So What?, Soccer - サッカー - Written by B-KOOL on 土曜日, 4月 25, 2009 18:46 -
サッカーの本質を知らない日本人
オシム
フィリップ・トルシエ、ジーコと来て、次は誰がサッカー日本代表の監督になるんだろうと期待していたらオシム? という人物の名前が挙がった。
どのような実績のある監督か詳しく知らなかった当初、ジェフユナイテッド市原・千葉で名将を上げた監督ということがわかり、見事J1優勝にまでチームを育てた実績を買われたらしいことがつかめてきた。
そうなんだ、なんて軽く流していたけれどイビチャ・オシム氏に関するある過去の実績を知って、なるほどあの時の監督かぁ、と記憶が蘇った。
あの時とは1990 FIFAワールドカップで見事ベスト8までチームを導いたユーゴスラビア代表監督だったのだ。スペイン代表を逆転勝ちした試合を記憶されている方も多いに違いない。あのドラガン・ストイコビッチのフリーキックは今でも思い出すことができるほど、奇麗な右カーブを描き、ゴールネットへと吸い込まれていった。
そのオシム監督が日本代表を任されることになり果たしてどのようなサッカーをするのだろうと興味を持っていたんだけど、どうやらそれは考えながらサッカーをしろ! というものらしい。ヨーロッパでサッカーを見てきた人物ならば当たり前のことなんだけど、日本では義務教育を受ける過程でひたすら受身の授業を受けてきた性で、自分で考える、ということがどのようなことなのか、それもプレーをしながら、という感覚に始めから違和感なく入れた選手はいただろうか?
トルシエ、ジーコというサッカー哲学を、それぞれが持っている独自のサッカー感を、体験してきた日本代表が次に取り入れるステップとしては最適ではないか、と期待しながら応援していたが、ご存知の通り、オシム監督の体調が悪化、残念な結末を迎えることになってしまった。
そのオシム氏が母国オーストリアの戻ってからのインタビュー記事がYouTubeの動画と共に上がっていた。内容を聞いて改めて納得、少しもサッカーに対する情熱は失われていなかったのである。たくさんのヒントある指摘に感銘を受け、要所要所のポイントで浮かんだ自分なりの感想を勝手に書き綴ってみた。(サッカーは国のスタイルや価値を証明する場でもある)
フィジカル
フィジカルはまだ改善できる選手がいます。ほかの選手に比べて技術や才能に恵まれているのは遠藤と中村俊輔です。遠藤や中村といった中心選手のフィジカルを強化すれば、チーム全体に大きな効果がでます。中村にはアイデア、判断力、強さがあるので、全力で走ってプレーすることが出来たらチーム力は大きく上がるはずです。世界のトップ選手は試合中、走り続けていますよ。
フィジカルがどうして日本のサッカー選手に足りないかは伝わらないだろうなぁ、という気がする。Jリーグだけでプレーしている選手には海外での体格の違う人物のタックル、競り合い、などに関する情報は入ってきていると思うけど、実際はどうなんだろう。こういうことはやっぱり本場のサッカー環境に自分を置いてみないと発見できないことの一つではないだろうか?
オシム氏が世界のトップ選手は試合中走り続けている選手の中の一人としてあげていたリヴァプールFCのキャプテン、スティーヴン・ジェラード(僕もジェラードのことがすぐ頭にちらついた)。
この選手は本当に良く走る、それも全力で走っているイメージがあるんだけど、この緩急の差が、チャンスと見たときにゴール前に上がる、自陣から中盤へ一気にボールを運ぶ、中盤から最後の組み立てに至るまで、これらの状況の中でトップスピードになるときの勢いが凄いから、全力で常に走っている印象を持ってしまうのだと思う。
後世界トップレベルの選手といえば今はリオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウドの二人かなぁ。
トルシエ氏が監督の時、中村俊輔を代表選考から外したことが話題になったが、トルシエ氏のようにヨーロッパサッカーを見てきた人物ならば当たり前のことだったのだろう。つまりあの頃の俊輔には戦うイメージが選手についてこなかったのだと思う。今でこそ俊輔はヨーロッパサッカーで激しく鍛えられ、フィジカルに戦える選手としてのイメージを披露できるまでに至っているけど、このフィジカルに戦えるということはJリーグだけの環境では伝わりにくいと思われる。
試合中だけの話ではない。大陸間の移動、時差との戦い、新しい文化に自分をどれだけ適応させていけるのか、食生活から普段の日常会話に至るまで新しい環境下に自分を置くことがどれだけ精神的に緊張を強いるものか想像できるだろうか? そうしたプレッシャーを背負いながら試合に出るために各国から移籍してきたタフな連中とレギュラーを競い合い、試合に出て尚且つ勝利に貢献するという、このタフネスが、すべてと戦うという環境下が、個人を精神的にそしてそれがフィジカルという形となって戦える個人へと仕立てる。
そのような要素を知っているのは今のところ日本人では中田英寿と俊輔ぐらいだろう。彼らのような個人が増えない限り、日本代表は世界で戦えない!
