松井秀喜、怪我に泣いた2006年


松井秀喜、怪我に泣いた2006年

今日からアメリカではワールドシリーズが始まる。野球の選手ならば誰もが憧れる最高の舞台なのであろう? 最近日本からメジャーリーグを目指す日本のプロ野球選手たちの本当の夢なんだろうか?

そんな豪華な舞台を夢見てシーズンのオフ、今年の初め頃からこの 10 月のワールドシリーズのために心身ともに準備をしていた男がいた。ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手である。そう、 松井選手はあの日本が優勝したワールド・ベースボール・クラシックを辞退してまでメジャーリーグでの自身の活躍を優先した。

アメリカでは第 1 回ということもありそれほど盛り上がりを見せなかったが、日本が結果的には優勝してしまい、 “ もしもオレが出場していたら ” というような空想はしただろうか? あれほど出場を期待されていて、迷った挙句王貞治監督に断りの手紙を書いた男である。なぜ、松井選手はそれほどまでにメジャーリーグ開幕のほうを優先させたのか? それは松井選手自身の成績によるところが大きいと思う。

メジャーリーグで成績を残したいという強い気持ち

読売ジャイアンツ時代の松井選手を知る長嶋茂雄氏にいわせると元々スローなスタートをするらしく、徐々に調子が上がってくるのが夏あたりから、というようなことをヤンキース監督ジョー・トーリにもらしていたらしい。ここを気にしていたんだと思われる。

日本プロ野球ならば読売ジャイアンツで中心的な存在の自分。夏までに調子を上げるペースでも周囲がそれを許容していつしか自分自身もその居心地がいい環境を当たり前のように受け入れていたのだろう。だがメジャーリーグではそんなのんきなことは言っていられなかった

結果を常に求められるメジャーリーグでのプレー。特にヤンキースとなると周りはつわものだらけ。相当なプレッシャーもあったとおもう。そんな中、ようやくメジャーリーグでの生活にもなれオフに複数年契約も済ませた後、いよいよメジャーリーガーとしてアメリカ全土の野球ファンに受け入れられるべく、結果を残すシーズンを目指せる体制が整った。

同じ日本人のイチローはすでにアメリカでは完全に野球というものを代表する選手にまでその知名度をあげている。別にあせってはいないだろうが自分でも絶対にそれなりの結果を出せるという自信と、早くそれを証明したいという気持ちで今年のシーズンオフでの自主トレを迎えたものと思われる。

その気持ちが強かったからワールド・ベースボール・クラシックでの出場を断り、開幕からの活躍をするためにメジャーリーグを選んだのだとおもう。仮に松井選手がイチロー選手のように自身も回りも納得するようなメジャーリーグでの結果を起立していたならば、もしかしたら余裕をもってワールド・ベースボール・クラシックのことを受け入れられていたかもしれない。

しかし、スロースターターと言われる松井選手自身、そんなことではなく、開幕から飛ばしたかったがアメリカ特有の春頃に発生する花粉症に悩まされ、やはり夏ごろにならないと調子が上がらない自分自身に対して歯がゆい思いを抱いていたのだろう。絶対に今年はシーズン開幕から飛ばしたかったはず。

ワールド・ベースボール・クラシックを断ったこともあり、それなりの結果を周囲から十分求められるであろうことも予想し松井選手自身、それでも十分に今年も自分ならば結果を出せると期待していたと想像する。

訪れた大きなアクシデント、怪我

そこで訪れた 5 月の思わぬアクシデント。大きな怪我を経験する。これは本当にショックであったに違いない。野球ができない歯がゆさもあろう。それに日本からずっと背負ってきた連続試合出場という大記録も断ち切れてしまった。きっと怪我をした、という事実を受け入れるまでに相当の時間を費やしただろう。この怪我から松井選手は何を学んだのであろうか?

