決断力 – 羽生善治

先のエッセイ( 凛々しい日本人を取り戻すために )はこの「決断力」という本を読んで書評を書いていたところ、ある部分ではエッセンスが違ったものに発展したため、違う題名を持って発表しようと試みた結果である。

決断力、ということで自分が抜粋した内容はこのタイトルと直接は関係ないかもしれないが、ここは大事だなぁというか、付け足したい部分も含めて書評という形でまとめてみた。

早い段階で定跡や前例から離れる

確かに、決まった戦型だと60手、70手とかまで前例のある形で進み、いかに最先端の形を知っているかという知識の勝負という部分が大きい。前例のある形はデータが固まっているので、ある段階まではかなり正確に指せる。勝負の出来や内容からいけば、その道を選んだほうが安全だろう。

私は、早い段階で定跡や前例から離れて、相手も自分もまったくわからない世界で、自分の頭で考えて決断していく局面にしたい思いがある。実際に、中盤から終盤にかけて局面が混乱し、複雑な世界に突入する。そこで出現する「今、この場面」と同じものは過去にない。どの手を使うか、セオリーを敢えて捨てるか、最後の判断は自分でせねばならない。

こういう状況は真理を追究するというか、お互いが何かを突き詰めていく先に見えてくる、というか現れてくる不思議な現象というか局面と出会いたい、という羽生氏の欲望に似た探求であろう。2度と同じ場面は出現してこないかもしれない、というワクワク感と出会う。宇宙の謎解きのような感覚なのかなぁ、と想像してしまう。

NHK特集「100年インタビュー」で羽生さんとの対話が行われていたとき、羽生さんの喋る語り口からこの人は右脳で喋っているなぁ、というのを感じたことは前のエッセイでも書いたけど、その時に思い浮かべたイメージというのが、羽生さんの右脳に銀河が詰まっているイメージ。

映画「Men in Black」でネコの首輪にかかっている鈴の中に、小宇宙、銀河が詰まっているシーンがあるんだけど、あんな感じかなぁ、イメージとしては。

どの手を使うか、セオリーを敢えて捨てるか、といった部分で相手の個性、その人の中身を見ようとしているのではないだろうか? 日ごろから趣味の一環として観察されるスポーツ中継でもそう、アスリートたちの勝負に対する感覚というか、感情、そのほか、プレーシャー時に置かれたときの心理面などを観察している姿勢は盤上で相手を見極めたい、という場面で顕著に現れてくるのであろう。

守ろう、守ろうとすると後ろ向きになる

決断力 (角川oneテーマ21)7冠を取った後、米長先生から、釣った鯛を例えに、

「じっと見ていてもすぐには何も変わりません。しかし、間違いなく腐ります。どうしてか? 時の経過が状況を変えてしまうからです。だから今は最善だけど、それは今の時点であって、今はすでに過去なのです」

と戒められた言葉は、今も胸に深く刻まれている。

中略・・・

スクラップ・アンド・ビルド(破壊と創造)という言葉がある。米長先生のように、破壊することから新しいものは生まれるのだ。盤上で将棋を指すときは創造的な世界に進む、一回全部をガチャンと壊し、新しく違うものを最初から作るぐらいの感覚、勇気、そして気迫でいたほうが、深いものができるのではないだろうか。

守ろう、守ろうとすると後ろ向きになる。守りたければ攻めなければいけない。私は、自分の将棋は常にそうありたいと思っている。

先のNHK特集「100年インタビュー」、羽生さんとの対談の中で、印象に残った羽生さんの考え方の一つに、今日通用する、今最強の戦略は10年後には最悪の戦略になっている、という驚くべきもの。人間どうしても今あるものが有利な展開を生むのならば、なるべくそれに固執していたいというかそこから恩恵を受けたいという誘惑は必ず発生する。

しかし勝負の世界でそれを続けていると必ずどこかで相手がじっと次に訪れる自分の勝利を信じて研究しているから、その最先端の戦略を捨ててでも新しいものに触れ、そこから自分で考えて想像していくべし、というもの。

7冠を取った後の米長先生が釣った鯛を例えた教えは、羽生さんにとって覚悟という気合を自分の中に取り入れた働きをしたのだと想像する。

冒険的な手を指す

インタビュー:やっぱり定石を積み上げていって、その通りになるべく打っていくっていう、まぁ一種の対局にあるような考えになりつつあるというか、羽生さんはそうしているということですか?

