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2006年07月28日

Google誕生 - ガレージで生まれたサーチ・モンスター

はじめに
究極の検索エンジンを創る!
邪悪になるな
グーグルはまだ始まったばかり

1章 不可能に思えることには、できるだけ無視の姿勢で
イスラエルの高校生たちにグーグル・ストーリーを語る
ロシアから自由を求めて
思わぬゲストの登場

2章 ラリーとサーゲイの出会い
知的決闘から終わりなき友情へ
ラリー - 最愛の父親の死を乗り越えて
サーゲイ - 6歳でアメリカに渡り、10代の頃から常に注目される
スタンフォード大学コンピュータ・サイエンス学科で

3章 ゲイツ360号室
ウィリアム・ゲイツ・コンピュータ・サイエンスでのラリーアンサーゲイ
おだやかなラリー、情熱的なサーゲイ
バックラブ検索エンジン
成立しなかったアルタビスタやヤフーとの契約

4章 自分たちが世界を変える
シリコンバレーの天使がくれた10万ドル小切手
意味のある検索結果を引き出すために
ウェブページを重要度によって順位付ける
時には「危険」もともなう

5章 2大ベンチャー・キャピタルから融資を獲得
ガレージから起業
セコイア・キャピタルのマイケル・モーリッツ
クライナー・パーキンズのジョン・ドウアー
そして2大ベンチャー・キャピタリストからダブル出資を獲得
驚愕のプレスリリース

6章 グーグル・ドゥードゥルの誕生
バーニングマン
グーグルに共通する文化理念
ロゴをおめかしして大反響!
サイトの改良、そして巨大なデータセンターを設置
脳外科医リース博士

7章 「サーチエンジン・ウォッチ」
「検索の権威者」ダニー・サリヴァン
オーバーチュアに着目
グーグルの潔癖さは利益を生めるか?

8章 「グーグル」が動詞になる
IT企業が倒産に追い込まれるなか、積極的に雇用を推し進める
ユニークな楽園、グーグルプレックス
アフィリエイト・プログラムで攻めの姿勢に転じる
「検索結果ページの右3分の1を広告に」
「もしかしてXXX?」「イメージ検索」「グーグル・ニュース」

9章 操縦士エリック・シュミットの参画
「とにかくグーグルガイに会ってみてくれ」
知的火花の散ったあとに
そして交渉成立
3頭政治体制の確立

10章 AOLと提携
パワード・バイ・グーグル
キーワード・オークション
インターネット広告の中心に

11章 グーグル経済圏
迷走するアスクジープス
テオマの技術を採用
グーグル経済圏との提携によって大変な利益を上げる

12章 20パーセント・タイム・ルール
グーグルにしかないもの
9・11とグーグル・ニュース
フルーグルの誕生
ビル・ゲイツは20パーセント・タイムを認めるか

13章 全世界に広がるグーグル
アジアにもグーグル
使用可能言語は100近くに
個人情報も過去の経歴もすべて暴かれてしまう?
学術研究への影響
グーグル・ブロゴスコープト(ブログ的視点から見るグーグル)

14章 Gメール論争
すごいメール・サービスであっと言わせたい
エイプリルフールの発表
プライバシーの問題をめぐって
誰かに監視されている?

15章 ポルノ・クッキー・ガイ
アダルトサイトとの戦い
グーグルの広告基準

16章 ウォール街を震撼させる株式公開
株式公開もぼくらのやり方で
ウォール街の因習を打破してやる
経営権は絶対渡さない
証券取引委員会の要求も拒否

17章 そしてついに株式公開
さまざまなトラブルに見舞われて・・・
新規株式公開にともなう危険性
とにかく早く済ませてしまおう
「プレイボーイ」インタビュー

18章 グーグルは腹ペコだ!
ストックオプション付きのシェフ
社員のために愛情を込めて料理する
金曜日には楽しいパーティーも企画
エルビス・プレスリーが愛した特製フライドチキン
ラリーとサーゲイの30歳の誕生日パーティー
シリコンバレーのフード・サービス文化を変えた男
華やかで切ない別れと5千枚のTシャツ

19章 ライバル社との戦い、そしてグーグルの内情
AOLをめぐるヤフーとの攻防
彼らは使命感にモチベーションを得ている
グーグルプレックス内部は?
デスクトップ検索などで、マイクロソフトにさらに差をつける
宇宙競争を制す

20章 商標使用権をめぐる裁判
ガイコ対グーグル
真っ向から対立
法的勝利を収める

21章 図書館デジタル化プロジェクト
ぼくたちは全部スキャンする
ハーバードの図書館をまるごとデジタル化
本にやさしいスキャニング方法を開発
極秘に進められた図書館プロジェクト
著作権(版権)の問題は?
グーグル・プリント発表
すべての人には好意的に受けとめられなかった・・・

22章 クリック詐欺
広告クリック数の異常な増加
コスト・パー・アクションとコスト・パー・クリック
グーグルは広告主を徹底して無視?
グーグル広告の現状とリスク

23章 マイクロソフトを攻撃する
エリック・シュミット、ワシントン大学で講演
ゲームはグーグルの勝ちだ! - ようこそ、マイクロソフトの悪夢に
一緒に働かないか?

24章 初の株主総会 - 株価は急上昇
グーグル株は「買い」だ
若くて貪欲な創業者たちに賭けてみよう
しかし、株価は上昇しつづける
「ロングテール論」と成長余地の論理
株価は300ドルを突破!

25章 中国市場を制する
マイクロソフトの逆襲
引き抜きは許さない!
ついに億万長者に
常に検索がいちばん重要であることに変わりはない

26章 遺伝子をグーグルする - そして未来へ
グーグルで病気の予防や治療ができる
遺伝子研究、生物学、宇宙開発、そして貧困救済にも役立てたい
環境にやさしい燃料の生産、世界各地で無線ウェブ接続
グーグルのない生活は考えられない - 人と検索エンジンがさらに近づく

資料について
感謝のことば
訳者あとがき
牽引

Google誕生 —ガレージで生まれたサーチ・モンスター
デビッド ヴァイス マーク マルシード 田村 理香
イースト・プレス (2006/05/31)

前半の大半、グーグル誕生から現在に至るまでの発展物語に興奮したが、本当に知的興奮を持って読んだのは最後の章のこれからのグーグルがなしえようとしている箇所である。

グーグルがこれから提供するであろうサービスに驚いた共に、これはとんでもないことになるなぁ、というような、来る未来が想像もつかない世の中になるであろうことに思いをはせていた。

まず、自分を知ることが一般になるらしい。

どういうことかというと、グーグルは遺伝子工学や分子生物の分野でものすごーい開発に力をいれており、ヒトゲノムの解読から様々な生物の遺伝子解明に取り掛かっている。

それによって近い将来、自分がどういう体質の人間か、自分の遺伝子はどういう特徴があるのか、自分にあった薬から食事まですべて個々にカスタマイズされるのだ。

医療が一つまた上のレベルに達するであろう。

自動翻訳が当たり前になる。

これはグーグルが提唱している開発の一つで、まず使っている言語に関係なくインターネット側に蓄積されている厖大な知の世界にアクセスできるようにした。

そしてその次のレベル、個々人が使っている言語を意識することなくコミュニケートできるようにしよう、という試み。

今現在でのグーグルの検索結果などの自動翻訳はすごいレベルだが、きっと近い将来、こちらで自分の言語をあるデバイスに話すなり書くなりインプットすると、反対側の相手からはその人の言語となって自分のインプットした情報が、自動的に相手側の言語に翻訳されて、お互いスムーズにコミュニケートできるようになる可能性はある。

そうなのだ。ドラえもんの「ほにゃらこんにゃく」をついに誰もが手にできるのだ。

長ーーーーーーーーーーーーい時間をかけて、これから地球は一つの国家に仕上がってゆく。

世界政府というものの存在などまだ想像できないが、もし人々がお互いの言語を意識することなくコミュニケートできたときにはまず人々に意識がどのように変わるのか、見てみたい。

世界のどこからでも、どこにいても、たとえ秘境の地、アマゾンの奥地や、砂漠の中央、他大自然のど真ん中にいようともコンピューターにアクセスできるようになる。

今、グーグルは太陽光を利用した新しいエネルギー源の開発にも力を入れており、将来的には無線で双方のネットワークに繋がるような、もっと地球レベルで活用できるコモデティーの開発を急いでいる。

このコストは素晴らしく、ゼロに近いものになるだろう。

グーグルの世界中に散らばる何十万というサーバーの消費エネルギーはこれで解決される。

そう、発明は必要の母なのだ。

まだまだある。

持ち運びができる小さなデバイスをもって、人類はいつでもどこにいてもその地理的条件に関係なく、インターネットのあちら側の知の世界にアクセスできるようになる。

そしてそのデバイスは超小型化を極め、いつしか人間の脳内に直接埋め込むようになり、人間の左脳の能力はすべて超小型コンピューターを利用して生かされるようになり、人類は右脳という、直感や第6感、インスピレーション、胸騒ぎなどの部分が発達してゆくことになる?

