What's up, Japan?, 今の日本って大丈夫? - Written by B-KOOL on 日曜日, 12月 7, 2008 21:40 -

インドとパキスタンを煽っているのは誰だ、その1 – インドのイスラム教徒

インドのイスラム教徒

非イスラム教徒インド人が主な出資者となっている英語版全国紙「エイジャン・エイジ」のイスラム教徒編集委員M・J・アクバルは、私にこう説明した。「一つクイズを出しましょう。この50年間、持続的な民主主義の恩恵をこうむっている唯一の大きなイスラム教徒コミュニティーは何か?

答えはインドのイスラム教徒です。インドでイスラム教徒が栄えている、などというつもりはありません。

緊張、経済的差別、アヨーディヤーのモスク破壊(1992年にヒンドゥー教徒の民族主義者が行った)のような挑発行為はあります。しかし、インド議会は世俗的であり、優秀な人材を提供できるコミュニティーにはきちんと経済発展の機会を与えています。

だから、インドではイスラム教徒のミドルクラスが増えつつあり、全体として見た場合、非民主的なイスラム国の多くで見られるような、根の深いもつれた怒りがくすぶるようなことはありません。(トーマス・フリードマン著「フラット化する世界」参照)

トーマス・フリードマン 著書の「 フラット化する世界 」からの引用だけど、僕は随分前にその書評を書いた。ほとんどの引用が下巻からのもので、そのほとんどの内容がフラット化社会におけるイスラム教徒やテロリズムについての記述だった。それほどインパクトがあったというか、大事だと思ったのである。

その「 フラット化する世界 」の中にももちろんインドに住んでいるイスラム教徒についての記述がされている。

今回読み返してみて、改めて大事であるというか、ニュースからの情報だけでは偏った情報に固まってしまう危険性もあったので、自分の頭の中を整理しなおすという意味でもう一度、本書の中のインドに住んでいるイスラム教徒および、フラット化する社会におけるテロリズムなどについての記述を探してみた。

イスラム教徒の人口世界2位はインド

イスラムのことがマンガで3時間でマスターできる本―日本人イスラム教徒が語るイスラム教徒の人口が最も多いのはインドネシアだが、第2位は、サウジアラビアでもイランでもエジプトでもパキスタンでもない。インドが第2位である。イスラム教徒1億5千万人というのは、パキスタンよりも多い。

9.11に関して、実に興味深い統計がある。わかっている範囲では、アルカイダに参加しているインド人はひとりもいないし、9.11後にグアンタナモに設営された収容所にもインド人はいない。イラクで聖戦士たちとともに戦うインド人イスラム教徒もいない。なぜだろう?

圧倒的に多数のヒンドゥー教徒が支配するインドで、マイノリティーのインド人イスラム教徒が自分たちの問題をアメリカのせいにして、飛行機でタージ・マハールや英国大使館に突っ込んだという記事を新聞で目にすることがないのは、どうしてだろう? (トーマス・フリードマン著「フラット化する世界」参照)

実際には起こってほしくない現実が、先月の終わりにムンバイ同時多発テロという形で現れた。パキスタンとインドの緊張を煽って何を狙っているのだろうか?

このようなテロが起こると一番困るのは日々の生活がとても不便になるということだと思う。実際、ニューヨークで起こったアメリカ同時多発テロ事件の後の、ロンドン同時爆破事件の際に公共施設やさまざまな交通機関で安全対策ということになり、かなりの緊張と社会的ストレスを感じたことを覚えている。

日常生活に空気のように存在する信頼

社会にある信用とか信頼、毎日の何気ない日常、当たり前のように存在利用している普通の生活環境というものがどういうことかわかるだろうか?