技術
日本選手の技術はサーカスの技術です。皿回しはサッカーでは役に立ちません。日本代表の課題は動きながらの技術です。速い動きの中でもアイデアをボールに正しく伝える、それが動きながらの技術です。速いサッカーをするためには次の展開を予測しながら、すばやく決断する能力が必要です。
リフティングのことを言っているのだと思うけど、確かに日本の選手はリフティングが上手いって話はよく聞く。
ボールに慣れる、ボールタッチの感覚を養うということから言えばリフティングは役に立つことは確かなんだけど、オシム氏の言う動きながらの技術で言ったら日本代表クラスの選手でもまだまだといったところか?
一番の違い、これはえっ、と思われてしまうかもしれないけど、サッカーの基本、パス、トラップ、ドリブルの質、レベル、技術の高さだと思う。
動きなららのパス、ドリブルしながらのパス、相手を背負いながらのパス、プレッシャーのかかる状況下でのパス。こうした技術に日本人はまだまだ弱いというか劣る。そしてこうした状況下から繰り出されるパスを受けるトラップの技術。動きながらボールをトラップ、相手を背負いながら受けるトラップ、プレッシャーのかかる状況下でのトラップ。
パス回しの翻弄されるような試合を展開するFCバルセロナ。どの選手もパス、トラップ、ドリブルと超一流なんだけど、その中でも特に際立っているのがメッシ。彼のボールコントロール技術は半端じゃなく凄い。何気ないパスにドリブル、ボールが足に吸い付くトラップといつみても彼のプレーには感心させられる。
オシム氏の指摘する、アイデアをボールに伝える、という感覚が伝わるだろうか?
自分はこのパスを出してこう動くから、このパスで相手がこのように釣られて動くから、というように次の展開をするためのアイディアをボールに伝えて走り出す。
これを行うには当たり前だけどパス、トラップ、ドリブルの基本的な技術がないとできないし、サッカーは有機的な現象の中で行われるゲームだから、次の展開を予測する知性、アイディア、創造力がないとただボールを蹴るだけの陳腐な遊びになってしまう。
素晴らしい選手というのは動きながら常に次の状況がどのようになるか、見極め、創造しながら決断しているのだと思う。ここでパスをする決断、ここでドリブルを仕掛ける決断、ここで相手を散らかす決断、ここで速攻をかける決断、ここでシュートを打つ決断。
一瞬一瞬の判断。”発見と発砲は同時だ!”というようなことが村上龍氏の「愛と幻想のファシズム」の狩猟シーンで書かれていたけど、それと同じ状況がグラウンド内で起こりうる。つまり、パスのコース、ドリブルを仕掛ける突破口、チャンスが広がる可能性、得点機に行うシュート、これらはすべて発見と同時に素早く行動に移さなくてはいけない。ボールは瞬時の判断によってどんどん創造的に展開される。
決定力
決定力不足はトレーニングの結果です。通常の練習や親善試合で何もトライせずリスクを冒していなければ、それを大事な試合だからと言って選手に要求しても不可能でしょう。積み重ねが大事です。私の印象では、選手はゴール前で何をするべきか分かっていません。シュートするべきかパスするべきか。監督に聞かないと何もできないんです。選手が自分で決めることなのに。
トライアンドエラーを試す個人個人の力量、そららを通しての発見、確認されながらチームを完成方向へと持っていくメンタリティーの技術も日本代表には欠けているというかそういったことに意識が向いている選手も果たしてどれだけいることか?
ゴール前で見方にパス、シュートを譲るという感覚は日本人の性格というか育ってきた環境下によって起こりうる性質の問題ではないだろうか?
相手に嫌われたくない、相手に自分のことを気に入ってもらいたい。このような感情というかプレッシャーが日本社会では相当強いんだろうと思われる。本当に共用しなくてはいけないのは勝つということであり、これらの意識が共用されているならば、チャンスでも見方にシュートチャンスを譲るという仲良しメンタリティーは改善されると思うけど、いかがだろうか?