そうなのだ。

当たり前のように行われている知識の習得、という意味のある行動がなくなる。

すでにあるたくさんの情報、インフォーメーションは巨大なデーターベースにアクセスすることによってすべての人間の機会がフラットになる。

人類のすべての人間がもう一つ上のレベル、インテリジェンスという知性の域まで達するのか?

これらのことが意味する本当の真意とはなんであろう?

人類すべての人々が知の世界に平等にアクセスする機会は限りなく民主主義的に人類を発達させてゆくのか?

村上龍氏の「愛と幻想のファシズム」を思い出してしまった。

民主主義と医学の発達が人類の人口を増やしたと。

弱者を増やしたと。

子供の頃、殺されずにすんだ運、病気に打ち勝つ体、殺し合いに生き残る力。その3つがないものは弱者なのだよ。


まさにグーグル概念は弱者を増やす機会を人類に与え続ける。

しかしその先はどうだろう?

僕の直感だが、限りなーく人類が平等に知へのアクセスを手にいれ、民主主義的な世の中になったあと、人類は再び狩猟社会に戻るのではないか?

そう、超近代的な狩猟社会。

その根拠は?

人類は知へのアクセスをつかんだことは、一見するとプラスの材料を手に入れたかに見える。

だが、実はすべての人々に知へのアクセスがあるという状態は、逆にいえば、すべての人間が平等、というか何にもない、フラットな状態だといえないだろうか?

うーん、ニュアンスが伝わるかなぁ?

何もないフラットな状態。

そうなのだ、人類はプリミティブな世界に戻るのだ。

超近代的な適者生存、自然淘汰が行われるプリミティブな世界。

原始的な世界で人類が採用してきた生きるシステムは狩猟だ。

農耕などの奴隷的システムが登場するずっと前の社会だ。

超近代的な狩猟社会とはどんな世界だろう?

想像できない。

しかし、村上龍氏のエッセイに書いてあったのだが、次の社会システムがあるとしてその社会システムに一番フィットする、適応するであろう民族はアフリカ人らしい。

飢饉に殺し合い、自然災害と次の社会システムのなかで起こりうるすべての要素を今現在経験しているかららしい。

だとすると、アフリカ人は次の社会システムへ適応するために今現在進化していることになる。

ありえなくもない。

あなたはどう思いますか?

「文書とかそういうものが書かれている間に、ディスクはどんどん進化し、どんどん速くなっていきました。


あと、2、30年もすれば、人間の知識のすべては、そして人間が生み出すどんな情報も、ビデオ画像を除けばみんなポケットに入れることができるようになるでしょう」とブリンは自信たっぷりに言った。

「こういうことは全部可能です。一つの中心地にそっくり丸ごと保管しておいて、それを活用すればいいのです。ぼくたちがやったのはそういうことです。」


ここに一つのキーワードがある。ビデオ画像を除けばというもの。映像という文字の検索とは違う実際には見なければ内容がわからない映像をどのように検索によってランク付けしていくのか?グーグルは機械を通して、ヤフーは人を介して映像を整理しようとしているらしい。ここにビジネスチャンスがないいだろうか?

ラリーとサーゲイは、自分達の株の売却の仕方を決めるときも、好景気と不景気の波を長いあいだ見てきた金融関係者や弁護士のアドバイスをしっかりと心に留めていた。


創業者達は、持ち株のほとんどを所有し続ける計画でいたが、例のシリコンバレーの起業家たちのように、自社株にほれこんでしまったばかりに、一株も売らずにいて、会社が倒産したとき手元には何もなかった、といった終わり方をしたくなかった。

そんなわけで、その月のグーグルの株価が上がっていようが下がっていようが、スケジュール通り、二人ともそれぞれ同じ日に同じ数の株を売るというのもなかなか良い方法だ、と思ったのだ。

これによって、二つの問題を避けることができた。まず、自動的に株が売却されるので、二人が内部の機密情報に基づいて株を売買したかもしれないといった疑問が持ち上がりようがなかった。

第2に、二人の持ち株の一部は確実に現金化されることになるから、たとえどんなことが起ころうとも、二人には、そして二人の家族は、万一の時に必要になる以上のお金を確保しておくことができた。

当然、投資の分散もできた。そして、議決権の数が異なる株が2種類存在することも忘れてはならない。これがあったから、二人は、グーグルの運命をその手に握りながら、安心して大量の株を処分することができたのである。


非常に賢いやり方だと思う。元々グーグルの二人は株式発行の前、なるべく多くの人にその機会が与えられるようにといろいろなことを試みていた。この二人の株式を定期的に売却するという行為はその延長線上と思われる。二人のもっている株を市場に出すことによって多くの人がそれらの株を購入できる。

その重要な第1歩となる試みとして、人口知能の技術や言語翻訳の新たなメソッドなどの実験がグーグルプレックスのなかで行われている。


ブリンとペイジは、こうした努力がやがて報われて、言語や地域の違いや、インターネット接続や電力のあるなしで制限されたり障害が生じたりすることなく、誰もがよりよい情報や知識にアクセスできるようになる、と期待している。


文明社会から隔離している多くの民族にとってこれは有り難いことなのか?この大いなる人類の英知の発達はそれらの人々を幸福にするだろうか?要はこのひとたちがこれらの新しいシステムにアジャストできるか、適応できるか、ということのほうが問題だ。

人は能動的でない限り、自ら知識を吸収しようとは思わない。情報を与えられるほうが楽だからだ。

文明社会に飛び出した多くのアメリカン・インディアンは新しい社会に適応できず、多くがアルコール中毒、ドラック中毒、犯罪、自殺へと進んでいく。知へのアクセスがすべての人に与えられても、それを世界中の人がフルに活用するとは思わない。奴隷は楽なのだ。

グーグルのプロジェクトのなかでもっとも心躍らせられものの一つに、生物学と遺伝学にかかわる研究がある。


医学と科学に飛躍的な発展をもたらすような研究で、このプロジェクトと通じて、グーグルがオーダーメイド医療(Personalized Medicene - 個人の体質を遺伝的に調べてそれに合った薬などを用いる医療)時代の到来を早める可能性もある。

グーグルが取り組んでいるのは個人の正確な遺伝構造の解読で、これが可能になれば、医師やカウンセラーが一人一人に適切な医療を施すことができるようになる。

もはや統計や平均に基づいて、医療を施したり治療法を考えるようなことはなくなるのだ。グーグルの研究から病気に対する新しい知識が生まれ、新薬が開発される。

その結果、特別な遺伝形質を持つ人たちが、特定の食物や薬品を利用したり、あるいは逆にそれを避けられるようになる。そんなことが十分に期待できる。


これによって西洋医学は驚くほど進歩するだろう。じゃぁ、東洋医学はどうなるのか?この辺は中国が解明してくれるだろう。当たり前だがグーグルは中国にも進出している。

自分自身の生物学的な生態を知り、それと病気や生活習慣とがどう関係しているかを理解することは何より重要だ。


グーグルがあれば、自分自身の遺伝子を理解できるようになる。グーグルには、こういったことをすべて行う能力があるし、わたしがラリーとサーゲイと話したときにも、その点については十分に議論を重ねた。


もしかしたらグーグルは人類の寿命を延ばすかもしれない。将来的には100歳は早死にの分類へ、そして人は150歳ぐらいまで普通に生きることができるかもしれない。

その一つは、環境にやさしいクリーンな燃料を手ごろな値段で生産することで、燃料源はおそらくは太陽になる。


この分野の調査はペイジにとっては重要だった。ペイジは、グーグルのコンピューター・ネットワークのパソコン数十万台の動力源である膨大な量の電力の調査や研究を何年間も行ってきたからだ。


この分野でグーグルが投資しているアメリカにある会社をご存知か?将来のシスコやデルになる可能性がある。

CEOのエリック・シュミットは、究極的にはグーグルは地上のどんな場所にも行き渡ると考えている。


「アマゾン川流域を見て、どうしてインターネット・ユーザーがいないの?と思うだろうが、それはそこに電力がないからだ」とシュミットは説明する。

「そしていま、この問題に人々は取り組みはじめている。だからグーグルはどんな地域の人にも使われるようになる。たとえ木の上に住んでいたとしても大丈夫だ。その人たちに、電力とちょっとした装置を提供すれば、問題は解決する」


人、もの、カネが自由に動くボーダレス経済。これからのその加速は早まるだろうし、もっと活発になる。人はもっと暮らしの快適な場所へ移動するようになったら、国家という概念はどうなるのだろう?発展途上国に住んでいようが、イスラム圏に住んでいようが、人々はグーグルを通して提供される知への恩恵を受けて幸福に暮らすことができるのだろうか?