羽生:冒険的なこともしないとやっぱり進歩がないってことはあるんですよね。で、勝負って言う面に関して言えばやっぱりセオリーどおりで手堅く行ったほうが多分勝率は高いだろう、っていうこともあるんです。冒険的なことはやっぱり冒険なんで、失敗に終わるというか上手くいかないことも多いんですよね。特にプロ同士の場合ですと何か挑戦的なことをやってもやっぱり的確に返ってきますから中々それで上手くいくってことは少ないです、半分もないです。

インタビュー:そうだとすると、ひょっとしたらこっちのほうが勝つ確立は高いんだけれどあえて今日はこれをやってみる、そういう時はあるわけですか?

羽生:やっぱりあります。今日勝つ確立が一番高いっていうやり方は多分10年後では一番リスクが高くなるんですよ。つまり10年後が一番時代に取り残されるとか、進歩が遅れているというやり方なんです、今日勝つ一番勝率が高いやり方は。

つまりそこはどこまでリスクをとって、どこまでは取らないかっていう、リスクのマネージメントのことだと思っているんですね。どこまでアクセルを踏むか、どこまでブレーキをかけるか? どの場面でどれだけ踏み込んでやっていくか? 本当にすごくそれは大事なこと、でも一番手堅くやるっていうことを手堅くやり続けるっていうのは長い目でみたら一番ダメなやり方だと思っています。

インタビュー:勝率の高いやり方をずっと続けていると、まっいわばもたない?

羽生:やっぱりそのどんどん変わっていきますから、未来を見ているんじゃなくて過去ってことですね。勝率っていうのは過去を見ているって事ですから、それをこう比較すればどうなるかっていうのはあきらかなことなんで。

インタビュー:目の前の勝利、もちろん大事なんだけどそういったことをやって、だけどふと考えてみるとやっぱり勝ちたいじゃないですか。その中でね、冒険的な手を打ってみようという発想になれる、羽生さんというのは一体何をみてそうしているのか?

羽生:思い切ってやってみるほうが楽しいってこともあるし、まっ後で得ることもあるってこともあるでしょうし、例えばそれで結果が出なかったとか、上手くいかなかったとか失敗したとしても、それでまた後悔するかどうかといったらまたちょっと別ですよね。

もっと自由に指したいしもっといろんな挑戦的なこともやってみたいという気持ちもあるわけなんで、だからそれをやることが本当に後悔するかどうかってことも何か一つの基準としては、まっ、自分の中では一様ありますが。

インタビュー:得ていくものっていうのもあり、つまり冒険的なことをやっていかないと今は勝てるかもしれないけれど、この先勝てなくなるかもしれないと、長い目で見ると、そういうのもやってみなければいけないと?(勝負師、羽生善治氏の考え方、その2 – 創造力

全体を判断する目とは、大局観である

全体を判断する目とは、大局観である。一つの場面で、今はどういう状況で、これから先どうしたらいいのか、そういう状況判断ができる力だ。本質を見抜く力といってもいい。

その思考の基盤になるのが、勘、つまり直感力だ。直感力の元になるのは感性である。

例えば、数学は緻密なロジックによって構成された論理的な学問であると思われている。だが、数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞した小平邦彦先生は、数学は高度に感覚的な学問であるといい、それを「数覚」と名づけている。中学校の幾何学で、図形の問題は、まず補助線が閃かないと解くのが難しいが、将棋も、この補助線のような閃きを得ることができるかどうかが、強さの決め手となる。

将棋に限らず、ぎりぎりの勝負で力を発揮できる決め手は、この大局観と感性のバランスだ。感性は、どの部分がプラスに働くというのではなく、読書をしたり、音楽を聴いたり、将棋界以外の人と会ったり・・・というさまざまな刺激によって総合的に研ぎ澄まされていくものだと思っている。

また引用するようで申し訳ないのだが、先のNHK特集「100年インタビュー」、羽生さんとの対談でここに関連した事柄を羽生さんが語っている。要はどうしてそう忙しく、将棋以外のことにも精を出しているのですか? という質問に次のように答えている。

多忙であることの意義

羽生善治インタビュー:羽生さんは今年、これまでに37局ということで2番目の方が28なんで9、多い、だいぶ多いですよね。

羽生:まぁ二日性も入っているんで、日数的にしたらもうちょっと多いですね。

インタビュー:でありながら一方でこう地方でイベントがあったり、そういった活動をすごく積極的にされていて大変忙しいわけなんですけど、どうしてそんなに忙しくされているんですか?

