What's up, Japan?, 今の日本って大丈夫? - Written by B-KOOL on 月曜日, 1月 12, 2009 15:48 -

日本人が語学習得下手なのは、日本語が完璧だから?

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日本語が亡びるとき

水村美苗「 日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。

すこし前にネットで話題になった水村美苗著「日本語が亡びるとき」。まだ読んでいないけど結構ネットで上がっていた他の人の書評を読んだりして、ある程度はどういう内容のものかはそれなりに感じていた。

少子高齢化していく日本社会、50年後にはかなり日本人の人口が減っているであろうとの記事を読んだこともあるので、日本語が滅びる、というインパクトのある可能性に僕は興味を持った。

二極化する日本人というシリーズ( 二極化する日本人、その3 – 日本人女性たちの逃亡 )でも書いたけど、日本人が日本から海外へ逃亡してしまうんじゃないか、特に多くの女性が日本から異国の国で生活することを選ぶのではないかという予想を僕は持っていて、そうしたら自ずと僕らが操る日本語はどのようにして存在しているのだろう、ということも気にかかっていたことは事実。

やっぱり日本語は日本語を操る人口が減っていくのと同じようにして将来的には衰退してしまうのかなぁ(低下する若者の「日本語力」 )、と思っていたところで池田信夫氏の「日本語が亡びるとき」に出会う。

日本語は滅びない

記事内容を読んで納得、今では僕も日本語は滅びないと思うというように変わった。

題からしてちょっと逆説的だけど、僕には日本語が発達しすぎ、という認識がとても新鮮だったのだ。発達しているが故にこうも多くの日本人が外国語、特に英語などの習得に適応していけないのではないか? という仮説が浮かんできたんだよね。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で著者は「日本文学の衰退」をしきりに憂えるが、私はローカルな文化としての日本語は衰えないと思う。問題はむしろ日本語が発達しすぎ、ほとんどの用がそれで足りるため、すべての文化が国内で閉じていることだ。国際学会に出ると、日本語の発表はもちろん、日本人の発表もほとんどない。無理やり「アジア代表」で招待された日本人も、うつむいて原稿を読むだけ。技術標準を決める会議でもそんな調子で、日本人は参加者は多いが発言しないので、標準化の得意なヨーロッパ人が勝手に決めてしまうそうだ。

この「日本語の壁」を、著者のいうように教育で是正することは困難だと思う。これは日本がアジアでほとんど唯一、植民地化されなかったおかげだからだ。東南アジアへ行くと、子供でも慣れた英語を話すし、学問は英語でしかできない。それは彼らの自国語が現地語の地位を強制されたからで、必ずしもうらやむべきことではない。地政学的にも文化的にも他から隔離されてきた日本人が、 TOEFL で 214 ケ国中 197 位、アジアでは北朝鮮(これも在日だから日本人と同じ)と並んで最下位になるのは当然なのだ。

ただ現状が危機的だという認識は、私も同感だ。日本語が現地語になることは避けられないが、普遍語ができれば問題はない。ところがほとんどの日本人は、普遍語としての英語もできない。

日本語でほとんどの用が足りるというのも、インターネットや科学の最先端ではもう当てはまらない。日本語の本しか読まないビジネスマンは、世界から取り残されているのだが、彼らは取り残されたことさえ気づかない。ところが英語教育を強化しようとすると、 「英語より国語のほうが大事だ」 などという国粋主義者が出てくる。彼らは国語教育の現状を知っているのだろうか。(日本語はすでに亡びている – 池田信夫 blog

“問題はむしろ日本語が発達しすぎ、ほとんどの用がそれで足りるため、すべての文化が国内で閉じていることだ。”と言う箇所と、”日本語の本しか読まないビジネスマンは、世界から取り残されているのだが、彼らは取り残されたことさえ気づかない。”という箇所がポイントなんだけど、日本語圏内だけで育ってきた人にはあんまりピンとこないかもしれない。

ガラパゴス化している日本の携帯電話内で生息できていることは、世界標準のデジタル化した世界でサバイバルしていることにはなりえない、とちょっと前に書いたけれどこのニュアンス、伝わるかなぁ?

日本語の完璧さ

日本語にはひらがな、というものが含まれる。その昔(多分明治維新前頃まで)、中国大陸から押し寄せる多くの文化などを日本人のテイストに合うよう改良するため、ひらがなというものを用いて日本人用に適応させていった。

日本語にはカタカナ、というものが含まれる。その昔(多分明治維新以降)、西洋の国々から押し寄せる多くの文化などを日本人のテイストに合うよう改良するため、カタカナというものを用いて日本人用に適応させていった。

中国から入ってきた漢字文化をそのまま日本に適応させることはしない、ひらがなを使って日本人は上手に日本独自の文化に合うように取り込んでしまう。

西洋から入ってきたローマ字文化をそのまま日本に適応せせることはしない、カタカナを使って日本人は上手に日本独自の文化に合うように取り込んでしまう。

日本の新聞には「public interestの論理」はなく「商売の論理」だけ

音読みに訓読み、なんという器用さだろう! 和製英語、なんと便利なものなのだろう!