近頃は世界中でインターネットとグーグルが同じものと思われたりもしているようだが、ブリンとペイジはさらにその先を見ている。


人間と検索エンジンがもっとずっと近づく可能性を予測しているのだ。「脳に役立てたらどうかな?」とブリンは口にする。「みんながコンピューターの力がもっとほしくなるんじゃないかと思うんだ。

たぶんいつか脳に差し込むだけでグーグルの小型版が取り付けられるようになるよ。ぼくたちは、かっこいいのを開発しないといけないな。でも、それがあったら、世界中の知識をあっとい間に全部手に入れられる。なんだかわくわくしちゃうな」


日本のアニメで「ゴクウ」というのが確かその昔あったよな?その主人公の片側の目はコンピューターになっていて世界中のコンピューターと繋がっている。

やっぱり悪用する人がでてくるだろうなぁ。人の殺し方マニュアルからあらゆる爆発物製造に関するマニュアルや、金融犯罪などの手口など、ありとあらゆる知識が利用可能となれば、やはり殺し合いは起きるだろう。

超近代的狩猟社会は人間社会の人口の淘汰が始まる。それによって生物学的に人口の調整が行われ人類は新しい社会への適応を進めていく。

才能や運や努力や出会いなどさまざまな要素が融合していまのグーグルに至っているわけだが、成功の最大の秘訣は、ラリーとサーゲイが、世の中の役に立ちたい、という気持ちを常に持っていたことにあるようだ。


このようなパブリックな考え方はアメリカの発明家の伝統でもあり、エジソンの母親が「役に立つ人間になりなさい」(Be a useful man.)と息子に言っていたことはよく知られている。

グーグルの二人も、自分達だけのために行動していては必ず限界に突き当たることがわかっていた。大きなことに挑戦するには、多くのひとたちを巻き込まなければならない。

そうすることで、自分たちはさらに好きなことができるし、役立つことができる。それを誰よりも理解し、徹底的にやり遂げたのがこの二人であり、グーグルなのだはないか。


落合信彦氏が言っている。お金持ちになりたい奴はあきらめたほうがいいと。

自分の情熱にかけること。情熱をもって行えることに励むこと。

落合氏が若いときにささげた全エネルギーは石油ビジネスだった。

それに情熱を傾け、結果、カネが落合氏を追いかけてきたらしい、という表現をされていたのを思い出した。

2006年07月18日

ウェブ進化論 - 本当の大変化はこれから始まる、その4

第6章 ウェブ進化は世代交代によって
1. インターネットの普及がもたらした学習の高速道路と大渋滞
鮮烈な刺激を受けた羽生義治さんの「高速道路」論
「大渋滞の時代」をどう生きるか

2. 不特定多数無限大への信頼
10代の感動が産業秩序を覆す
マイクロソフトとグーグル
ウェブの進化と世代交代

終章 脱エスタブリッシュメントへの旅立ち
「時間の使い方の優先順位」を変える
日本人1万人「移住計画」
若いうちはあまりモノが見えていないほうがいい
はてなへの参画が「後半生」最初の仕事

初出について
あとがき

将棋の羽生義治氏の「学習の高速道路論とその先の大渋滞」を読んでいて、ある直感がひらめいた。

これからはできる子供の飛び級は当たり前になる、ということ。

どういうことかというと、インターネットのお陰で、ある程度の技術を身につけることが昔に比べとても簡単になったということらしい。

将棋でいうならば、基本的な将棋が強くなるための必要な情報から、定跡研究成果、棋譜データーベース、終盤のパターン化や計算方法の考え方といった情報が、わずかなコストで誰でも共有できるようになったことが上げられる。

つまり、将棋の知識に関することならば、本人が能動的に必要と思われる情報はそれこそ可能な限り手に入ることを意味しており、そこで自分が知識に対して怠惰な姿勢で臨むのであれば、自分自身が惨めな結果を受け入れることに繋がる。

そしてなおかつ、将棋においては強敵との実践の場が一年中オープンな形で提供されている。

アマチュアの強豪からプロの多くも匿名で参加しているらしく、自分さえその気になれば一気に実力を付ける場が提供されているのである。

どのぐらい強くなるのであろう?

羽生氏曰く、アマチュアならほぼ最高峰の強さ、プロの一歩手前というレベルらしい。

将棋のほかにも自分で独学ができる分野はたくさんある。

コンピューターの一般的知識から、プログラミングの知識。

語学はどうだろう?

英語や中国語などはやろうと思えばいくらでも手段はある。

先の飛び級の話だが、仮にある子供が幼い時期から自分の興味のある分野が例えば、物理、天体、コンピューター、数学、科学、社会学、歴史、生物、英語、中国語、スペイン語、フランス語、工学などもっとたくさんの科目が考えられるが、それらの分野の知識を自分さけその気になればいくらでもその知識を得ることができる。

日本の義務教育が提供する英語授業に終始する必要はない。

プログラミングや高等数学もなどは大学まで待つ必要はない。

自分さえその気になれば学校の先生よりも深い知識が身につくことは容易になる。

学校の先生の淘汰がはじまる。

創造性のない授業を提供している先生はより自分の専門性を高めるか、人間的な部分で補うかをしていかないと今に一人から数人のプロフェッショナルの教師、講師のところにすべての授業が流れてしまうだろう。

さて、もう一つの課題。その先にある大渋滞とはどういう意味か?

知識をつけるための高速道路を走ってきた子供達のその多くは、その先にある大渋滞で躓くらしい。

将棋を例に取れば、そこまでたどり着いた子供同士での競争になり、そこからさらに一歩抜け出すのに苦労する子供達が大勢いる。

さらに自分の後ろからたくさんの若い連中が自分が通ったのと同じ高速道路を駆け抜けてくる。

そこから抜け出してプロになる為には何が必要なのであろうか?

それは徹底的に考えることだと思う。

徹底的に考えることはつまり、考え抜くことに繋がる。

多くの子供達は考えるという思考プロセスに入る。

しかし、徹底的に考えて、考え抜いた自分なりの答えを見つけ出したものが、その大渋滞から抜け出すことができるのだと思う。

学校の飛び級での課題。

とんとんで来てしまった子供達は必ず一回はカベにぶつかる。

そこが将棋界などの世界で説明した大渋滞の部分なのだろうが、そこをどのようにして切り抜けるか?

周りのサポートや両親や友達との触れ合いから学ぶこともあるだろう。

しかし、そこで自分なりに自分の考えを実行できるものだけが、その先もぐーんと延びる資質を自分に植え付けられるかどうかの分かれ目になると思われる。

大学まで一気に来てしまったとしたら、すこし自分にスペースを与えて世界を見て回っても良い。

ボランティアに参加したり、親の手伝いをしたりしてもよい。

自分で考えさせる。

あせる必要はない。

教育のあり方が変わる。

社会の上の層ばかりが、この恩恵を授かるようであってはならない。

中間層から下層レベルの人たちまで、ある程度の扉は開かれるべきである。

もしかしたらできるかもしれない。

この希望が特に中間層から下層レベルの人たちには必要なのだ。

そこで自らを放棄している人たちには政府が最低限の生活の保証だけをしてあげる。

God helps those who help themselves.