その代償はあまりにも大きかったかもしれないが、松井選手はどのようにその怪我を自分の野球人生に対して自分自身と一緒にアジャストしたのだろう? もし今後、アメリカで野球を長 くすることがあったとしたら、この怪我の期間で体験した精神的苦痛、様々な思いに対する自分自身の対処した結果はもしかしたらとても貴重なものだったかもしれない。

まずいままでシーズンが終わったら日本へ帰国していたため、野球をしていない時間をアメリカで経験することはなかった。別にその必要もないかもしれないが、シーズン途中で野球をしていない時間をアメリカで経験することになったのは絶対にプラスになったと思う。

普段のアメリカ社会はどういうものなのか? アメリカ人の野球に対する思いやそれを生活に取り入れているアメリカ人の一般的な生活とはどういうものだろうか? 客観的に見るメジャーリーグに自分が所属しているヤンキースの選手たちにそのチームの戦いぶり。連続試合出場が途切れて振り返る今までの自分の日本での野球人生。アメリカへ来てからの野球人生。

これらを客観的に落ち着いて受け入れることができた時に初めてこれからの自分の残りの野球人生をどのようなものにして行こうかという将来的な目標も描けるようになったことだと思う。

野球をやりたくてしょうがない

そして、そのしっかりしたこれからの自分の野球人生を描くことができた松井選手はそのヤンキース復活試合の全打席に強い思い入れを出していた。なんと 4 打数4安打という活躍ぶり。野球をやりたくてしょうがなかったんだろうなぁ、とも思ったしヤンキースファンが暖かく拍手で迎え入れてくれたことに本当に感動したのだろう。

このファンの人たちのためにも、チームの皆のためにも、そして自分自身のためにも、野球が好きでよかった、これからもずっと野球を続けていこうと決心したことだろう。チームはその後、地区リーグ優勝はしたもののアメリカンリーグでのプレーオフでデトロイト・タイガースに破れ、あっけなく今年のシーズンを終わる。

不完全燃焼。自身にはやる気がみなぎっているのにチームの悲しいまでの結果。日本へ帰国した際にまたこの一年を振り返ることであろう。今年一年は自分にとってなんだったのか? ワールド・ベースボール・クラシックを蹴ってまで意気込んだメジャーリーグだったが思わぬ怪我のためにシーズンを台無しにしたこのシーズンをどのように振り返るのか?

連続試合出場というほかの選手にはないプレッシャーを抱え続け、それから開放されたことはもしかしたら松井選手にはよかったかもしれない。長いアメリカでのメジャーリーグシーズンを乗り切るには精神的にも肉体的にもタフさが要求されるが、やはり途中で自分の息抜きの仕方を知っているほうが集中しなくてはいけない時に、うーんと集中できる。

いや、それぐらいの集中力がなければメジャーリーグでは結果を出せないかもしれない。もしメジャーリーグで認められるような一流プレーヤーになるような結果を松井選手が求めるのならば、連続で試合に出場するのではなく、オフの日をうまく取り入れられるような野球生活を取り入れたほうがいいかもしれない。

そのほうがきっと長くこの先もメジャーリーグで活躍することに繋がると思う。来年はすこしリラックスした松井選手を見ながら応援できたらいいなぁ、と思った。

ワールド・ベースボール・クラシック辞退

2006 年 、 3 月に開催されたワールド・ベースボール・クラシック、日本代表の 4 番として期待されていたが出場を辞退した。この際、「王貞治殿」と宛名を書いた便箋 15 枚の手紙を書き送り、王監督に辞退の理由を説明した。

日本は結果的に優勝したが、松井の出場辞退、とりわけ辞退に至る経緯を巡っては、一部で批判と疑問の声が上がった。 5 月 11 日 、レッドソックス戦の 1 回表の守備機会の際、マーク・ロレッタの放った浅めのフライを滑り込んでキャッチしようとした際に手首を故障、途中交代。

巨人時代の 1993 年 8 月 22 日 から続いていた連続試合出場記録が「 1768 」で途切れた。即日の検査の結果、左手首(橈骨)骨折と診断。翌日の早朝にマンハッタンのコロンビア・プレスビタリアン病院で手術が行われ無事に成功した。

懸命なリハビリの末に現地時間 2006 年 9 月 12 日 、怪我から 124 日ぶりに対タンパベイ・デビルレイズ戦ヤンキー・スタジアムに 8 番・ 指名打者で先発出場。 4 打数 4 安打、 1 打点の活躍で鮮やかな復活を遂げた。(ウィキペディア参照)


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