コーランは神の啓示を受けて書かれた書物であり、文学的批判や独創的な解釈は許されない

イスラム過激派・原理主義者が西側世界に目を向けるとき、われわれの開放的なところばかりを見て、それが退廃でふしだらと見なす。ブリトニー・スピアーズやジャネット・ジャクソンのかもしだすような開放性ばかりを見るからだ。

われわれの開放性の本質は、思考と探究の自由であり、それが強い力をあたえ、ビル・ゲイツやサリー・ライドを生み出しているのだが、イスラム過激派・原理主義者は、それを見たくないし、目を向けないようにしている。

そして、墜落だと意図的に決め付ける。なぜなら、開放性、女性の権利向上、思考と探求の自由が、西欧の経済力のほんとうの源であるとすると、アラブ・イスラム世界も変わらざるをえなくなるからだ。だが、原理主義者や過激派は、変革を望まない。

イスラム過激派は、開放性という脅威を撃退するために、社会を開かれたものにし、イノベーションし、フラット化する源、つまり信頼を、意図的に攻撃している。自動車、航空機、テニスシューズ、携帯電話などの日常的な道具を無差別な暴力に悪用することで、信頼を弱めようとする。

朝、オフィス街で駐車するとき、われわれは隣の車が爆発することなどないと信頼している。ディズニー・ワールドへ行った時、ミッキーマウスの気ぐるみを着た男がその下に爆弾を巻きつけていることはないと信頼している。ボストンからニューヨークへ向かうシャトル便に乗るとき、隣の座席に座った外国人留学生のテニスシューズが爆発することはないと信頼している。こうした信頼がなければ、開かれた社会はありえない。開かれた社会のすべての開かれた部分を警官に巡回してもらうことなど、不可能だからだ。

信頼がなければ、フラットな世界もありえない。信頼があって初めて、壁を打ち倒し、障壁を取り除き、国境での摩擦をなくすことができる。サプライチェーンを通じ、10人、100人、1,000人のほとんど顔を合わせたこともない相手との取引を可能にするフラットな世界では、信頼は不可欠である。無差別テロにさらされると、開かれた社会での信頼は失われてゆき、壁が築かれ、堀が作られるようになる。(トーマス・フリードマン著「フラット化する世界」参照)

今回のムンバイ同時多発テロで一番被害を被っているのはインドに住んでいるイスラム教徒の人々だと思うことは容易に想像できる。誰かがインドとパキスタンの外から2つの国の関係を煽っているのだろう、自分たちが有利な展開になるような環境作りのために。

ムンバイ(インド西部)矢野純一】インド西部ムンバイで起きた同時多発テロで、地元のイスラム教徒に動揺が広がっている。ヒンズー教徒が多数派のインド で、イスラム教徒は経済成長から取り残され、生活も貧しいまま。こうした現状への不満が事件の背景にあると指摘されるが、イスラム教徒たちは「イスラム犯行説」に困惑する一方、口々に「テロは断じて許せない」と語る。

テロの現場の市中心部から北へ約10キロ。イスラム教徒約15万人が暮らすバンドラ・パラックナガ地区へ入ると、舗装が途切れ、トタンやブロックを積み上げた粗末な家並みに変わる。ゴミが散乱し、すえたにおいが漂う。

厳しい戒律を守って生きるイスラム教徒は、生活習慣の違いなどからインド社会では浮いた存在だ。雇用拒否などの差別を受け、地域住民の7割はイスラム教徒内だけで完結する商売についている。

それでも事件後、同地区のモスク(イスラム礼拝所)では、犠牲者を悼みヒンズー、イスラム両教徒が平和に暮らせるようにと祈りがささげられている。アブドル・サッターさん(62)は「無実の人を殺すテロリストがイスラム教徒だとしても、我々は彼らを許さない」と話した。(インドテロ 動揺するイスラム教徒 犯人視に「報復怖い」

矛盾しているイスラム社会が目指す理想

テロリズムの罠 左巻  新自由主義社会の行方ではそのような環境とはどういうものなのだろうか?

イスラム教徒の宗教指導者やイスラム過激派・原理主義者が望むような社会の形態というのはどのようなものなのだろうか?