天は自ら助くる者を助く。

日本の少年少女たちは今、世界中で最も進んだITインフラの中で日々呼吸している。


物心ついたときから、インターネットや携帯電話の存在を空気のように感じて育った彼ら彼女らは、これからどんなことに感動し、その感動をもとに何を創造してくれるだろうか。

2010年代に、グーグルを凌駕するコンセプトと新技術を引っさげたベンチャーが、日本から、今の中学生たちから生まれる可能性は、歴史から考えても十分に「あり得る未来」なのである。


携帯からインターネットへの接続は日本はものすごくアメリカよりも先を行っている。

アメリカの携帯などの接続環境はやっと危機感も持ち始めたところで、まだまだ時間がかかると思われる。

しかし、一旦インフラが世界レベルに達した時にそこを流れるコンテンツは一気に加速するであろう。

ここがアメリカの凄いところ。

イノベーションがイノベーションを呼び、人々の生活スタイルが一気に変わる可能性を秘めている。

僕個人としてはやっと携帯からスカイプができるであろうと思われる期待が嬉しい。

グローバルに活躍する日本人たちの経験に共通する


「転職によるいい意味での人生の急展開」
「新しい場での新しい出会いがもたらす全く新しいオポチュニティーの到来」
「組織に依存しない個人を単位としたネットワークがフル活動することの強靭さ」
「いつ失職するかわからない緊張感の中で、常に個としてのスキルを磨き自分を客観的に凝視し続ける姿勢が、いかに個を強くするか」

といった新しいキャリア・パラダイムについて、日本のエスタブリッシュメント層の人々は、頭では理解できても、経験に裏打ちされた想像力が全く働かないのだ。


世界と繋がれるように個々人が知識武装すること。

これができれば世界のどこに住んでいようとその個人は生き延びることができる。

日本のエスタブリッシュメントが主流ではない。

しかし世界と繋がることのできない個人は日本のエスタブリッシュメントの犠牲になる可能性がある。

語学は自分の視野を広げてくれるが、サバイバルの手段の選択肢も大きく広がることも意味している。

ウェブ進化論 - 本当の大変化はこれから始まる、その3

第4章 ブログと総表現社会
1. ブログとは何か
面白い人は100人に1人はいる
「書けば誰かに届くはず」
記者固有のアドレス付けとRSS配信
大きく異なる日米ブログ文化

2. 総表現社会の3層構造
メディアの権威はブログをなぜ嫌悪するのか
総表現社会の1000万人
小泉圧勝を解散時に誰が予想できたか

3. 玉石混交問題の解決と自動秩序形成
検索エンジンの能動性という限界
待たれる自動秩序形成のブレークスルー
総表現社会のマルチメディア化に伴う大難問
総表現社会で表現者は飯が食えるのか

4. 組織と個とブログ
信用創造装置・舞台装置としてのブログ
知的生産の道具としてのブログ
夢を実現させてくれたわが「バーチャル研究室」

第5章 オープンソース現象とマス・コラボレーション
1. オーブンソース現象とその限界
オープンソースの不思議な魅力
マス・コラボレーション
MITのオープンコースウェア
著作権問題が平行線をたどる理由
「狂気の継続」を阻むリアル世界のコスト構造の壁

2. ネットで信頼に足る百科事典は作れるか
ウィキペディアの達成
ウィキペディアは信頼に足るのか
ウィキペディアを巡る2つの実験

3. Wisdom of Crowds
「全体」を意識せずに「個」の価値を集積
ソーシャル・ブックマーク、フォークソノミー
ソーシャル・ネットワーキングと人々の評価という「全体」
米大統領選結果を正確にあてた予測市場
「不特定多数は衆愚」で思考停止するな

この著者の梅田望夫氏のブログ「My Life Between Silicon Valley and Japan」は毎回氏がアップするたびにチェックさせて頂いているが、その内容はいつも新鮮で面白い。シリコンバレーで活躍するコンサルタントだが、2つほど注目している氏の活動がある。

まずは「(株)はてな」の取締役(非常勤)である。はてなの噂はなんとなく知っていたが、自分が積極的にその会社が提供するサービスに絡んでいくことはなかった。

しかし、この本を読んで著者のファンになり、この著者が思い入れる「はてな」?とはどんな会社なのだろうか? と思いとりあえず参加することにした。

「はてな」の創業者兼社長の近藤淳也氏はつい先日日本にある会社を部下に任せることにして、自ら渡米する行動に出た人である。

彼の経歴が面白い。京都大学理学部物理学科出身の彼は、独学でインターネットとプログラミングを勉強したらしい。

会社の雰囲気も近藤氏曰くちょっと普通とは違うらしい。

参加する人全員が立ってする会議のほか朝の会議は英語でするなど、なかなかユニークというかエスタブリッシュメントのおじさんたちにはわかるまい。

その近藤氏が梅田氏の下、シリコンバレーを訪れたのである。

訪れたというより2,3年は帰るつもりはないという。

たいした人物である。

社長としては日本に残してきた自分の会社が気がかりであろう。

しかし、そこまでする決意の裏には近藤氏が抱いていると思われる危機感を感じることができる。

タイミング的にもわかる気がする。

日本はIT関係のインフラは多分わからないだろうと思うが、世界一である。

しかしその中身は?

そこを通るコンテンツに日本から来たIT関係者はアメリカのそれを見て、驚くという。

ここに危機感を近藤氏は持ったのだろう。

これから5年、10年と時がたったときに、IT環境はまたさらにがらりと変わる。

世の中にはことを起こす人が1割ぐらいいて、何が起こっているのか気がついているひとがまた1割ぐらいいて、あとの8割の人間はことが起こったあとにその変化に気がつく、というのがほとんどではないだろうか?

近藤氏はその先頭に立っていたいのだとおもう。

そしてこの近藤氏のような若い人材をシリコンバレーに移住させてしまえ、という計画を梅田氏は抱いている。

「日本人1万人・シリコンバレー移住計画」という非営利プロジェクトを実際にたちあげ、それが後の「Japanese Technology Professionals Association(JTPA」という非営利組織に発達する。

シリコンバレーに日本人プロフェッショナルのコミュニティーを作ることと、日本に住む若者が「シリコンバレーを目指す」のを支援すること、をNPO活動の2つの柱にする。

世の中は動いている。

世の中は激しく変化している。

その世の中に自ら積極的に関わっていかないと、これからの厳しい社会、生き残ることはできない。

このことに多くの日本人は本当に気付いているのであろうか?

ブログが社会現象として注目されるようになった理由は2つある。


第1の理由は「量が質に転化した」ということだ。

ブログの面白さ・意義とは、世の中には途方もない数の「これまでは言葉を発してこなかった」面白い人たちがいて、その人たちがカジュアルに言葉を発する仕組みをついに持ったということである。

いろいろな職業に就いて、独自の情報ソースと解釈スキームを持って第1線で仕事をしている人々が「私もやってみよう」とカジュアルに情報を発信し始めれば、その内容は新鮮で面白いに違いない。ブログの総数が数万のときと数百万となった今とでは、質の高いブログのそろい方が全然違う。


ホリエモンのブログの人気が高かったことを思えば、世の社長さんはいい意味でのマーケティングとして利用する価値はある。

インターネットを使い始めた1997年頃、ブログのようなサービスを一般の人が持つことだできることなど想像できなかった。

人はやっと小さいながらも第5の権力を得たといえよう。

逆に言えば、これまでモノを書いて情報を発信してきた人たちが、いかに「ほんのわずか」であったかということに改めて気づく。


そしてその「ほんのわずか」な存在とは、決して選ばれた「ほんのわずか」なのではなく、むしろ成り行きでそうなった「ほんのわずか」なのだ。


ニュースなどのマスコミが発する情報を見たり聞いたりしていて、この人は勉強していないなぁと思うことがないだろうか?

なんでこんな奴が情報を発信しているんだ、というようなレベルの人はこれから淘汰されていくに違いない。

まずはインタビューで当たり前の質問をできないような記者は消えていくであろう。

聞いていて不愉快になるインタビューヤーはいらない。

そしてブログが社会現象化した第2の理由とは、ネット上のコンテンツの本質とも言うべきこの玉石混交問題を解決する糸口が、ITの成熟によってもたらされつつあるという予感なのである。


この本質的問題が解決されるなら、潜在的書き手の意識も「書いてもどうせ誰の目にも触れないだろう」から「書けばきっと誰かにメッセージが届くはず」に変わる。

そんな意識の変化がさらにブログの増殖をもたらす好循環を生み出している。

ではその原因となるITの成熟とは何か。

一つはぐーグルによって達成された検索エンジンの圧倒的進歩。もう一つはブログの周辺で生まれた自動編集技術である。


その届く範囲がインターネットの世界だと物理的な地理は関係ない。

すごいなぁ、と思うのはインターネットが出現する前では、絶対に知り合うことがなかったような人に自分のメッセージが届くことではないだろうか?

日本語だけだと、まぁだいたいは日本人がそのメッセージの届く範囲だろうが、これが英語となるととてつもない可能性を秘めている。

届くであろう可能性のパイがその日本語圏のものに比べるとものすごーーーく大きいからだ。

加えてブログ周辺には、グーグルほどスケールの大きなイノベーションではないものの、


気に入ったブログの更新をウォッチする仕組み、
ブログの個別の書き込みに対して読み手が意見や感想を書く仕組み、
書き手と書き手のつながりが次々と発展していく仕組み、
読み手の関心領域に近いブログを新たに発見する仕組みなど、

広義の自動編集技術が日々進化を続けている。


これはコメント機能やトラックバック機能のことであろう。

RSSリーダーを活用しているだろうか?

