NHKスペシャル「インドの衝撃(3)」 – The Indus Entrepreneurs


The Indus Entrepreneurs

NHKスペシャル「インドの衝撃(3)」 – The Indus Entrepreneurs

界の頭脳、印僑パワーを呼び戻せ。先のエッセイ(  NHKスペシャル「インドの衝撃(2)」 – ジェネリック医薬品  )でアメリカで活躍するインド人について少し記述しました。

特に企業におけるインド人の役割は大きく、 フォーチュン 500に掲載される企業の役員クラスには多くのインド人が在籍していて、彼らの経営的手腕、数学的思考分析力に頼らなければいけないほどといわれています。

際にはどのように人物のひとたちがどの企業などで活躍しているのでしょうか?  NHK スペシャル「インドの衝撃」第3回目はインドはニューデリーで5年前から始まった印僑大会の様子から始まります。

この印僑大会といわれるイベントでインド政府が海外で活躍するインド人を讃えています。今回の催しでは大統領から受賞された人、アフリカはモーリシャス首相、シウサガル・ラングラーム首相などの姿が見えました。

アメリカ企業を見てみると結構たくさんいるんです。シティグループCEO のヴィクラム・パンディット、ペプシコCEO のイントラ・ヌーイ(女性初めて)、大手保険会社 ハートフォード生命保険CEO のラマニ・マイヤー氏は総合金融会社に変えた形跡が認められました。

他にはUS エアウェイズ 元 CEO 、サン・マイクロシステムズ創業者の一人ビノッド・コースラ、アドビシステムズCEO などがアメリカで活躍しているインド人、またはインド系アメリカ人。

インド独特の理工系教育

のように優秀な人材を数多く輩出してきた背景にはインドにある理工系教育の存在が大きいといえるでしょう。有名なものではインド工科大学、 ITT 、 India Institutes of Technology などがあり、そこで理工系学習のほかに分析力、決断力などの総合力を磨いていきます。

全寮制であり授業が終わって宿舎に帰ってきても議論が続いています。生徒たちはそれらの環境から自然にロジカル・シンキングやネゴシエーションというスキルを補い優秀な学生へと育っていくそうです。議論をしながらお互いの引き出しからアイディアを抽出しているようでした。

そのようなインド理工系大学を卒業してアメリカなどへ渡って活躍していた印僑( インド系移民と在外インド人 )が、今インドを目指すようになってきているそうです。これが今回の NHK 特集「インドの衝撃」第3回目のメイン項目でした。先へ進む前にトーマス・フリードマン氏著「 フラット化する世界」にインド工科大学( IIT )についての記述がありましたのでいくらかの箇所、載せておきます。

インドでは、比較的多いエリート階級の間で科学、工学、医学の分野での教育が熱心に行われている。1951年、インド初代首相ジャワハーラル・ネールが、東部のカラグプルにインド工学大学( IIT ) 7 校の最初の 1 校を設立したのは、不朽の業績といえよう。それから50年の間、何十万人ものインド人がこの国立工業大学や私立の工業大学(および経営学を教えるインド経営大学 6 校)で学んできた。

インドの人口は10億を超えるから、この競争によって並外れた数の知的エリート階級が生まれた。インド全体があたかも一つの工場のようになって、工学、コンピューター科学、ソフトウェアの分野で、きわめて優秀な人材を生産しては輸出した。( トーマス・フリードマン氏著「 フラット化する世界」参照)

代首相ということですからインドの将来を見据えての決断だったのでしょう。50年も昔に種を蒔いていたんですね。ではインド工科大学( IIT )での勉強内容などはどれほどのものなのでしょうか?

