非貨幣経済、金銭が支配しない場所では何が支配するのか(自己実現社会)


非貨幣経済、金銭が支配しない場所では何が支配するのか(自己実現社会)

今回のエッセイも「知のオープン化」というキーワードを元に思考を凝らし、前3作品の続きという形で読みいただけたらと思う。自分のアイデアや知識、経験などを自分が所属するコミュニティーに還元することにより、そのコミュニティー全体の底上げに繋がることに寄与する、個人は代わりに評判と注目という非貨幣経済での貨幣なるものを手に入れる。

次回のエッセイではオープンソースコミュニティーに人々を駆り立てる動機、モチベーション3.0とはどのようなものなのかを書く予定でいるので、その前にもう少し具体的に非貨幣経済なるものを考察してみようと思う。

数量化された非貨幣経済

ウェブ上にはそうして経済すべてが同時に存在し、注目の波にさらされて浮き沈みしている。注目を完全にコントロールしようとしても無理な相談だ。それでも、ある閉ざされたオンライン経済のジャンルが成長しつつあり、そこでは中央銀行が強大な権力を持っている。

それはウォーハンマーやリネージュなどのオンラインゲームの経済だ。そこでは普通、注目という通貨と実際のお金というふたつの通貨が使える。注目経済とはゲームをプレーして稼げる仮想通貨で、それを稼ぐ手間暇を惜しみたければ実際のお金で買うこともできる。

いずれのゲームでも運営会社は真剣に中央銀行の役目を果たしている。もしもウォーハンマーの開発者がゴールド供給量の上限を守らなければ、その価値は下がり、転売市場は崩壊するだろう。ゲームの設計者はしばしば、ゲーム内の経済システムを構築するときに、現実経済で起こる流動性不足や詐欺といった問題を避けるために、経済学者の知恵を借りる。

それでも結局、こうしたゲームは究極に稀少な「時間」を中心に回る。まさに時は金なり出、ゲームの経済システムの中核には時間とお金のトレードオフ関係がある。お金より時間を持っている若いプレーヤーは、プレーをして注目通貨をコツコツと貯めることができる。

その逆に、時間よりお金を持っている年配のプレーヤーは、注目通貨を購入することで近道ができる。ゲーム設計者は両者のバランスをとり、どちらの方法でも競い合うことができ、ゲームを進められるようにする。そうすることによって設計者は、歴史上類をみないほどに数量化された非貨幣経済を作っているのだ。(フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略参照)

オンラインゲームにはそれほど詳しくないので今後どうなるかは定かではないが、時間とお金のトレードオフ、という概念はこれからの社会の至るところで頻繁に行われる行為になるかもしれない。お金より時間を持っている人は若い人に限らない。定年退職した老人も時間をかけて何かを究める、というモチベーションに駆り立てる。

時間よりお金を持っている人は年配の人とは限らない。若くして何かの才能に開花して大量の資金が流れ込んでいる若者。その若者にとってのお金は上手くいけば何かを行う際の手段となりえる。

例えば会社を経営しているとなった場合、自分がその運営にすべて携わるのではなく自分の得意なところだけに集中していく。弁護士、会計士、システムエンジニア、デザイナー、コミュニケーション、といった具合にオンラインゲームのように自分の周りを知識武装していく。現在のスピーディーな社会変化に対応していくためには注目通貨をどんどん購入していくことが望まれるのであろう。

そういえばSecond Life(セカンドライフ)はどうしちゃったんだろう? アバター(avatar)という概念も社会の至るところで浸透している感じがするし、「自分の分身となるキャラクター」も人類がどのように現実社会へ取り入れていくのか? 今後、モラル的な適応も課題になってくるであろうし、宗教問題、進化しすぎる科学などのコンフリクトをどのように解決して行くのかにも注目されるべきであろう。

贈与経済

贈与経済は私たちの身近にある。アマゾンの商品レビューがそうだし、映画ファンがつくったIMDb(インターネット・ムービー・データベース)、世界で最も多くの映画と映画監督を取り上げている概説サイト、がそうだ。

なかには、ディスカッション・フォーラムのサポート・グループによる数多くの私的なポストもあるが、ゲームプレーヤーが作ったコンピューターゲームのガイドや、様々なカタログなど、作成に数週間や数ヶ月を要するものもある(つまり、趣味でその道を極めて、それを分け与えてくれる人がたくさんいるのだ)。