日本の武器
日本には背が低くて小回りが利く選手がいます。他の国にはいない斜めに動ける選手です。斜めの細かい動きは日本がゴールを奪うのに有効です。なぜなら背の高い選手は背の低い選手が苦手だからです。日本の斜めへの細かい動きは日本の武器になるでしょう。
やっぱりここでも参考になるのがメッシ。あんなに小さな身長にも関わらす、常にドリブルで仕掛け相手大きなディフェンス陣を抉るように切り込み、パスをもらうために常にスペースを見つけ、ゴール前のシュートでは憎いぐらいに冷静で、ボールを落ち着いてゴールに忍び込ませる。パスをどんどん回して速い展開を仕掛けていくのが日本サッカーの目指す方向性とするならば、バルセロナのサッカーほど参考になるものはない。
同じサッカーをしているつもりでも絶対的に欠けている要素は何度も繰り返しになるが、動きながらの技術、つまり動きながらのパス、動きながらのトラップ、動きながらというか相手のプレッシャーを受けながらのドリブル、そして動きながらのシュート。バルセロナの試合を見た後の日本サッカーの質はどうしても劣ってしまう。
メンタル
岡田監督は良いけど、選手はまだまだだね。日本の歴史を考えれば素質はあるはず。メンタルが強くなければ切腹はできません。カミカゼもできません。それは過去の話で、今、全員がサムライになれるわけではないですが、メンタルは日本人の強みであることを知るべきです。
第2次世界大戦で連合国相手に戦っていたのはドイツ、イタリア、日本。そのドイツもイタリアもFIFAワールドカップで何度も優勝している。
日本も達成できるはずなのにできていないのは両国に比べまだサッカーの歴史が浅いことと、サッカーで証明するその国のプライド、誇り、日本人というアイデンティティーというものを戦いに勝って証明することの必要性の欠如。凛々しいかったころの日本人ならば充分に世界で日本は戦えると思うのだがいかがだろうか?
組織力
組織力はすぐに高められるでしょう。日本人の性質は、周囲が何を必要としているかすぐに気付いて責任感がある。それが日本人ですね。
組織力という要素、これは大事、チームとしてもまとまり感覚を育みやすくする。いくら個人的にすぐれた選手がたくさん集まっていてもチームとして成熟、完成、方向性の共有がなされていなければ大事な試合、強豪との試合で勝つことは難しくなる。
UEFAチャンピオンズリーグやFIFAワールドカップ、UEFA欧州選手権、AFCアジアカップなどで上位に残るチームは、組織の要がしっかり築かれているかどうかが決め手となる。
国際経験
審判をドイツやイングランドに送ればよいと思います。審判も本物のサッカーから危険性とプレッシャーを学べるでしょう。日本にはプレッシャーがない。ジャッジミスをしても正しいとされますし。
本物を知る、ということで審判が海外へ行って経験を積むのはいいことかもしれない。試合中に第3者の立場でいることができ、激しいぶつかり合い、プライドをかけた戦い、勝負という厳しい世界を経験することで日本にフィードバックできることは多いのではないだろうか?
ゲームをいい方向に持っていくよう仕向けることができるのも審判の力量に左右される。プレッシャーがない、ジャッジミスなどは完全に日本のサッカー環境からなくさなくてはいけない!
選手へのメッセージ
自分を信じて他の選手からも信頼される。そして、他の選手も信じる。ピッチを走るだけなら誰でも出来る。しかし、サッカー選手はピッチ上でアイデアを探し続け、リスクを冒すタイミングを追い求め続ける、そういう存在です。私が最初に日本代表に選んだ選手はサッカーを知っている選手たちでした。彼らは試合運びが上手かった。自分だけの武器を持ち、様々な役割を演じることが出来る、そういう選手になることが大事なんです。
「さよなら」という一つの言葉だけを歌っている選手になんの意味があるでしょうか。必要ありません。「多文化」のようでなくてはいけないのです。
自分を信じることからすべては始まる。自分を信じていればこそ相手も自分に対して信頼を置くようになる。信頼関係があればこそ、開いているスペースへ走りこむことができ、次の展開を予想してポジション取りを試みる。相手への信頼があるから、その開いているスペースへパスを出せたり、自分がドリブルで仕掛けたところにスペースができるからそこへ味方の誰かが走りこんでくるはずだという信頼感も生まれる。
このようなアイディアは常に創造、共有されて実行に移し実現、ゴールをゲットするという最終的な目的へと直結していなければいけない。
オシム氏が発する”多文化”という意味は多彩であれ、ということに繋がっている。たくさんのアイディア、イメージを個人が創造し、共有、ゲームの中で実現できるようでいること。そのためには実戦でリスクを冒しながら勝利という目標へと近づいていく過程で養われていく。
メディアへのメッセージ
もっと選手たちを信じて上げてください。
これはすべてのマスメディア関係者に言えることだと思う。サッカーを報道するならば、サッカーに詳しくなれと。選手の心理層にも深く探りながら取り込み、選手個人を育てていく、チームを育てていく、日本サッカー界を育てていく、このような姿勢で取り組み、このような存在であってほしいのだ!
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