私の中で昭和がまた一つ消えてゆく


私の中で昭和がまた一つ消えてゆく

西城秀樹さんが亡くなった。つい先日にはプロ野球広島カープの鉄人衣笠祥雄さんが亡くなった。私の中でとても印象に残っている人たちがまたひとりと消えてゆく。この二人の他にも去年、一昨年とたくさんの昭和時代に活躍した人たちがこの世を去って行った。

1980年代、私は多感な中学生であり、高校生であった。その頃はまだインターネットもなく、全てがアナログ時代。新聞、雑誌は情報を得る手段としての地位を確立していたし、テレビ、ラジオなどのマスメディアもまた、第4の権力保持していた。そうである、昭和の時代はテレビからの影響力は圧倒的だった。

ブラウン管を通して目に入ってくる自分からは遠い世界。スポーツ界、芸能界は、大衆の憧れであり、そこで活躍する人々の存在感はとてつもなく大きかった。

日本全体が一つの価値感を持って動いていた時代。スポーツと言えばプロ野球であり、セリーグであり、読売ジャイアンツであった。打倒巨人で活躍する選手はそのチームの代表的存在であった。

阪神タイガースで言えば、掛布、岡田、バースであり、広島カープで言えば、衣笠、山本浩二、高橋慶彦。中日ドラゴンで言えば、ピッチャー星野仙一であり、大洋にヤクルトは巨人のカモだった。だから鉄人衣笠祥雄さんが亡くなったニュースを耳にした時、えぇーと、思わず声をあげてしまった。私の中でまた一つ昭和が消えていった瞬間であった。

歌謡曲の存在も圧倒的だった昭和時代。1980年代は「ザ・ベストテン」という歌番組に出演してくるアイドルは皆、日本国民の憧れ的存在であった。西城秀樹さんの「ヤングマン」、寺尾聡さんの「ルビーの指輪」は「ザ・ベストテン」で記録的な数字を叩き出した。日本の歌謡曲は誰もが口ずさむ、誰もが知っているメロディーだった。

その歌謡界の花形的存在だった西城秀樹さんが亡くなった。えぇーと、再び声をあげてしまった。また一つ私の中で昭和が消えていった瞬間である。これからも、あの輝かしかった1980年代のブラウン管の向こう側で活躍した人々がこの世を去ってゆく。私の青春をありがとう!あのような時代はもう訪れない。

P.S.その1

ニューヨークヤンキースの試合をヤンキーススタジアムで観戦したことのある人ならわかってくれると思う。7回表ビジター側の攻撃が始まる前、グラウンドキーパーが内野をならし始める。その時のテーマソングがあの「ヤングマン」。勿論歌詞は英語だが、あの「Y・M・C・A」の振り付けは日本と一緒。グラウンドキーパーに合わせて観客席の人々も一緒になって「Y・M・C・A」のポーズ。

私はいつも西城秀樹さんを思い出していたが、これからも「ヤングマン」をヤンキーススタジアムで聞くたびに西城秀樹さんを思い出すであろう。

P.S.その2

寺尾聡さんの「ルビーの指輪」。♪ 曇りガラスの窓にはクリンビュー ♪ 私の中のダジャレの一つです。クリンビューって何って、わかる人だけわかってくれれば良いです。

P.S.その3

西城秀樹さんの「ギャランドゥ」。♪ 悔しいけれど、俺の体毛、ギャランドゥ、ギャランドゥ ♪ すいません、ダジャレは以上です。♪ ハウスバーモンド、秀樹だよ ♪


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