これは何も新しいことではない。人々はいつでも何かをつくり、無償で与えてきた。それを仕事と呼ばなかったのは報酬をもらわないからだが、私たちが他人に無償で助言をしたり何かをしてあげたりするその行為一つ一つは、違う状況では誰かが仕事にしているかもしれないことなのだ。突然にプロとアマチュアが同じ注目という市場に立つことになり、両者の世界が競い合うことになった。そして、数ではアマチュアが断然、勝っている。

アマチュアの総作意欲を動機付けるのは、お金でなければなんなのだろうか。贈与経済を動かしているのは寛大な心だ、と多くの人は思っているが、ハイドが南太平洋の島の住人を観察したところ、彼らは強い利他主義者でもなかった。

つまり、アダム・スミスは正しかった。啓発された利己主義こそ、人間の最も強い力なのだ。人々が無償で何かをするのはほとんどの場合、自分の中に理由があるからだ。それは楽しいからであり、何かを言いたいから、注目を集めたいから、自分の考えを広めたいからであり、ほかにも無数の個人的理由がある。(フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略参照)

今「モチベーション3.0、持続するやる気をいかに引き出すか」を読んでいるんだけど、全く似たような内容の事柄を目にして少々驚いている。自分の中に理由がある、ということはモチベーション 3.0に関連していて、その環境では人々の行動は自立性、熟達、目的を駆使して自分の内発的欲求を満たしていくらしい。

チープ革命、デジタル化は総表現社会を生み出し、至る分野でアマチュアの参加者が増加の一途を辿る。それは別に悪い事でもなんでもない。人はピュアに何かを創造したいという欲求を常に持っているはずであり、その表現手段を個々人が低価格で、参加する障壁が低いとなればむしろ社会にとっては健康的でさえあるといえるのではないだろうか?

人から認められ、褒められ、大切にされれば自然、その人の中に自信が育っていくとするならば、その個人は何かを表現する際に誰かの役に立つような、注目に値するような創造物を世に示すよう、個人的な動機が働くはずだ。注目されるのは程度の差こそあれ、無視されるよりは気持ちがいいのは当たり前であろう。

オープンソースコミュニティー内での進歩、進化のスピードを高めているのは、他人からの“お前、凄いなぁ”という称賛だ。つまり誰も思いつかなかったような思考を凝らしてあるアイデアをそのコミュニティーに寄与するいことでそのコミュニティーの快適さ、便利さが改善されるとき、人々はその個人の能力に称賛を支払う。注目経済が善の方向性で動くのならば、社会の至るところで人類の叡智が人々の生活を進化、改善、改良していく上での手助けとなる。

悲しいが逆も真なりで、悪の方向性で注目経済が発達してしまうこともありえる。アルカーイダなどのテロリストはどれだけ文明社会、西側諸国の先進国に社会の不便さを与えたかによって称賛を得ることができる。“俺は自爆テロで記録的な犠牲者を出してやる”というのは注目を集めるだろうが、生産的ではない。

コミュニティー、個人の成長、助け合い

2007年に、オライリー・メディアの編集者のアンディ・オラムは、ユーザーが作った驚くほど多くのマニュアルに注目した。ソフトウェアやハードウェア、ゲームなどについて、正規のものよりも遥かに詳しいマニュアルだ。それをつくろうとした動機に興味を持ったオラムは、1年をかけて調査し、その結果を発表した。

最も多い理由は「コミュニティー」だった。コミュニティーの一員であることを感じ、その繁栄に貢献したいと思うのだ。2番目に多い理由は「個人の成長」だった。マズローの欲求段階では最上階にある自己実現に当たる。

3番目は「助け合い」で、そう答えた人の多くは、社会学者が「熟練者」と呼ぶ、自分の知識を喜んで分け与える人だろう(面白いことにオラムの調査では、評判の順位は低かった)。

では、人々はそんなことをする時間をどうやって作るのだろうか。他の何かをしないことによってだ。社会的・精神的報酬を得られないことをするのをやめるのだ。テレビを見る時間の一部を割くことを想像してみるといい(実際のところ、それは想像にとどまらない。近年の傾向を見ると、テレビの視聴時間はすでにピークを過ぎている。

人々は同じ画面でも、消費するだけでなく生産もできるコンピューターの画面を選ぶことが増えているのだ)。(フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略参照)

羽生善治氏の語る現代将棋の世界は将棋のコミュニティーの繁栄に貢献したいという思いに包まれ、そこで自分的に価値のあるフィードバックを行いながらコミットしていくことはその個人を成長させる。そしてその個人は学習の高速道路をそのコミュニティーに存在する仲間たちに助けられながら駆け抜けていく。

全体的に観ると大きく現代将棋の世界のパイが成長していることにも寄与しているし、集団で一つ上の真理の追究へという階段を上っていく快感にそのコミュニティー属する多くの人たちが感じる喜びなのかもしれない!

