iPadが普通に社会へ浸透している生活をイメージしてみよう


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iPadが普通に社会へ浸透している生活をイメージしてみよう

日、久しぶりに5番街のApple Storeへ行って来た。目的は一つ、タブレット型情報端末のiPadを実際に自分の目で手で確かめてくること。発売から1ヶ月近くたち、その間ネット上で様々な情報も飛び交い、初期の頃に抱いていたワクワク感も薄れたとはいえ、いざApple Storeへ続く階段をおり始めると、フロアーに大勢の群衆を発見。

iPadのコーナーはどこだ? と行動も機敏になる・・・実に楽しかった! これが大雑把な感想というか、iPadへの率直な想いである。この辺りは家に帰ってから急いでTwitterのほうへ自分の感情をそのままアップし続けたので、ここに掲載しておこう! 以下、

iPad、触ってきた!うーん、思っていたより小さい。もっと大きいのかと思ったけどAmazon Kindleと大きさはそんなに変わらないかも!ちょっとiPadのほうが長時間もったら重く感じるかもしれないけど、サイズ的に言ったら日本の新刊本を一回り大きくした感じかなぁ・・・

iPad、厚さはiPhoneなんかと変わらない。よくここまで薄く収納できたなぁ、と感心。iPodも今までの作業と変わらない。ゲームはやっぱりはまった!楽しい!プレステもWiiも敬遠してきた人もiPadで気軽にゲームをダウンロードしたら、あの気軽さは一気にはまる、それほど楽しかった

iPad、ウェブサイトはストレスなく鑑賞可能。タッチパネルの反応もいい。Photo関係の操作もストレスなく反応してくれる。文字とかの読みやすさだけど、文庫本とか新聞紙を読んでいた人はAmazon Kindleのほうが読みやすいかも、親指でページをめくるほうが自分の読む速度に快適?

iPadは公共機関とかビジネスの場で使われるようになる気がする。警察官とかお医者さんとか。他メーカーの物でもいいんだけど、あの大きさで手軽に持ち運びができいろいろなアプリケーションを取り入れたiPadは社会のありようを変えてしまう?小さい端末は全部iPadに集約されるかなぁ?

ソーシャルゲームネットワーク、その名もGame Center

これは多くの人にとって予想外だったんじゃないでしょうか。このサービスはXBOX360やPS3を遊んでいる人にはなじみがあるかもしれません。それぞれXBOX Live、PlayStation Networkというサービスを運営しています。これは同じゲームを遊んでいる人同士をつなげたり、スコアを競ったり、一緒に遊べるようにしたり、はたまた自分の実績(○○のボスを倒した!等)を自慢したりできるサービスです。これとほぼ同じものをiPhoneでもやる、というわけです。

機能としては友達の招待、ネットワークを介した対戦、世界ランキング、実績の公開など。Nintendo DSやPSPに対抗して、ゲームアプリをもうプッシュしているAppleですが、ネットワークと繋がっていること前提のiPhoneにはまさにぴったりのサービスになりそう。これはかなり爆発しそうな気配!iPhone OSが本当に次世代ゲームプラットフォームになる…というのもあながち嘘じゃなくなってきたかも。( 結論:「iPhone OS 4」は賢い。いい意味でも、ズルい意味でも。 )

iPhoneでのお話しですが確実にiPadにも対応すること間違いなしです。もうゲームはアップルの一人勝ちかもしれません。プレステや任天堂などの携帯端末ゲーム機で遊んでこなかった層の人々をゲームの世界へ引き寄せる。これは充分に可能なことであり、かつて任天堂の社長が仰っていた一番の敵はゲームをしない層の人たちのゲームへの無関心だ、というようなこともiPadにiPhoneの世界はとても魅力的に映ることでしょう。

どうしてかというと単純なんですけどiPhoneにiPadはゲーム以外にも様々な機能が付いていて購買動機がゲーム以外の機能がほしいということでも中にある数々のアプリを簡単にダウンロード、すぐに遊べる、となった場合、ゲームの世界に入ってくる敷居がものすごく低いわけです。どの機種がいいとかどのメーカーがいいとかそんなことはどうでもよくて、単純に楽しいゲームならば遊ぶことが目的ですから、この敷居の低さは大勢の層の人を巻き込むこと間違いなしです。

iPadならばゲームの画面が大きいのもアドバンテージになるのではないかと! 自分も中学生まではゲームに夢中になっていましたが、iPadを手に入れた際にはゲームにはまること間違いなしでしょう(笑)。

iBookで本を読む

生産性の話題同様、この点についてもアプリをインストールする必要があるので、「箱から出したばかりの状態」という原則を捨てなければならない。Kindle対iPadについていろいろな議論されているが、私に言わせれば、そもそもそんなことは議論するだけ無駄だ。