「賄賂を使って IIT に入学することはできない・・・受験者は厳しい入学試験を経て入学する。政府はカリキュラムに干渉せず、勉学は過酷だ・・・おそらくハーバードや MIT に入学するよりも難しいだろう・・・サン・マイクロシステムズの共同創設者で IIT 卒業生のビノド・コスラはいう。

IIT デリー校を卒業して、修士号を取るためにカーネギー・メロンに行ったら、たいして勉強しなくてもいいと思った。 IIT での教育に比べたら、ずいぶんと楽だったから”」 ( トーマス・フリードマン氏著「 フラット化する世界 」参照)

ーバード大学や MIT ( マサチューセッツ工科大学)に入学するよりも難しいとは、すごいですね。 カーネギーメロン大学もアメリカではちょっとした IT 有名校です。そこでの授業が簡単だったとは恐れ入ります。インドの高校生がどのような環境でどのぐらい勉強しているかについてはここのエッセイで書きました。(  インド経済成長ストラテジー、その2(インド工科大学)  )

創立以来55年ほどにわたって、こうした IIT のお陰でアメリカは安い買い物をすることができた。ニューデリーの知恵の泉にホースを突っ込んで、泉の水をそっくりそのままパロ・アルトでいただいたようなものだった。 IIT 卒業生のほぼ4人に1人がアメリカへ移る。 IIT 出身の移住者がアメリカ国内で組織を作ってコンベンションを開くほど大勢いる。

やがて、ネットスケープ、1996年の電気通信法改正、グローバル・クロッシングや光ファイバーの仲間たちが登場する。世界がフラット化し、万事が逆転する。「インドには資源もインフラもなかった」ウォール街で最も尊敬されている若いヘッジファンド・マネジャーのディナカール・シンはいう。

両親は IIT 卒で、アメリカに移住し、そこでシンが生まれた。「 IIT は優秀な人材を大量に生み出した。しかし、大半はインドのドックで野菜みたいに腐ってしまった。船に乗って脱出できたのは、比較的少数でした。もうそれはない。

光ファイバーという海を越える手段ができたから・・・何十年もの間、知的職業に就くにはインドを離れるしかなかった・・・今ではインドにいながらにして、世界に接続できる。私のようにエール大学に行ったり、ゴールドマン・サックスに入社する必要はないんです」( トーマス・フリードマン氏著「 フラット化する世界 」参照)

う一昔前のようにアメリカへ移住する必要ないんですね。インドで理工系の大学を卒業した人材はそのままインドへ残る。こうしてインド国内の産業基盤が今急速に拡大しようとしているわけです。そしてこれらの動きに必要となる欧米社会ですでに豊富な経験をつんでいるインド人のヘッドハンティングも盛んになっているそうです。彼らを説得してインドへ帰国、インド発展のために貢献しないか! と。

インドをべンチャー大国にしよう

る国際ヘッドハンターを取材しています。彼はシンガポールからヘッドハントを行っていてその主要目的はずばり”インド祖国のために”ということだそうです。狙うのはトップ Executive Only というからすごい。

欧米企業の役員クラスの名簿がありましてそれらの中からインド系の人材をチェック。インドに在籍する会社からヘッドハンティングの人材依頼があり次第にそのポジションとマッチしそうな優秀なインド人を説得、交渉し始めます。

番組ではシンガポール在住の国際ヘッドハンター、ヤヒト・アンビカーさんを取材していました。彼自身、35歳の印僑です。印僑のトップ人材をインドの会社へ、これらの使命感はすべてインドという国の発展、国際化を進めるために国際経験が必要とのこと。

ニューヨークにある投資銀行幹部に狙いを定め、シンガポールからテレビ電話を通じて打ち合わせなどの詳細のセッティングを組みます。

どうしてあなたのような人材が今インドで必要とされているか? などから始まりいろいろと最もな意見を並べて説得を行います。さらにヤヒト・アンビカーさん自身もニューヨークへ飛んで、その人物とじかに話し合いをする場を設けるなどと疾走します。

番組内での様子ですとその人物、今はまだ現実的には考えられない、家族もアメリカ生活に馴染んでいるし、などと語っていました。将来的には考えてもいいかもしれない、ということでしたけど、この番組が放送されたのが去年の秋頃ですから、それ以降何がアメリカで起こったかを考えると、今頃はこの人物もゆっくりと考えている余裕などないかもしれませんね。

