれました」(「物静かな読書家でジョークが好き」、 看護師が語る獄中でのフセイン元大統領

自分の考えが社会に受け入れられない寂しさ

やっぱり僕が感じた思想家という雰囲気は間違っていなかった。ガリレオ・ガリレイジャン=ジャック・ルソーのように自分の考えが社会に受け入れられない寂しさをサッダーム・フセインも感じたのだろうか?

サッダーム・フセインはひどいことをした、というのは事実である。しかし、それ以上にアメリカやイスラエルももっとひどいことをしている。ただ、ニュースの出所は西側諸国からのプロパガンダを含めたニュアンスに陥りやすい。

今現在も続いているイラクでの内戦、シーア派スンナ派の長ーーーい争いの歴史の中でサッダーム・フセイン時代の独裁時期はほんのひと時の出来事だったのかもしれない。

同元大統領が人道に反する罪で死刑となったことについて、 Ellis 氏は「とても残念に思っています。フセイン元大統領は終身刑にすべきでした。そうすれば、予測されていたイラクでの治安悪化などを阻止できたかもしれません」と述べた。

いろいろなところから圧力がかかっていたのだろう。サッダーム・フセインが長く生きながらえて、いろんなことが暴露されては困る人なんかが圧力をかけたんだろうなぁ。やっぱりサッダーム・フセインはパペットとして利用されたんだとおもう。中東はどのような勢力図になっていくのだろう?

アメリカ社会が感じる消えない不安

サッダーム・フセインが処刑されようが、アメリカがイラクから撤退しようが、アメリカ社会の潜在意識に宿る、“きっとまた攻撃されるかもしれない、いや、攻撃されるだろう”といった不安感はまだ当分の間、消えることはないであろう。

2006 年 12 月 30 日イラク時間午前 5 時半頃(日本時間午前 11 時半頃)、アメリカ合衆国軍の収容所からイラクに引き渡され、手錠を掛けられたま ま死刑執行室に入れられた。収容所を出るときはもがくようだったが、最後にはほとんど抵抗せず、執行の進行に従順であった。ルバイエ国家安全保障顧問によ ると、サッダームは脅えており、恐怖が顔に表れていたという。また、自分に言い聞かせるように「こわがることはない」と話していた。

サッダームはなぜか、コーランのコピーを所持しており、これをバンダルという人物に渡すことを求めていたという(このバンダルとは、元革命裁判所長のアワ ド・ハミド・バンダルの息子のことであると一部報道では伝えられている)。そしてサッダームは、首にロープを巻かれる前に「神は偉大なり。この国家は勝利 するだろう。パレスチナはアラブのものだ」などと叫んだ。

イラク時間午前 6 時 5 分頃、首都バグダードにて絞首による死刑が執行された。バグダード判事は「自分の周りで起きていることに、全く無関心の様子だった。死を恐れていないようだった」と CNN に話した。

首にロープを巻かれた際の祈りともとれる信仰告白を別にすれば、サッダームの最後の台詞は「この雑魚が」であるという説もあるが、隠し撮りされた執行直前の映像によると、刑執行の直前には執行人のひとりが、サッダームと敵対したシーア派急進派の指導者ムクタダ・サドル師の名前を挙げ、「ムクタダ・サドルに長寿を」と叫んだことに対して、サッダームがあざけるように「ムクタダ・サドル」と口にして、これを最後に死刑執行された。

死刑執行は当初、行われないという観測もされていたが、死刑確定後わずか 4 日という異例の展開となった。この背景にはマリキ首相を中心とするシーア 派系現政権の大部分が速やかな年内の死刑執行を望んだこと、またイラク情勢の早期打開を狙うブッシュ政権の思惑もあると思われる(ただし、イラク駐留アメ リカ合衆国軍のコールドウェル報道官が拙速な死刑執行に不快感を示し、またアメリカ合衆国国務省のマコーマック報道官は死刑執行の延期を働きかけていたと表明している。これは当日が犠牲祭の祝日であったことから事態の泥沼化を懸念してのことだと思われる。

この死刑執行については、死刑制度に反対するヨーロッパ連合各国や人権団体などから非難の声が上がっているほか、イラク国内でもスンニ派の一部住民が死刑に対するデモ活動を行った他、爆弾テロも発生し 70 名余りが死亡した。今後、イラク情勢がどのように変動するのかは全く不明である。

尚、サッダームの逮捕や裁判判決がアメリカ合衆国の国政選挙の直前というタイミングで行われていることから、アメリカ合衆国の共和党政権の選挙対策 に利用されているのではないのかという論調も存在する。また、この死刑に関して、かつてアメリカ合衆国と蜜月の関係にあったサッダームの口を封じる狙いも あったのではないかという意見も出ている。

国際連合事務総長に就任し 2007 年 1 月 2 日に初出勤した潘基文に対し、マスメディアからこの死刑執行について意見を求められた際に、「死刑は各国が決めなければならない問題」と発言。死刑を否認している国際連合の立場と矛盾した発言を行ったとして非難が集中。のちに弁明することとなった。

サッダームの死体は、故郷であるティクリート近郊のアル=アウジャ村へ輸送され、 12 月 31 日に埋葬された。

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