だから語学の習得(中国語とか英語)が下手くそなんだと思う、というよりその必要性がなかったのかもしれない。日本語がこのように何でも適応させてしまう便利なもので完璧だから、外から日本国内に情報を取り入れている間は、日本から外へ情報を発信していく必要性もなかったのだろう。

四方を海に囲まれている、という事実もそのような傾向を育んだ背景になりえるであろうし、世界広しといえど、こんなに外からの情報を巧みに取り入れている民族はほとんど存在しないんじゃないかなぁ?

外国によって占領されたことがないことも一理あると思われる。占領されて他国の情報を無理やり適応されてしまう。音読みは音読みのまま、そのままの文化、習慣、言語などを受け入れるように強制されていたならば、日本人の語学習得能力も違ったものになっていたかもしれない。

英語、ローマ字はそのままカタカナに直すことなく、文化、習慣、言語などを受け入れるように強制されていたならば、日本人の振る舞い、思考回路、新しい環境への適応能力なども違ったものとなっていたであろう。

このように考えていくと、過去の日本の歴史の中で、もし日本がアラブ、イスラム圏からの文化的な影響などを受けていたら、アラブ言語圏に当てた日本語の形も生まれていたかもしれない。どんな形になっていたかは想像できないけれど、漢字文化に対してのひらがな、ローマ字文化に対してのカタカナ、というようアラブ・イスラム文化に対しての日本語の形があったかもしれない、というのはいかがであろうか?

日本語の複雑さ

日本語で書くということ英語で言うところの一人称、 I 、に当てた日本語の多さ。俺、僕、私、わて、自分、てめぇ、我輩など随分あるねぇ。

英語で言うところの二人称、 You 、に当てた日本語。あなた、お前、てめぇ、貴様、とこれまたいろいろな言い回しが存在する。

ねぇ、英語は簡単でしょう! 単純でしょ! 日本語のほうが遥かに複雑で難しいんだよ、だからその複雑で難しい日本語を操る日本人は逆に言えば簡単で単純な英語の習得なんて朝飯前のはずなんだけどなぁ。

日本語の洗練さ

英語でいう eat 、日本語だと食べる。ここに日本語だと尊敬語と謙譲語という洗練された要素が加わる。食べるは召し上がる、という尊敬語へも変わることができ、頂く、という謙譲語にも変化する。自分の立ち居地によってこうも自在に自分が発する表現によって現在進行形で進んでいく状況に瞬時にして適応していく器用な日本人。

日本国内だけで発達、そして完結してきた日本語文化には良い面と今後の激動する社会に適応していく上で不利となる面とを備えている。だから多くの日本人は不安であり、どの方向へ進むべきなのか迷っているのだと思う(外から日本社会を眺めていると立ち往生しているように見えてしまうのだ)。

でもねぇ、この尊敬語とか謙譲語を使いこなす気遣いなんかは、日本人が外の世界で振舞うようになって行く過程で、武器になると思うんだけどなぁ。日本語ができて英語ができる国民が増えればそれだけ日本の国力が上がる、というのは僕の自論なんだけど、このような理由が下地になっている。

日本語の行くへ

日本語はローカル語な現地語でもいいじゃないか、日本語は不滅しないと僕は思う。というより日本語は新たな形、ハイブリットに近代化、益々便利になりながら進化していくと思われる。

まぁ、この辺は専門家ではないから確信的な発言ではないんだけど、こういう形の方向性を持って日本語は進化していくんじゃないかなぁ、というもの。つまりひらがな、カタカナ、漢字、英語などがミックスしていく、というか新しい感覚でさらに各々が融合していくんじゃないかなぁ?

さらに JK などからなる KY 語、ちょべりば、いけめんなどに代表される短縮語、そしてなんかすごいことになっている絵文字などが交じり合って、日本人独特の、というか日本人にしか日本語はわからない(当たり前だけど)、という状況がもっと強固な形で形成されていくのではないだろうか?(日本の絵文字が”世界進出”へ グーグルが標準化提案

中世の頃の日本では少数の人しか読み書きができなかったのではないだろうか、だから今の日本語の感覚を当てはめた読み方はできない。読めない、読みづらい、というかマスに対して必要ないから広めようという感覚も生まれなかったであろうし、単純化の意識も生まれなかったことと想像する。

近代文学、明治、大正、昭和初期の頃の日本語はどうであろうか? 形式ばっているというか、階級があったのであろうし、今の日本語感覚と比べると堅苦しい感じを受けてしまう。日本語国内だけで流通してしまう言語環境というか、外へ向かって発信していく必要性などなかったと思う。西洋文化に追いつけ、追い越せという時代だったのだから。

では現在から未来の日本語はどのようなものになるのか? 国境なし、インターネットあり、今後どんどん言語環境の境がなくなっていく。やっぱりハイブリットな形で日本語は益々新しい方向へと変化していくであろうと思われる。

日本語の本しか読まないビジネスマンは、世界から取り残されている

もしかしたら今使われている日本語も僕たちが昔の書物を読んで堅苦しいなぁと感じるように、未来の日本人から見たら堅苦しいものになっているかもしれないね!