情報を集めるのに、こんなに便利なツールはない。

文章、写真、語り、音楽、絵画、映像・・・。


私たち一人一人にとっての表現行為の可能性はこんな順序で広がっていく。

それが総表現社会である。

ブログとは、そんな未来への序章を示すものである。

チープ革命の恩恵で表現行為と発信行為のコスト的敷居がこれほど低くなる前は、表現した何かを広く多くの人々に届けるという行為は、ほんのわずかな人に許された特権だった。


今はテキストのブログが中心だが、必ず映像コンテンツのブログが発達してくるのは想像に難しくない。

メディアの権威側や、権威に認められて表現者としての即得権を持った人たちの危機感は鋭敏である。


ブログ世界を垣間見て「次の10年」に思いを馳せれば、この権威の構造が崩れる予感に満ちている。


メディアは淘汰されるべきだ。

くだらない雑誌からテレビのコンテンツにいたるまで、国民に与える知への影響力はすさまじい。

特にテレビだが、ある特定した視聴者に向けての低俗な番組はなくなっていくであろう。

そんなものを見ている暇があったら、自分に投資していかないと、どんどん時代から取り残されていくであろう危機感が、今後はもっと深刻なものになる。

総表現社会 = チープ革命 x 検索エンジン x 自動秩序形成システム、という方程式で、ブログと総表現社会の今後を考えてみたいと思う。


まず放っておいても「ムーアの法則」によってチープ革命は進展していく。

よって年々、表現者にとっての敷居は下がっていく。

表現する為のありとあらゆる道具が、ほぼ無料で次々と揃う。母集団が増えていく為にはこの第1項が必須だが、何も心配はいらない。

時が経つだけで、自然に良くなっていく。


ハードは本当に安くなったがまだまだこの先も安くなるであろう。

しかし、僕が本当に期待しているのは通信コストである。

世界中、どこにいても通信コストが無料になった場合、人々はもっと活発にコミュニケーションをとるようになるのであろうか?

仕事のやり方が変わるであろう。

問題は方程式右辺の第2項と第3項である。


玉石混交問題解決における第1のブレークスルーは検索エンジンであった。

検索エンジンによってネット上の知の世界が整理されたため、私たちが何かを知りたいと思ったとき、まず検索エンジンに向かうというライフスタイルは広く定着した。

それによって、深い関心を共有する書き手と読み手が、検索エンジンに入力された「言葉の組み合わせ」を通して出会うことまでは可能になった。

しかし考えてみれば、検索エンジンというのは、実に能動的なメディアである。

問題意識、目的意識が明確な人はいい。このことについて知りたい。

あのことについて調べたい。そういう欲求がある人にとっては素晴らしい道具だ。

アメリカではテストでカンニングを認め始めた学校がでてきた。

当たり前である。

グーグルを使えばなんでも調べられる。

そんなことよりもその過程が大事なのであろう。

答えにたどり着くまでにどのような思考を展開したのか?

こちらのほうが重要になってきている。

日本の教育システムが変わるのはいつのことだろうか?

いや、政府を当てにしてはいけない。

賢い人たちは、すでに危機感をもって自ら動いているはずだ。

他人を当てにしてじっと待っている人は、時代から置いていかれる。

しかしテレビでも新聞でも雑誌でも、メディアの本質は受動性にある。


こちらから何も働きかけなくても、面白いもの、知っておかなければならない大切なこと、役に立つ旬な話題などが、親切にもどんどん提供されるのがメディアである。

それでこそ、人口全体を対象としたビッグビジネスになるわけだ。


だが、この受動性に大半の知識吸収を任せてしまうと、自分で考えるという行為が苦痛になる。

情報を受身に任せて届けられるものを吸収してるだけだと、脳みそを使わないので楽だ。

だが、これからの時代、自分が能動的になって自分が必要と思われる情報を適格に処理して自分のものにしていかないと、長い期間で見た場合、大きな差となって現れてくるであろう。

受身で育った日本人は自分で考えることが苦手だ。

新生日本代表の監督になったオシム氏のメッセージは自分で考えろ。

でも本当の意味は考えて実行することだと思う。

考えるのだったら夢想もそうだし、空想に陥りやすい。

そこから考え抜く力につなげなければ。

問題が目の前にあって、あぁーどうしよう。

これも考えているうちに入るであろう。

しかし、その問題を解決する為には考え抜く力が必要である。

考え抜いてそれを実践する。

オシム氏のメッセージはここまでの意味合いを含んでいるのだ。

これまでに技術が確立してその可能性が証明された「チープ革命 x 検索エンジン」までのブレークスルーでは、人口全体からみればかなり少ない「暇人で能動的な目的意識を持った人たち」の層までしか「総表現社会」の波は及んでいかない。


グーグルの検索エンジンをもってしても「言葉の組み合わせ」すら入力されない状態では、何も返せない。

第3項の「自動秩序形成システム」に受動性という面でのブレークスルーがなければ、総表現社会の可能性はそこにとどまるのである。


これは可能であろうか?

人類の叡智が試されている。

先進国の表現者が「飯を食う」すべは、相変わらず即存メディアに依存し続けるだろう。


そんな状況が相当長く続くのではないかと思う。

消費者である私たちは、ネットの世界とリアルな世界の両方で生き、相変わらず、テレビを見て、新聞を読み、雑誌を買い、ハリウッド映画を観て、DVDも買い、人気作家の長い小説を本で読み、人気ミュージシャンのCDを買い続けるのだ。

かなり遠い将来までこの構造が崩れず、これまでの世界にとどまるほうが経済合理的だと、「飯を食う」ことを重視する表現者の多くが判断し続けると予想できるからである。

確かにそうであろう。

しかし、発展途上国ではどうであろう。

発展途上国では、違うものが発達する可能性はある。

それが先進国へ影響を与えるべく大きな存在となった時に、もしかしたらこちら側のメディアの利用方法も変わるかもしれない。

「自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料放出することで(無形の)大きな利益を得られる」ということに尽きると思う。」そしてその「溜め込むより無料放出」についてはさらにこう詳述される。


「まず個人にとってのオープンソースとかブログとは何か。それはポートフォリオであり、面接であり、己の能力と生き様がそのままプレゼンテーションの装置として機能する。記事を書き続けることで人との繋がりも生まれていく。転職活動をする場合、相手が読み手ならば自己へのコンセンサスがある状態から交渉を始めるアドバンテージを得られる。それだけのものを、金も人脈も後ろ盾のない人間が手に入れる唯一の手段が、情報の開示なのだと思う。」

情報は囲い込むべきものという発想に凝り固まった人には受容しにくい考え方であろう。

しかし、長くブログを書き続けるという経験を持つ人たちにとっては、実感を伴って共感できる内容に違いない。

ブログという舞台の上で知的成長の過程を公開することで、その人を取り巻く個と個の信頼関係が築かれていくのである。

情報は共有する。

自らが持っている情報は開示する。

そのことで起こりうるフィードバックのメリットは計り知れない、と説明している。

この傾向は今後、ますます大きくなるであろう。

著作権についての論争がヒートアップしやすいのは、議論の当事者が、著作権に鈍感な人と著作権に極めて敏感な人とに別れていて、その間に深い溝があるからだ。そしてその溝は、「その人たちが何によって生計を立てているか」「これから何によって生計を立てたいと考えているか」の違いによって生まれている場合が多い。


加えて「総表現社会の到来」とは、著作権に鈍感な人の大量新規参入(ブログの書き手やグーグルのようなサービス提供者の両方)を意味する。

新規参入者の大半は、表現それ自身によって生計を立てる気がない。

別に正業を持っていて、表現もする書き手などはそういう範疇に入る。

そして総表現社会のサービス提供者とは、「表現そのものの制作によってではなく、表現されたコンテンツの加工・整理・配信を事業化する」人たちで、即存の著作権の仕組みを拡大解釈するか、新しい時代に合わせて改善すべきだと考える。Web 2.0はそういう方向性を技術面からさらに後押しするものだ。

著作権をめぐるさまざまな議論が、感情的かつ平行線をたどりやすい真因はここにある。

Web 2.0が多くの人々に理解され利用されていく過程で、それが市民権を得れば著作権についての人々のコンセンサスが新しいものに変わる可能性がある。

しかし、Web 2.0のような新しいテクノロジーのサービスをどれぐらいの人が理解して利用しているであろうか?