一つにはAmazonは本質的にハードウェア・メーカーではないという点が挙げられる。Kindleは「eブックリーダーとはこんなものだろう」というその当時のAmazonの考えを具体化したデバイスに過ぎない。そしてeブックリーダーのパイオニアとして大成功を収めたが、KindleとiPadを同じテーブルの上に並べて比較すれば、『2001年宇宙の旅』で猿人がモノリスに触る前と触った後みたいなものだ―あのシーンで骨が空に投げ上げられると、次には宇宙ステーションになっている―そのくらいの違いがある。

しかし注意すべき点は、Kindleの本質はハードウェアではないという点だ。他にもっといい方法がなければ、Amazonは100フィートの感熱紙のロールにファックスで本を印刷するサービスを作ってもよかったのだ。郵便が届くのを待つなり、もっと面倒だが、バーンズ&ノーブル書店まで出かけたりしないですむなら、何千人ものユーザーがそうしたファックス出力サービスでさえ飛びついたことだろう。いや、冗談を言っているのではない。Kindleはいろいろなことを本質的に変えた。

そしてKindleストアはiPadからも利用できる。iPadアプリがすでに提供されているのだ。Apple自身のiBookストアと同様にすばらしいアプリだ。iBookには現在まだコンテンツが揃っていない。読みたい本を探しても提供されていないことが何度もあった。しかしePub規格のサポート、ドラグ&ドロップで簡単にiTunes経由で同期できることなど使い勝手は非常に優秀だ。

それでもiBookストアがKindleを滅ぼすといったことにはなりそうにない。Kindleはすべてのポピュラーなプラットフォームをサポートしているし世界最大の本屋が運営している。ちなみにiBookストアの超リアルな本棚デザインもなかなかいい。Kindleストアとどちらが良いかはユーザーの好みによるだろう。

さてこの分野における私のアドバイスはこうだ。電子書籍を読むだけが目的で、しかもすでにKindleを持っているなら、iPadを買っても得るところは少ない。Kindleはとにかくeブックリーダーとしてはよく出来ている。暗いところでも読める画面がどうしても必要なのでないかぎり、iPadを買ってもあまり意味はない。しかしiPad自身はeブックリーダーとして、数多くのライバルと比べても、非常に優れている。( Apple iPadをレビューする )

本へKindleがまだ浸透していないので想像できないかもしれないが、本を読む、文章を読むだけならばKindleは充分に使える。簡単にアマゾンからダウンロードできる点も素晴らしいし、こちらで言うペーパーバック類の本ならばKindleは大変有難いものにる。読みやすさ、簡単に手に入る便利さ、どこへでも持ち運べる手軽さ、などは多くの文庫本愛読者にもきっと受け入れられる点だと思う。

上の記事にもあるようにiPadとKindleを比べることは意味がない! iPadは様々なメディアを備えた機器であり、Kindleのそれは本を読むこと、文章を読むことに特化した製品。勿論、iPadの明るい画面の方が読みやすいとか、ページを指でめくるようにして読める感覚が素晴らしい、といった議論もあるようだが、僕が両方を触った感覚から言うと、速読というか自分の読むスピードでページを進める分にはKindleの方が使いやすいように感じるのだ。

両方の手でKindleの端を持ち、右の親指で次のページをめくるためのボタンを押す、または元のページへ戻る場合も左の親指でボタンを押す感覚のほうが読むことに集中できる気がしたんだけど・・・Kindleは文庫本や漫画を読むのに適しているかもしれません。でもあくまでもカラーの印象を大事にしたい人はiPadを購入するべき、というのが僕の結論です!