イスラムの学校ではコーランは神の啓示を受けて書かれた書物であり、文学的批判や独創的な解釈は許されないとしている。この神聖な書物は丸暗記するものであって、現代の生活の要求やさまざまな機会に合うように改変されてはならない。しかし、独創的な解釈や批判的な意見を進んで受け入れるゆとりのある文化でないと、独創的な考え方はしぼむ。他の学者に引用されるような世界的に高いレベルの科学論文がアラブ・イスラム世界の大学でほとんど生み出されないとは、それが原因かもしれない。

・・・中略

ダルリンプルは述べている。「かりに西洋世界でシェイクスピアが、われわれが研究すべき唯一の課題、われわれの生活の唯一の指針であったなら、たちどころに精神的停滞あるいは後退に陥るだろう。

厄介なのは、イスラム教徒の多くが停滞と力を同時に望んでいることだ。七世紀と何一つ変わらない時代に戻りながら、二十一世紀を支配する。それこそが自分達の教義の生得権、神から人にあたえられた最後の契約であると信じている。彼らが七世紀という沈滞した池に浸かって、なんの進化もない静寂主義のもとで安閉としていてくれるのであれば、お互いになんの問題もない。双方にとって厄介なのは、イスラム世界が求める力は、自由な探求の成果であるのに、自由な探求もそれを許容する哲学や機関もそこに存在しないことだ。

イスラム世界はジレンマに直面している。大切にしてきた宗教をすてるか、人類の技術進化の最後尾の位置にとどまりつづけるか。どちらも望ましくない。現在の世界で力を得て勝者になりたいという願望と、宗教を捨てたくないという願望のあいだの緊張関係を解決するには、自分を爆弾として破裂させるしか方法がない、と考えている人々もいる。御しがたいジレンマにぶつかると、人は腹を立てる。そして攻撃する。(トーマス・フリードマン著「フラット化する世界」参照)

これは非常に非現実的であるといってもいいのではないだろうか?

非現実的な社会を達成するためにイスラム世界がジレンマを抱えているとしたら、その内側で発生するであろうストレスは日々増幅するであろうし、その理不尽な社会から多くの不満を浴びるようにして育つ若者は多くの場合、そのような宗教指導者たちに利用されてしまうのだと思う。

トルコやインドのイスラム社会

七世紀と何一つ変わらない時代に戻りながら、二十一世紀を支配する

独裁政治の社会にイスラムが根づいている国は、それが怒りの抗議行動の媒体になる – エジプト、シリア、サウジアラビア、パキスタンなどがそうだ。

だが、民主的で多元的な社会にイスラムが根づいている国 – トルコやインド – などでは、進歩的なものの見方が広まっていて、さまざまな解釈をしっかりと聞ける場がある。(トーマス・フリードマン著「フラット化する世界」参照)

トルコやインドはやっぱり同じイスラム教徒を多く抱えている国だけれど、ちょっと雰囲気が違う気がするのはどうしてだろうか? トルコが一番いい例だとおもうけど、今のトルコは欧州連合加盟国になることを臨む支持層とイスラム圏の文化に固執しようとする大衆とに分裂している。

サッカーの UEFA チャンピオンズリーグを見てもわかるように、トルコからフェネルバフチェが唯一参加している。西側の文化や経済圏に近い位置にいることは確かだ。しかし、地理的に見ればわかるとおりイランやシリアと国境を接している現実をみれば、イスラム圏の影響を完全にはシャットダウンできないという関係性も抱えている。

パキスタンへ行ったイスラム教徒

南アジアのイスラム教徒の友人が、前にこんな話をした。インドに住んでいたのだが、1948年に一族の半分がパキスタンへ行き、半分がムンバイに残った。大きくなってからその友人は父親に、インドに残った家族のほうがパキスタンへ行った家族よりもよい暮らしをしているのはどういうわけなのかとたずねた。父親は答えた。