テレビの話しが出たのでついでに書いておくが、iTune Storeの登場で音楽が切り売りされるようになり、今ではすっかり人々の生活に定着した感があるが、テレビのコンテンツもこれからは切り売りされて市場に出回るであろう。NHKはオンデマンドで採算が取れないのならば、膨大なアーカイブをiTune Storeで切り売りすればいい。レンタル使用でも充分採算にのるはずだと思う。

アメリカに来て22年になるが相変わらずなくならないものの一つに日本のテレビ番組レンタルというものがある。日本食グロセリーストアなどの一角に毎日日本から入荷してくる大量の番組レンタルサービスだ。変わったことといえばビデオからDVDに変化したぐらいでネット社会のお陰である程度の情報を得られるこのご時世において、なんとも不便な生活スタイルを海外で住む日本人は受け入れざるを得ない。

日本のテレビ業界が創造した膨大な数の貴重なアーカイブを英語のサブタイトル付きで提供することができれば、世界中に親日家を作ることに寄与するであろうし、このことによって一番得をするのは日本人自身だと思うのだがいかがだろうか?

自己実現

食住をはじめとするマズローの言う物質的欲求を、朝から晩まで畑で働かなくても得られる世界では、コンピューターで言う「スペアサイクル」(コンピューターが何もしていない時間)、あるいは社会学者の言う「思考の余剰」を私たちは見出す。仕事だけでは活かしきれないエネルギーや知識のことだ。

同時に私たちには、仕事で満たしきれない精神面や知性面の欲求もある。私たちは自分が重要だと思う領域で無償労働をすることによって、尊敬や注目や表現の機会や観客を得ることができるのだ。

要するに、私たちが報酬なしでも喜んですることは、給料のための仕事以上に私たちを幸せにしてくれる。私たちは食べていかなければならないが、マズローの言うとおりで、生きるとはそれだけではない。創造的かつ評価される方法で貢献する機会は、マズローがすべての願望の中で最上位に置いた自己実現にほかならず、それが仕事でかなえられることは少ない。

ウェブの急成長は、疑いなく無償労働によってもたらされた。人々は創造的になり、何かに貢献をし、影響力を持ち、何かの達人であると認められ、そのことで幸せを感じる。

こうした非貨幣的な生産経済が生まれる可能性は数世紀前から社会に存在していて、社会システムとツールによって完全に実現される日を待っていた。ウェブがそれらのツールを提供すると、突然に無料で交換される市場が生まれたのである。(フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略参照)

非貨幣経済が今注目されているモチベーション3.0と繋がっているとは予想していなかった。「自己実現」、これほどこれからの社会の方向性にあっているキーワードはないのでは? 人から受ける“お前、凄いなぁ”という尊敬や注目は人々を、社会を動かす。

日本人よ、もっと褒めようよ! というのは外から日本社会を見ている日本人には当たり前に生まれてくる感情ではないだろうか? フェイスブックが日本社会で漸くブレイクする兆しを見せているようだが、その要因の一つとして“いいね”というボタンの存在機能が称賛されている。

いいね、と思った瞬間にその“いいね”ボタンを押せる仕組みと、そのフィードバックを得られるスピード感が益々、“いいね”を得たい欲求へと人々を駆り立てる。良い事じゃないかなぁ・・・何か悪いことをして、“いいね”を得られる仕組みは社会から排除されていかなければ、犯罪は助長されるであろうし、憎しみに満ちた若者はテロリストへと突き進んでしまう。

トーマス・フリードマン氏の主張であるがテロリストは貧困から生まれるわけではない、自尊心の欠如から生まれる、というのはとても説得力がある。閉塞感に包まれている日本社会を風通しのよいものにするためには、お互いに認め合い、褒めあい、大切にし合うことで共に自信を深めていく。

俺たちにもできるんだぁ、という気概が、日本人にもできるんだぁ、に繋がり、どんなに中国が超大国になろうとも、日本はぶれることなく存在していくことができると思う。落ち着きをもって堂々と振舞っていれば、周囲も注目するであろうし尊敬もするようになる。

それが凛々しい態度にも繋がり、“どうして日本人はあんなにも優雅なのか?”といった疑問と尊敬、憧れの感情を周辺諸国の国民に抱かせるはず・・・そのときは日本は初めて大人になっているのかもしれない!


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