潤沢な情報は無料になりたがる、稀少な情報は高価になりたがる


潤沢な情報は無料になりたがる、稀少な情報は高価になりたがる

アイデアは永久に止めておくことはできないと仮定する世界ではすべての情報と叡智に望めばアクセス可能な状態とした場合、人々はどのような行動を起こすのだろうか? 汲み取っていく情報には個人差が現れ、自分にとっての情報はこれ、となった場合、そのフィルター的働きをするであろうその個人の感性や、その情報を如何にしてクリエイティブな右脳を駆使してアウトプットしていくのか?

「知のオープン化」を自分が属する社会のコミュニティーに還元される刺激は人々のモチベーションを上げるのだろうか? 今回も「フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略 」の本の中から行く部分かを抜粋して非貨幣経済についての考察などをまとめてみよう!

潤沢な情報は関心の欠如を作り出す

1971年、情報化時代の夜明けに社会科学者のハーバート・サイモンは次のように記した。“情報が豊富な世界においては、潤沢な情報によってあるものが消費され、欠乏するようになる。そのあるものとは、情報を受け取った者の関心である。つまり、潤沢な情報は関心の欠如を作り出すのだ。”

サイモンの観察は、最古の経済原則の一つを表明したものだった。それは、「あらゆる潤沢さは新しい稀少性を作り出す」という原則だ。私たちは、自分たちがまだ充分に持っていないものに高い価値をつける。

例えば、職場で無料のコーヒーを好きなだけ飲めることで、より美味しいコーヒーの需要を呼び覚まし、喜んでそれに高い料金を払う。そして、一流シェフの料理からブランド飲料水まで、プレミア商品は安価なコモディティーの海から浮かび上がってくるのだ。

「人はパンのみにて生きる、というのはまったく正しい。パンがほとんどないときには」。アブラハム・マズローは1943年の画期的な論文「人間の動機に関する理論」でそのように記した。「だが、パンが豊富にあり、いつも胃袋が満たされているならば、人間の欲求はどうなるだろうか?」(フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略参照)

例えば英語学習に纏わる情報といったら日本語でのそれはネット上を始め現実世界にもたくさん存在することは誰でも知っている。中学、高校と6年間も学校で英語授業を取りながらここまで英語でのコミュニケーションに苦労している日本人にとって英語学習情報があまりに多く存在するため情報の受けて側がそれら対象への関心の欠如を引き起こすという仮説が成り立つ。

ではそこから希少的な高価な情報へと変換させていくにはどうしたらいいのだろうか? たくさんある情報の中からどれを組み込んでいくのかはそれ個人の感受性、経験などの差などが反映される。僕がちょっとずつ役に立つのではないかと思って集めてきたリンクをまとめてみよう!

オンラインサービス

勉強法

子供教育

文法

読み書き

聞く話す

「学習の高速道路」英語版だが英語を学習する人たちがこの高速道路、誰もが手に入れることのできる英語学習についての情報をその個人が駆け抜けていけるようサポートするべくネット上に存在している。情報を提供する個人は誰かに頼まれてこれらの情報を提供しているのだろうか?

  • 潤沢な情報は無料になりたがる。稀少な情報は高価になりたがる
  • 潤沢にあることは何の問題にもならないが、稀少な場合は奪い合いになる
  • 人間はものが潤沢なことよりも、稀少なことを理解しやすいようにできている
  • 潤沢にある物のコストが底値まで下がるとき、その商品に隣接した別の物の価値を押し上げることがある

以下はYouTubeで大学の講義を無料でオンライン化している大学側はどのようにしてメリットを得ているのかの例を記したもので、潤沢な情報、稀少な情報というキーワードを感じつつ読み進んでもらいたい!

また大学のオンライン化無料の例のほかにはどのようなものを今現在の社会から発見できるだろうか? ミュージシャンの生き残るヒントはここに隠されているのかもしれない。

どうして大学の授業がタダになるのか?

潤沢な情報

私たちはカリフォルニア大学バークレー校に入学しなくても、リチャード・ミュラー教授の人気講義「未来の大統領のための物理学」を受講できる。それはYouTubeで配信されていて、そこには他にもバークレー校の100人を超える教授の講義がアップされて、合計で200万回以上も視聴されている。バークレー校のほかに、スタンフォード大学やMITもYouTubeに講義をアップしている。

MITの「OpenCourseWare」構想では講義ノートから課題や講義のビデオまで、ほぼすべてのカリキュラムをオンライン化している。もしも、これらの大学に入学して講義を受けるとしたら、1年間で3万5千ドルはかかる。なぜそれを無料にするのだろうか?