KY 語、絵文字、短縮語が入っていても普通の日本語として利用されるに違いない。 KY 語は日本人の感覚を持った人にしか伝わらない、絵文字も日本人の感覚をもった人にしか伝わらない、短縮語も日本人の感覚を持った人にしか伝わらない。

ある意味、日本国内だけで流通する現地語、ローカル語としての日本語は逆に言えばここまで発達してしまう可能性というか危険性というか、どちらの感覚をもったほうがいいのであろうか?

あ、うんの呼吸に似た感覚としての日本語。これでは英語は習得できないだろうし、日本語のほうが洗練されているから益々携帯電話に代表されるようにガラパゴス的な文化は新しいものを生み出していくであろう、と思われる。

移民たちが使う日本語

日本語で読むということ後、移民が増えるからその人たちが抱え込んでいる文化も一緒に日本へ入ってくる。英語で言うところのブロークン・イングリッシュなるものと同じように、変てこな日本語も増える可能性がある。ネイティブじゃない日本語、母国語が日本語ではない人が習って流通する海外からの移民一世の日本語。

ここでも新しい日本語の形が生まれる可能性がある、 KY 語、短縮語、絵文字以外の日本の社会の成り立ちと深く関わっている感覚で、自然必要とあればそれらは人々に使われながら発達していく。

KY 語は言い難いことを言い表す新しい形として、絵文字は絵の奥に潜んでいる意味合いのバリエーション化を相互に理解しているものと前提して、短縮語は携帯電話での打ち込み簡素化などの必要性から、などの理由で日本人が操る日本語は新しい社会へと適応していくために順応してくことであろう。

「ウェブ進化論」以後の絶望

つまり、言葉を通じて表現された個別のもの=文学(多分娯楽などのエンタメも含む)や思考・思索、に対して、その「個別性」「固有性」から抜け出して、「普遍性」のある次元で思索する(=言葉を使って「考え」て「表現」する)ためには、メタ言語たる英語に頼らざるを得ない状況にある、ということ。

・・・中略

多分、似たような感覚で、梅田が指摘したのが、対談の中であった、「『ウェブ進化論』以後の絶望」というところだと思う。簡単に言うと、彼が、あの本の中で書いたことは、その後、アメリカでは実現したが、日本ではほとんどそうなっていない、ということ。たとえば、一億総表現者、といったが、アメリカでは、実際、そういう方向に向かっている。

梅田は、たとえば、新聞を例に出して、ウェブの登場で、アメリカでも、新聞の売れ行きが悪くなっていて、経営的には問題だが、しかし、彼らの場合、売上が下がるからという理由で、ウェブに向かうことに手をこまねいてはいない。むしろ、「報道する」ことに伴うジャーナリズムの「 public interest の論理」を重視して、今日のジャーナリズムとしてどうあるべきか模索する意味も含めて、ウェブの世界に対峙している。そのため、今後の生き残り策としては、非営利化、という方向なども検討されている、という。

その一方で、梅田が日本の新聞について指摘するのは、そこには、「商売の論理」しかない、ということだ。日本の新聞には「 public interest の論理」はなく「商売の論理」だけがある。だから、売上が下がることはやらない。(「ウェブ進化論」以後の絶望 | JOURNAL | FERMAT

ローカルで生きるか、グローバルで生きるか

ローカル内、日本国内、日本語圏内だけでも生きていけるであろう。小さく生きることで良しとするのであれば。

アフリカとかの小さな村をテレビなどで視聴するときどのように感じるであろうか? 村内でしか通じない現地語、外との接点などはもちろん乏しい。経済的にサバイバルできるか、といったら情報がないので不利というように多くの日本人は考えるかもしれない。日本語圏内で生活していくということはこのような感覚になることかもしれない!

英語に中国語は必須だと思うけど、これも個人の人生における選択だからね。一概には強制できないし、する必要もない。その個人がどのような立ち居地で生きて行きたいのか、多くの日本人は大きな選択をする必要に対面することになることは確かだと思う。

近い将来、未来の日本語を説明しているときに、このように説明しているかもしれない。日本語にはひらがな、カタカナ、絵文字、 KY 語、短縮語があります、と。

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    大橋一弘(1968年11月3日生まれ) 19歳で渡米、あれから21年が経ちました! ノースカロライナ、ロサンジェルスを経て現在ニューヨーク在住13年。ネットの世界でエッセイスト、スポーツジャーナリスト、写真家、小説家、起業家のステイタスを確立するため日々奮闘中。 続き・・・

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