そう考えて入力と出力を発想してみれば、「何かを知りたいと思ったら誰に聞けばいいか」「何かをやりたいと思ったら誰を雇えばいいか」「誰かに会いたいと思ったら誰に仲介を頼めばいいか」・・・・・。


巨大マップの存在を前提とすると、入力は目的で出力は「人のランキング」になるのが自然だ。

むろん相手が情報ではなく生身の人間なので順位付けをすることへの抵抗感はあるし、検索エンジンより技術的に難しいから、こうした仕組みが実現されるかわからない。

しかしソーシャル・ネットワーキングは、「人々をテーマごと、局面ごとに評価する」という「人間検索エンジン」とも言うべき仕組みへと発展する可能性を内在しているのである。


ミクシィの可能性はここにある。

ウェブ進化論 - 本当の大変化はこれから始まる、その2

第2章 グーグル - 知の世界を再編成する
1. グーグルの実現する民主主義
世界政府が開発しなければならないはずのシステム
ウェブ上での民主主義

2. インターネットの「あちら側」の情報発電所
ネットの「こちら側」と「あちら側」
IBMのパソコン事業売却の意味
電子メールは「こちら側」に置くか「あちら側」に置くか

3. グーグルの本質は新時代のコンピュータ・メーカー
情報発電所のシステム
ゼロから自分たちで作る
グーグルとオープンソース
「情報発電所」構築における競争優位の源泉とは

4. アドセンス - 新しい富の分配メカニズム
グーグルが作るバーチャル経済圏
新しい富の分配メカニズム

5. グーグルの組織マネジメント
情報共有こそがスピードとパワーの源泉という思想
「採用とテクノロジー」
「ベスト・アンド・ブライテスト」主義
5000人がすべての情報を共有するイメージ
情報共有によって研ぎ澄まされるエリートたちの激しい競争

6. ヤフーとグーグルはどこがちがうのか
グーグルと楽天・ライブドアの違い
ヤフーはメディア、グーグルはテクノロジー

第3章 ロングテールとWeb 2.0
1. 「ロングテール現象」とは何か
しっぽの長い恐竜
アマゾン・コムとロングテール
「恐竜の首」派とロングテール派の対立
グーグルのロングテール
「配信」ではなくて「創造」
大組織の「よし、これからはロングテールを狙え」は間違い

2. アマゾン島からアマゾン経済圏へ
アマゾンのウェブサービス
サーチエンジン最適化

3. Web 2.0・ウェブサービス・API公開
Web 2.0とは何か
ネットの「あちら側」からAPIを公開することの意味
グーグル・マップスのAPI公開
がっくりと肩を落としたコンピュータ業界の長老
ヤフー・ジャパン、楽天はWeb 2.0に移行できるか

インターネットの「こちら側」と「あちら側」の定義はとても興味のある内容である。これは今後の日本経済の行く末を読み取るヒントになりはしないか?

「こちら側」を主体において物事、製品開発などを進めていく日本産業、いわゆるものづくり社会とインターネットのバーチャルな世界でことが進む「あちら側」の世界。これはアメリカや中国、そしてインドが中心となってそこで立ち上がる産業がついには「こちら側」の世界にも多大な影響も与える存在へと成長してゆくであろう。

ネットワーク・コンピューターという構想が提唱されたのは1995年ごろ。

ゲイツの独り占めに対抗するべく打ち出された500ドル前後の価格のコンピューターだが、あの頃はマイクロソフトがその産業的タイミングにばっちり乗り出していたために、誰もが憧れた構想だが、結局はマイクロソフトの前にいつの間にか消えてしまった構想だ。

しかし、Web 2.0などの技術革新が進む世の中。マイクロソフトのオフィスシリーズのソフトウェアと同じようなソフトをネットの「あちら側」で利用できる時代。もうすこしでネットの「あちら側」にウィンドウズのようなOSが登場する。

ajaxWrite
ajaxXLS
ajaxSketch
ajaxTunes
ajaxOS

そうするとあのネットワーク・コンピューターが実現することになるのだ。

ここ事実のインパクトは物凄いものになろう。

そしてこの事実が与えるであろう真実を研究することによって、その後に控えているとてつもない社会の大変化に対して個人はじめその社会から国までもが有利に展開できる可能性を秘めている。

今の「グーグル・アース」は「挨拶代わりにどうぞ」くらいの感覚でグーグルが世に出したものだ。リアルタイム性や解像度もさらに高め、全地球上で何がおきているかを全部観覧できるシステムをゴールとしてイメージしているに違いない。


グーグル・アースを実際に使ってみたことがあるだろうか?

はじめてこれを使ってみたときは、ついにここまできたか、とビックリしたものだがグーグルはさらにその先を考えているらしい。

ニューヨークにある自宅もはっきりと見て取れたし、日本にある実家や通っていた小学校、中学校、高校とすべて人工衛星から送られてくる映像を自分の目の前にあるコンピュータで確認できた。

そして世界の主要な場所へと一気に飛んでゆける。

特にニューヨークのマンハッタンといったら複雑極まりないが、それを3次元空間を使って見事に表現しているのだ。

見る角度も真上からの映像だったり斜めの映像と角度を変えられる。

是非、一度体感してみることを強くすすめる。

なぜ、世界のさまざまな国がこの技術に対して文句を言ってきたかが納得できるはずだ。

特に核の開発や軍事的な計画を見られたくない政治地理的な秘密をたくさん持つ国ならなおさらだろう。

「グーグルの連中の際立つ特徴は、インターネットを擬人化して話すじゃべり方ではないかな。


こうなりたいという意志をインターネットが持っている。自分たちはその意志に導かれて技術開発をしている。彼らの言葉の端々からそんな雰囲気を感じる。しかもそのことを皆、誇らしく思っている」


そうなのだ。インターネットは意志を持っている。

このような集団はどこか村上龍的だ。「愛と幻想のファシズム」の中の「ザ・セブン」を想像させる。また、グーグルの戦略には小説の中の「狩猟社」を連想させられる。

権威ある学者の言説を重視すべきだとか、一流の新聞紙や出版社のお墨付きがついた解説の価値が高いとか、そういったこれまでの常識をグーグルはすべて消し去り、「世界中に散在し日に日に増殖するウェブサイトが、ある知についてどう評価するか」というたった一つの基準で、グーグルはすべての知を再編成しようとする。


ウェブサイト相互に張り巡らされるリンクの関係を分析する仕組みが、グーグルの生命線たるページランク・アルゴリズムなのである。


これを民主主義的と解釈するならば、その対に存在するエスタブリッシュメント側からの反発もあるであろう。権威は伝統につながり、そうやすやすと人々はその利権を手放さない。

グーグルの快挙はもしかしたらいままで権威に対して抵抗する手段を持たなかった大多数のマジョリティーに力を与えたことなのかもしれない。

ネットの「こちら側」とは、インターネットの利用者、つまり私たち一人一人に密着したフィジカルな世界である。


携帯電話、カーナビ、コンビニのPOS端末、高機能ATM、デジタル3種の神話(薄型テレビ、DVDレコーダー、デジカメ)、無線ICタグ。皆、インタネットと私たち一人一人を結びつけるインターフェイス部分にイノベーションを求めるものだ。


ハードで生き残る、という手もあるだろうが、そこには常に技術革新を求められる。高ーい技術をマーケットに提供できる会社ならば、素晴らしいソストが出てきた時に必要と思われるハードとのマッチアップとして指示され続けるであろう。

コピー製品はその後でたくさん出てくるであろうが、あの会社の技術力はすごい、と他の会社よりも注目され続けるようであればモノづくり産業の日本の会社のどれかは生き残れるかもしれない。

一方、ネットの「あちら側」とは、インターネット空間に浮かぶ巨大な情報発電所とも言うべきバーチャルなせ界である。いったんその巨大設備たる情報発電所に付加価値創造のシステムを作りこめば、ネットを介して、均質なサービスをグローバルに提供できる。


グーグルをはじめ、アマゾン、eベイ、ヤフーといった米国ネット企業群による「あちら側」のイノベーションは、手触りのある「こちら側」のイノベーションと違って目に見えない。それだけに何が起きているのかがつかみにくい。


いや、日本にも楽天やライブドアがあるじゃないか、と反論する方もいるであろう。

しかし、これからのウェブを定義していく上で楽天やライブドアはじめ日本の様々なウェブからのサービス提供はWeb 1.0の定義の中に納まる。

決してWeb 2.0の定義。つまり「あちら側」に構築されたサービスを使って第3者にサービスを提供できるまでにいっていない。

そして今や、「こちら側」に置いた情報を「こちら側」で処理するコンピューティング・スタイルよりも、「あちら側」に置かれた情報を「あちら側」に作った情報発電所で処理するほうが高性能かつ合理的だというコンセンサスがうまれつつある。


・・・・・(中略)

もしこれから多くのユーザーが、自分の情報を「こちら側」に置かずに「あちら側」に置くほうがいろいろな意味でよいと確信すれば、産業全体における情報の重心は移行していく。

YouTubeというサイトはご存知だろうか?