稀少な情報

講義だけが大学教育ではない:学位はYouTubeを見ていても取得できないという当然の違いに加え、大学教育はそもそも講義と読書だけではない。授業料を支払うとは、ミュラーのような教師に質問をし、アイデアを共有して、指導を受ける権利を買うことと同義なのだ。

また、学生のネットワークに加わってアイデアを交換し、助け合い、関係を築くこともできる。大学側とすれば、優秀な学生に自分の学校を選んでもらいたいので、無料コンテンツをマーケティング手段としているのだ。具体的なプログラムや教授のサンプルをびっくりする価格で提供することで、学生を引き付けたいのだ。

欲求段階説

今や「欲求段階説」としてよく知られているマズローの答えはこうだ。「すぐに別(高次)の欲求が現れ、生理的空腹に代わってその肉体を支配する」。マズローの5つの段階の一番下には、食べ物や水などの生理的欲求がある。

その上は安全の欲求で、3段目は愛と所属の欲求、4番目が承認の欲求で、最上段が自己実現の欲求である。自己実現とは、創造性などの意義あるものを追求することだ。

同様の段階構造が情報にも当てはまる。ひとたび基本的な知識や娯楽への欲求が満たされると、私たちは自分の求めている知識や娯楽についてより正確に把握できるようになり、その過程で自分自身のことや自分を動かしているものについてもっと学ぶことになる。

それが最後に私たちの多くを、受け身の消費者から、創作に対する精神的報酬を求める能動的な作り手へと変えていく。(フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略参照)

広く浅く、いろいろなフィールドから情報をインプットする。狭く深く、あるフィールドから情報をインプットする。そうして行く過程で仮にその個人の知的空間的整理が必要なとき、アウトプットしたいという欲求は自然に発生するのだろうか? 受け身だった情報の受けて側が能動的に創作していくドライブ(やる気)を内発的に生み出すことは精神的報酬を求めている証なのだろうか?

「注目経済」と「評判経済」

通常、消費者市場で私たちは、お金に稀少性があるからこそ、潤沢な商品の中から自分にあったものを見つけることができる。なぜなら自分に払えるものしか買えないからだ(クレジットカードを利用しても結局は同じだ)。資本主義は消費者が何に喜んでお金を払うかといった需要を記録することができる。

しかしオンラインの世界では、ますます多くの製品がソフトウェアの形にデジタル化され、無料で提供できるようになっている。そこでは何が起きるのだろうか。もはやお金が市場におけるもっとも重要なメッセージではなくなり、それに代わって二つの非貨幣要因が浮上してくるのだ。

二つの要因はよく「注目経済」と「評判経済」と呼ばれる。もちろん、市場にとって注目も評判もなんら新しいものではない。テレビ番組は注目を得ようと競いあうし、ブランドは評判を争う。セレブは評判を高めてそれを注目に変える。だが、オンラインで起きているユニークな事態は、この注目と評判が測定可能なものになり、日々実体経済のようになってきていることだ。(中略)

私が他人に払う注目の価値が、私が他人から受ける注目の量によって決まるとすれば、そこには個々人の注目が社会的株価のように評価される会計システムが生まれる。社会的欲求が活発にやりとりされるのはこの流通市場だ。

注目資本の株式取引こそ、「虚栄の市」を正しく体現したものにほかならない。しかし当時、どうやって注目を数量化するかについてフランクにできたのは、「メディアに登場する人物の存在感」を大まかにはかることだけだった。

もしも、注目や評判を金銭のように数量化できたらどうだろうか。それらを適切な市場で扱えるような形にすれば、経済学者が貨幣経済学で使っている方程式でそれらを説明し、定式化できるのではないだろうか。そのためには、注目と評判も従来の通貨と同じ特徴を持つ必要がある。すなわち測定でき、有限で、交換可能という特徴だ。

私たちはそれを実現しようとしている。1989年にティム・バーナーズ・リーの開発したハイパーリンクのお陰だ。それは単純なもので「http://」で始まる文字の羅列にすぎない。だが、それが作り出すのは注目と評判を交換するための正式な言語であり、両者のための通貨だ。

