夜の王子
また一気に読み終わってしまった。解説を最初に読んでいたから泣かないだろうな、と思ったけれどやっぱり最後は泣けてきた。それぐらい小説の中のストーリーに入っていたのだろう。
自分の命をSOSに代えて送信する。
考えてみれば「夜の王子」という存在は今の日本社会に潜在的に存在していると思われる多数の子どもたちなのかもしれない。
だれもがこの「夜の王子」のように自分を傷つけることによって大切なメッセージを発する。だが多くの場合、そのメッセージが誰にも届かないという絶望感。自分を無にしてまで傷つけたのに。
「夜の王子」はあそこまで行くと確かに極端かもしれないけど、誰にもその可能性がないといえないではないか? 今の日本社会、何がきっかけで自分が犯罪者に陥るかもわからない雰囲気が充満している。その息苦しい雰囲気を敏感に感じているのが子どもたちなのか?
弟が殺人犯となり、その現実にしっかりと対応していこうと努力する兄の行動様式を読み進めながら、そのストーリーの背景にある14歳という誰もが経験したあの懐かしい中学生のころの自分の記憶に戻ることができる。
多感な14歳
そして、山崎は三人の中学生の目を見た。いつか自分がそんな目をしていた日のことを思い出す。大人になど永遠にならないと思っていた頃。僕が14歳のころ、この小説の主人公たちのように自分たちの世界の狭さに気が付いていただろうか?
これから自分も重ねていくであろう社会とのしがらみの中、成長していく自分を思い、不安に感じながらも無邪気に自分の友達と今という時間が永遠に続くという感覚を無意識に体感しながら生きていただろうか?
そのような懐かしさも感じることができ、自分が体験した14歳の社会とはとてつもないぐらいに閉塞的になった今の日本社会に住んでいる子どもたちのことを思うと、なんともいえない気分にもなった。
他人や社会との同化を求めるプレッシャー
社会から感じるプレッシャー、大人たちから感じるプレッシャー、同学年生たちなどから感じるプレッシャー。そんな数々のプレッシャーの中、どこに自分が「夜の王子」ならないという保証があろうか?
僕も日本にいた最後の頃、高校生を卒業した辺りの19歳ぐらいかなぁ、人の目ばかりが気になっていた。あのプレッシャーはなんだったんだろうね。歩くときもちょっと先の地面を見つめながら歩いたりしてさ。
日本にあのまま住み続けていたら、自分は犯罪者になっていたかもしれないなぁ、と振り返るときがある。あのプレッシャーに、社会に氾濫する誘惑。堕ちないほうがどうかしている。
でもあの頃の僕は、バブルに浮かれる日本社会には住むつもりもなく、円高が始まった影響でそのころブームになりだした留学の流れに身を任せ、日本から遠いアメリカのノースカロライナ州へと逃避行したんだよ。
最初は大変だったけどね、アメリカに来てよかったと思っている。昔のように神経質でなくなったし、人の目も気にしなくなった。今では前を見ながら歩いているよ(そのお陰で不思議と頻繁に僕は道を尋ねられるようになったけどね)。
携帯で誰かと繋がっていないと不安という気持ちを抱えている多くの子どもたちなんか、アメリカで生活し始めたらきっと「自分はなんであんなにしてまで携帯電話の世界にどっぷりとはまっていたんだろう?」ってきっと思えるはずなんだけどな。
それともアメリカの子ども社会にも、今の日本社会の子どもたちが経験しているような不安やプレッシャーを感じながら生きているのかなぁ?
大人になること。正しさの基準を外の世界にではなく自分自身の中心に据えること。
神戸連続児童殺傷事件
「夜の王子」は誰もがなりえる存在だよ。
自分が今の社会的雰囲気の中、14歳という思春期を迎えていたとしたら、どうなっていただろうか? 友達に恵まれるのって、すごーく大事なことなんだよなぁ。
神戸連続児童殺傷事件を僕は知らないんだよ、あのころすでに僕はアメリカに来ていたし、今と違ってインターネットなんてなかったから日本の情報なんて手に入らなかった。あの神戸連続児童殺傷事件を違った角度から知ることができて、よかったよ。
日本の家族のほとんどは、正面からぶつかりあわずに、お互いの胸の奥にある言葉を静かに推し測りながら暮らしている。相手に気を配り、傷をつけないように、大切なことはそっとしまったまま。
目次
事件の終わり
嵐のなかの家
人形使い
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