日本発『i文庫HD』〜驚嘆のiPadアプリとその可能性

iPadでPC(パーソナル)からソーシャルなコンピュータへ

iPadがこれまでの端末ともっとも異なる点は、周囲にいる人たちと画面を共有できるというところだと思う。PCにしろiPhoneにしろ“パーソナル”なコンピュータとして発展してきたものが、iPadではじめてソーシャルになるのではないかと思う。

例えば私はよくiPhoneで地図を表示してタクシーの運転手に見せるのだが老眼の運転手だと申し訳ない気持ちになるぐらい小さい。しかしこれがiPadなら十分に大きく、同じものを見ながら指で示したり実際にスクロールさせながら「ああ、そっちじゃなくて、ここです」というようなやりとりができそうだ。

あるいはこういう例もあるだろう。パソコン2台をちゃぶ台に載せ、家族が対面で旅行か何かの調べ物をしているようなときに感じる、あの「壁」の邪魔さ。垂直に立ったディスプレイは話者を隔てる壁以外の何ものでもない。PCを持ち上げて180度回転させ、それで相手に画面を見せるという行為は矛盾に満ちている。

かといって2人で1台のPCの画面を見ていると、後ろで見ている人がもどかしく感じることになる。「そうじゃなくて、もっと画面のこっちの……、いやいや、こっち、そっちじゃなくて、もうーっ! ちょっとやらせて! 」。iPadならすぐに渡して操作も任せられる。PCのようにわざわざ席を譲る必要がないし、iPhoneのように渡したが最後、もう自分には見えないということにもならない。

iPhoneは写真アルバムを人に見せるのに優れたデバイスだと思っていたが、その閲覧体験自体はやはり準パーソナルという感じだった。「これ、この前のパーティーの写真なんだけど見てごらん」とデバイスを誰かに渡す。すると、デバイスを渡された人は写真を次々に繰って基本的にはそれを1人で見る。それがiPadであれば、デバイスの周囲にいる人すべてが同じものを見ることができる。

PCでは液晶デバイスのアングルや視野角の問題から、PCを操作している人の背後に扇状に人々が集まる形になり、それぞれが横を向かないと人の顔が見えない。テーブルに置いたiPadなら、それを囲む人々は丸くなるだろう。食事などでは、もともと対面で座っていることが多いから、そのままの状態で画面が共有できる。こうした違いは大きいと思う。

仕事の打ち合わせや顧客との商談ではどうだろうか。オフィス文書の打ち出しを持っていくよりも、画面を見せて「どうですか」とやればいいし、その場で編集も可能だろう。こうした利用の仕方なら、Google Docsようなクラウド型のサービスが非常に強い説得力を持ってくる。もちろん、Keynote、Numbers、Pagesといったアップル製のオフィスもある(これらは素晴らしいUIを実現している)。物理的な画面共有という点で、iPadは今までのPCやスマートフォンとは異なる何かだという印象を受ける。

もしiPadが巨大なiPhoneでしかないとすれば、われわれのライフスタイルにどう入ってくるのかよく分からないところがある。しかし一方、われわれはまだタッチで操作可能なタブレット型ネットワーク・コンピュータというものの可能性や、その落ち着きどころを知らないのではないかとも感じる。それはもしかすると、グーグルのChrome OSやマイクロソフトのCourierといったタブレット型OS+デバイスが出そろい、多くの実験的アプリケーションが生み出されてからでないと分からないことなのかもしれない。( デカくて速いiPhone!? iPadを使ってみた )

共機関やビジネスの環境で活躍するようになるだろう、という予感も僕も思い描いた。オフィスなどでの申込書などはiPadを渡されて直接その中のテンプレートに記述していくようになるだろうし、iPadにスキャンできる機能が付けばもっといろいろな場所で使えるようになる。

警察官の職務質問の身体検査の際にiPadで赤外線検査をしてみたり、出てきた銃器などをスキャンして製造元や登録者の照合に使ったり、顔写真をすぐにスキャンしてもいい! お医者さんの場合でも手を骨折しました、という場合もiPadを手の甲に当ててiPad画面にレントゲン写真がすぐに映し出されて骨折状態を患者と把握するなんてことも将来的にできそうな気がします。

グーグルがちょっと前に発表した画像の検索もiPadのカメラ機能などが発達すればもっと社会に浸透するかもしれません。この生物はなんだろう、この小動物はなんだろう、この車のモデルはなんだろう、といったことも瞬時に画像検索をかけてiPad上に呼び出せばいいのです。

人々のライフスタイルが代わる

色々と書いて来たが、何と言っても、もっとも大きなインパクトはこれ。iPhoneでもかなり「新しい体験」をさせてもらったが、iPadはそれをもう一段引き上げる。タブレットという新しい形のデバイスを使って、普通の人がウェブブラウジングをする・本を読む・絵を描く・音楽を演奏する・ゲームをする時代がまさに来ようとしている。( iPadのインパクト、私の予想8 )

を描く、というのも新しい可能性が見えます。例えば自分のほしいと思うデザインのカバンや洋服をiPad上でラフに描いてネット上で検索にかけます。似たようなデザインのものがあればどこのサイトで手に入るかすぐに画面に登場。似たようなデザインが見つからなくてもどこかの誰かが作成してくれる可能性も!