今日、皆さんが自分のブログを誰かのサイトとリンクすれば、皆さんは事実上、自分の評判の一部をその人に与えたことになる。皆さんはブログを見てくれる人にこう言っているのだ。「ここを出て、あのサイトに行くといいよ。多分気に入るはずだ。もし気に入ったら、それをすすめた僕の評価も上がるだろう。そうなれば、きっと僕のブログをもっと見てくれるだろうね」

こうして評判をやりとりすることで、両者を富ませるのが理想だ。よいものを推薦すれば、読者の信頼を得られるし、推薦されたほうも信頼される。こうして信頼がトラフィックを生み出すのだ。(フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略参照)

日本でも流行し出したツイッターだがフォロー数が増えないといった記事をよく目にする。一番のアドバイスは貴重な情報を常に発信することを心がけることらしい。単なる独り言のようなつぶやきもその人の人間性を知る上で必要な発信だと思うが、この人が発するつぶやき情報の先にある情報はいつも役に立つと思われるならばその人は評判を得るだろうし、読者、この場合はフォローしている人からの信頼も得ることができる。

ページランク・アルゴリズム

現在、本物の評判市場は存在する。グーグルがそうだ。グーグルのページランク・アルゴリズムは、ウェブという意見のネットワークにおいて決定的に重要なリンク数を測定するもので、オンラインにおける評判の通貨としてこれ以上のものはないだろう。そして、ウェブ・トラフィックにまさる注目の測定基準はない。

ページランクは、冗談みたいに単純なアイデアなのに、大きな力を発揮する。基本的にリンク数を人気投票だと考えて、リンク数の多いサイトにリンクされることは重要で、少ないサイトにリンクされることはそれほど重要でないと考えるのだ。この種の計算はコンピューターにしかできない。なぜなら、ウェブの全リンク構造を記録して、各リンクを帰納的に分析しなければならないからだ

(興味深いのは、ページランクがベースにしているのが、それ以前に科学論文を対象としてはるかに小さな規模でおこなわれた研究だということだ。論文の著者の評判は、その論文がどれだけ多く他の研究者から引用され、脚注に記載されたかで測定され、そのプロセスは引用分析と呼ばれた。学術上の評判は、終身在職権や助成金などあらゆることに影響するので、これ以上の明確な評判経済はない)。(中略)

フィイスブックとマイスペースには「友達」機能がある。イーベイは売り手と買い手をランク付けしている。ツイッターには「フォロワー」があり、スラッシュドットには「カルマ」というユーザー評価がある。それぞれのケースでユーザーは評判という資本を築き、それを注目に変えることができる。

さらにこの注目をお金に変える方法を思いつくかどうかは、それを望む人にまかされるが(ほとんどの人は望まない)、注目と評判の数量化は今や、世界中で行われている。自覚している否かは別にして、私たちはその市場に参加しているのだ。かつては実体のないものだった「評判」が、どんどん有形のものになっている。(フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略参照)

ネット社会では悪いことはしないで良いことをしていくほうが得だ、といった内容の記事をどこかで読んだんだけど、生きるコストとしてはそちらのほうが賢明であろう。その個人がポジティブ思考の人ならば類は友を呼ぶ的な働きが起こり、自分の周りはポジティブ思考の人間で満たされる。

あぁ、あの人はいつもポジティブなアウトプットをしていて刺激を受けるなぁ、という輪は確実にポジティブな影響力をもって社会に広がり、世の中を変えていく。日本でこれだけツイッターの流行が大きくなっていることはもしかしたら変化の加速を後押しするかもしれない。

このエッセイのタイトルは「あらゆる潤沢さは新しい希少性を作り出す」となっているがふと梅田望夫氏が書いた「ウェブ進化論」の中に出てくる“自動秩序形成システム”という言葉を思い出したので急いでそのあたりの箇所を読み直してみると、なるほど、梅田氏はすでにこの「ウェブ進化論」を世に送り出す前に今現在の社会の方向性のようなものに気付いていたことになる。

あらゆる潤沢さ、たくさんある情報、この誰もが情報を発信する総表現社会での方程式は次のようなものだと梅田氏は記している。

総表現社会 = チープ革命 x 検索エンジン x 自動秩序形成システム

忙しい現代人にとって最も貴重な資源は時間である。玉石混交から「玉」を探す作業に時間を費やし「玉」の発見に情熱を注ぐことができるのは、暇人だけである。暇人がいくらブログが面白いと騒いでも、忙しい人の心には届かない。