これはそのサイトのサブタイトルからもわかるように、Broardcast Yourself、つまり「自分自身をブロードキャストしてしまえ!!」というようなサイト。

自分で取ったさまざまな映像などをこのサイトにアップロードして世界中の人に見てもらおう、という仕組み。

これの使われ方がすごい。

若い世代と僕らの世代(10代の頃、インターネットやパソコンが身近になかった)では使い方が違うらしい。

僕らの感覚だとテレビなどから提供される様々な自分にとって価値ある情報は記憶媒体などに収める。

ビデオ、DVDレコーダー、CD-R,、その他を使って。

先月のドイツワールドカップではビデオを20本ちかく使って録画していた。僕はまだDVDレコーダーを持っていないのだ。

しかし、若い世代の感覚というのは仮にテレビでその番組内容を見逃してもネットから探してみればいいや、という感覚らしい。

どういうことかというとYouTubeなどから発信されるダイジェストを見てもいいし、どこかに存在するであろう、という感覚なのだ。

実際、最近に起こった日本のコメデェアン「極楽とんぼ」の解雇事件。これを僕はYouTubeを使って日本のニュースを見た。

その他にも今流行らしい? 日本の人気グループ「KAT-TUN」もこの前YouTube内をサーフしていて偶然見つけた。

自分で「こちら側」に録画して自分の元にとっておかなくても、ネットの「あちら側」に誰かが取っておいてくれるので見たくなったらいつでも探しにいってみればいい、という感覚の違い。

もし、この若い世代がマジョリティーになった場合、日本のほとんどの「こちら側」を意識してものを作っているメディア媒体企業はどうなるのであろう?

この真実の意味するところは大きい。

付加価値が順次「あちら側」にシフトしていき、「こちら側」のものはコモディティー(日用品)になる。


誰でもいいから中国で作って世界に安く供給してくれればいい、というのが、米国が描くIT産業の将来像だ。IBMパソコン事業の中国企業への売却はそれを象徴している。


もし、中国企業の中で日本のものづくりの精神を身につけた企業が育ち、ものすごーい技術を引き連れながら安ーい価格でマーケットに進出した場合、日本企業のエスタブリッシュメントはどうするのだろう?

そこまでの危機感を持っているのだろうか?

東芝とソニーはDVDの規格を争っている場合だろうか?

液晶テレビと携帯電話はハードの技術だけを競うだけでいいのだろうか?

ポッドキャストやビデオキャストを簡単に自分のブログやウェブページにアップロードできるハードは潜在的需要を持っていないだろうか?

私たち一人一人がネットの「こちら側」(つまりPCのハードディスクの中)で保存している電子メールをすべて「あちら側」に移してしまおう、というのがグーグルの意図するところである。


マイクロソフトは、情報が「こちら側」に存在する限り、その情報(例、電子メール)を処理する為のソフト(例、アウトルック)で覇権を維持できる。


迷惑メールで辟易している人々は、ネットの「あちら側」でスパムやウィルスの処理をしてくれるグーグルの電子メールサービス、Gmailへと移行していくであろう。

80年代までのコンピューター・メーカーは、設計したコンピューターを1台1台、顧客に売って回った。


顧客の手元、つまりネットの「こちら側」に置く為には、そうしなければならなかった。

でも新時代は違う。

グーグルはコンピューター・メーカーであるが、作ったコンピューター・システムを売る必要はない。

巨大システムを自社サービス実現のために一つだけ作って、グーグルが世界に向けて提供するサービスの情報発電所インフラとして利用すればいいのである。


ウィンドウズとグーグルの違いはなんであろう?

ウィンドウズは「こちら側」のコンピューター一つ一つに存在する為に容易にそのものを想像できるというか一つのコモディティーとして確認できる。

しかし、バーチャルの世界で動く巨大なグーグルのコンピューター・システムはその存在を確認することすらどこか不条理だ。

それはあまりにもどこにでもある存在であり、あまりにも簡単に手に入るため、あまり人々の意識に触れることはない。

それでいてバーチャルの「あちら側」の世界には確かに存在するのである。

近い将来、グーグルのコンピューターシステムは人の手を加えることなく自動でシステムを改良、構築、進化していくであろう。

そうである。

恐ろしいかもしれないが人工知能に似た能力を持ってそれぞれのタスクをこなしていくであろう。

ウィンドウズのように一つのところから全世界のウィンドウズが入ったコンピューターにアップグレードを発信していくことなどは今後のコスト面から考えると、非常に非効率的だ。

たとえば博士号を持つような人材は、普通の企業で「オペレーション」の仕事をすることはない。


特に日本のIT企業の幹部にグーグルの話をするときに、「博士号を持った最高のエンジニアがオペレーションの泥仕事を、毎日毎日死に物狂いでやっているような会社ですよ」というと、彼らは一様にがっかりする。

優秀な人間は自分で手を動かさず誰かに何かをやらせる風土になってしまった企業から見ると、「そんな会社にはかなわないなぁ」という印象をもつようだ。


グーグルは働きたい会社、ナンバーワンになりつつある。

毎日、世界中から数千という履歴書が届くらしい。

グーグルはそんなインターネットの本質を具現化することで、リアル世界における「富の分配」メカニズムの限界を超えようとしている。


上から下へとどっと金を流し大雑把に端末を潤す仕組みに代えて、端末の一人一人に向けて、貢献に応じてきめ細かくカネを流す仕組みを作ろうとしている。


アドセンスを利用している経済的環境は、現在のところ英語圏が際立っている。

しかし、今後中国はじめスペイン語圏の人たちが、現在の英語圏の人々と同じようなインターネット環境を手にいれ、人々の情報発信能力が高まった時に、アドセンスの需要はとてつもなく高まるであろう。

そして、英語をはじめ中国語やスペイン語で情報を発信できる人たちにとってアドセンスは、とてつもない武器になろう。

とくに経済の発展していない多くのスペイン語圏で仮にアドセンスで毎月数百ドルの収入を得ることは毎日の生活の安定に繋がるおそるべし経済的なインセンティブになる。

しかしモチベーションの高いメンバーだけで構成される小さな組織で、すべての情報が共有されると、ものすごいスピードで物事が進み、それが大きなパワーを生む。


仕事の生産性が著しく向上する。誰かが提示した問題点が別の誰かによって解決されるまでの時間や、面白いアイデアが現実に執行されるまでの時間は、ときに数分という場合さえある。

情報共有を前提として組織原理によって、従来型組織の時間についての常識を破壊するスピード感がでる。


情報を共有していく環境の中で、自然と人々の集団心理からまとめ役、リーダー的存在が生み出され、情報を提供することなく、自分の中で独り占めしているだけの個人や集団には情報も人も集まらなくなるに違いない。

情報を共有する環境の中では、自分が1の情報、知恵しか身につけていなくても、同じモチベーションをもった集団があつまれば、たとえ一人一人が1の情報、1の知恵しか提供できなくても、それが10になり100になり、1000になり、というように集団の知的パワーが格段とスーパーの領域に達するのだ。

「抜群に優秀な連中を集め、創造的で自由な環境を用意する。


ただし情報を徹底的に全員で共有した上で、小さな組織ユニットをたくさん作り、個々がスピード最重視で動き、結果として組織内で激しい競争を引き起こす」


これからのさまざまな組織と呼ばれる集団のモチーフとなるであろう思想は、グーグルが先頭を切っているといっても過言ではない。

「凄く頭のいい優秀な連中というのは皆、自分を管理できるのだ」

アメリカの企業文化の中にある常識として、「太っている人」と「タバコを吸う人」は出世できない。

これは差別ではない。区別である。

英語で言うところのDiscriminationではない。

Distinguishなのだ。

当然ながら、差別と区別は意図するところが違う。

社員全員が書き込む厖大な情報が、そのように自律的に淘汰・選別され、粛々と処理されていくのだ。


この仕組みを当たり前に思えるかどうかは、ネット空間での情報リタラシーを持つか否かに大きく依存する。

若い世代にはかなり自然に受け入れられる考え方だが、インターネット未経験者には絶対に想像がつかない世界だろう。


情報そのものが自然淘汰され選別、そして進化していく。

これはすごいことではないだろうか。

このことによって一気に集団の知のレベルが上がるのだ。

この環境を受け入れられるかどうかも重要だが、世界と繋がっているかどうかも、国レベルで言ったら、その国の将来を考えた場合、とても重要だと思われる。

「なぜ日本からグーグルが出ないのか」という問いは、思考実験として意味がなくもない。


しかしその問いは、楽天やライブドアに向けて発するべきものではなく、むしろ人材の厚みや技術の蓄積から考えれば、日立、東芝、富士通、NEC、ソニー、松下といった日本のIT産業、コンシューマー・エレクトロニクス産業を牽引してきた大企業に向けて、「半導体に飛びついて電子立国・日本を達成し、PCにも飛びつき巨大なPC関連産業を日本にもたらしたのに、なぜインターネットには飛びつけなかったのか?」と問うべきで、そのほうが、より本質的な議論ができるはずである。