「インドのイスラム教徒は、丘の上の大きな屋敷に住んでいる人たちを見て育ち、”お父さん、僕はいつかああいう人になるよ”という。パキスタンのイスラム教徒は、丘の上の大きな屋敷に住んでいる人たちを見て育ち、”お父さん、いつかあいつを殺してやる”という」(トーマス・フリードマン著「フラット化する世界」参照)

この違いは何だろうね。片方はポジティブなエネルギー、プラスのエネルギーという陽の生命を感じるような雰囲気に満たされ、もう一方はネガティブなエネルギー、マイナスのエネルギーという破壊の雰囲気を感じる。

希望と絶望。人々はそのどちらの可能性からも危険な試みを起こそうとする。”ああいう人になるよ”と”あいつを殺してやる”とでは全くといっていいほど、生きていく意味が異なったものになってしまう。

こういう環境はきっとアメリカにも存在するし、日本にだって存在すると思われる。じゃなかったら時折ニュースで耳にする無差別的殺人事件なるものは起こらないと思うが、実際には社会が含む人々のイライラ感は、大きくなるばかりなのかもしれない。

テロリズムは自尊心の欠乏から生まれる

テロリズムの罠 右巻  忍び寄るファシズムの魅力この屈辱が重要な意味を持つ。テロリズムは金銭的欠乏から生まれるのではない、というのが私のかねてからの持論だ。テロリズムは自尊心の欠乏から生まれる。

屈辱が生み出す力は、国際関係においても人間関係においても、必要以上に軽視される。人や国家は、屈辱を味わうと、攻撃的になり、極度の暴力行為に熱中する。

アラブ・イスラム世界全般の現在の経済的・政治的後進性に、過去の栄光と宗教的優位という自己認識が交じり合い、アラブ・イスラム教徒が祖国を離れてヨーロッパに移住し、あるいはヨーロッパで成長する時に感じる非差別意識と疎外感がそこに加味されると、怒りという名の強いカクテルができあがる。(トーマス・フリードマン著「フラット化する世界」参照)

自尊心

金銭的に恵まれていても不満を抱えている多くの大人が存在するように、もっと精神的なもの、自尊心の欠乏という真実が与える影響というものに、もう少し注意をそそぐべきであろう。自尊心が満たされていれば、つまり自分が自分自身に満足しているならばジェラシーという感情は沸き起こりにくいと思うのだがいかがだろうか?

自発的に努力をしている人間は強い。そのような人間は他人の足を引っ張ることなどしないであろう。”階段を下りるときには妻と共に、階段を上るときには友と共に”というように成功を目指すもの同士はお互いが上にいけるように、お互いを励まし上昇へと引っ張り合う。

しかし、そのように互いに研磨する環境において、もしその階段の上に光り輝く未来よりも、絶望という天井が見える範囲で存在するとしたら、自分の内心に秘めている希望の光は消えうせてしまうかもしれない。こういう環境がイスラム世界なのだろうか?

視界が開けた先で見えたものは?

ビン・ラディンが新人テロリストを補充できる原因になっているこのやりきれない不満は、けっして薄れることはなく、むしろ強まっていくのではないかと懸念される。

これが昔であれば、見える範囲が壁や山や谷によって狭められていたから、民衆はよその地域の民衆との立場の違いなど知ることもなかったし、あまり関心も持たなかった。指導者はそこにつけ込むことができた。目に入るのは、せいぜい隣村だけだったからだ。しかし、世界はフラット化し、人々ははるか先まで見渡せるようになった。 (トーマス・フリードマン著「フラット化する世界」参照)

原理主義者や過激派は、変革を望まない

テクノロジーの進歩や激動する経済の恩恵を受けるもの、それらから取り残されていく人々の差というのは益々大きくそして早くなるのかもしれない。

わくわくする未来を構築することができるか? 金銭的に恵まれていなくても自尊心を満たされる社会の形態とはどういうものなのだろうか? またそのような社会は実現可能だろうか?

続く・・・

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