ウェブ進化論 – 本当の大変化はこれから始まる、その4 – 学習の高速道路論


ウェブ進化論 – 本当の大変化はこれから始まる、その4 – 学習の高速道路論

将棋の羽生善治氏の「学習の高速道路論とその先の大渋滞」を読んでいて、ある直感がひらめいた。これからはできる子供の飛び級は当たり前になる、ということ。どういうことかというと、インターネットのお陰である程度の技術を身につけることが昔に比べとても簡単になったということらしい。

将棋でいうならば、基本的な将棋が強くなるための必要な情報から、定跡研究成果、棋譜データーベース、終盤のパターン化や計算方法の考え方といった情報が、わずかなコストで誰でも共有できるようになったことが上げられる。

つまり、将棋の知識に関することならば、本人が能動的に必要と思われる情報はそれこそ可能な限り手に入ることを意味しており、そこで自分が知識に対して怠惰な姿勢で臨むのであれば、自分自身が惨めな結果を受け入れることに繋がる。

そしてなおかつ、将棋においては強敵との実践の場が一年中オープンな形で提供されている。アマチュアの強豪からプロの多くも匿名で参加しているらしく、自分さえその気になれば一気に実力を付ける場が提供されているのである。

どのぐらい強くなるのであろう? 羽生善治氏曰く、アマチュアならほぼ最高峰の強さ、プロの一歩手前というレベルらしい。将棋のほかにも自分で独学ができる分野はたくさんある。コンピューターの一般的知識から、プログラミングの知識。語学はどうだろう? 英語や中国語などはやろうと思えばいくらでも手段はある。

先の飛び級の話だが、仮にある子供が幼い時期から自分の興味のある分野、例えば物理、天体、コンピューター、数学、科学、社会学、歴史、生物、英語、中国語、スペイン語、フランス語、工学などもっとたくさんの科目が考えられるが、それらの分野の知識を自分さえその気になればいくらでもその知識を得ることができる。

日本の義務教育が提供する英語授業に終始する必要はない。プログラミングや高等数学などは大学まで待つ必要はない。自分さえその気になれば学校の先生よりも深い知識が身につくことは容易になる。学校の先生の淘汰がはじまる。

創造性のない授業を提供している先生はより自分の専門性を高めるか、人間的な部分で補うかをしていかないと今に一人から数人のプロフェッショナルの教師、講師のところにすべての授業が流れてしまうだろう。

高速道路先の大渋滞

もう一つの課題。その先にある大渋滞とはどういう意味か? 知識をつけるための高速道路を走ってきた子供達のその多くは、その先にある大渋滞で躓くらしい。将棋を例に取ればそこまでたどり着いた子供同士での競争になり、そこからさらに一歩抜け出すのに苦労する子供達が大勢いる。

さらに自分の後ろからたくさんの若い連中が自分が通ったのと同じ高速道路を駆け抜けてくる。そこから抜け出してプロになるためには何が必要なのであろうか? それは徹底的に考えることだと思う。徹底的に考えることはつまり、考え抜くことに繋がる。
多くの子供達は考えるという思考プロセスに入る。しかし、徹底的に考えて、考え抜いた自分なりの答えを見つけ出したものが、その大渋滞から抜け出すことができるのだと思う。

学校の飛び級での課題

自分の周りの大衆よりも早く来てしまった子供達は必ず一回は壁にぶつかる。そこが将棋界などの世界で説明した大渋滞の部分なのだろうが、そこをどのようにして切り抜けるか? 周りのサポートや両親や友達との触れ合いから学ぶこともあるだろう。

しかし、そこで自分なりに自分の考えを実行できるものだけが、その先もぐーんと延びる資質を自分に植え付けられるかどうかの分かれ目になると思われる。大学まで一気に来てしまったとしたら、すこし自分にスペースを与えて世界を見て回っても良い。ボランティアに参加したり、親の手伝いをしたりしてもよい。自分で考えさせる。あせる必要はない。

教育のあり方が変わる

社会の上の層ばかりが、この恩恵を授かるようであってはならない。中間層から下層レベルの人たちまで、ある程度の扉は開かれるべきである。もしかしたらできるかもしれない。この希望が特に中間層から下層レベルの人たちには必要。そこで自らを放棄している人たちには政府が最低限の生活の保証だけをしてあげる。天は自ら助くる者を助く。

グローバルに活躍する日本人

「転職によるいい意味での人生の急展開」、「新しい場での新しい出会いがもたらす全く新しいオポチュニティーの到来」、「組織に依存しない個人を単位としたネットワークがフル活動することの強靭さ」、「いつ失職するかわからない緊張感の中で、常に個としてのスキルを磨き自分を客観的に凝視し続ける姿勢が、いかに個を強くするか」

世界と繋がれるように個々人が知識武装する。これができれば世界のどこに住んでいようとその個人は生き延びることができる。日本のエスタブリッシュメントが主流ではない。しかし世界と繋がることのできない個人は日本のエスタブリッシュメントの犠牲になる可能性がある。語学は自分の視野を広げてくれるが、サバイバルの手段の選択肢も大きく広がることも意味している。


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