これはソフトを開発する環境とモチベーションを人々が見える範囲で与えてやれば発展すると思う。

日本人はそこまで世界とくれべて劣っているわけではない。

ただすべての思考がいままではハードのほうにさまざまな要求から向いていたわけで、ひとたび人々、そして産業のエスタブリッシュメントはじめ新規の企業まで、社会を含めた共通の理解が生まれれば、日本人にも可能性はあると思う。

だが、アマゾン・コムは全売り上げの半分以上を13万位以降の本から上げていると発表したのである。

つまり13万位以降の売り上げ、ものすごーい売り上げ利益が低いものを積み上げた場合、その利益は1位からはじまるベストセラー群はじめ、多くの売り上げのいい商品からの売り上げよりも大きくなってしまうらしい。

「恐竜の首」派とは、「ヒット商品、つまりベストセラー本やよく売れる本の売れ行きが鈍る」ことを嫌がる人たちのことである。


これまでの出版社は「恐竜の首」部分で収益を稼いできたのだから、大半の出版関係者はこちらである。彼らにとっては「本の中身の検索」など絶対悪である。


これは経済的安定の確保も大事だが、それよりもそのエスタブリッシュメント側が抱える権威というものの価値を失う恐れのほうが大きいと思われる。

しかしロングテール派は違う。


ロングテール部分の本など、どうせ忘れ去られていて全然売れていない。

何がきっかけでもいいから、その本の存在が誰かに知られることに価値を見出す。だから「本の中身の検索」は大歓迎なのである。

検索した100人のうち99人が立ち読みで満足して買わなくたって、一人が買ってくれたらいい。

「全く売れなかった」本が「一冊売れた」になり、そこから何かが始まるかもしれないからである。

ロングテール派はネット書店の新しい可能性に気づいた少数派だ。

また出版社よりも著者のほうがロングテール派になりやすい。


そうなのだ。

これからは本を出すことなど普通になる時代。何も特別ではなくなるのだ。

そこで重要になってくるのが、提供する本の中身の質も大事だが、もっと大事なのはどのようにして人々に知ってもらうか、ということ。

つまり営業はじめセールス、マーケティング能力が重要になってくる。

アマゾンのロングテールには「負け犬」商品がずらりと並んでいる。


それらは、皆、一度は新商品として世に出たことがあるものばかり。

想定顧客層に行き届いてしまったとか、いい商品なのに誰にも知られなかったとか、まぁ色々と理由はあるだろうが、何かの理由で売れなくなったから、いまロングテール部分に並んでいるものばかりなのである。

・・・・・(中略)

では、グーグルのアドセンすは何が違うのか。アドセンすのロングテール部分には「負け犬」が並んでいるのではなく、未知の可能性を持った存在が並んでいる。

しかもロングテール部分に並びたければ誰でも並ぶことができる。そんな底抜けのオープンさを持つゆえに、ロングテールはされにずっと長い。


もう一度言おう。

アドセンスの可能性は、自分が扱う言語がマジョリティーであればあるほどその可能性は高い。

英語と中国語、そしてスペイン語で情報を発信できる人は、ものすごーい可能性を持っている。

既に「商品」になっている音楽を「配信」するのでは、ロングテールの効果も限定的になる。


でも、まだ何ものでもない不特定多数に参加機会を与え対象を広げ、「新しい音楽を生み出そうという試み」こそが、ロングテールの裾野を広げ、より大きな可能性を拓く。

ネットは今、そういう方向に進化している。


この発想はすごい。

将来的には誰でもミュージシャンになれる可能性があるのだから。

大衆に指示される音楽を提供できるならば、たとえ自分の人生の中で1曲しかプロデュースできなくてもいいのではないだろうか?

普通の人が音楽や映像をプロデュースできる環境は「チープ革命」のお陰で、もうすでに手の届く範囲にまできているといってもいいかもしれない。

ペゾスはネット上のたくさんの小売業者(リアルの小売業者が持つネット販売事業も含む)が、アマゾンのテクノロジー・インフラに寄生しなければ生きていけないような世界を作ることを思い描いた。


・・・・・(中略)

具体的には、アマゾンは自らの生命線とも言うべき「アマゾンが取り扱っている厖大な商品データーのすべて」を、誰もが自由に使って小さなビジネスを起こせるよう、無償で公開することにしたのである。

これらの意味するところとは、次のような便利なサイトのことを言う。

amzlsh
amazlet
lilbox

サービス提供者の立場でいけば、アマゾン・ウェブサービスのように、自社が持つデーターやサービスを開放し、不特定多数の人々がその周辺で自由に新しいサービスを構築できる構造を用意することが、Web 2.0の本質だ。孤島を作って閉鎖的空間を作るのではなく、島を開放的空間とするための仕掛けを用意するのである。


・・・・・(中略)

しかし、世の中がそういうサービスで溢れれば、データーがネットを介してありとあらゆる場所へ広がり、広がったデーターがさらに新しい価値を生み出すという連鎖が起こる。

・・・・・(中略)

開放によって全体が大きく発展してパイが大きくなるほうが、閉鎖してジリ貧に陥っていくよりもずっといい。

もし、価値あるデーターを手放すのに抵抗のある企業には勇気のいる決断であろうが、その可能性を充分に理解している企業にとってはある意味、大衆に自社ブランドを知ってもらう為の価値ある機会だといってもいいだろう。

そしてこの価値あるデーターは何も企業だけに期待することはない。

国が保管している価値あるデーターで国民の役に立つものはないだろうか?

気象、財務、健康などのさまざまなデーターを使い、それを便利な形で「あちら側」に構築し、人々のサービスへのアクセスが容易になった時に、そのコストは限りなくゼロに近いものになるであろう。

なぜならば国の提供する価値あるデーターは無料(多分?)であり、それを使って構築する「あちら側」のサービスを作る為の人件費だげがコストだからだ。

ロングテールとWeb 2.0は表裏一体の関係にある。


キーワードは不特定多数無限大の自由な参加である。それがネット上でのみ、ほぼゼロコストで実現される。

ロングテール現象の核心は「参加自由のオープンさと自然淘汰の仕組みをロングテール部分に組み込むと、未知の可能性が大きく顕在化し、しかもそこが成長していく」ことである。

そしてそのことを技術的に可能にする仕掛けとサービス開発の思想がWeb 2.0である。


今後、ネット上から何かを売っている企業は、最初のパッケージはすべて無料で提供されるべきだ。

そこからアップグレード版やスペシャル版はそれぞれ課金していけばいい。

大衆へ自社ブランド、自社ブランドのウェブ上のサービスを知らせること、それも無料で。

「厖大な数の、それぞれにはとても小さいマーケットが急成長しており、その市場がグーグルのターゲットだ。グーグルは、厖大な数のスモールビジネスと個人がカネを稼げるインフラを用意して、そのロングテール市場を追及する」


グーグルはまだまだ成長する。

世界中のスモールビジネス、個人が小額でもいいから広告を自分が提供するマーケットに正確に出せるシステムに参加する。

スモールビジネス、個人のウェブサイトがそれらのおこぼれにあずかる。

それが地球規模で起こった場合、それは新しい経済圏の誕生ということになる。

2006年07月17日

ウェブ進化論 - 本当の大変化はこれから始まる、その1

序章 ウェブ社会 - 本当の大変化はこれから始まる
「チープ革命」が生む方向性
「知の世界の秩序」再編へ
大変化はゆっくりと、でも確実に社会を変える
インターネットの可能性の本質
ネットの「善」の部分を直視せよ
ネット世界とリアル世界
「2つの世界」は理解しあえるか

第1章 「革命」であることの真の意味
オープンソースと3大潮流
時の常識と次代を変える「力の芽」
「過激な少数意見」
ネット世界の3大法則
「何ものにも似ていない」こと
シリコンバレー長老たちの知恵
ブライアン・アーサーの技術革命史観
産業革命よりも重要な転換