音楽もメロディーを打ち込む。ネット上で似たようなメロディーを検索。見つかればコピーライトを検証して利用可能かどうかを調べる。自分オリジナルのメロディーがなければネット上で音楽を立ち上げてくれるミュージシャンにフリーランスの依頼。誰でも作曲が可能に!

小さな端末が人々の一般生活に浸透したときには情報というものが簡単に手に入るようになっているのかもしれません。

自転車の組み立ても作業しながら動画をアップ、ここの箇所はどうすればいいですか、と問いかけ。瞬時にアドバイスなり関連情報がiPadへと流れてきます。料理でもいいです。ここの次の過程では調味料をどのように味付けすればいいですか? 動画をそのままアップしてネット上で訪ねます。すぐにアドバイスなり、あぁ美味しそうなものを作っていますね、といった会話もタイムライン上を埋め尽くすでしょう!

PCとは違う価値基準

iPadは「アバウト」だ – Appleは僕らに今までのPCとは違う価値基準を植え付けようとしている

さて、ネット上ではさっそくiPadの話題で持ち切りだが、「自分の予想していたのと違った。中途半端。至極残念」という声が多い。”iBad” なんて造語が早速生まれたくらいだ。私も極正直に言わせてもらうと、iPadに関してはかなり戸惑った。いや、確かに残念だ。

iPadの操作に関して、小さく軽いiPhoneで十分対処できるケースもあるし、何しろMacBookのようにMacOS Xの “強力な” アプリが使えるわけでもない。確かに本気で写真をいじったり、制作作業をするにはiPadは心もとないように感じる。そりゃま「お前なんなんだよ、なんでここにいるの!?」と言いたくもなる。

ではそんなiPadが私たちに提供するものとは何か?それは普段のユーザーにとっての必要充分なPCの操作だ。私たちが普段PCを使ってやっていること、それはインターネットであり、メールであり、YouTubeを見ることであり、メールに添付されたエクセルファイルを開いてチェックすることであり、スケジュールを確認することだったりする。あとは自分の子どもの写真をしげしげと眺める、飲み会の場所を調べる…いやぁこんあもんなんだよ、結局。仕事や効率は別としても普段PCでやっていることの9割はiPadで事足りる。

しかしそれにしてもみんなiPadに不気味に、というか不安を感じている。では不安の正体は何か。それはiPadが、AppleやMicrosoftが作り上げてきたこれまでのPCの価値観をぶち壊そうとしているからだ。画面の中にカーソルがあり、それをマウスとキーボードで操作して使う、ピクセル単位の精密さを持った、無限の拡張性と自由度を持った機械。PC。

「カーソル至上主義」とも言えるこのスタイルが、万能で究極だという僕らの意識こそがiPadを拒絶している。我々のPCに比べ、iPadはあまりに非力で入力方法もアバウトで、おもちゃのような代物だ。こんな奴にPCのようなまねができるはずがない、できたとしてもそれは中途半端で気持ちが悪いものだ、そう思ってしまう。

ところがアバウトで誰も困らないのだ。携帯で書こうがPCで書こうが送られるメールは一緒。iPadとは我々が行ってきた9割のPC操作を行うためのソフトウェア群をアバウトに使えるよう再設計し、アバウトなインターフェースをもつ板状の筐体に詰め込んだもの。これがiPadの真の正体だ。( iPadが「カーソル至上主義」をぶち壊す – Appleが僕らに突きつける新たな価値観 )

iPadばかりが話題になっていますけど、グーグルなどもきっとタブレット型情報端末を発表してくるだろうし、そうなると向こうは無料のChrome OS搭載機を載せてきて低価格でマーケットに進出してくるでしょう。

ウィンドウズからグーグル、そしてフェイスブックへと進化しているように、ハードウェアもPCからスマートフォン、そしてタブレット型情報端末へと進化しようとしているようです。

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