投資銀行自体、なくなってしまったのですから!( リーマンショック)

元ハリウッド・プロデューサー

際に動き出している印僑も存在します。サティカム・バンサムさん(33歳)、ムンバイを中心に CG 専門学校を運営するベンチャー経営者です。3年前、アメリカから帰国、わずか2年で13校まで増やしました。

このように印僑が実際にインドに戻ってインド発展のためにことを起こせるようにそれらの活動を後押ししている団体も存在することがわかりました。アメリカのシリコンバレーで成功したあるインド人のお話です。

TIE 、 The Indus Entrepreneurs

メリカでは1億円以上の資産を持つ人の10人に一人はインド人と言われています。それらの人を集めて印僑への支援を行っている団体が存在します。インダス起業家協会というもので、16年前に誕生、すでに1万件を超える起業を手伝ってきたという実績を残しています。そのインダス起業家協会、 TIE 創業者がカンクル・レキさん(62歳)です。

印僑の地位を向上させたい

ンクル・レキさんはインドに戻って起業したい印僑、若手起業家にノウハウを伝えてきました。”アイディアは10%、人間性が90%大事。アイディアはすぐ時代遅れになる、良い起業家は頭をすぐに切り替えることができる人”、と語っています。

現在では(  The Indus Entrepreneurs  )(インダス起業家協会)、世界の11カ国で展開するまでになっており、49の支部を持つそうです。500億円の資産を所有するといわれるレキさんですが、切なる思いを抱え続けています。「印僑の地位を向上させたい」ということなんですけど、そこにはカンクル・レキさんが若い頃経験したことの影響もあるそうです。

マイクロソフトも採用

キさんは1967年、所持金8ドルで渡米、大手通信会社のエンジニアになります。インドの大学を卒業してもその卒業生の多くは海外への活路を見出します、インドが貧しいからです。

大手通信会社のエンジニアになっても実際の仕事といえばインド人は裏方の仕事ばかり、レキさんはインド人がアメリカで成功する最初の一人になってやろうと決意します。そこで当時は研究者だけしか使えないインターネットに注目、民間でも使える装置を作ります。

23年前にレキさんが作った基盤、インターネットの技術を始めて民間レベルで使用したということで自ら売り込み開始、人を説得する能力を奮起してセールス活動に明け暮れます。やがてあのマイクロソフトも採用、50億円を稼ぐ売り上げを達成し、NYSE ( ニューヨーク証券取引所 )にもインド人で始めて上場します。起業して5年目のことでした。

しかし株主たちの反応は冷たいものでした。インド人の CEO ではなく白人の CEO にしろ、と。レキさんは強い怒りを感じると共に、インドとインド人のイメージを変えなくてはいけないと痛切に感じるそうです。”我々が優れていることを証明しよう”、と。

その想いが TIE を創設という形になって実現、経営ノウハウを広める努力を続けています。設立から16年、今ではレキさんから教わった人たちが若手を教えているそうで、現在インドで TIE を広めよう、という動きにまで発展。「アメリカにいるインド人の向上、インドにいるインド人の向上」を目指しているそうです。

The Indus Entrepreneurs (インダス起業家協会)はインド国内で13都市に支部を広げるまでに成長、インドで事業を始めやすくする仕組み設立へと動き出しています。更にノウハウを教わった起業家へ投資する仕組みを作成、4年前にはインド国内に印僑省設立するまでに至りました。

海外から戻せインド人ということで、レキさん、50億円の投資ファンドを立ち上げたそうです。”グーグルのような会社を作るぞ”と息巻いていたレキさん、新たな夢を実現させるべく鋭い眼光から放たれる熱気のオーラーのようなものを感じました。欧米からインドに移りつつある人材、資本も技術も知能も集積しつつあるようです。