忙しい人には、「玉」の発見にかける時間などないから、玉石混交問題の解決に大きなブレークスルーがなければ、相変わらず、新聞・雑誌などパッケージされた情報源への依存が続くことになる。(ウェブ進化論参照)

潤沢な情報の中から生まれる新たな希少性、玉石混交となっている総表現社会から「玉」となる貴重な情報を探し出す。思い出してほしいのだが先のエッセイ「 知のオープン化、人類が進化するために 」の中で僕は羽生氏が提唱する将棋の世界における「知のオープン化」なるものを紹介した。

自分の中だけに叡智をとどめておくよりも、自分が所属するコミュニティーなどにそれらの知恵を還元する。それがそのコミュニティーの知的な基盤の底上げを起こし、誰かがまた創造性を駆使して新たな叡智をそのコミュニティーに還元していく。気がついてみればその集団はある真理に突き進んでいることになり、すべての真理はそこに属する個人一人一人を自由にしてくれるのだろう!

そして人類は混沌とした情報社会の中から「希少性」、「玉」となる情報を取り入れる術を手にし始めているのかもしれない。ツイッターやフェイスブックがこれほど現代社会に受け入れる前、すでに梅田氏は著書「ウェブ進化論」の中で次のように記している。

検索エンジンも自動秩序形成システムの一つだが、何もインプットがなければ、アウトプットは出せない。では「言葉の組み合わせ」に代わるインプットとは何なのか。こういう発想の先に今後のブレークスルーが期待される。

例えばリアルタイム性に着目するという手がある。ネット上のサイトというのは時々刻々と書き換えられていくものである。決して定常状態というものはない。グーグルだって、過去のある時点のネット世界の状態を保存して、その情報に対して計算を行う。

厳密にいえばリアルタイム性はない。「ネット上に一時間前には存在しなかった」けれど「多くの人が注目している」情報を自動抽出してくることができれば、ひょっとすると何のインプットがなくても、速効性の高い情報についての「自動秩序形成システム」が出来るかもしれない。そういうふうにモノを考えていくのだ。

もう一つ例を出そう。「私」と「あなた」は違う。その違いに着目するという手がある。一人一人情報への嗜好は異なる。「私」は「あなた」に比べて何が違うのか。それを徹底的に突き詰めていく。「私」や「あなた」は、誰と友達なのか、その友達とどんな関心を共有していてどのくらい親しいのか、何が好きなのか、過去に何を読んだのか、誰を信奉しているか・・・。

そういう個の嗜好をインプットして、常時世の中の変化にあわせて、個にぴったりの情報を流し続ける「自動秩序形成システム」が出来るかもしれない。パーソナライゼーションとか、ソーシャル・ネットワーキングといった新しい試みは、「自動秩序形成システム」をいう文脈でこう解釈することもできる。「検索エンジン」の能動性という限界を如何に超えるのかという疑問への取り組みは、まだ緒についてばかりだ。(ウェブ進化論参照)

ツイッターやフェイスブックなどが出揃ってきて人々のそれらのツールを使いこなせるようになってきている。つまりあらゆる潤沢さの中から新たな希少性を見つけることだったり、玉石混交する総表現社会の中から自分に合った「玉」となる情報を見つけ出す手段である。

梅田氏が指摘する「自動秩序形成システム」のブレークスルーが生まれた世界、数百万、数千万という表現者の母集団から、リアルタイムに、あるいは個の嗜好にあわせて、自動的に「玉」がより分けられて、必要なところに届けられるようになる世界。この世界はどうやら非貨幣経済で支配されているらしい。

注目や評判が貨幣として扱われる世界では個人はどのような行動を示すのか? 自律性、マスタリー、目的などのキーワードを纏った個人が誰から頼まれることなく自己を実現していく世界。梅田氏は著書「ウェブ進化論」の中で表現者の立場を、甲子園に進むための地区予選のような仕組みが常にすべての人に開かれているような厳しい競争社会が表出することを意味している、と記した。

需給バランスが崩れた先は、コンテンツ自由競争が継続する世界ということでほとんどの人が恐竜のロングテールの部分に埋もれてしまう厳しい世界であることに間違いないのだが、それでも人々は自己実現を続けていくであろう。

そして気付いている、いないということはともかくそれらの情報、叡智の還元がコミュニティーを、社会を、国を、人類を、進化という大きな基盤の底上げに寄与しているといったら大げさであろうか? すべての人は自由に成りたいのだ! 真理は我々を自由にしてくれる、というのを僕は信じている。つづく・・・


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