羽生:忙しくするつもりはないんですけど、ただ対局が重なる時期っていうのはやっぱりありますね。ここがまた面白いところなんですけど対局が多くなってくるとですね、もちろん体調面では厳しい、体力的には厳しいってところもあるんですけど、ただ段々勘が冴えてくるってこともあるんですよ。

その勝負勘というか、一つの場面でパッとみてここが急所だとか、これは行けるだとか、何かそういうところの主査選択の精度が上がってくるというのはあるんで、忙しいからといって厳しいかって言うとそうでもないこともあるんですね。

一番いい感じは中4日くらいで行くんですよ、野球のピッチャーと同じで中4日でずっと先発していくっていう感じで一番いい状態ですね。でも感覚が詰まってくると中4日が中3日になったり、中2日になったりするんで、なんかちょっと肩に違和感だとか、何かそういう感じにはなってくるんですけど、やっぱり実戦慣れしてるからいいときもあるという、そういうところはありますね。

インタビュー:逆にこう当番感覚が開いちゃうと?

羽生:体調はいいんですけど、例えば集中するのがすごく難しかったりとか勝負どころを見極めるのが難しくなるっていうことはあります。

インタビュー:ただその情報、データーは集めて研究するって時間も必要なわけですよね?

羽生:これは本当に大事ですね。本当にものすごく大事です。今は特にものすごく大事なんです。(3回も羽生氏は強調しました!)

インタビュー:イベントとかお仕事を減らしてそちらの時間にあてたほうが強くなるかなぁと思うんですけど、必ずしもそうではない?

羽生:これがまた面白いところなんですけど例えば将棋の勉強とか、将棋の研究だけをずっとやり続ければいいかっていうと、必ずしもそうでもないんですよ、つまり突き詰めてやっちゃうと煮詰まるってこともあるんですね。こう煮詰まっちゃってどうしようもなくなるってこともあって、こう何でも合理的に割り切って、その徹底してやるっていうやり方が一番いいやり方じゃないんじゃないかなぁと私は思っています。

何で差をつくかって今わからないんですよ、棋士同士で。情報皆同じで定石皆知っているわけですし、そこから思い浮かぶ発想っていうのはそんなに個人差があるわけじゃないですから。これも不思議なものなんですけどそのいくら机上で考えてもやっぱり実際の真剣勝負の場でやってみないとわからないこととか学べないこととか、吸収できないことっていっぱいあって。

インタビュー:データで見るのと実際とやっぱり違いますか?

羽生:違うんですね、なんというか緊張感とか緊迫感が違うっていうのと、後真剣に普段の時にやっているつもりでも、どこかその待ったができるとか、そういう状況なのと、待ったができなくて失敗が許されないその緊張感とか緊迫感の中で一手一手考えていくっていうところはなんかその同じ思考でも深さが違うというか、重みが違うってことはあるような気はしています。(勝負師、羽生善治氏の考え方、その1 – 真剣勝負

決断とリスクはワンセットである

勝負には通らなくてはならない道が存在すると私は思っている。リスクを前に怖気づかないことだ。恐れることも正直である。相手を恐れると、いろいろな理由をつけて逃げたくなる。怖いから腰が引けてしまう。しかし、勝負する以上、必ずどこかでそういう場面に向き合い、決断を迫られることになる。私は、そういうときには、「あとはなるようになれ」という意識で指している。どんな場面でも、今の自分をさらけ出すことが大事なのだ。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」だ。

中略・・・

決断とリスクはワンセットである。日本の社会は、同質社会ということもあって、このバランスが悪いと思う。リスクを負わない人がいる一方で、リスクだけ負わされている人がいる。決断を下さないほうが減点がないから決断を下せる人が生まれてこなくなるのではないか。目標があってこその決断である。自己責任という言葉を最近よく聞くが、リスクを背負って決断を下す人が育たないと、社会も企業も現状の打破にはつながらないであろう。

リスクを避けていては、その対戦に勝ったとしてもいい将棋は残すことはできない。次のステップにもならない。それこそ、私にとっては大いなるリスクである。いい結果は生まれない。私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている。

[quote1]

問題を先送り先送り、どこかの政府の対応、いやどこかの大企業の対応、リスクを取ることに躊躇し、面と向かって問題と取り組もうとしない姿勢は必ず後からしっぺ返しを食らう。リスク定義、日本で曖昧なのはリスクというものを危険、という風に捉えているからではないだろうか?

危険と単純に捉えるのではなく、慎重に問題の本質を見極め、対処するべくいかなる状況が発生したとしても大丈夫なようにオプションを準備しておくことが、逆にリスクをチャンスに転換できる可能性も秘めている、だからリスクというのはその個人、団体がどのようにインテリジェンスをもって対応するのか、という姿勢によって変化しうる、未来の不確定要素ということができる。

Popularity: 14%