アメリカに来なくなったインド人

くつかのアメリカの大学では明らかにインドからの留学生が激減しているそうです。その対策に追われているようですけど、僕の予想ですけどこの方向性が逆へシフトすることはないのでは? と感じています。

ではどうしてインド人がアメリカへ来ることなくインドでビジネスが展開できるようになったのか? その秘密は光ファイバー・バブル、 Y2K コンピューター危機( 2000 年問題 )、 IT バブルといったキーワードと関係がありそうです。

1990年代末には、2方面からインドに幸運の光が射しこんだ。光ファイバー・バブルが膨らみ始めてインドとアメリカを結びつけ、 Y2K コンピューター危機、いわゆる西暦2000年問題の暗雲が地平線に沸き起こっていた。

・・・中略

コンピューターの欠陥を修理するこの作業は、膨大な量だし、なおかつ手間ひまがかかる。それができるだけのソフトウェア・エンジニアを抱えている国はどこか? 答はインドだった。 IIT や私立の工業大学やコンピューター専門学校を出た技術者が、インドには有り余るほどいる。

そんなわけで、 Y2K が迫り来るなかでアメリカとインドのお付き合いが始まり、この関係が大きなフラット化の要因となった。なぜなら、パソコン、インターネット、光ファイバーを組み合わせた様々なビジネスが、共同作業と水平的な価値の創出、海外へのアウトソーシング、というまったく新しい可能性を生み出す可能性があるのを実証したからだ。

デジタル化できるあらゆるサービス、コールセンター、ビジネス支援業務、知識労働を、世界のどこかの最も安く、賢く、有能な供給者に割り当てることが可能になった。具体的にいうと、地球の反対側にいるインドの技術者が、光ファイバー接続ワークステーションを使って、企業のコンピューターの下に潜り込み、調整を行うことができるようになった。( トーマス・フリードマン 氏著「 フラット化する世界 」参照)

Y2K コンピューター危機、いわゆる西暦 2000 年問題を解決したのはインドだったんですね。騒ぎが大きかった割には2000年を迎えた新年を過ぎると一気に人々は何事もなかったようにその問題を忘れ始めました。だけどインドでは静かにインフラの整備が整っていたんですね!

IT バブルで敷設されたケーブルがインドを世界とつなぎ、バブル崩壊でそれをほとんどただで使えるようになるとともに、知識労働をインドにアウトソーシングするアメリカ企業が飛躍的に増えた。

Y2K はこうした狂乱を引き起こし、インドの知能にプログラミングの仕事をやらせるという流れができた。インド企業は優秀だし、安く雇えるが、発注元の頭にあったのは、値段よりも、仕事を完了してもらうことだった。それだけの量の仕事をこなす人数がいるのは、インドだけだった。

・・・中略

やがて IT バブルがはじけ、株式市場もふるわなくなり、投資のための資本が枯渇した。生き残ったアメリカの IT 企業と、新規会社に資金を注ぎ込みたいベンチャーキャピタルは、使える金が前よりもだいぶ少なくなっていた。

つまり、インド人エンジニアを雇うのは、大勢いるからではなく、コストが安いからそうせざるを得ないからだった。そして、インドとアメリカ・ビジネス界の関係は一段と深まった。( トーマス・フリードマン氏著「 フラット化する世界 」参照)

英語圏だけの話ではない!

ンドで起こっていること、アメリカで起こっていること、などを書いてくるとどうしても、あぁ、それは海外で起こっていることね、日本は日本語しか通用しないから大丈夫、とのん気な人がいますけど、必ず市場は一つの形へと方向付けられていきます。物も人も金も自由に行き来できるようになり、そこから発せられる情報はすべてにリンクするようになる気がします。

ウォールストリート・ジャーナルが動き出していますけど、中国版とインド版があることの意味は大きいと思いますけど、いかがでしょうか? ヨーロッパ版(英語)、アジア版(英語)、 中国版(中国語)、そしてインド版(英語)ですか?! 日本語版もできるそうです。( WSJ が国際市場で攻勢,インド版サイトを立ち上げ )

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